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こだわり人NEW[2018.05.24]

三味線に対する父と息子のこだわり / 亀屋邦楽器(東京都・世田谷区)

おかげさまで、この「こだわり人」も70回を迎えさせていただいた。わが街、わが国のものづくりへのこだわりにはいつも魅せられることばかりだ。伝統的なものづくりから、ITなどの新しさへの夢追いかけ。両者のこだわりがこの国の歴史のエンジンだ。相も変わらぬ“モノづくり日本に学ぼう”という世界各国からの来訪日本は言わずもがなで、2020年の東京オリンピックを前に、その勢いはさらに弾みがつくという。まさに日本の底力は意気揚々ということなのだろう。

だがその一方で嘆かれているのは、伝統的な技術や文化に対する足かせである。ある面では歴史の必然であるが、人々のライフスタイルの変化、技術や技法の後継者不足、生産基盤の劣化、材料の不足などが揶揄されているが、このまま行けば“今は昔”ということで完全に干上がってしまうという懸念だ。

そんな折に世田谷区の方が、ちょっと気になるメール便を送ってくださった。読むと、日本の和の文化の一つ象徴である邦楽器の三味線の世界で、親子でこだわっている方が世田谷の豪徳寺におられるよというのである。そういえば、この親子のことは世田谷区の発する小冊子「ものつくるひと」で読んだことがある。前回の代田橋製作所からも近く、住宅地のイメージが強い世田谷で古式豊かな三味線づくりを事業の基軸しているとは面白い。しかもそれを親子で、“三味線の火は消さないで”というから、わが好奇心はいやがうえにもときめきはずむというものだ。

ということで、今回のこだわり人は小田急線の駅名にもなっている『豪徳寺』のそばで事業を展開する有限会社『亀屋邦楽器』の父・芝崎勇二(初代)、息子・勇生(2代目)に着目させていただいた。

こだわり人 ファイル070

三味線に対する父と息子のこだわり

亀屋邦楽器(東京都・世田谷区)

●名門『豪徳寺』のそばで三味線の音色

都心に勤める人やお住いの方やちょっと自分帰りしたい方にお勧めしたいのが『豪徳寺』だ。あの浅草などの賑わいはないが、寺の大屋根と木々の葉っぱの間をゆっくりと流れ動いていく雲や光の強弱を見ていると、ついつい自分帰りなどしてしまう。喧騒とした都会の音が消え、葉っぱの光と影だけが何かもの言いたげで、明るい明日を語りかけてくるのだ。思わず、そこにこれから訪ねる三味線の音色なんて飛び込んでくると、また絵になるだろうと思ってしまうのだ。

三味線の店など、このような機会でもないと中に入ることはないだろうと思うと、早くも入り口を開ける手に力が入り、迎えてくださった父と子の笑顔に微笑み返しだ。お二人に加え、私を包み込むように飾られた大小さまざまな三味線や歴代都知事の名の入った賞状も印象的で、お二人のモノづくりへの熱い想いがなぜか伝わってくる。


すると、開口一番、初代の弾む挨拶だ。

「とにもかくにも、挨拶代わりに三味線のことについて前知識として頭に入れてください。諸説ありますが三味線は中国の『三弦』という楽器を起源とし、室町時代の末期に琉球を経て、大阪・堺から全国に広がっていきました。基本的には四角上の扁平な木製の胴の両面に猫や犬の皮を張り、胴を貫通して伸びる棹に張られた弦を、イチョウ型のバチで弾き演奏する撥弦楽器です。
江戸時代に入ると、琵琶法師などによって三味線は歌いもの文化、語り物文化として親しまれ近世の邦楽をリードする邦楽器として定着していきました。しかし、明治、大正、昭和、平成という時代の流れは容赦なく、三味線などの邦楽器の需要に陰りをもたらしてきたのです。邦楽ブームとか民謡ブームといった一時的に伸長する時代もありましたが、ブレーキはかからず、深刻化していくばかりの今日です。
だが、日本人の生活になじんだ音楽は決して消えるものではありません。伝統的な文化や趣向を愛する気持は途絶えることなく永遠です。そのためにも私たちの役割は極めて大きいと思っています」

●時代を越えて、江戸伝統工芸士の血筋を

初代の三味線への想いに改めて教えられる。確かに大きな狭路にある。応援しなければとわがことのように思える。すると、2代目はこうだ。

「三味線を取り巻く環境はまさに初代が言う通りなのです。ですから、学校を卒業して初代の言う音の世界を子供の頃から身近に見てきたので、この音色をこの国から奪い去ってはダメだ、消してはならないということですよ。親元を離れて10年間、他人の店で三味線修行をし、40才の時に父の店を引き継ぎました。父は三味線一筋65年、東京都が認定する東京三味線の伝統工芸士の大ベテランですが、父の血筋を受け継いだ私も微力ながら三味線のためにという想いは尽きることがないということです」

何かわかるような気がする。2代目ならではの三味線への深い愛情が言葉にも、表情にもはっきりと表れている。ともすれば、父親の仕事などから遠ざかりたいという時代の風潮だ。だが2代目にとっては、格別なものがあるのだろう。そこで伺ってみた。三味線のどこにそんなに魅せられるんですかと。
すると、2代目は飾られたガラスケースからいくつかの三味線を取り出し、こうだ。

「基本的に三味線は100を越える工程を経て作られますが、その名の通り基本的には三味線は3つの部分から構成されています。『天神』、『棹』、『胴』の3つのパーツです。さらに『棹』は“三つ折れ”と言って、「上棹」、「中棹」、「下棹」の3つに分割して作るのが一般的です。持ち運びの便利さや棹に狂いを生じさせないようにするためです。
三味線づくりは、最初に『棹』の部分を作るところからがスタートです。材料は三味線などに適した紅木、紫檀、花林などを使います。それを鋸で「上棹」、「中棹」、「下棹」と3切断し、丁斧(ちょうな)で荒けずりをし、鉋で削ります。その後、繋ぎ手を作って棹を一本につなぎ合わせ磨き、椿油で艶出しをします。まさに細かい神経の連続ですが、次に行うのは『胴』づくりです。材料には花林を使い、4枚の板を合わせ外側を削って磨きをかけます。高級品は内側に綾杉彫りという特殊な刻を入れ、音響効果を高めます。最後にニカワで4枚を張り合わせ『胴』を完成させます」

●三味線の音の命は皮張り

「『胴』が出来上がると、三味線の生命ともいわれる『胴』への皮張りです。皮はよく言われていますが猫の皮が一番です。三味線が良い音を出すためには胴の範囲内で厚みのあるものを選ぶことが大切ですし、皮張りによって音色の80%は決まるので全身全霊、魂を込めて打ち込みます、まさに私ども職人の腕の見せ所です」

音色にはこれが正解というものがないそうだ。弾き手の技量はもとよりその人の体格や性格などによっても音色は変わる。もちろん皮の微妙な厚さや材質でも音は異なる。それをいい音に導くには長年の経験と勘、鍛えられた耳しかない。指で皮を張り上げながら納得できる音色を探していくしかないそうだ。確かに根気のいる作業だ、一枚の皮でも熱いところと薄いところがあったり、皮に小さな傷跡があったりすることもあるので、その張り方は尋常ではないはずだ。

この張り方は三味線ならではの独特の世界なので簡単に紹介してもらった。まず、皮を湿った布に包んで柔らかくし、胴に合わせて切る。これに『木栓』という洗濯ばさみのようなものをつけ、新米の粉で練ったノリでつなぎ、張り縄をかけて皮を引っ張り、皮の張り具合を確認して完成させる。この皮の張り具合が三味線の生命であり、ここのこだわりこそ、他に類を見ないそうだ。

そして最後に、出来上がった『胴』と先ほどの『棹』をつなぎ合わせた『天神』といわれる部分の『サワリ』の作業に入るのだ。『サワリ付け』というのも三味線ならではの工程なので、紹介していただきましょう。

