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こだわり人NEW[2019.02.14]

日本の和の文化の象徴、和菓子へのこだわり / 『梅花亭』井上 豪(東京都・新宿区)

こだ金下書き

人それぞれ。新しい年を迎えて、これからの進むべき道筋を夢見て手を合わせる。さあ、今年はどんな夢を描かれますか。こだわり王国のこのコラムも元気いっぱいのスタートダッシュです。

すると、年賀状に挟まれて『和の技術を知る会』から『子どもに伝えたい和の技術』というシリーズ本の案内ありだ。うれしいね、前々から愛読している本の第4巻「和菓子」の案内が新年早々からくるなんて、思わずにんまりだ。というのは、この本の中に紹介されている一級和菓子、製造技能士の井上 豪さんのことが非常に気になっていたからである。井上さんは東京・神楽坂で『梅花亭』というお店を経営しながら、東京都マイスターとして和菓子に対するひたむきな姿勢とその卓越した技術に業界を問わず、日本の和の文化を永らえる第一人者として世界中から注目を浴びておられるのだ。先頃もイギリスに招かれ、日本の和菓子の魅力を講演されている。また、この3月には東京・新宿の京王プラザホテルで東京菓子協会が主催する『知る、見る、味わう和菓子を愉しむ集い』のメインゲストとしてその技を披露されるというのだ。

ちなみにその案内には、“和菓子は千年を越える歴史の中を、日本人生活文化と共に育まれ、日本人を代表する食文化の1つとして親しまれてきたが、味わっておいしいことの他に長い歴史の上に積み上げられた伝統や季節感、手作りならではの個性、さらには健康性などの多くの魅力を持っており、現代人にとって必要な心の安らぎ、憩い、団らんに欠かせないモノとなっているその和菓子の魅力を愉しむ集いを開催する”云々と記されていた。こうなると一足先に井上さんの和菓子へのこだわりに触れたいものだ。ということで2019年最初のこだわり人として『梅花亭』の店主、井上さんに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル077

日本の和の文化の象徴、和菓子へのこだわり

『梅花亭』井上 豪(東京都・新宿区)

●神楽坂の人に優しい老舗の和菓子店

神楽坂の魅力は改めて紹介することもないだろう。神楽坂は新宿区にある早稲田通りにおける大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂道である。この周辺は大正時代にご隆盛を誇った花街で、表通りから一歩入った路地裏に情緒があり、坂沿いに立ち並ぶ商店と並んで、独特の風情を作っている。横丁から風呂敷を小脇に抱えた粋な姉さんが今にも出てきそうで、ついつい引き寄せられるというものだ。『梅花亭』はそんな神楽坂の坂上の本店と飯田橋駅近くにもう1軒構えておられるが、足は自然と本店に向かった。すると幼子を店先に立たせて親御さんがスマホのシャッターを向けている。何かほのぼのしたものがあり、店先から『梅花亭』のやさしいおもてなし心が伝わってくる。

中に入ると、穏やかな和菓子が花畑の花のように迎えてくれる。色とりどり、形もとりどり。まさに和菓子のテーマパークのような華やかな雰囲気だ。するとガラス越しに和菓子を作る作業場におられた井上さんと目が合い、陳列された和菓子の前に出てこられる。いい香りだ、早くも和菓子にこだわる和菓子職人の心意気が見てとれる。気取らず、肩肘張らず、物腰のやさしさが和菓子に包みこまれているようで、この店主ならおいしく安心していただけるというものだ。店の中にも神楽坂の風情が溶け込んでいるようで、早くも人気のこだわり店の舞台裏を見るようにわが目に光が差し込んでくる。

この本によると、“子供の頃から菓子作りが好きで、父や祖父の和菓子作りを身近に見て、将来はモノづくりに職人になりたいと思っていました”と書かれていたので、『梅花亭』の歴史と今日に至る井上さんの歩みをお伺いした。

「神楽坂『梅花亭』の初代井上松蔵は米どころで有名な新潟県南魚沼市の280年続く旧家の出身で、上京後は柳橋の『梅花亭』で修行の後、新宿淀橋の十二社で独立、開店しました。その後、第二次世界大戦で2度招集され、終戦後にロシアの捕虜となり、極寒のシベリアの炭鉱で強制労働を課されたのですが、その強制労働中に考えることと言えば食べること。特に子供の頃に母が作ってくれた『かきもち』のことです。もし生きて帰ることが出来たらこんな味の菓子を作りたいということで、それが今の銘菓『鮎の天ぷら最中』につながったそうです。形状の鮎は新潟の魚野川の鮎をモチーフにして、もともと餅を油で揚げるものが最中の皮であることから、これを油で揚げることにこだわりました。

戦友が次々と飢死凍死する中、炭鉱のネズミや芋虫を食べて命をつなぎ、たまたま日本に帰る帰還船に乗れ、無事に生還することができたのです。その2代目が戦後の復興の波に乗って和菓子と洋菓子を主体に受け継いだのですが寝食を忘れた生活で39才の若さで亡くなりました。その後、祖父にあたる3代目が後を継ぎ、現代は4代目の私が暖簾を引き継いでいるのです。昼間は美術大学に通い、夜は製菓学校で学び、卒業後は家業である『梅花亭』に平成7年に入社。平成10年にここ神楽坂に移転、今日に至るということです。平成26年には国家資格一級菓子製造技能士に認定され、平成28年には東京都の優秀技能者<マイスター>都知事賞をいただきました」

そこに持ってきて、先にも触れたように井上さんは昨年の2月に外務省の日本ブランド発信事業の一環で、日本の和の技術を紹介するためにイギリスに派遣され、日本の無形文化財の和菓子の啓蒙・発信専門家として各地で講演会を実施されている。また、昨年の10月には茶道裏千家坐忘斎家元から茶名『宗豪』を拝受されている。まさに和菓子職人の家で生まれた血筋が国内外に広がっているのだ。真摯で前向き、多面的な活動はお見事という他ない。そして、お菓子などの激戦区の神楽坂で、2店舗を経営されているのだから、そのこだわりの技量は押してしかるべきということだろう。日本の和の文化の宝だ。

●愛される、季節と素材へのこだわり

では、井上さんが作る和菓子は他の和菓子とどんなところが違うのだろうか。「とにもかくにも、“安心、安全、見て楽しく、食べておいしい”を心がけています」と言われるので、その具体的なこだわりについて紹介いただこう。

「私どもは基本的に『定番銘菓』、『上生菓子』、『季節の生菓子』の3つの分野から、納得のできる和菓子を作っていますが、こだわっているのは四季の移り変わりに対応した和菓子の提供と和菓子の素材へのこだわりです。定番銘菓というのは神楽坂福来猫もなかとか神楽坂古梅、お手玉、浮き雲、鮎の天ぷら最中、飛躍うさぎ最中、一口ようかん夢絞り、神楽坂石畳、あさどら・神楽焼、豆大福などがあります。また、上生菓子には蜜柑きんとんとか七五三上生菓子などがあります。さらに、季節の生菓子には黒糖わらび餅とか玉杏珠、あんず餅、葛桜、切り出し水羊羹、とろける水羊羹などがあります。いずれも、私どもの手作りの和菓子で、多くのお客様からご贔屓いただいています。

特に喜ばれているのは季節の生菓子で、和菓子を通じて四季をお届けするということにこだわっています。日本の誇りである春夏秋冬をイメージした和菓子で、お菓子で季節感を味わってくださいということですよ。今の時期では新年の干支をモチーフにした猪の最中や春の到来を予感させる梅をあしらったものが楽しく、その後は桜やサツキ、夏のひまわり、秋の紅葉などをモチーフにしたものへと優しく続きます。」

一方、素材については安心、安全の面から徹底したこだわりを見せておられる。

「和菓子にとって非常に重要なことで、れもん、砂糖、飴、小麦粉、色素、あんず、栗、柚子、ジャムなどについて徹底した本物主義を貫いています。例えば、レモンについて言えば皮と果汁を使うので減農薬の瀬戸内レモンをつかいます。レモンの島と呼ばれる岩城島産を中心に収穫や季節によって産地を変えて仕入れ、手作業で皮をすり果汁を絞ってレモン大福を作っています。また、砂糖について言えば、和菓子によって6種類(鬼双糖、グラニュー糖、上白糖、和三郎盆糖、黒砂糖、粉糖)を使い分けています。さっぱりとした甘みを出すには、単に砂糖を減らすのではなく素材の味の強さとバランスが決めてとなります。