「3本の糸と「さわり」という仕組みでできています。棹の上部にさわりの山とさわりの谷という凸凹の部分があり、一の糸、二の糸、三の糸という3本の糸のうち、二の糸と三の糸は上駒に載せますが、一の糸は上駒に載せず棹に直接触れるようにします。これによって、一の糸を弾くとひくとさわりの山に触れて振動し、余韻のある音が出ます。そしてその振動音は二の糸、三の糸に伝わって共鳴し、三味線独特の深みのある音色を奏でていくのです」

●あの音色で楽しさも、悲しさも、いいねぇ

三味線の出来上がるまでを紹介していただくと、改めて三味線の奥深さに感心した。たった3本の糸で季節の移り変わりや人の喜怒哀楽を自在に表現するなんて、なんと凄い楽器だ。現在、三味線のあれやこれやをつくる作業は基本的に分業化されているそうだが、亀屋では親子に加え、2人の職人さんがトータルコーディネーターとして、一手にやっておられるそうだ。

聞けば、三味線は時代から取り残されつつあるといわれるが、とんでもない。この店における三味線の存在感はさすがだ。こうして親子と向かい合っているところに、それらしい粋な姉さんが三味線片手に、「来月のゴールデンウイークに舞台がありますので、見てください」だ。

芝崎親子の元へは、プロから愛好家、学生、遠く外国からも来られるそうだ。とにかく来られる方皆々受け入れて、三味線の根を絶やさず、この『豪徳寺』から世界に三味線文化を永らえていくそうだ。うれしいね、この親子。帰りに豪徳寺の名物、いや招き猫の発祥地になっている『豪徳寺』の境内に再び足を運び、可愛い招き猫に手を合わさせていただいて、“頼みますよ、亀屋さんの後に私たちも続きますからね”だ。

そういえば先に読んだ女性エッセイストの群ようこさんの『三味線ざんまい』というユーモア小説が何度も何度も頭に戻ってきたので、“ぼくも三味線ざんまいになろうかね”なんて思ったね。

楽しさも、悲しさも、熟練によって生まれた音が演奏者を介して聞き手の心に響いてくるなんて、三味線文化はいいねぇ。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2018.04.10]

ディスプレイ装飾へのあくなきこだわり / 代田橋製作所(東京都・世田谷区)

東京に住んで約半世紀。やはり、東京の行く末はどうなるのだろうか、は非常に気になるところだ。行政は、経済は、環境は、教育は、老後は...。人生100年時代なんて言葉を聞くと、その想いは一層募る。幸いなことに、東京都の発信する広報業務などに携わることがあるものだから、この問題に対する関心は尽きることなく、東京の未来に夢ばかり描いてしまう。

そんな中で、大切しているのが東京都の産業労働局がWEBなどで発信されている『輝く技術、光る企業』だ。別名,“中小企業しごと魅力発信プロジェクト_東京カイシャハッケン伝”と記されているが、この東京から世界に広がっていくTOKYOファーストの底力にワクワクするばかりだ。ともすれば悲観的な情報が飛びかう現代社会にあって、“とんでもない、巷の企業では元気一杯、成長因子に満ち溢れている”と声高に叫びたくなるのだ。

今回、この『こだわり人』でクローズアップしたのは、その魅力発信プロジェクトの中で紹介されていた世田谷区の代田橋製作所という企業である。社名の名の通り京王線の代田橋駅から徒歩で5分。展示や空間構成のディスプレイ装飾物を企画・制作するところだ。広告や展示装飾に関わる我が仕事柄ディスプレイ装飾業界は身近に見てきているが、コミュニケ―ションメデイアの多様化や費用対効果などによって、競争の厳しい状況下にある業界だ。だが、代田橋製作所は創業70年の伝統と経験の上に立って、独自の事業展開をしているこだわりの企業だ。まさに輝く技術、光る企業として、ディスプレイ文化の行く手に明るい光を投げかけているのだ。

ということで、今回の『こだわり人』は代田橋製作所の代表、佐藤 りょうさんに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル069

ディスプレイ装飾へのあくなきこだわり

代田橋製作所(東京・世田谷区)

●激戦区で勝ち残ってきた70年の重み

人の流れが絶えない新宿や渋谷から一転。物静かな住宅街の一角にある代田橋製作所。周りの雰囲気に溶け込んだ落ち着いた佇まい。都会の喧騒感はなく、これから生まれ出てくる元気なディスプレイ装飾物に大きな夢を託して静かに熟成させている雰囲気だ。近くには都会のオアシスを思わせる緑豊かな羽根木公園もあり、まさに舞台を盛り上げる脇役たちが今か今かと、その誕生を待ち焦がれているという物語の始まり感がある。

そそこに現れた佐藤さんもまた、穏やかで、この地の空気感をすっかり写し取ったようで、趣がある。好きなディスプレイ装飾の世界で明け暮れしているということだろうか、ディスプレイについては、好きこそすべてという想いが身体全体に溢れている。そばにいた若い社員たちもそんな佐藤さんに魅せられているのだろう、一人一人の動きも元気いっぱいで淀みがない。おそらくそんな行動心が競争の激しい業界の中で、また常に新しさが求められる業界の中で生き延び、創業70年を迎えたのかと、ついつい思ってしまう。

すると、佐藤さん、壁に貼った実績写真などを指し示しながら、「ディスプレイ装飾はコミュニケーション事業の舞台裏を支える私たちの誇りですね。ご存知のように現代のコミュニケーション事業には大きく分けて、新聞や雑誌などのペーパーコミュニケーションとテレビやスマホなどの映像コミュケーション、そして、展示会やショールームなどのディスプレイコミュニケーションなどがありますが、私どもはデイィスプレイコミュニケーションに軸足を置いて、クライアントニーズと来場者や見学者ニーズの融合、発展という観点から心と心の通い合う場面や時間を追い求めているということですね」だ。

「そのため重要なことは、例えば、日本の自動車産業を国内外に示す『モーターショー』などでいうと、出展クライアントが示すメッセージをエンドユーザーの立場に立って、“メッセージの形態化”をはかるということです。具体的にはそれはモノであったり、映像であったり、光や音であったりということで、人間の全感覚をそば立てる構成や仕掛けの世界です」

確かに多くのクライアントがあの手この手で趣向を凝らすのだから、佐藤さんたちの役割の大きさは想像して余りある。まさに激戦区で勝ち名乗りを受けなければならないのだ。「しかも、自ら表舞台に立ってということではではなく、舞台裏の黒子として、ですね。」

●拠り所は『知』と『技術』の一体化

では、黒子に徹するという舞台にはどんな世界があるのだろう。佐藤さんたちが手掛けるディスプレイコミュニケーションの世界を少し紹介してもらおう。

「今や、私たち人間が生きている空間はすべてディスプレイコミュニケーションの世界だと思っています。無限です。住居空間から始まってオフイス空間、文化空間、教育空間、医療空間、運動空間、公共空間、エキジビット空間、商業空間、レジャー空間、人は常に空間の中で、毎日を過ごしているのですから私たちの手掛ける舞台は無限にあるということです」

となると、佐藤さんたちに求められるのは何だろうか。いや、そのような多様な空間づくりのために心がけているこだわりは何ですか、だ。すると佐藤さん、ちょっと照れながら「そのためにはあらゆる空間を、生命感あふれた息づかいのある空間にする構成力と展開力といった『知』の集積と、それを裏付ける具体的な『技術』を持ちあわせているということですね。先頃の冬季オリンピックの開会式なども世界中の人々に感動を与えたようですが、空間構成、進行プログラム、舞台装置の仕掛け、登場人物の動き、光や音楽や映像の演出、すべて、私たちの出番とするところです。ですから社内の若いスタッフたちも、自分でもやってみたいということで、テレビにかじりついていましたね。ある面ではあの開会式は私たちの仕事の生き写しであり、象徴ですよ」

日常的な空間からワールドワイドな空間へ。まさに昔も今も、いや、未来も人間が生きている限りディスプレイコミュニケーションは不変だ。そのために、いま何ができるかということが非常に重要なことだが、その前提となるのはさまざまなモノづくりに対応できる加工技術を備えているのかということだそうだ。

「幸い、私どもはここに着目して、1社で多様な加工技術に対応できる基盤を備えているのが特長です。まさに、こだわりですね」

HPでもそのことが強調されていたが、その現場に案内するというので、これはありがたいことだ。佐藤さんと向かい合っていたミーテイングルームから1階下の制作工房に案内されると、代田橋製作所のモノづくりイメージがさらに深まった。機械器具設備工事業という資格看板のもとに佐藤さんご自慢の加工技術の全容が一望できたのだ。

「ここが、代田橋製作所の原点ともいうべき制作工房です。素材の吟味からはじまって板金加工、木工加工、アクリル化加工、旋盤加工、樹脂加工、FRP加工など多様な加工が意のままです。さらには機器制御装置の制作やそれらを動かすプログラム制作もまかせてくださいということですよ。また、近年はドローンやロボットなども積極的に使ってという時代になってきているので、それらへの対応も意欲的です。制作工房にはもうこれでいいというはないのです。前向きに、新しさにも意欲的にドンドン取り組んでいく、勉強、勉強の世界ですよ。若いスタッフたちもこの工房に入ってくるたびに、ここで培われた自分たちの技術が世界の表舞台で活躍しているなんてと思うと、いつも身が締まると言っていますよ。また、それによって自分探しができるのでありがたいですって」

●モノづくりの根幹が時代を作っていく

こんな声を聞けば、クライアントの方も代田橋製作所なら安心して任せられるということだろう。「制作工房は未来感あふれるサイエンスパークですね」なんて言うと、佐藤さん再びにっこり。ここで作られたものがどんなところで活躍しているのかを、再び写真やパソコンの映像で見せていただいたので、列記しておこう。

私もよく知る科学館をはじめ博物館、企業ショールーム、商業施設、公共施設がある。また、学校の教育施設や研究所の実験装置や模型のきめ細かさはさすがだ。さらに、ホールや劇場の大道具や小道具もあるし、先のモーターショーでいえば、新車の実物と前後左右・上下の動き、回転。さらに車窓から見える風景の映像、照明、音響などが一体となってアグレッシブで、臨場感あふれる空間を構成、演出している。まさに、メッセージをイメージに載せて形態化しているのだ。

短い時間だったが、改めてディスプレイコミュニケーションの舞台裏に魅せられた。そこにあるのは作り手の『知』と『技術』に裏付けされた夢見る力だ。佐藤さんの言葉によると、“どんな斬新なアイディアも、形にならないと絵にかいた餅ですから、どんなニーズにも対応できる知識と、それを推進する技術を持つことがすべてですね”に納得だ。そのためには時代の空気や流れに敏感で、知や技術の研鑽、更新、修得に努め、絶対に立ち止まりは許されないそうだ。

ある面ではモノづくりの根幹はここにあるのだろう。世田谷区の冊子『ものつくりひと』の中に佐藤さんのこんな言葉が載っているので引用させていただこう。

「科学館や博物館のわくわくするような実験、体験装置。コンサートやイベントでお客さんをあっと言わせる仕掛け。ショッピングモールの夢のあるカラクリ時計......。代田橋製作所はそうした人の心をつかむ仕掛けを作る会社です。しかも、それは完全なオリジナル製品です。どこからの借り物ではなく誰もやったことのない、人々に「あっ」と言わせる装置や展示物です。嬉しいのは、そんな装置を見た時のお客さんのおどろきの表情です。私どもはこれからも人にまねのできないワクワクを届けていきますよ」

そういえば、帰りに代田橋の駅から新宿の高層ビルを見ると、西日を浴びたビル群が1枚の風景画のようになっていた。そのキャンバスに描かれた都会の裏側に佐藤さんの言うような『知恵』と『技術』がシッカリと根付いているかと思うと、我がワクワク感は高まっていくばかりではないか。すると、これからも時代の舞台裏で夢を絶やさないで、“輝く技術、光る企業”であり続けてくださいとう言葉が自然と口に出たものである。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2018.02.28]

神楽坂で木工家具にこだわる次代への夢 / 家具工房 ACROGE FUNITURE(東京・新宿区)

上京して早半世紀近くなるが、神楽坂と神保町という“神”がつく街に相も変わらず引き寄せられる。“神”という文字がその街の香りといったことだろうか、そこに息づく優しいこだわりが、何か心地よいのである。親しい仲間は「神楽坂にうまい酒あり、神保町に好きな本屋が並ぶのだからさもありなん」とからかうが、何をおっしゃるうさぎさんだ。「神が宿られる街だぞ、罰当たり」と、相も変わらず足が向いてしまうのである。

そんなある日、地元の人が“裏神楽坂”という所のマンション2階に、『家具工房 ACROGE FUNITURE(アクロージュ ファニチャー)』というちょっと気になる看板がかかったというのである。なんだ、あそこは。ACROGEなんて初めて目にした言葉だ、人通りの多い神楽坂通りと比べてまさに裏通りだ。看板の下には【SHOP】【SCHOOL】【FACTORY】という切り文字があるが、いったいあそこに何がオープンするかということだ。近づいてみると、入口脇に産地から送られてきた天板が2~3メートルもある一枚板が無垢材のままで山積されているのである。質感も風合いもよく、無垢のよい香りだ。そして、ガラス越しに中を覗くと、おそらくこれらの無垢から生まれ変わるのだろう、おしゃれな食卓テーブルや椅子を中心に食卓グッズや玩具が並んでいるのである。

なるほど、ここは木製の家具などを作ったり、販売する木工の館なんだ。神楽坂という都心の真ん中で無垢材を山積みなんて、久しくこんな光景は見たことがない。一瞬、何でこのような場所でなんて思うと、この館のオーナーに無性のこだわりを感じるではないか。

ということで、今回は『家具工房 ACROGE FUNITURE』のオーナー、岸 邦明さんのこだわりに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル068

神楽坂で木工家具にこだわる次代への夢

家具工房 ACROGE FUNITURE(東京・新宿区)

●営業人生を一転、28才の時に家具工房を立上げ

東西線の神楽坂駅から赤城神社の横の急な坂道を下りて『ACROGE FUNITURE』へ。もう通い馴れた道だが、相も変わらず身も心も和らぐ。というのはこの神社は出世祈願とか大願成就といったご利益があるというものだから、自然と頭が下がってくるのだ。しかも、この由緒ある神社から新しい空気が流れ始めているというから、その行く末についつい勝手な夢を描いてしまう。

それもそのはずだ、実はこの神社は現在、東京オリンピックの主会場になる新国立競技場の設計デザイナー、隈 研吾さんの監修によりリニュ-アルされ(2010年)、私たちの業界の大きな関心事であるグッドデザイン賞(2013年)に輝いているのだ。神社でグッドデザイン賞なんて面白いではないか。しかも、坂道を下りきった600メートルぐらい先には私がよく立ち寄る親しき友人の出版印刷などの老舗『三晃印刷』という会社があるので、「岸さん、よくぞ、赤城神社と三晃印刷の間に工房を設けられた」だ。妙な縁を感じるのである。

このご縁、“やっぱり赤城神社の贈り物か”と岸さんが自ら作られた無垢の椅子に座るといい感じだ。心地よく、早くも岸さんのこだわりが身体に入り込んでくる。思わず、岸さんの手の指を見やったが、指先も目も澄んで優しい。40才後半と言われたが、とてもそう思えない若やいだ夢見る少年の顔だ。訪れる前にホームページで、事業の内容などを拝見してきたが、木工家具に対するこだわりはその言葉や動作からもひしひしと伝わってくる。すると、やはり気になっていたことを最初に伺ってみた。