また、飴についていえば、北海道の小豆、大福豆、手亡豆、赤えんどう、青えんどうなどを使ってお菓子の種類ごとに飴を炊き分けて自家製飴にしています。小麦粉はポストハーベスト(収穫後農薬散布)していない国産の小麦粉を使っています。色素はすべて天然色素で赤はベニバナ。黄色と緑はクチナシ、青は葉緑素からといった具合です。さらに、あんずは長野県更埴の契約農家から生の杏の実を購入しています。2週間かけて自家製の蜜漬けをして和風ゼリーを作っているのです。そのほか、栗は手剥きのものを9月半ばに茨城県から、柚子は徳島県や埼玉県から送ってもらっています。ジャムはもともと自家用であったものが口コミで商品化したものですが、瀬戸内産レモンとザラメだけを使っている、といった具合です。

私は幸いにも美術学校を出て絵心が少しありますので、これらの和菓子を作るにあたって自分なりのイメージを描いて、その出来上がりを追いかけています。私なりの和菓子作りの楽しみです」

●和菓子は日本文化の入口であり、時代の良き友です

ところで、井上さんは若い和菓子職人を育てることについても非常に積極的だ。今も作業場で8人の若い人の面倒を見ておられたが、8人の若者はいずれも地方から出てきて、「和菓子の手作りを学んで故郷に帰ります」と言っていたが、井上さんの思いやりのある優しい指導に拍手だ。若者の1人が言った「和菓子作りには茶道や華道、歌舞伎、俳句や短歌など幅広く日本の伝統文化を学ぶことが必要なんですね」なんて嬉しいね。その言葉を返すように井上さんもこうだ。

「若い人が和菓子作りにチャレンジしてくれるのは非常にうれしいですね。もちろん和菓子の世界だけではなく、我が国のモノづくり精神を絶やすことなく、どんどん広げていきたいじゃないですか。ある面では和菓子はアートでもあるし、芸術ですね。暮らしにほっとした安らぎをもたらしてくれるアナログ的な、人の手から生まれた和菓子の存在は貴重ですよ。たかが和菓子ではない、されど和菓子ですよ。これからも伝統を受け継ぎながら、新しいことにどんどん挑みながら、ちょっとしたいい時間をお届けしていきたいですね」

帰りにやっぱり口で味わうのが一番なので一口咥えると、さすがにこれまでに食べたものと全く味が違う。井上さんのあの職人魂が帰り際に言われた「和菓子は時代の優しい音色であり、日本文化の入口であり、時代良き友です」という言葉が身体の髄の髄まで入り込んで来たね。

新年早々いい時間をいただいた。今日はこのまま、『梅花亭』のすぐ裏にある赤城神社に参っていこう。何か明るいよい年になりそうな年明けだ。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2018.12.25]

和の文化「前掛け」を現代によみがえさせるこだわり / 有限会社エニシング(東京都・港区)

たまの力』という非常に気になる本が送られてきた。副題に多摩ブルー・グリーン賞受賞企業の NEXT STAGE と名付けられた多摩地域のベンチャー企業をクローズアップした図書である。出版されたのは地域金融機関として多摩地域の繁栄と経済の振興に寄与する多摩信用金庫で、同金庫の長島剛価値創造事業部長が事務局を担い、同金庫が力を注ぐ「多摩ブルー・グリーン賞」を受賞された多摩地域の元気企業、120社の現業の展開と NEXT STAGE への熱い思いを明星大学の関満博教授(現在は一橋大学名誉教授)の監修のもとに取りまとめられたものだ。ブルー賞は優れた技術や製品への評価であり、グリーン賞は新しいビジネスモデルに対する評価と聞けば、地域経済の行く手にまさに光明ありということで、これは絶対に見逃せないということだ。

そんな中で、妙に気になったのがエニシングという前掛けを専門的に製造、販売をする企業である。エニシングなんて、社名からして何をする会社かと思ったが、“前掛けという仕事着をコミュニケーションのツールとして捉え直して、新しい需要を掘り起こす。エニシングは和の文化を守りつつ、地域産業の再生にインパクトを与える”と、前文に書かれていると、この会社のこだわりがますます気になってということだ。

ということで、今回はかって商人の必需品だった前掛けにこだわるエニシングの創業者、西村和弘社長に着目させていただいた。

こだわり人 ファイル076

和の文化「前掛け」を現代によみがえさせるこだわり

有限会社エニシング(東京都・港区)

●商人の心を映す動く暖簾

私ごとで恐縮だが、ぼくの実家は大阪の商家である。小さい頃から前掛けには見慣れていたが、父はもとより、そこで働く奉公人さんや仕入れにこられるお客さんも屋号の入った前掛けをしていた。子供心にあの前掛けは商人のあたり前の姿で、何か商人の制服のようなものを感じていたものである。時々、父が若い奉公人さんに「前かけは商人の心や、店先の暖簾と同じで、大事にせなあかん。動く暖簾や。前掛けに恥じないように気張って仕事をせなあかん」と言っていたのも今は懐かしいものだ。

すると、番頭さんが「前掛けは腰にしっかり結ぶのが大事で、緩んでいるなんて以ての外や。商人失格や」とよく檄を飛ばしていたものだ。そこに持ってきて、当時のテレビ番組の「番頭さんと丁稚」とか「暖簾」というのを見て、前掛けの存在にお店の一体感のようなものを感じていたものだ。ところが今日ではそんな姿をほとんど見ることがなくなったが、西村さんにとっては、“今は昔”どころか“昔は今も”ということだろうか、前掛けにかける熱い思いに感動だ。

「そうなんですよ。あの前掛け姿にしっかり商品をお届けしなければという、商人の心意気や姿勢を見る思いなんです。バイトの子にジャンパーなどを着せて、中途半端なやり取りしかできない店員と違いますよ。あの1枚にその店の真摯な思いや活力を感じるんです。お店の誇りや一体感といったものも読み取れて親近感が湧くんですよ。今でも地方に行けば、酒屋や八百屋や米屋で前掛けをして立ち居振る舞っている人を見かけますが、あの風景はいつまでも残したいじゃありませんか。日本の伝統的な仕事着で、その店の本気度といったものを感じますよ。前掛けに揉み手、これが日本の商人の心ですよ」

もうこれだけで、西村さんの前掛けにかける熱い思いが伝わってくる。そこで前掛けの歴史についてお聞きしてみた。

「前掛けの始まりは江戸時代末期と言われています。身体の前にかけることから『前掛け』、『前たれ』と呼ばれ、働く人たちの腰を守り、衣類の破れや怪我の防止という実用的な面から重宝にされてきたんです。明治時代になると、屋号が染め抜かれ、お店の象徴になり、現在ではユニフォームや広告宣伝としても使われるようになっているんです。

日本一の前掛けの生産は愛知県の豊橋で、戦後、1950~70年代には折からの高度経済成長という時代の波に乗って爆発的に広まり、会社の屋号や商品名の入ったものが、1日に1万枚出荷されたそうです。綿の糸で厚く織られた長方形の記事に紐などがついたシンプルな形ですが、ここに来て、そんな前掛けの役割が見直されているんですよ」

●前掛けはコミニュケーションツールだ

それにしても、西村さんは40代と見たが、若い頃から伝統的な前掛けにこだわるというのはどこから来たのだろうか。単に昔帰りということではなく、西村さんの言葉を借りれば、「和の文化を守りつつ」という言葉に尽きるというものだ。そこで、前掛けをビジネスの軸にしたのはどんな理由からですか、とお聞きしてみた。

「私は学校出ると、食品メーカーに務めていたのですが、たまたま目にした、パソコンで生地などにデザインすることに魅せられ、漢字をデザインしたTシャツを企画、販売する会社を2000年の11月に立ち上げました。その後、立ち寄った愛知県の豊橋で前掛けを作る工場を見たのですが、職人は高齢化し、後継者もいない、価格も下がり続けている。そのため、質を下げてもコストカットをしなければやっていけない状況を知ったのです。すると、これが無くなれば前掛けという和の文化の一つの象徴が消滅してしまうという危惧を抱いた私は、自らがこの仕事にかけようと心が動いたのです。

さっそく、縁という思いを込めた『エニシング』という会社をたちあげ、1つの試作品を作り自社サイトに載せると、200枚というオーダーが入ったのです。まさに縁が実ったんですね。これはいけると思っていると、あの人気の東急ハンズさんが興味を示し、前掛けの売り場を設けてくれました。そこで、前掛けがなぜ売れるのかを調べてみると、前掛けは人が人に贈るギフト商品であることを知ったのです。送別会、還暦のお祝い、結婚式、金婚式などの贈り物として買われてるんですよ。“よし、これは仕事着ということより、コミュニケーションツールとして売れば”ということですよ。本格的にやろうということで、当時住んでいた武蔵小金井に事務所を構え、あの豊橋の職人さんとコラボし、“世界で1枚、感動の贈り物”というフレーズで売りだしたんです。

すると、効果覿面、徐々に火が付き、それまではコストダウンに軸足を置いていた職人さんのモチベーションも変わり、モノの良さで勝負、本物を作れば売れるということですよ。前掛けの存在感も一気に高まる、すると、産地の豊橋も力を入れる。工場も街も活気づくということになって、この商品が次第に全国区になってきたんです。

その後はニューヨークで前掛けの展示会を開いたり、豊田自動織機と提携して展示会を開いたり、三越百貨店とジョイント展示会を開いて前掛けの存在を啓蒙、促進してきました。その間、東京商工会議所や経済産業省の名誉ある賞を受けるなどして、すっかり全国区になってきました。おかげ様で事務所も手狭になってきたのと、都心で勝負ということで、現在の元赤坂に事務所を移したんです」

●本物志向の徹底したこだわり

納得だ。西村さんの前掛けにかけた思いに大輪の花が開いたのだ。そこで伺ってみた。では、エニシングの前掛けの特徴はどんなところにあるのだろうか。基本的には4つのこだわりを挙げられたのでその大要を紹介させていただこう。

「前掛けの基本的な役割に注目して、その実現を目指したんです。その4つとは第1に、重い荷物を持ったりするので、とにもかくにも腰を守る。第2に、日本酒などケースを運ぶとき、洋服が破れないようにするため前掛けを肩にかけるので、それに素早く対応できるようにする。第3に、熱い熱気のそばで仕事をしなければならないこともあるので防火仕様として熱気から身体を守る。第4に、お店の屋号や商品の名の明記して広告宣伝的な役割を果たすということです。

そこで私はこれらを徹底的に究めるために、次のような仕上りの実現をこだわりぬいたのです。簡単に紹介すると、まず第1に掲げたのは“太い糸で、厚く織る”ということです。そのためにやったことは、昭和30~40年代に作られていた『1号前掛け』にこだわり、昔の前掛け本来の厚みを現在に蘇らせたんです。まさに原点からの出発ということでしょうか。1号の魅力をもう一度復活させようということにこだわったのです。分厚いと柔らかいという一見反することを同時に実現していることがエニシングの最大の特徴です。長持ちの面でも格段にアップさせていますからね」

製造には自動車のTOYOTAの前身である豊田自動織機の織り機を現在でも使っていると言われるのだから、西村さんの和の文化に対するこだわりをここでも見ることができるというものではないか。

「第2のこだわりは、“人の身体にフィットする前掛け”ということです。織物は縦糸と横糸の打込みで生地の風合いが大きく変わりますが、一般的な帆布ではなく、糸や打ち込み方の工夫で体に自然になじむような柔らかい生地の使用し、身体に自然になじむような仕上げに徹底的にこだわっています。

第3のこだわりは、“伝統の色、色落ちしない染め”に対するにこだわりです。厚手の生地を柔らかく色落ちもほとんどなく染まるようにしています。洗濯堅牢度の検査でも高いランクを保っていますので、安心して使用できるのがうれしいですね」

●NEXT STAGEはもう始まっている

そのほか、エニシングならではこだわりが多々あるのだが、前掛けに要求される基本的な要素を究められたことが、やはり功を奏したということだろう。その根底にあるのは、前掛けの使い方を見直し、原点から本物を作ろうというところから出発されたことに尽きるのだ。その結果が現在は都心の真ん中、港区の元赤坂に移転したことにあると西村さんは熱い。

「ある面では1つの目標を達成しました。そこで得た経験、ノウハウを NEXT STAGE につなげていくのかがこれからの課題です」と言われるので、最後に今後の方向性について伺ってみた。

「残念ながら、蘇ってきた前掛けの産地の豊橋には相変らず後継者はいない。せっかくの基盤があるのにこれでは宝の持ち腐れです。そこで、前掛けにこだわって、製造と研究拠点を作り、若い職人さんを育てています。また、ここ赤坂では大手の流通企業と手を組んだ本物の量産化という新しい流れをつくっていきたいと考えています。さらに、多摩から都心へ向かっていったように、これからは都心からアジアや西欧に向かってという考えを徹底して、まさにNEXT STAGEを究めていきたいですね。2020年のオリンピックなどもあって、前掛け文化を世界に向かって発信していけるのが楽しみですね」

相撲の一手で“前さばきがいい”とよく言われるが、前さばきならず前掛けで時代と勝負というエニシングの新たな挑戦 NEXT STAGE はもう始まっている。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2018.11.30]

スガツネ博~空間に新たな息づかいを与える金物パラダイム~ / スガツネ工業株式会社

いったいこの世はどこに向って進んでいくのだろうか。交通、コンピュータ、通信、電波などの進歩、発展が、大きく世の中を塗り替えたことは紛れもないことだ。時間や距離の概念が全く変わってしまっている。それに追い打ちをかけるようにスマートフォンなどのプライベートメディアの登場だから、その進歩、発展のスピードに少し先を生きてきたものとしてはいささか戸惑うということ目白押しだ。まさに技術が技術を呼んで、それいけ、やれいけだ。

そんな技術オリエンテッドな世を生きていく上で重要なのは、いまある技術のチェックやこれからの時代を背負う技術、さらには次代の方向性を描いていく技術などを今一度真摯な目で見て、触って、納得してということではないだろうか。結局、この世の進歩、発展は自分で作れないのなら、人が作ったものを学び、受け入れ、納得できるものはどんどん使っていけと、歴史が教えている。幸い人間は"いいものを見た、これは使わなければ"と決断するから進歩、発展に加速度が加わるというものだ。

振り返ってみると、創業90年を前にしたスガツネ工業の歴史は、この公開精神、丹念に作り上げたこだわり製品をご覧いただき、使っていただくという積み重ねの歴史だ。いや、歴史というより、公開することによって、ひと足先にその便利さや効用を手にして、次代への夢を膨らませてくださいということなのだろうか。最近も、あるオリンピックアスリートがなぜ公開練習するかと問われると、「公開によって自分の技術が見える、今日までの汗が本物かそうじゃないかがわかる。もし本物でないと、技術磨きに一段と力をこめる。最終的にはその流した汗が時間を越えて新たな記録に結び付くから、やっぱり初めに公開ありきです」と言っていた。

モノづくりにこだわるスガツネ工業のそんな想いがまたまた結実だ。実際に見て、触って、言葉を交わしてというリアルコミュニケーション精神にいま一度着目して、プライベートショーを東京、大阪、名古屋の3カ所で開催した。大阪は5月、東京は10月、名古屋は11月。「空間価値を創る金物」と名乗った『スガツネ博』だ。"印刷物や電子メディアでもない、実際の商品を目の前にしたリアルな世界に勝るものはない。さまざまな利用シーンがイメージできる。これで納得して、自分たちの図面に書き入れることができる。そしてお客様に進めることができる"というお客様の声に応えたものだ。そこで、今回はスガツネ工業の2018年の最大のビッグイベントとしてお客様とスガツネ工業の触れ合い、お客様同士の交流、交歓を深めた『スガツネ博』を、会場でお聞きしたお客様の声を交えながら紹介しよう。

こだわり人 ファイル075

スガツネ博~空間に新たな息づかいを与える金物パラダイム~

スガツネ工業株式会社(東京都・千代田区)

2018年も早や秋だ。猛暑、猛暑と言われた夏も終わり、荒れ狂ったこの国も少し平静を取り戻しつつある。そんな中、災害復興や2020年のオリンピックなどを控え、また新たな動きを見せている。前向きな我が国の住人だ。住環境、公共環境、商業環境、自然環境・・・いったいどこに向かって進んでいくのだろうか。いや、どこに向かって加速度を上げていくのだろうか。

私たちの毎日はこれらさまざまな環境を構成する空間での出会いであり、包み込みである。これから先も人間の生命空間は、形は変わっても、そこに人が、動物が、植物が生命を永らえていくというスタイルは不変だろう。それだけに新たな空間の誕生、長年、親しんできた空間の維持・撤去、空間の再生といった問題は常につきまとうのである。まさに空間は、そして環境は、ある面では人間の生存史であり、人間の生命史だからそのための技術、技法は最重要視しなければならない課題なのだ。ある著名な建築設計家はこの『スガツネ博』は「ここは、多様な空間に新たな息づかいを与える金物のパラダイム」と言われたが、今回の内容はまさにそこに照準を合わせたもので、今日的な課題に応えると共に次代へのニーズや夢に拍車をかけるものなのだ。

●幕開きはお客様とスガツネ工業を結ぶ総合カタログから

東京会場(エントランス)

東京会場では、お客様のおもてなしをイメージに表したレッドカーペットを歩くと、真っ先に目に飛び込んでくるのがスガツネ自慢のその数20,000点を超える製品を納めた総合カタログの象徴的なオブジェだ。お客様とスガツネ工業を身近につないできたあの多様な製品が、"今日はカタログから飛び出しました。これから後に続く展示ゾーンをゆっくりご覧下さい"というメッセージを発している。後に続く製品群を早く見たい欲求がいやがうえにも高められるというものだ。

では後はどんな展開が待っているのだろう。今回の『スガツネ博』の5つの実施ポイントをクローズアップさせていただこう。

1.変化の時代に、変化の先取り!