「...そうですか、大学の商学部を卒業したのに、どうして木工家具の作り手を始めたかということですね。実は卒業すると、家電などを扱う物販の会社を始めたんですが、3年ぐらい経つと、“製作にかかわらず、与えられた商品をただ売ってるだけ”の自分に満足できず、製作から販売まですべてを責任もって一気通貫でできる仕事をやりたくなったんです。そこで、28才の時に家具工房を生涯の生業にしようと決心し、29才から3年間、世界をモーターホーム(キャンピングカー)で巡り、各国の生活様式や文化財に触れ、これからどんな家具を作れば喜ばれるかという技術を学ぶと共に感性を磨いたんです。そして32才で都立の技術専門校の木工技術科に入学し1年間学んだ後、個人工房で2年間修業した上で、35才の時に埼玉県の新座市で『ACROGE FURNITURE』という木工工房を立ち上げたんです。3年後には所沢市に移転し、2016年46才の時に、もう少し事業を拡げよう、特に本格的な木工に興味を持つ人を増やすことに力を注ごうということで、この神楽坂に事務所を移転したんです」

●木工を通じて毎日に暮らしに彩りを添えたい

まさに、人に歴史ありだ。もうこれだけで、岸さんの木工家具に対する熱い想いに魅せられるばかりだ。名刺には一級家具製作技能士(家具手加工作業・家具機械作業)と記し、今では、「ただひたすら自分でしっかりしたものを作りたい、ひいては、木工人口のすそ野を広げたいということです。ですから、社名のACROGEというのはACROSSとGENERATIONの造語ですが、世代を越えて永らえる家具を提供していこうという想いを込めました」と言われると、岸さんのこだわりに恐れ入りましただ。

ところで、現在は入り口にも表示されていたが、【SHOP】【SCHOOL】【FACTORY】の事業の3本柱にされているが、この神楽坂移転の大きな目的になった【SCHOOL】、木工教室について独特の感性をお持ちなので、最初にその大要を紹介していただくことにした。

「自分たちで納得するものを作り、お届けするということはもちろんですが、木工の楽しさや奥の深さを伝え、仕事や生活を豊かにする一助になればという想いで開いたのが木工教室です。新座で始めて早10年。本格的な家具材を使用し、正しく家具を作る方法を修得していただくことを目的にしてきましたので、生徒の顔ぶれも多彩です。木工を生業にしている家具職人や大工さんをはじめ、木工のプロをめざす職業訓練校生、ものづくりに携わる設計士や加工技術者、木部を仕事に活かしたい革作家やタイル作家。さらには自分で家具を作りたい人、趣味やライフワークでモノづくり時間を持ちたい方もおられます。東京近郊だけでなく、山梨や長野など遠方から通ってこられる方もいるし、通って10年という方もおられるので本格的に木工に取り組んでみたい人は着実に広がっている想いです」

勢い、岸さんをはじめ、現在、6名おられる講師陣も一級家具製作技能士の国家資格を持つ職人さんで、生徒の多様なニーズに丁寧に向かい合っておられのだ。それはこの神楽坂で開校した当時は40名だった生徒がいまでは200名近くになっていると言われるのだから納得だ。また、「近年は20代から40代の女性が増えてきて、家具の木工教室では現在、日本一の規模ですよ」と言われると、岸さんの想いが着実に根づいているもんだと、大拍手だ。我がごとのように嬉しくなるというものだ。

となると、授業の内容が気になるではないか。すると、「カリキュラムとその特徴は下記の通りです」と言って、印刷物をいただいたので、そのまま掲載させていただこう。

カリキュラムの一例
箱物の制作

鑿・鋸等の道具を使って、基本的なほぞ加工を練習します。
ある程度加工が出来るようになった後、あられ組みを使用した箱物を製作します。

スツールの制作

立体的な造形物を作る課題として、スツールのデザインから製作までを行います。
鉋を多用し、一枚の板から立体的なスツールを削り出す楽しさや難しさも学びます。

自由製作

機械を使わない指物的な小物製作、デスクやテレビ台といった家具、椅子のような造形物、皆さんいろいろな物にチャレンジしています。

基本的な基礎練習

木工の仕事をしている方、プロを目指している方も通われています。「刃物の研ぎ」「道具の仕込みや調整」「加工精度の向上」などに専念し学んでいく方も歓迎します。

教室の特徴
使用する大工道具の整備

教室で使用する大工道具は人数分用意してあります。
手道具を持っていない方でも気軽に始められます。
ある程度手加工が出来るようになってきた段階で、希望する方は少しずつ手道具を購入していきます。
多くの手道具は正しく使えるように、しっかりと仕込む必要があります。
教室の中で仕込みや調整も学んでいきます。

木工機械・電動工具の使用

家具を製作するのを全て手加工だけで行うのは困難なのが現実です。
機械を使う必要も出てきますが、誤った使用をするととても危険です。
木の性質に慣れ、手加工がある程度できるようになってきた方から、安全な加工方法を学びつつ、少しずつ木工機械や電動工具も使用していきます。

●生徒も講師も、この国のモノづくり精神を共有だ

ところでこの教室は、右側の部屋が【FACTORY】と記された制作エリアで、左側が【SHOP】と記されたショールーム兼販売エリア。その中央にあるので、いい感じだ。生徒はここに来るたびに加工前の無垢材を見たり、出来上がった一枚板の天板をはじめ多彩な商品を目にすることができるので、木工家具に対するモチベーションは一段と高まるということだろう。こんなところにも岸さんならではの細やかなこだわりが見て取れるではないか。

そこで、居合わせた生徒に教室への想いを伺ってみた。すると一人の生徒は「一枚板を木工機械で切る音、玄翁で鑿を打つ音、無垢材を扱っているというリアル感がいいですね」と、また別の生徒は「一枚板なんか、サクラ、ナラ、クリなどが身近にあって、それが数週間後には食卓テーブルや椅子に変っていくのを目の当たりにしてるんですからね、最高の気分ですよ」だ。

講師もそんな生徒を見て、「ともすればゲームなどに目がいってしまう若い人が無垢材と向かい合い、鑿や鉋の正しい使い方をマスターして、自ら作っていくなんて気分がいいんでしょうね。出来上がった時のあの笑顔には私たちも感激ものですよ」である。

生徒も、講師も心が通いあう快適環境でいい汗を流しているんだ。岸さんの想いがまさに実を結んでいるのだ。ある面では日本の伝統的なモノづくりの世界、ここにありだ。

なんだろう、この空気感は。得も言われぬ次代へのフレッシュな空気を吸わせていたいた気分だ。これまでにも多くのこだわり人にお会いしてきたが、技術を追いかける人は人それぞれだ。でも共通しているのは、その技術の先に優しい人間の営みを夢みておられることだ。昨今の、データをごまかしてよく見せるなんてとんでもない。大看板を掲げて最先端の技術を声高に誇るのもいいが、ある面ではこのような伝統的なアナログの世界に次代への夢を描くなんて、岸さんに大拍手だ。

●技術の先に人あり、人の先に毎日の暮しあり

すると、岸さんは「私どもの事業の3本柱である家具の制作エリア【FACTORY】と【SHOP】エリアを紹介させて下さい」と言って、教室の左右の部屋に案内されたので、最後にそちらの様子を紹介させていただこう。

【FACTORY】にはやはり独特の趣きと香りがある。大きな無垢材が鋸で切られていく姿をこんなに身近に見るのも久しぶりで、ついつい見入ってしまう。近づくと、主婦の一人が講師に教えられながら慣れない手つきで無垢材と向かい合っている。それでも、「子供のために玩具を作ろうと思っているんです」と言われると微笑えましくなってくる。出来上がった玩具を手にした子供の姿を想像すると、「がんばってください」だ。