百花繚乱。花盛り技術の競演。世の中の進歩、発展を支えてきた技術にも賞味期限ありということだろうか。いやいや、新しい時代の技術を取り入れて、次代へのハンドルを切って行こうということだろうか。変わるビジネススタイル、暮らしのライフスタイル。変わる市場マインドの変化にスガツネ技術をオーバーラップさせようということである。

建築金物や家具金物に期待される「スペース」「機能性」「操作性」「耐久性」「安全性」などの課題を追求したスガツネ工業のこだわりの技術をパノラマ的に総合展示したので、その一つ一つの使い心地、具体的な効用や便利さ、さらには設置や施工の容易さを身近に感じて頂きたい。お客様自ら体験できるデモンストレーションは好評で、多くのお客様から「こうして自ら触れ、操作できたので、一つ一つの機能が明白になりました。イメージが膨らみ、次の一手が鮮明に浮かび上がりましたよ」という言葉も多かった。

大阪ショールーム(こだわり金物コーナー)

東京会場(電動スライディングウォール)

2.それぞれの所で、それぞれの発見!

求められるのは何ですか。業種や規模によって金物の使用ニーズもさまざまである。「快適性」「安心・安全性」「省力化」「高級感」「雰囲気、印象度」。そこに「施工や取り付け」も容易、「コスト意識も徹底」ということであれば、申し分なしということだろう。まさにスガツネ工業の真髄、ここにありだ。伝統のある建築金物や家具金物に加え、着実に根を下ろす省力化、効率化などの新たな金物を目の当たりにすることができる。

時代は先追いの時代だ。これからの先行きに具体的な展望を描き、その勢いを成果に結び付けていく時代だ。となると、いま一度、スガツネブランドに目を光らせてほしい。ベテランの建築設計家は言った。「派手ではないが、一歩一歩、その極致を追い求めていくスガツネ製品によって自分好みの納得のシーンを展開、繰り広げられるなんて、感激ものではないか」。

大阪ショールーム(Zwei Lコーナー)

東京会場(建具金物コーナー)

3.生命が宿る発展的シーンをイメージできる

一口に空間と言っても多彩で、動いている。住宅空間、商業空間、公共空間などなどに、大なり小なり新たな誕生があり、修理、改装、再生などが付きまとう。まさに空間は生き物だ。それが、歴史的な資産、財産ということになると、簡単に手を下せず、修理部品、再生部品には念には念の入った納得できるものが求められるのだ。もちろん技術者の技能、技量といったこともあるがそれらを安心して任せられるハードやソフトの機能に加え、その運用は不可欠である。

聞けば、建築施工士も、設備士も言われる。「今日から明日、明日から未来へと続くさまざまな空間がいつ行っても新鮮、人とハードが一体となった元気な空間がより具体的にイメージできるのでスガツネ博は見逃せません。製品の選択、決定なども非常に容易になりましたよ。」だ。

名古屋会場(商業施設向け金物コーナー)

4.豊かな経験、実績に教えられる多彩なセミナー!

豊かな経験と実績が次代への応援歌だ。自らの実績や経験を携えたベテランの建築設計家やインテリアデザイナーの方は熱く語るメッセージに耳を傾けていた。時代の潮流をとらえ、また次代を先気取っていくホットなメッセージを頭に叩きこみ、これからのクリエイティブ活動に生かしていただきたいではないか。同時に、すぐそばに展示されているスガツネの製品群にも関連付けて、大いにイメージを膨らませていただきたいということだ。

すると、聴講された多くの方が言われたね。「印刷物やWEBで得られない本物のリアルなメッセージに耳を傾けました。知的好奇心はゆすぶられ、新たな発想と行動心が生まれました。いくつになってもこの道のオーソリティには耳を傾けて行けということですね」

この国の底力はこのような場から、着実に根を張っていくのだ。

5.リアルコミュニケーションと連携プレー

ホットな触れ合いコミュニケ-ションの場での出会い、お互い顔を見ながらのリアルな場で会話が弾む。お客様とスガツネ工業の出会いは今日的な課題解決と次代への可能性を広げていく。お帰りにお渡したスガツネ工業の総合カタログをモチーフにした記念品のメモ帳をしっかり手にされたお客様の晴れやかな顔に現れている。まさに総合カタログから飛び出した製品群との身近なひと時だったが、そこに意義がある。また、明日からのそれぞれの新たな行動に結び付けていただきたいものではないか。

「今や、総合カタログはもとより、パソコン、タブレット、スマートフォンなどアクセス便利なデジタル端末がある。これによってスガツネ工業との距離がさらに縮まった。いまやビジネスのワークスタイルになったデジタル端末は私たちとスガツネを結ぶホットラインとしてどんどん使っていかなければ」と、老若を越えて熱い声だ。

そして最後に本展示会の事務局長の狩野氏の言葉を紹介しておこう。「入り口から出口まで、製品満載、情報満載の『空間価値を創る金物―スガツネ博』です。改めてお客様とのパートナーシップの重要性を肉感した大阪、東京、名古屋でした。これからも時代と向き合いながら、まさに時代は技術によって動いていくことを座右の銘にしながら、具体的な形で示していきたいですね。」

<セミナー講師のご紹介>大阪、東京、名古屋セミナー開催順
橋爪 紳也 氏「大阪の底力、夢は大きく、活気ある街づくり」
大阪府特別顧問、大阪市特別顧問、大阪府立大学研究推進機構 教授、大阪府立大学 観光産業戦略研究所 所長
村田 智明 氏「感性を可視化しビジネスに生かす『感性ポテンシャル思考法』」
京都造形美術大学 客員教授、神戸芸術工科大学 客員教授、株式会社ハーズ実験研究所/METAPHYS 代表取締役
間宮 吉彦 氏「スペースデザインの現状とこれからの方向性」
株式会社インフィクス 代表取締役社長、大阪芸術大学 デザイン学科 教授、九州大学 芸術工学部 講師
島田 陽 氏「知性と感性、町に息づく家づくりを求めて」
タトアーキテクツ 代表、京都造形芸術大学 客員教授
山梨 知彦 氏「建築デザインの可能性と未来」
株式会社日建設計 執行役員 設計部門代表
畑 友洋 氏 「人に優しい環境と住まいの調和、発展」
畑友洋建築設計事務所 代表、神戸芸術工科大学 准教授
木村 秀一 氏「IoTが実現する新しい生活空間」
レンジャーシステムズ株式会社 執行役員IoT事業部長
富田 直美 氏「時代の新しい流れを創る」
株式会社hapi-robo st 代表取締役社長、ハウステンボス株式会社 取締役CEO
橋本 夕紀夫 氏「伝統に学ぶ革新」
橋本夕紀夫デザインスタジオ代表、東京工芸大学 教授、愛知県立芸術大学 非常勤講師
小坂 竜 氏「スペースデザインの現状と次代への夢」
株式会社乃村工藝社 執行役員、A.N.D 代表
島村 一志 氏「VIEW-INTERIOR! インテリアの眼で観る!!~時代のダイナミズムを担う産業としてのインテリアに向けて~」
公益社団法人インテリア産業協会 参事
川崎 和男 氏「実践的デザイン論、世界に通じるニッポンのものづくり」
デザインディレクター・博士(医学)、大阪大学 名誉教授、名古屋市立大学 名誉教授
岸 和郎 氏「建築のさらなる可能性を求めて」
建築家 K.ASSOCIATES/Architects 主宰
川田 学 氏「デザインクリエイティブへの、熱き想い」
ヤマハ株式会社デザイン研究所 所長

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2018.10.18]

理容の伝統と未来へのこだわり / 大野悦司(東京・中央区)

暑い暑い。何かと燃える太陽と向かい合う夏だった。身ぎれいにして、少しは身も心も和らぐ秋を迎えようではないか。それでもこの夏の一服の清涼剤になったのは、あのボランタリおじさんの心意気だ、思わず2才児もやさしい呼びかけに身体が反応したのだろう。

ボランタリと言えば、なぜかボクの頭に恩師と仰ぐ直木賞作家で、夜の人気番組「イレブンPM」の司会者であった藤本義一さんが蘇ってきた。今から23年前に起こった阪神・淡路大震災で、震災遺児や孤児のために、[希望の家」を建て、心のケア活動を献身的に行われたのである。

人それぞれ、ボランタリの形はあるが、藤本さんと初めてお会いしたのは50年前、大阪に住んでいた頃だ。以来、その物腰のやさしさ、言葉の使い方に魅了されて、その言動の一つ一つに“人間、藤本”を見てきたのだが、この幼児救出ボランタリおじさんが飛び火して、また一人、ボランタリ精神で自らの生きざまを理容という世界で昇華させている御仁が我が頭の中で舞い踊った。“おぎゃあ”と生まれてから老いていく中で、人それぞれの人生がある。その人生に美と健康と安らぎを与え、英気と精気をお届けするという理容の役割を今一度見直し、培われてきた伝統の上に時代の進むべき進路に光を投げかけるというこだわり人、大野悦司さんだ。「うわべだけではだめ、すべてに渡って“上質”を合言葉に自社の経営はもとより、伝統ある理容文化をさらなる未来に結び付けることだ」と熱い。 

ということで今回は、理容の世界にもっと光を、そしてその光を人々に広く拡散してという理容文化の永らへ人、“繁盛理容店の出発点は店舗構成にあり”と言われる大野悦司さんのこだわりに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル074

理容の伝統と未来へのこだわり

大野悦司(東京・中央区)

●老舗が集う日本橋の繁盛店

大野さんのフイールドは広い。「大声を振りかざしてではなく、こまねずみのように動くのが性に合っていますよ」の言葉が言い当てている。中央区日本橋、三越本店の斜め前、中央通りに面して『ヘアサロン大野』(本店 艶出専科)を構え、東京のほか、帝国ホテル大阪など東西の老舗ホテル等にも趣のある11店舗を設けておられるのだから、その手腕は推して知るべしだろう。江戸日本橋という土地柄もあるのだろう。伝統ある町のイメージと新しい時代の空気感が漂い、ヘアサロン大野の本店は独特の雰囲気をかもしだしている。まさに、店舗プロデューサーの手腕もここにありだ。

大野さんは昭和9年に東京・蒲田で開業された理容師の父、孝次郎さんの子で、理容師としては、高校1年の昭和38年、後継ぎを決意し父のもとに弟子入りした時から始まる。昭和45年に慶應義塾大学経済学部を卒業した時には当時の堤清二社長に請われ、『静岡の西武百貨店』内に出店。経営を任されながら技術者でもある店長としてプレイイングマネージャー的な手腕を発揮された。そして昭和60年からは先代の志を受け継ぎ、『ヘアサロン大野』グループを陣頭指揮してこられたのだ。

「思えば理容歴55年ですが、父は近代理容業の草分けと言われる大御所、篠原定吉氏に師事し、戦後の昭和23年に現在の日本橋本町に本店を設けて事業の拡大を図りながら、日本の理容技術の向上、発展のけん引者として全国理容組合中央講師会幹事長のなどの役職を担ってきました。その父のDNAが身体にしみこんだというのでしょうね、親子二代で幹事長を務めさせて頂き理容界の発展と理容の未来を追いかけ続けてきましたよ」

●メッセージ性のある店づくり

大野さんの理容への想いは、その長い経験から生まれるのだろう。

「理容店に限らないとは思いますが、店の存在感、価値観の出発点はメッセージ性のある店舗づくり(コンセプトの創出)ですね。それぞれの時代の社会背景や立地条件とを前提に近未来にまでわたるお客様に必要とされる店創りなんですよ。

現在、理容店は全国に14万件以上ありますが、それぞれの店舗にとって一番大事なのは地元の人々に愛され、親しまれることですね。そのためには何をしなければならないのかというと、その土地に根づいているという空気感を取り入れ、時代に同化させることですね。ここ日本橋について言えば、お江戸日本橋、東京の中心、歴史にとんだ伝統的な土地柄を大切にしながらも、常に新たに生まれ変ろうしているチャレンジ精神が漂っている。お洒落で、粋でイナセな江戸っ子気質、この気質を活かした店づくりですね。伝統と革新の融合した店づくりです」

大野さんのこだわりは明白だ。いま、オリンピックを前に世界の建築家やインテリアデザイナーが注目している日本橋だ。これから先、これまでの歴史の上に立ってどんな未来が描かれていくのか、日本橋の動静が気になって仕方がないという。すでに大野さんの頭の中にはそんな人々の想いがいち早く根づいているのだろう。その兆しを次の3つの観点から具体化しましたと言われたので、その大要を紹介させていただこう。まさに、大野さんならではの店舗づくりへのこだわりだ。

「まずは、日本橋という土地へのこだわりです。江戸開府以来、日本橋は日本道路元票がある日本の中心であり、商業、金融、芸能の原点として、数々の歴史を刻んできました。あの三越をはじめ、ニンベン、山本海苔、栄太郎、など昔ながらの老舗が暖簾を並べています。そこに近年は、コレドなどの商業施設や全国のアンテナショップ、ファッションビルが立ち並び新しい顔を見せている。また日本橋に再び青空を取り戻そうと「日本橋ルネッサンス100年委員会、名橋日本橋保存会」などが中心となり世論を形成し、未来音を轟ろかそうとしいています。江戸城築城や数々の大名屋敷の普請に携わる職人集団を抱えてきた日本橋が「江戸っ子」生み出し、京都から下ってきた数々の上方の生活文化を真似ながら江戸物は「下らないもの」と言われながらも次第に江戸風に塗り替え、明治維新に至っては全国に先駆け天皇をはじめとして丁髷を断髪し西洋理髪、西洋文化に切り替える気風が息づく街です。その一角に店を構える「ヘアサロン大野グループの本店」としては最高の内容と品位でお客様をお迎えしたいということですよ」

確かに大野さんの西洋理髪へのこだわりは中央通りに面した明るいが落ち着きと大人の雰囲気を醸し出す店舗空間に宿っている。伝統と革新「Traditional & Modern」ということだろうか。店内の陳列ケースに並べられたヨーロッパやアメリカから逆輸入されてきた、古伊万里の髭皿、マグカップ、等の数々のコレクションには魅せられる。毎年のように訪問する、ロンドンからおしゃれなイギリス紳士御愛用のメンズコスメラインがずらっと並んでいる。この場所にこの店ありだ。ある面では理容博物館的な雰囲気がこの店の存在をいやがうえにも盛り上げているのである。

●お客様の心へのアプローチとネット時代への対応

「こだわり店舗の2つ目は、お店の中をカスタマイズしたいので、オープンスタイルではなく落ち着いたプライベートな個室スタイルにしたことです。喧騒とした都市生活者に音もなく、光も抑え、心和らぐ時間を持っていただこうということです。穏やかなひと時に調髪や髭剃りなんていいじゃないですか。ここに来れば身も心も癒されて、明日も頑張ろうという想いになっていただこうということですよ」

ひと味違う、ワンランク上ということだろうか。私自身もその個室ルームに座らせていただいたが、確かに身体の心からリラックスさせてもらったいい気分なのである。

「3つ目は、今や時代はデジタル。店舗経営もネットワークの時代です。そこで、取り組んだのがその対応。未来派対応ということですね。この店はもとよりグループ店舗はすべてPOSレジによるネットワークシステムを確立しました。」

「点から線へ、線から面へという発想で、お客様一人一人の髪質や髪形、どのようなサービスを受けられたかを詳細に記録したお客様カルテを作り、東京・大阪にあるどの店に来られたお客様にも、いつものような気軽にご利用いただけるように素早く対応できるようにしております。すべてのお客様を全店舗で共有していく、これからはそんな時代ですよ」