「ここでは、お客様にご注文いただいたオリジナルの家具を作ったり、時にはお客様と一緒になって無垢材と向かい合っているんです。そして、ここで作ったものは、あちらの【SHOP】で陳列したりしているんです」

一方、【SHOP】にも独特の趣きと香りがある。やっぱりここにも岸マインドが染み渡り、いい感じだ。ガラス越しに見ていた雰囲気とはまったく違う。あれもいい、これもいいとついつい手が伸びていく。すべてが優しく生きている。すると、岸さんは言われたのである。

「家具の作り手はいつもお客様の心に響くものを届けるのが使命ですね。その一つの代表が音楽界の充填の石田善之さんとコラボしたものです。今、曲を流しますから、その音の拡がりや奥行きに納得していただけると思います」

やっぱり音の感触が違う。上質な音だ。岸さんによると無垢の木ならではの無垢効果だそうだ。「木の素材の良さを改めて実感しましたよ。このようなお客様の心に響いていくものをこれからもお届けしていきたいですね」

そして「この10年間多くの人に出会い、私自身も“皆さんが必要とする木工をわかりやすく伝える姿”を学びました。やめられませんね。木工文化は奥が深すぎますよ。教室の生徒なんか、年齢も、男女もなく、技術の優劣もなく、木工談議に花を咲かせるなんて本当にいい姿ですよ」

そこで、帰り際にそんな言葉を言わせるのも赤城神社のせいなんでしょうねと言ったら「そうですね」だ。すると、岸さんのそばにおられた奥様、「何気なく過ごしている日常的な生活空間が、木工家具などによって一段と心地よくなるなんていいわね。もっとお手伝いしなければ」だ。

確かに。これからも、この国の木工文化にこだわっていただきたいものだ。岸さんの信条である“技術の先に人あり、人の先に毎日の暮しがあり、社会がある”という想いを今一度思い出しながら、再び帰りの赤城神社に手を合わせていた。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2018.01.24]

江戸唐木箸にこだわる老舗の箸専門店 / 株式会社川上商店(東京都・中央区)

年の暮れから新しい年の幕開き期になると、ついつい身の周りを眺めてみたくなる。すると、この1年“感謝”と共に新しい年への“希望”が自然と湧き上がってくる。

希望と言えば、東京都の神宮でさまざまな夢を載せた槌音が響き渡っている。勢い、東京オリンピック、パラリンピックの会場になる国立競技場の建設現場などを見ると、さまざまな想像力が駆り立てられる。2年後には世界のアスリートがここでどんな挑戦ドラマを見せてくれるのか、夢が夢を呼ぶばかりである。世界中の目がここに釘づけになり、世界の東京が一段とその存在感を見せつけることだろう。まさに、インターナショナル・シテイー TOKYOだ。

中央区の方とこんな東京談議をしていると、「“世界の東京”に向かってきわめて日常的な分野でがんばっているこだわりの企業が中央区にありますよ」という話になり、一対の箸を見せられた。手にすると、その箸に『HASHI & TOKYO』と刻印され、「2020年のオリンピックに向けて東京都が国内外に向けて発信する『& TOKYO』の取組の一環で、江戸庶民の昔から愛してきた『江戸唐木箸』とコラボしたんです。中央区の馬喰町にある川上商店という箸にこだわる企業です」だ。

面白い。江戸唐木箸と言えば江戸っ子の気質や好みを活かして、華美な細工や塗りを抑え、黒壇や紫壇などの銘木を材料とするシンプルな箸ではないか。カタログなどを見ると、日本橋で創業以来65年、箸の専門店としての知識とノウハウを活かして国内メーカーの2000種類以上の箸を取り扱っていますと言われると、もうボクの好奇心は全開だ。

ということで、今回は日本橋馬喰町にある川上商店に着目させていただいた。我が国固有の伝統的な箸を東京オリンピックに絡ませるなんて、そのこだわりもお見事という他ないではないか。

こだわり人 ファイル067

江戸唐木箸にこだわる老舗の箸専門店

株式会社川上商店(東京都・中央区)

●日本の景気動向を知るバロメータ、馬喰町

日本橋馬喰町と言えば、何かと気になるところだ。この街を歩けばこの国の景気動向が一目でわかるという経済学者も多い。確かに生活に密着した衣料店や日常雑貨店が軒を並べている。至る所で商品に群がる人や大きなショッピングバッグを手にした人を見かけるし、全国各地のナンバープレートを付けた運搬車や配送車が激しく行き交っている。

銀座や新宿などの賑わう消費地とはまた一味違った趣があって、どこか愛着を覚えるのは何だろう。店先の商品やお店の看板を見ながら歩くのも楽しく、まさにショップハンター気分に酔っていると、お目当ての川上商店だ。

あいにく、社長の川上4代目にお目にかかれなかったが、入社2年目の若い女性が対応してくださった。企業を代表する方もいいが、このような若い方から話を聞くこともいいもので、この会社のポリシーがしっかり根づいていることがわかるというものだ。

「おかげさまで、お箸一筋に65年です。ここは『手もち屋』と呼んでいますが、ショールーム兼販売ショップです。全国各地のメーカーさんの2000種類以上のお箸を扱っていますが、ここには常時、約500種類を展示させていただいています。中でも人気は私どもがこだわっている『江戸唐木箸』ですので、そのこだわりを紹介させてください」

HPで、箸へのこだわりを読んではきたが、やっぱり生の声で聞くのはいいものだ。

「お箸というのは日本人にとってなくてはならない特別な存在ですね。毎日使うものだから自分の魂が宿るものと言われてきています。この国で最初にお箸を使ったのは遣唐使から中国の食事作法を知った聖徳太子だと言われています。以来、現代まで、1400年以上、綿々と受け継いできたのですからお箸は日本文化の象徴の一つですね。また、こうしてお箸をお売りしていますと、お箸に対するお客様のこだわりもよくわかります。“太くて、重くないと頼りない”とか、“故郷の塗りの箸以外使わない”とか、”細い竹の箸でないと持ちにくい”とか、“毎日使うのだから、縁起を担いでここ以外では買わない”とか、実に多様です。ですから私どもは歴史あるお箸への想いと、多様なお箸ニーズにとにもかくにも応えていくことにこだわっています。その数2000種の品揃えというのは、裏を返せば私どものこだわりなんです」

●たかが箸ではない、されど箸ありだ

嬉しいね、このお客様想いは。こだわりとこだわりの共演ということが65年というこの会社の歴史を支えてきているのだ。箸は毎日使うものだ。しかも、口に持っていくものだ。機能性、安全性、衛生性、装飾性、さまざまな要素が集約されているのだ。まさに、この国の食文化の裏に箸ありということだ。たかが箸ではない。されど箸ありということではないか。ある食通が器も箸も味の一つと言っていたが、納得だ。

そこで、こだわる『江戸唐木箸』についてお聞きしたので、その大要を紹介しておこう。

「『江戸唐木箸』というのは、まさに江戸っ子の気質、心意気を映した、厳選した銘木を材料とするお箸です。ベテランの職人さんの手によって一膳一膳、丁寧に磨き上げています。手にしておわかりにように滑らかな触り心地が特徴です。
唐木という名は奈良時代に遣唐使が中国から日本に伝えたからだと言われています。素材としては黒壇、紫壇、鉄刀木(たがやさん)などの銘木が使われます」

まさに、江戸の人々の気質を受けとめて華美の細工をしない、木の良さをそのまま生かした箸なのだ。その種類も豊富で、食材や握り心地などを鑑み『けずり』とか『四方面削り』とか『八角削り』といった箸が用意されていた。特に、「男性を意識した『唐木男箸』などは太くてがっちり持ちごたえがあるので、つい購入してしまった。また、末広がりで縁起がいいと言われる『唐木八角』などは、誕生日祝いなどおめでたい時に贈り物にしようと思ったものだし、先に区の方から紹介された『& TOKYO』の箸も、ここで見るとまた一段と存在感があるし、そばに並んでいた江戸伝統の千代紙模様の『江戸千代紙の箸』も江戸・東京の雰囲気を備えて、何か心揺るがすいい感じだ。