正直、大野グループは理容店として大きな変貌を遂げていることに驚きだ。伝統と未来の狭間で、従来のイメージの理容店でないことを実感させられる。いや、裏を返せば、これからの時代を生き抜いていくには重要なアイテムであることを、改めて教えられたのである。かつてこの界隈も江戸の浮世床から始まって、男性のモダニズムの歴史を刻んできたが、その男衆のために、いま何をやらなければならないかということなのだろう。伝統と革新、未来への狭間で生きる大野さんの発想と実践ということではないか。

「『日本の商業地、近代の夜明け』と言われてきた日本橋を見れば、江戸の浮世床から現代に至るまでの男性のモダニズムを身近に見ることができますが、移り変わる時代の中でこれからの男性はどんな印象力(ビジュアルメッセージ)で生きていくかということですね。男性はもとより女性、子供、お年寄り、男女を問わず全世代的、全世界的な人達にとってなくてはならない存在でありたいですね。ある面では理容は一生もん、“健康生命産業”的な役割を果たしているんですからね。いまや日本の理容技術は世界一のブランドですからね、これは、3年前に進出したベトナムのハノイ店でベトナムの方々や現地で働く日本の方々から得た実感ですよ」

“こまねずみのように動くのが私ですよ”と言われたが、とんでもない。この想いが大野さんの真骨頂ということだろう。理容史の生き字引であり、未来の理容の手引書ということだ。そして、最後に、こんな一言を言われたので、それを紹介しておこう。

「私は理容のシンボルであるサインポールのように理容界が絶えることなく発展する姿を描き続けて続けたいんです。これが、多くの人々に対する私流のボランタリ精神なんですよ。思えばお江戸日本橋の街の変わり様は凄い、伝統と未来が交差しながら町が塗り変わっています。私の地元への愛着心には限りなく、中央区の東京都理容生活衛生同業組合連合会の中央支部長を長年務めさせて頂き、理容はもとより美容、ホテル、旅館、クリーニング、浴場、劇場・ホール、映画館、スポーツクラブ、等々、環境衛生にかかわる事業の成長・発展と安心・安全な市民生活の保持、推進を実現するお手伝いとして中央区環境衛生協会の会長など要職を担ってきましたが、私たちは理容を通じて人間生活を心と体を大切にすることで社会に貢献したいという発想と行動で頑張りたいと思ってこれまでも、これからも行動して参ります。日本橋は昔から日本全国の道路網の起点でもありますから」

元気一杯、大野さんのひと味違ったボランタリ精神から生まれる理容文化、いや、生活文化への綴りは果てしなく続いていくんだ。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2018.09.14]

"モノづくりスミダ"の象徴。世界でただ一社、如雨露へのこだわり / 根岸産業(東京・墨田区)

日本人はどこに行くのだろうか。歴史・文化を永らえていく伝統の技術と時代の先を夢見る最先端の技術。この国はこれからも両技術のあくなきこだわりを抱きながら進化、発展していくのだろう。これまでクローズアップしてきたこの項『こだわり人』がそのことを如実に物語っている。勢い、海外の人々が日本の産業、芸術、文化、スポーツ、生活スタイル...等等に熱い視線を注がれるのはわかる気がする。ここにきて町を歩けば、この国を訪ねる外国の方々が本当に増え続けている。

ところでここに来て、日本の『盆栽文化』に新たな視点、新たな存在感をみせていることをご存知だろうか。日本の伝統的なこだわり文化の一つとして、その存在、その行為、その精神に長い歴史を刻んできたが、地球温暖化、地球環境といった問題から盆栽の役割に目が離せないというのだ。すでに「BONSAI」という言葉が国際用語になっているということで納得できるが、自然の風景を模して造形化する盆栽文化が“人間の国、日本”のたくましき息づかいの象徴になっているのだ。昨今の異常気象などによって少し浮足立った世界が、日本の盆栽に未来を託すなんて痛快ではないか。

今回のこだわり人はそんな盆栽に着目し、盆栽の生命元の一つと言われる如雨露にこだわる、根岸産業という企業にスポットライトを当てさせていただいた。創業したのは1944年、今やわが国に唯一残る如雨露の専門会社として著名である。場所は東京都の墨田区。世にいう“モノづくりスミダ”と呼ばれる町工場の象徴として、その独自の技術を世界に向かって発信しているなんて、まさに痛快、痛快である。

こだわり人 ファイル073

“モノづくりスミダ”の象徴。世界でただ一社、如雨露 (じょうろ) へのこだわり

根岸産業(東京・墨田区)

●燃え滾る1300度の熱と、人との戦い

“ものづくりスミダ”の名にふさわしく、いつ行っても街を巡り散策したくなる墨田区だ。あの東京スカイツリーができてから、その想いは一段と高まって、にぎわう浅草から乗った東武スカイツリーラインが“さあ、今日の宝探しは何ですか?”と心を揺るがしてくる。

2つ目の駅、東向島駅を降りると何か人懐かしい風情のある街だ。駅員さんに聞けば、「このあたりも都会の洗礼を受けて、昔の面影は少なくなりましたよ」と言われたが、目に見え、耳に入ってくる音は何か懐かしく、心惹かれるものがある。あの町工場の街と言われる大田区とはまた一味違った風情があって、作業現場で働く職人さんたちの一挙手一投足が目に浮かんでくるのである。

すると、この町の守り神のようなお寺があって、あの整備された庭の盆栽はこれから訪ねる根岸産業の如雨露を使っておられるのだろうと、勝手なイメージをだいて行くと、ちょっと入り組んだ路地も快適で足が弾む。このような心が弾む昔懐かしい路地を数多く見て、散策してきたが、やっぱり心惹かれるものがある。後で聞いてわかったのだが、住まいと作業場が棟続きになった佇まいなどはこの界隈の特徴で、長い歴史を今に伝えている。

路地に面し開いたシャッターから一歩中に入ると、まさにこれが私たちの日常ですということだろう。飾り気なくありのまま。素朴な雰囲気がいい感じだ。何か懐かしい雰囲気に目を光らせていると、目に飛び込んできたのは部屋の中央に置かれたコンロの中で真っ赤に燃え滾るコークスである。聞けばその熱、1300度という。コテから離れたハンダはすぐに固まってしまうためコークスのこの熱が絶対必要だという。外は今年一番の暑さというではないか。冷房などもなく、ただただ火と向かい合って、黙々と如雨露のハンダ付けをする3代目の社長、洋一さんと母親の絹江さんだ。工場はそんなに明るくないので、燃え上がるコークスの明るさだけが妙に目に入ってくる。二人は正座して黙々と如雨露に向かい合って手を動かしているのだから、もうこれだけで、根岸産業のあくなきこだわりが見て取れるというものだ。別段気取ったこともなく、あの姿が毎日なのだろう。

2代目の父親の陽篠さんがおられた頃の写真も見せていただいたが、昔も今もこの作業スタイルは変わらないという。すると、何かお2人に後光のようなものを感じるではないか。まさに如雨露にかけたこの家族に拍手を送っていたね。外は相変わらずの今年1番熱いと言われる猛暑だ。エアコンなどもなく、ただひたすら如雨露と向かい合った溶接作業だから、もうこだわり以外にないということだ...。

●国内外から認められた下町工場のこだわりの技術

ある面では、お2人の姿にはほのぼのとしたものがある。誠実で実直なこだわりがこの家族の持ち味ということだろう。そこで3代目に、創業から今日に至る道のりをうかがってみた。手を休めてもらうのは悪いと思ったが。

「祖父は神社仏閣の屋根の職人として、トタンで園芸金物を作る会社として1944年にこの地で創業しました。その後、1966年に私の父が2代目になって素材の違う銅、真鍮、ステンレスの如雨露を提案しました。2006年には天皇陛下に製作を依頼されるなどして、『第2回伝統的工芸品チャレンジ大賞』を受賞しました。そして2008年には『墨田区伝統的手工業技術』保持者として、また、2010年には『すみだブランド“すみだモダン”』に認証されるようになりました。

 父が亡くなった後は、システムエンジニアとの兼業を辞めて、専業として事業を引き受け継ぎました。これまでの古い体質から脱却し、国内外の様々な方法で如雨露の魅力をPRし、2016年にはドイツ・フランクフルトで行われた展示会『アンビエンテ2016』で銅製の如雨露がトレンド2016に選出され、『金点設計奨“ゴールデン・ピン・デザインアワード”』でも認証されました。

 デジタルの世界からアナログの世界へ。ある面では私の人生の大転換でしたが、子供の頃から父の仕事を手伝っていましたので、抵抗はなく転換できました。父から学んだそれまでの伝統的な技術とITの技術を活かし、如雨露の価値観と可能性の拡大に努めています。産学官連携プロジェクトで若い大学生の声を取り入れたり、デザイナーとコラボレーションしたり、これまでの価値観を見直し、インテリア分野での如雨露の利用、拡大などに努めています。」

●地球環境に優しい盆栽事業の手足として

まさに企業に歴史あり、商品に歴史ありだ。そこで、現在作っている如雨露の種類を紹介いただいた。

「とにかく如雨露は正確に、気軽に水がやれるというのが第一です。そのため、機能、耐久性、デザイン、使い心地、価格などに満足いただけることを目的に、現在は3種類の素材の如雨露を提供させていただいています。昔ながらの銅製、ステンレス製、真鍮製の3つをラインアップしています。それぞれ一長一短がありますが、如雨露の素材や形や竿の長さ、中に入る水の量などによって自由に選べるようにしています。具体的には現物をご覧の通りで、2号、3号、4号、6号などのタイプがあります。根岸産業ではより良い如雨露を目指し、進化し続けるという先代からの教えもあり、私どものブランド名をつけておりません。」

では、このような多様なラインアップで世界中の専門の盆栽から、また、一般の盆栽愛好家から根岸産業の如雨露が支持されるのだろうか。まさに70年以上という実績と経験が集約されていることは周知の事実だが、3代目はその秘密を次のように語っておられるので、紹介していただこう。

「最も大きな特徴は竿長如雨露のイメージさせるフォルムで、軽量で初心者の方にも扱いやすく、雨つゆのような優しい水やりが特徴です。まさに如雨露は読んで字のごとく、雨のような優しい水を撒くことができます。また、その水はハス口を変えることによって水の量、範囲、圧力を簡単に調節できるのが特徴で、使うことで馴染みます。銅の如雨露は素材の特徴から使っている間に渋みや味が出てきて、その存在感が何か心をときめかせ、水やりそのものに手が自然と動いていくといわれていますからね。

 特徴としては1つ目に、銅製如雨露の胴の殺菌力により水を腐りにくくし、水に溶けだす銅イオンの効果によって盆上のコケなどの生育が良くなると言われています。2つ目の特徴は竿を長くしていることです。でそれによって水の圧力がコントロールでき、一定の安定した散水を可能にしています。3つ目の特徴は雨水をためた水がめなどから常温の水を酌む際、葉っぱやごみなど浮いていても、吸い込まないように給水口に「こし網」をつけていることです。さらに付け加えるなら、如雨露の先端に付けるハス口の付け替えが容易で、散水コントロールし、好みに応じた散水ができることです。」

まさに至れり尽くせりの如雨露だ。では、多彩な根岸産業の如雨露はどのように作られているのだろうか。

「すべて、私ども職人の手作りというのが基本です。まず、銅板を型に合わせて切断するところから始まります。プレスという作業で、主に本体の底板と天板を型抜きします。 本体は巻締で、底板と天板の折り返しを絡ませて接合させます。竿部分は筒状の接合部を互いに折り合わせた後フットプレスで成形します。最後は、ハンダ付けで仕上げていきます。これで竿と本体を溶接、最も熟練を要する作業です。」

●至れり尽くせり。盆栽の今、そして。未来を担って夢は広がる

この流れるような工程を経て世界的な根岸産業の如雨露が誕生していくことに、改めて魅せられる。一日~4個ぐらいしか作れないという姿に納得だ。すると3代目は言われるのである。

「とにかく愛着がわく商品づくりです。このような商品は大量生産していくものではありませんね。地道な日常の積み重ねがすべてですね。最近では私たちの長年の働きかけの成果が生まれ、墨田区や東京都などが積極的に支援してくれるようになりました。単に販路の拡大ということではなく、長年の技術を永らえていこうという姿勢に感激です。

 欧米などで盆栽のイメージがどんどん広がり、国際的な文化やライフスタイルになりつつあります。盆栽名人という専門家のプロユースと盆栽になじむ愛好家が増え、盆栽のすそ野が広がっていくことに力を注ぎたいですね。あの世界のホンダが先ごろ手にした社の広報誌に私どもの如雨露の魅力を“1億円の盆栽家”と言われる世界の盆栽家、小林国雄氏と共に“東京下町の小さな工場で”と紹介されていたましたが、その存在感、盆栽文化に心が弾みましたね。盆栽を通じて人と人との繋がり、次代の行く手が描かれるのかと。これからも日本の文化、発展の一助に私どもの商品ありですよ。そのためにも私たちにとって重要なことは国内外を問わず、なによりも人に愛される商品を提供していくことですよね。結局、お客様の評価がすべての商品の出発点ですね」

下町、墨田の力だろうか。この国の伝統技術へのこだわりと最先端技術へのこだわりはたくましく、揺るぐことなく、面々と息づいている。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2018.08.01]

"用の美"、民芸家具へのあくなきこだわり / 工芸花森(東京・目黒区)

いささか旧聞になるが、昨年の秋に、“日本人が愛した英国の椅子”という『ウインザーチェア展』を見に行った。ボクのぶら~り博物館巡りの一つになっている井の頭線の駒場にある『日本民藝館』である。趣ある佇まいは相変わらずで、日本の伝統的な民芸品にいつも心がそばだてられる。かつてここは知識で見るのではなく、直感で見ることが大事だと教わったが、ウィンザーチェアなどはまさにその通りで、すべての部材に木を使い、座板に脚や背もたれが直接差し込まれた自然で素朴な加工に堪能させられた。まさにこの『日本民藝館』の設立者、柳宗悦氏、ここにありということだ。素材の魅力を活かした確かな加工技術と、伝統に根差した造形美には時間が経つのも何のそのと見とれてしまう。

ところで、今回のこだわり人は、そんな柳氏の民芸品への想いを胸に、松本民芸家具の提供にこだわる『工芸花森 目黒店』の会長、花森良郎さんである。目黒駅からインテリアショップが建ち並ぶ通称“インテリア通り”を西へ行き、山手通りと交差するところから北に向かった所に、その独特の構えの店舗が見えてくる。テレビや雑誌などで松本民芸家具に対する深い識見とその利用を通じて毎日の暮らしを快適で豊かに過ごしてほしいという人間味のある想いに魅せられてきたが、店舗の前に立つと、改めてその想いに身が引き締まるというものだ。

こだわり人 ファイル072

“用の美”、民芸家具へのあくなきこだわり

工芸花森(東京・目黒区)

●民芸の生みの親、柳宗悦の志に魅せられて

民芸の生みの親、柳宗悦という名を知ったのは高校の時だった。工芸家や芸術家などの名のある専門家が作ったものではなく、民衆によって作られた機能的で日常的な美しさにこそ本物の美『用の美』があることを説かれたのだ。だからだろうか、民芸喫茶とか民芸家具、民芸玩具、民芸衣装、民芸品、民芸雑誌といった“民芸”という言葉を見聞きすると、一般の庶民でも肩ひじ張らずとも身近に接することができる、手に入れることができるということで、妙に親しみを感じたものである。

柳氏は、まさにその先頭に立って民芸運動の発展と普及に尽力を注ぎ、浜田庄司氏、河井寛次郎氏、さらにはバーナード・リーチ氏らとともに一大文化啓蒙運動の支柱として、その理念を不動のものにされたのである。その後、民芸調とか民芸趣味といったブームの盛り上がりや低迷などの紆余曲折があったが、終始一貫、民芸運動にこだわって、あの『日本民藝館』(1936年開設)を残されたのだからその功績は推して知るべしだろう。生粋の民芸こだわり人だ。

その民芸運動に共鳴された花森さんは、静岡県静岡市の、小大工と呼ばれた家具づくりの店に生まれたので、『松本民芸家具』に当然のごとく魅せられた。地元の木材を使って地元の職人が腕を振るって作る独創的な家具に心奪われ、伝統的で土地の香りのする松本民芸家具の保存、継続、普及等に猛進してこられたのだ。御年、74才。その情熱は今なお衰えることなく、元気に店に立って松本民芸家具の魅力を熱く説かれている。

その説得力あるこだわりをお店に来られたお客様とのやり取りで垣間見たが、さすがに長年の経験から生まれた松本民芸家具の魅力を語る物腰はどこまでも優しく、時間をかけてじっくりということであれば、時を重ねるほどに価値を増す松本民芸家具同様の趣があるではないか。「とにかくこの椅子の良さは自分で座っていただいたところ、身体で感じるところから始まるんですよ」と進めておられたが、背中が自然とまっすぐ伸びる座り心地から始まる松本民芸家具の魅力にただただ引き込まれて行くばかり。お客様の心の襞もどんどん緩んでいっているのである。