ショールームにはこのほか、輪島塗の『高級箸』や高級アワビの貝を使った『螺鈿のお箸』、さらには、北海道の樺を使った『積層箸』、竹を使った『竹のお箸』、子供に喜ばれる『どうぶつ木玉箸』、さらにさらに、『縁起箸』や『干支箸』や『誕生花箸』や『セット箸』等々、普段、ほとんど気にしなかった箸に、こんな多くの品種があったのか。ただただ多彩な品揃えには魅せられるばかりだ。それぞれをクローズアップして紹介したいのだが、“ここは実物を自分の目でじっくりご覧になるといいですよ”の思いを優先だ。出掛けてみてください。箸の総合デパート、いや、箸のテーマパークの雰囲気に魅了されますよ。

●長く使っていただきたいために、工場との連携プレイ

ところで、このような多彩な箸はどのような工程を経てここに並んでいるのだろうか。川上商店では多様なお客様のニーズに応えて、全国各地にある協力工場に箸の生産を依頼して販売するという形態をとっておられるので、工場によってさまざまな形態があるそうだ。そこで、一般的にWEBや書籍などで紹介されているものを参考記述させていただこう。

  1. 材料の調達
  2. 皮むき
  3. カンナ削り
  4. スライス断ち
  5. 乾燥
  6. 選別
  7. 面取り
  8. 磨き
  9. 最終チェック
  10. 実装
●木材資源の保全にも、尽くしたい

「一口にお箸と言っても、奥が深いですよ。私たちの毎日の食生活に欠かせない伝統的なものですからね。そのお箸を日本の大切な文化として永く使っていただきたい。また、地球環境保全という面から繰り返し利用するという観点から『箸塗り直しシステム』というサービスに力を入れていますので、最後に少し紹介させてください」

川上商店では売りっぱなしということではなく、売った後のことも考えておられるのだ。このシステムは塗直し用の箸を飲食店様などにお勧めし、いつでもきれいな状態で使っていただくことを目的とするサービスだ。
これは、お店にとってもお客様にとっても嬉しいではないか。ここにも川上商店ならではのこだわりを垣間見るではないか。

  • 耐久性の高い木材を使った箸を繰り返し使うので経済的
  • 割り箸などと違って、ゴミが削減できるので環境保全につながる
  • 本格塗り箸という高級感が維持できる

といったことにまたまた納得だ。そのため、塗り直しはより完璧でなければということで、木曽の職人さんに依頼し、木地に生漆を直接塗り込む手法をとって“丹念に”を合い言葉にされているのだ。

「職人さんが手間を惜しまず丹念に塗り直しますので、すでに多くのお客様から喜ばれています。とりわけ、大人数を迎えるホテルや大きなお店で好評です。いつでもきれいに塗りなおしたお箸が使えるということで」

●日本人の箸へのこだわりは尽きない

かつて、箸の語源を調べたことがある(大和言葉で『ハ』は物の両端。『シ』は物をつなぎ止めるの意)。また、日本の箸文化を世界にそして次世代に伝える『日本箸文化協会』や『日本箸道協会』、さらに箸を通じて日本の林業や森林を守る『樹恩ネットワーク』などの団体の活動があるが、嬉しいではないか。まさに日本人の誇りだ。

時あたかも、新しい年を迎え祝い箸が食卓に載るだろう。折れにくくするために柳を使い中央を特に太く作らせた。また、両側が細くなっているのは一方を神様が、もう一方を人が使って、共に食する”神人共食”の印だそうだ。新年を迎えて神様と共に食事してなんて、箸へのこだわりは昔も今も延々と続いているのだ。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2017.12.20]

伝統的な江戸横笛〈篠笛〉へのこだわり / 大塚竹管楽器(東京都・足立区)

早いものだ。2017年も早や最終ラウンドだ。さまざまな出来事があったが、ここに来て一段と気になってきたのは“モノづくり日本”を代表するような名門企業の事件簿である。経済学者の多くはその動静を嘆き、この国のものづくりマインドは堕落していくばかりだ。しかも、それが会社ぐるみというから、もう一度タガを締め直せと警鐘を鳴らしている。

そんな中、いつもこの『こだわり王国コラム』を愛読いただいている足立区の方がちょっと気になる1冊、『足立が誇るものづくり』を送ってくださった。このような冊子は区や市でもさまざま形で作成されているが、まさに官民一体となって地元ブランドの啓蒙、拡大のためにということなのだろう。普段なかなか目にしないことが熟知できるのだから本当にありがたいものだ。これからこまめに目を通していこうと、『足立が誇るものづくり』のページをめくると日本の伝統的な横笛〈篠笛〉を作る大塚竹管楽器という企業が気になった。というのは、篠笛づくりの名人『獅々田流』笛師の新山氏に師事した中村甚五郎氏を初代とする創業100年近くの企業で、現在4代目の大塚 敦さんが引き継いでおられるからである。

祭り好きなボクのことである。先日も近所の神社で、あの祭囃子の音色に心を踊らしたものである。祭囃子と言えば篠笛ということは知ってはいたが、秋祭り賑わうこの季節、今日も全国各地であの独特の音色が響き渡っていることを想像すると、“どうぞ、あの雰囲気を次代の子供たちにも伝えてやってください”と思う。
ということで、今回はこの国の伝統的な江戸横笛〈篠笛〉にこだわる大塚竹管楽器の4代目、大塚敦笛師に着目させていただいた。

こだわり人 ファイル066

伝統的な江戸横笛〈篠笛〉へのこだわり

大塚竹管楽器(東京都・足立区)

●1本の竹を楽器に変える、こだわりの技

大塚竹管楽器の本社は足立区の西新井で、工房兼ショールームは同区の最北端部にあたる入谷にある。日暮里から『日暮里・舎人ライナー』に乗って約20分。工房のある『舎人駅』に向かった。この界隈は、かつては農業地だったそうだが、ライナーなどの敷設によって新興住宅地や流通・物流地に生まれ変わりつつあるそうだ。その変化は車窓からもうかがうことができるが、新旧が上手に混じり合って、次代への新たな街づくりが着実に始まっていることが見て取れる。モダンでありながら、のどかな雰囲気のライナーなどもそれを先取っているようで、この街に溶け込んでいる。

舎人という名前も何か訳ありそうなので、その謂れを調べてみたが、土豪舎人由来説、舎人親王由来説、地形名称設、聖徳太子由来説などがあって、いまだ確定していないそうだ。

『舎人駅』から歩いて20分。工房&ショールームは周りの雰囲気とひと味違ったモダンな佇まいだ。近づいて見ると、その佇まいは住居の横に止めたトレーラーを改装したもので、この空間に対する大塚さんのこだわりが伝わってくる。中に入るとまたまたおどろかされる。8畳ぐらいの空間に篠笛の藤巻を作業場の一角と、1000本以上はあるだろう、ブランド品の『竹峰』『竹渓』『東雲』『麗』がいまかいまかと出番を待つように行儀よく陳列されているのである。

篠笛だけをこれだけ多く並べた姿をこれまでに見たことがない。1本1本が見事な存在感を見せる姿には、大塚さんのこだわりをいま一度見る思いだ。そこで、初歩的なことだとことわって篠笛の特徴について伺ってみた。

「篠笛というのは日本の伝統的な竹管楽器です。材料に篠竹を使うから、このように呼ばれています。篠竹には唄口という空気を吹き込む穴と指孔という指穴が開いており、竹の内部には漆や合成樹脂が塗られています。また、竹が割れるのを防ぐために籐を巻いています。かってはほとんど装飾のない、竹そのものといった素朴なのが特徴でしたが、現在は装飾を施したものが主流になっています。貴族などの上級階級が使ったちょっと派手目の『龍笛』や『能管』と違って、庶民的な気軽さが魅力だと言われています」