●魅力は、土地が生んだ本物の家具に対するこだわり

まさに商品を知り尽くした本物の売り職人さんという感じだ。ともすれば、派手な広告で人を集め、商品のデザインや機能ばかりに“ああだ、こうだ”と御託を並べる家具専門店が多いが、花森さんは違う。そこで伺ってみた。松本民芸家具のいったいどこに魅せられるのですか、と。

「現在、花森の店舗はここ東京・目黒店と、他に静岡の沼津店、静岡店、両替町店、浜松店を設けて、私自ら先頭に立って御客様と接していますが、“松本の職人さんが作る民芸家具には間違いない、本物だ”という信念が私をして“松本民芸家具へ、松本民芸家具へ”と引っ張るんですよ。具体的に言えば家具の街という伝統と材料になる木に恵まれている土地柄と、その上に立って本物の職人さんが鍛え抜かれた本物の腕を振るっているということですよ」

なるほど。伝統ある土地とそこで育った地元の木。その上に立って腕を振る職人さんの家具に対するこだわり。すると、花森さんは言葉を添えてこうだ。

「“家具の街”と言われる松本という土地は城下町として発展してきた匠の街です。木材が豊富で良質な上に、この地方は空気が乾燥し風通しがいいので、木材の乾燥に適しているんです。勢い、家具づくりに最適な土地ということですよ。歴史的に見ても、恵まれた自然環境の中から生まれた家具は安土桃山時代から作られてきていますから、伝統的な家具として存在感もあり、昭和51年には家具業界で初めて通産大臣から伝統的工芸品と認定されています。

一方、松本民芸家具に使われる材料の木について言えば、木は地元のミズメサクラです。固く粘り強いので、家具の材料としては大変適しています。しかし、その木質ゆえ、加工には機械を寄せ付けず、職人の手によって加工するしかなかったんです。ですから、あの温もりのある手触り感は欠点から生まれたありがたい恵みということです。手作りで仕上げているんですからね。

美しく堅牢。松本民芸家具が生涯の友とか一生モノと言われるのは、まさにここにありということなんですよ」

●時代を越えて受け継がれる民芸の理念
店内内装

松本民芸家具に対する深い愛情が花森さんの言葉の節々に溢れている。感激だ。そこで、お店の理念ということで、花森さんは民芸運動にかかわられた池田三四郎氏の言葉を引用されているのでその大要を紹介させていただこう。

近頃、多様化などという薄っぺらな、見かけだけの、ちょっとした思い付きで、役に立たず、いずれは使い捨てになるような品物が氾濫しているうえ、見識上考えなければならないような、国を代表する大企業までが同調している始末を、嘆かないわけにはゆかない。多様化、などという体裁のよい言葉でいったところで、そのような無責任な商品の濫造は、流行に流れやすい一般消費者に無駄を強いるだけである。しかし考えてみれば、このような混乱が永久に続くはずもなく、また無駄を続けられる時代がこのままであるわけにはいかなくなるようにも考えられる。いつかはまともな人たちによってまともなことが復活してきて、自然に収束されるのが歴史の推移というものであろう。あらゆる地道なものが見直される時代が来るということである。

少し長文だが、池田三四郎氏の著『原点民藝』に記された前書きである。花森さんはこの文章に工芸花森の理念が込められていると言われ、その後に次のように綴られている。

重厚であること。本質に根ざすこと。有益であること。愛用に耐える堅牢性など。使ってこそ輝く『用の美』の追求、歳月と共に深まる本物の味わい。材料となる木材資源を有効に活かし、長く使ってゴミ化しないという、今最も新しいエコロジーの思想にも通じています。これは庶民の生活にある実用性を尊び、素朴な美しさを愛する日本民芸運動の一つの確かな実践です。ヨーロッパの優れた家具を手本としながら、松本民芸家具は輸入家具やアンティーク家具とは明らかに違います。それは日本の生活文化や食文化をしっかり見つめ、日本の気候風土や日本人の体格に合わせてつくられているからです。

これもまた『用の美』の基本と呼び掛けておられるのだ。

●多様な品数に、見えないところに込められた技と心
テーブル

改めて、花森さんの松本家具に対する熱い想いに教えられる。いや、魅せられる。商品に対する信頼があるからこそ、自信を持ってお客様に熱く語られるのだろう。では現在、どのような家具を扱っておられるのだろうか。その大要を写真で紹介させていただいておこう。あの伝統的なデザインの美しさを持つウィンザーチェアを筆頭にロッキングチェア、羽付きベンチ、食卓、食器棚、サイドボード、茶箪笥、和タンス、鏡台、書棚、袖机などなど、個性的で確かな存在感はさすがだ。

椅子

ところで、お店に並べられたこのような松本民芸家具はどんな特徴持っているのだろうか。

「やはり、きめ細かな手作りというのが一番大きな特徴です。松本民芸家具は基本的に職人たち一人ひとりが一つの品物を受け持ち、仕上げていくという責任を負っています。何人かが分業で流れ作業でということはありません。それぞれがそれぞれに異なる無垢材の癖を読み、木と語り合いながら時間と手間をかけて、手製のノミやカンナで削り、磨き、組み立てていきます。まさに品物ごとの職人による手仕事ということです。」

では、個々の職人たちはその加工工程において、どんなところにこだわっているのだろうか。

「そのこだわりをあげれば紙面は尽きませんが、基本的なところでいえば、鉋(カンナ)かけ、木組み、塗装、轆轤(ろくろ)の4つです。
まず鉋かけとは、職人たちは自分の仕事に合わせて手作りした大小何十個ものカンナを使い分けて、手のひらでその出来上がりを何度も確認しながら、椅子の座板などを仕上げています。
2つ目の木組みは丈夫で堅牢な松本民芸家具は日本古来の伝統的な技術を活かして組み立てていることです。最終的には見えなくなってしまう接合部にも徹底的にこだわっています。
3つ目は木肌に優しく浸透する塗装です。使い込めば使い込むほど、深い味わいが生まれるポイントなので徹底的にこだわっています。よくしぼったぞうきんで水抜きするだけでOK。メラミン塗装のように表面が剥離するということがないようにしています。
4つ目は轆轤。家具の強度を支え、美しいフォルムを作る袖や脚は入念な轆轤の作業から始まっているということです。また、椅子などの微妙なカーブと陰影を持つデザインは欧米の優れたアンィークチェアなどを手本にしています」

●インテリア家具で生活を豊かにエンジョイ

毎日の生活に実際に使われることを目的に製作された実用性、作る人も使う人も一般の民衆であるという民衆性、機械による大量生産品ではない手仕事性、日本の土地から生まれた地域性などなど、松本民芸家具の魅力は尽きない。だが今日では、昔ながらの材料の入手困難や職人不足などによって伝統な手法を継続することは難しくなってきているが、松本民芸家具ならでは独自性、特異性は維持、発展していくということだろう。

その時、僕は思ったものである。例えば、松本民芸家具の魅力の一つである木組みの美しは、その木組みと一体化された鑄物の帯金具や鋲などの機能性や伝統的な美粧性、さらには耐久性であると。そのため、多様な家具金物を提供するスガツネ工業もまた、そのようなニーズに応えていかなければならないのだ。ある面では松本民芸家具は、木材芸術と金属芸術のコラボした最高の職人技の象徴なのだ。

やっぱり工芸花森には独特の空気感があった。あの『日本民芸館』とはまた一味も二味も違う光景を見せてくれた。時間的な歴史の流れを学ぶ博物館も味わいがあるが、いまこうして店に並べられ、これらに触れながら購入しいくお客様の姿を見るのもよいということである。

そこで、もう一つ欲張って、せっかくの機会だ。インテリアショップが居並ぶ“インテリア通り”を散策した。店内の雰囲気は工芸花森と随分違うが、やっぱりいいものだ。ここにきて目黒は駅前開発も進み、自然とビジネスと住まいと文化のバランスもよく、住みたい街ランキングのベスト10に連ねているが、インテリア通りの賑わいは何かわかるような気がした。

おしゃれでファッション性の高い店あり、民芸花森のようなクラシックの店あり、お客さんの家具選択の楽しさを一段とかきあげているのだ。すると、花森さんも言われていた。「選ぶのはご本人だ。ただ、本物を選んで毎日の生活を楽しんでいただきたい」と。

文 : 坂口 利彦 氏

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