『龍笛』『能管』を見せていただいたが、改めて『篠笛』の素朴さに納得だ。すると、大塚さんは篠笛には大きく分けて三つのタイプがあると言う。

「一つ目は『古典調』と言われる主にお祭りのお囃子で使われる笛です。私どものブランドで言えば、『獅子田流』を受継いだ『竹峰』や『竹渓』です。指穴の大きさや間隔、音階は『獅子田流』の伝統をもっとも守った“日本の音”と言われています。二つ目は『邦楽調』と呼ばれる笛です。古典調を長唄や民謡などに合わせやすいように改良した音階の笛です。唄用と呼ぶ人もいますが、私どもはドレミに近い音階として『雲雀』というブランドを提供しています。三つ目は洋楽調という邦楽調をさらにドレミに調律、改良した笛です。日本での歴史は新しく、洋楽器などとセッションしやすいのが特徴です。私どもの『調律笛東雲』や『東雲麗』です」

●1本の誕生に60工程を経て

確かに篠笛は素朴で、気軽さが魅力だ。だが、あの独特な音色を思えば奥が深いということだ。もう何千年も前から祭りなどの場で息づいてきているのだから、まさにこの国を代表する楽器と言えるのではないだろうか。
では、このような伝統的で味わいのある篠笛を大塚さんはどのように作っているのだろうか。基本的には外見(巻き、塗りなど)、全体の長さ、指孔の数、調律のバリエーション、内部の塗りといったことが重要な構成アイテムだそうだが、細かい工程まで入れると、最低60以上の工程があるそうだ。ここでは主要なポイントだけを紹介させていただこう。

篠竹の選別
篠笛の材料になる最適な篠竹を、素材を見ながら選別をする。微妙な音の世界だから国産の上質なものに徹底的にこだわる。
篠竹の切断
仕入れた篠竹を節間で切断し、天日干しする。竹を落ち着かせるために数年間は寝かせる。現在、『竹渓』ブランドは2年以上、『竹峰』ブランドは5年以上寝かせたものを使用している。
サイズ別に選別
篠竹の太さ、長さなどによって音の調子が違うので「何本調子」という呼び方で基本音を指定する。 大塚竹管楽器では一本調子から十ニ本調子を製作。調子の数が小さくなると、基本音が半音低くなり、管はその分太く、長くなっていく。
穴あけ
指で押さえる部分に指孔を開ける。指孔の数は6個ないしは7個が多く、六つ孔とか七つ穴と呼ぶ。
頭部の閉じ
管頭と呼ばれる篠笛の頭の部分を閉じる。
調内の塗装
管の内側を漆ないしは合成樹脂で塗る。
仕上げ
内側が乾燥すると、最後の仕上げとして管まわりに籐などを巻いたり、漆を塗ったりする。巻きには両巻きとか総巻きといったものがある。
●日本の伝統的な音色に籠る夫婦の絆

このような細かな工程を経て、手触り感、吹奏感を前提に篠笛が1本、1本、作られているのだ。機械で大量生産という世界ではない。すべて手づくりだ。そのために、大塚笛師は言われる。

「ある面では家内工業ですよ、そのために妻の支えが大切ですね。作る工程において、また、ショールームなどの運営において、内助の功あっての篠笛ですね」

すると、傍らの奥様の美智子さんもにっこりだ。

「篠笛の伝統を絶やすことなく、次代の人々に伝えていきたいですね。お祭りなどのあの音色はこの国の文化ですからね。伝統を守り、次に次代に伝えていく苦労は私なりに理解しているものですから、これまでも、これからもですよ」

まさに内情の功あればということだろう。お似合いの夫婦だ。大塚笛師にとって奥様の存在は夫婦であると同時に篠笛のためのよきパートナーなのだ。そういえば、『足立が誇るものづくり』の冊子にも仲睦まじい仕事ぶりが写真入りで紹介されているが、そばにこんな言葉が添えられている。“呼吸を合わせ、夫婦で竹を矯(た)める。切り出された篠竹は何年も寝かされた後、江戸末期から代々受け継ぐ技といくつもの工程を経て、日本人の心に響く澄んだ音色の篠笛となる”と。奥様が炭火の上で竹を転がし、熱を加える。それを大塚さんが1本ずつ抜き、熱いうちに矯める。手は止まらずに夫婦の息はピッタリだ。

江戸から連綿と続く篠笛。その裏にはこのような夫婦の愛の絆ありだ。最近の著名な企業の不祥事などとついつい比べてしまい、足立区というこのような地域から伝統的な文化を守り、全国に届けるという夫婦に大拍手だ。すると、大塚笛師のさわやかな笑顔が一段と輝き、これからについてこうだ。

「この国には、この国独自の音があります。また、各地方にはその土地なりのお囃子がありますので、笛ならどんなものでも作っていくというスタンスはこれからも変わりません。同時に、現状に満足することなく、篠笛の世界をもっと広げていきたいので、いまあるドレミ音階の世界をもっと広げていくことはもちろんのこと、昔からある日本の音の維持、継続ですね。ドレミファソラシドが入ってくる前にある日本独自のすばらしい音階を基本にして、皆さんにより親しんでいただけるような笛の提供です。伝統を守りながら次代への進路を描きながらね」

大塚さんの次代への想いは熱い。祭りを盛り上げるあの音色のように次代を明るく元気にしてもらいたいものだ。「そのためにはとにもかくにも本物の篠笛で、本物の音色を届けることですね」と言いながら、「これが私どもの歴史です」と言って簡単な企業史をいただいたので、最後に添付しておこう。

大正13年
『獅子田流笛師の新山氏に師事した初代の中村甚五郎、『篠笛製作業』を継承して、台東区蔵前で『中甚』を立ち上げる。初代印号『甚』
昭和42年
伊東忠一2代目。足立区千住で『獅子田流篠笛製作業』を継承して『伊東竹管楽器製作所』を立ち上げる。2代目印号『竹水』
平成元年
大塚義政3代目。2代目を継承して『伊東竹管楽器製作所』を『大塚竹管楽器製作所』に改称。3代目印号『竹峰』
平成8年
平成4年に足立区西新井に移転に移転していた製作所を大塚 敦が引き継ぎ、4代目になる。4代目印号『竹渓』
平成15年
社名を『大塚竹管楽器製作所』を『有限会社大塚竹管弦楽器』に改称。
平成17年
本社を足立区西新井、工房を足立区入谷とする。
平成26年
大塚 敦4代目、代表取締役社長に就任する。入谷工房にショールームを設置する。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2017.11.15]

平面が立体に、起こし文(おこしぶみ)へのこだわり / 山岡 進(東京都・台東区)

2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前に都心がどんどん様変わりしている。勢い、自治体や企業はその流れに乗って、“東京大変革構想、只今進行中”ということに終始していくので、“昭和の東京、いずこへ”ということかも知れない。

そんな折に、(私事ごとで恐縮だが)ある展示・イベントを推進させていただいたということでちょっと気になる礼状はがきをいただいた。というのはそのはがきの裏は昔懐かしい理髪店の姿が印刷されていたのだが、切り込みに従って指を動かしていくと、昭和の理容店が立体的に立ち上がったのだ。このような絵柄が立体的になるポップアートはクリスマスカードや飛び出す絵本などで見慣れているが、これはひと味違う。懐かしい日本の店や街並みをモチーフとする起こし文(ふみ)作家の山岡 進さんのこだわりの作品だと思うと、嬉しくなった。今や時代はメール便の世だが、やはりこのようなアナログ的なはがきの世界は心やわらぐホッとするものがある。絵柄に添えられた手書きの文字も味わいがあって、送り手の心根が優しく伝わってくるのだ。

実は起こし文という言葉は見慣れない言葉で気になっていたのだが、山岡さんの飛び出すはがきを初めて目にしたのは4年前である。このこだわり人ファイル022(インテリア家具から始まるワールド・パラダイム)でも紹介したがインテリア家具やインテリア空間を通じて豊かな暮らしを提案するWISE・WISEという企業のオーナーでありながら、こだわりのある和の工芸品などを販売する佐藤岳利さんの六本木のショップである。六本木ミッドタウンというモダンな建物の中で、こんな素朴な和の世界に触れられるなんて面白い。思わず、起こし文はがきを買い求めていたものだ。コミュニケーション手段のはがきが長期に渡って飾れるアート作品になるし、郷土の時間軸&場所軸の歴史資産にもなるのだ。

ということで、今回はこの飛び出すはがきを“起こし文はがき”と呼ぶ山岡 進さんのこだわりに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル065

平面が立体に、起こし文(おこしぶみ)へのこだわり

山岡 進(東京都・台東区)

●生まれ育った昭和の香りを永らえたい

起こし文はがきを作られる山岡さんの制作工房はJR山手線の日暮里駅から歩いて3分の谷中にある。江戸時代から寺院や町屋が集まって栄えてきた処で、昔ながらの街並みが今もなおここかしこに残っている。だから、東京・下町の観光ルートの一つとして独特の空気感を漂わせている。

すると山岡さん、開口一番「私が生まれたのは日暮里駅の反対側の根岸で、現在は駅の反対側の谷中で工房兼自宅ということです。作るものは下町を題材にしたものが多く、『街並はがき』シリーズは昭和の下町をテーマにしています」だ。
いきなりのこの言葉に納得だ。机の上に広げられた数々のはがきを見ると、この街で生まれ育ってこられたことが如実に伝わってくる。地元に対する優しい眼。まさに地元愛だ。
しかもこの工房は谷中銀座商店街の『夕焼けだんだん』から一歩中に入った場所で、ドラマやカタログなどさまざまなシーンがクローズアップされるから、この地に住む山岡さんの心の中を勝手に思いやるばかりだ。そこに気になっていた起こし文という言葉である。HPで紹介されているが、改めてご本人の口から聞いておこうということだ。

「桑沢デザイン研究所を卒業し、デザイン事務所に勤めました。その後結婚することになり、案内状のモチーフを式場である根津神社にあった千本鳥居にして、それを立体化できるように作りました。それが好評だったので、さらにオリジナルな作品を作りたくて独立し、立体カードの作品群に「起こし文」という名をつけました。その後、昭和の街並を立体的に組み立てられる「街並はがき」が生まれてきます。」

なるほど、これは面白い。街から昭和の名残が消えていく中で、写真や絵画ではなく、立体的な形あるもので表現していく。加えて、そこに手書きのメッセージを添えていくなんて何か心揺さぶられるものがあるではないか。

●観光庁主催『魅力ある日本のおみやげコンテスト』でグランプリに

「その後、私の起こし文へのこだわりが募っていくばかり、個展を開いたり、ショップなどに置いてもらったりしたのですが、なんと、2011年に国土交通省の観光庁主催の『魅力ある日本のおみやげコンテスト』でグランプリに選定されたんです」

そして現在では起こし絵と起こし文の制作にこだわると共に、NHK文化センターの講師として、また母校の桑沢デザイン研究所の講師として若い人の育成につとめておられるんだ。
まさに人に歴史ありだ。この分野における山岡さんの情熱は絶えることなし、アナログ的な世界を形にするという想いは一段と燃え上がっているそうだ。では、山岡さんはどのような作品を作っておられるのだろうか、作品アルバムの中ら写真で紹介させていただこう。できれば、ショップなどで実物を目にしていただくと一番いいのだが。

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1. 谷中はがき その1「夕焼けだんだん」(写真上段左)
名物の猫たちを階段に遊ばせ、遠くに現在の日暮里駅を配して遠近感を。
2. 谷中はがき その2「昭和30年代の谷中銀座」(写真上段中央)
商店街入口アーチの元に当時の人々の風俗を。古写真に見られる「きず、かすれ、煙り」なども取り込んで。
3. 谷中はがき その3「初音小路」(写真上段右)
古いアーケードが残る飲屋街。昭和の味わいを出すため劇画タッチで。
4. 谷中はがき その4「古い八百屋さん」(写真下段左)
浮世絵の木版画のイメージで、人物なども猫の擬人化で表現。
5. 川越山車揃い(写真下段中央)
折って飾れるペーパークラフト。川越祭りに登場する2町会の山車を再現。
6. 昭和の街並み(写真下段右)
駅は2枚連作で絵がつながる、軽食堂や診療所などもあって並べると一つの街並みに。

「考えてみれば日本には、扇や風呂敷など広げて使い、畳んで仕舞える素晴らしい文化がたくさんありますね。1枚のはがきを受け取って、折れば風景などが立ち上がるなんて楽しいじゃないですか。日本の素朴な美を表現するために紙の持つ、簡単に折ったり曲げたりできる機能性や紙の透過性、さらには紙の空間性を生かせば、これからも伝統的な和の世界はつきることがありませんね。」と、山岡さんは熱い。

●熟練の技術から生まれる街の空気感

ところで山岡さんはこのような作品をどのように作っておられるのだろうか。その工程を簡単に紹介いただいたので、その言葉をそのまま掲載させていただこう。

「依頼をいただいた場合も、独自の作品を作る時も同じですが、まずは大段階としてラフなアイデアを描き、イメージを膨らませます(①)。この時、参考にするのは時代をよみがえらせてくれる図鑑や写真なのですが、谷中などについては、私が子供の頃から撮ってきた写真を最大限に活用しています。」

まさに、地元のことは地元の人が一番、ご存知ということだろう。

「イメージが出来ると、原寸はがき大のダミーを作る第2段階に入ります(②)。全体の構成や細かい部分を何度もチェックして、納得できるまで修正を加えます。そして、ダミーが完成すると、第3段階です。パソコンのIllustratorでラフ画を描き、再度、ダミー化して細部をチェックします。問題がなければそれを下絵にして、Photoshop+タブレットで絵柄を手書きで書いていきます(③)。私にとって、この手描きは重要で、絵画の味わいを出すために非常にこだわっています。」

やっぱりこの種の作品は一つ一つの技術の積み重ねであることに改めて納得だ。1枚のはがきが心やわらぐ人に優しい世界を生み出していくなんて、やはり山岡さんのこだわりはここにありということだろう。単なる起こし文ではない。されど起こし文ということに違いない。

●国境を越え、世界に広がるこだわりの起こし文文化

山岡さんの工房を出てしばし谷中銀座を散策したが、先ほど見せていただいた谷中はがきが次から次へと蘇ってくる。自分がいま、何か遠い時間帰りをしているようだ。『夕焼けだんだん』の階段に当たる夕陽が、その時間をいやが上にも増幅させてくるようではないか。
“ナイス、シーン!”。そばを行く外国の観光客は赤ら顔で表情も柔らかく声を弾ませている。すると、私の頭は外国の人はもとより、この国の人にも“あの賑わいの浅草散策もいいが、しっとりした谷中散策もいいでしょ”と声をかけたくなっている。しかも、帰り際に言われた山岡さんの「東京の街が、いや、日本中の街がどんどん変わってしまうでしょうから、街並はがきが更に愛されてもらえればありがたいです。」という言葉がそこに重なってくるのだから、まさに山岡パラダイムの共有だ。

そういう意味で言うと山岡さんの起こし文は、ある面では趣味的な所から出発されたかもしれないが、日本の文化や風俗の歴史資産を後世の人々に伝える歴史の生き証人的な役割を担っておられると思えてきて仕方がない。となると、そのこだわりの技術はこの街を越え、日本全国の街や村へ、さらには外国へと広がり、“自分たちの街をこのような形で残していきたい”ということになってくるのだろう。

あやかろう、明日を迎えに行った明るい夕陽に向かって合掌だ。

文 : 坂口 利彦 氏

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