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こだわり人NEW[2019.06.20]

伝統的な江戸の木目込人形へのこだわり / 三代目 金林真多呂氏(東京・台東区)

平成から令和へ。確かに。この国の空気が変ったようだ。今もその流れが絶えることなく、元気な令和の歓迎ブームが街に溢れている。だが、気になるのはやはり景気の動向だ。マスコミ等で「悪化」という言葉を聞くと、これからの先行きについつい考えがいってしまう。

そんな中で、先頃に紹介させていただいた吉祥寺の『アトリエ 二キティキ』の西川敏子さんの木工玩具へのこだわりに胸が打たれたというメールをいただいた。「西川さんの、“あのドイツで木製の玩具を見た時に、日本の子供たちにもこれらで遊ばせたいので、その輸入販売を始めました”という気持ちに心打たれ、早速、そのお店に行ってきました。まだ戦後の傷痕が残る中で子供たちの創造力溢れる健やかな成長を願ってなんて感動ものでした。それに引き変え、日本の最高学府と言われる東大出身の国会議員が、戦争して北方諸島を取り返そうなんて何というお粗末さでしょうか。お酒が入っていたという言葉も虚しく、こんな方に税金を払っている私たちが情けなくなりました」だ。

せっかく、上皇、新天皇があの荘厳な儀式などを通じて“世界の平和”ために力を尽くそうと呼び掛けておられるのに、何ということかだ。ここは、盛り上がる国民的なコンセンサスで、次代への夢を広げていくのが景気対策と同時にこの国の最大のミッションだと思っているところに、日本人形協会から『人形感謝祭』という案内チラシが(2019年10月6日 明治神宮本殿)が送られてきた。掲載された写真などを見ると、今回の宮中での儀式などの映像が重なり、我がボルテージは一気に上がり、前々から気になっていた江戸の伝統工芸品である木目込人形『真多呂人形』のこだわりに改めて心が沸き立ったのである。日本全国の伝統的な人形から現代的なフィギュアに至るまで、人の形をモチーフにした“ひとがた”と言われる人形はどこの家庭やお店にも見られる。その中にあって先の宮中儀式などで見た荘厳な姿がなぜか伝統的な木目込人形に重なって、心は、いや足は早くも上野御徒町のある真多呂人形会館ショールームへ向かって行くのである。

ということで、今回のこだわり人は上野御徒町にある真多呂人形会館ショールームの代表、三代目 金林真多呂氏に着目させていただいた。

こだわり人 ファイル081

伝統的な江戸の木目込人形へのこだわり

三代目 金林真多呂氏(東京・台東区)

●江戸の伝統を受け継ぐ心意気に感動

やっぱり、“真多呂人形”という名が気になって仕方がなかった。おそらく、何某真多呂という方がおられて、その人の名が命名されたものだと勝手に思いを巡らしていた。ところが、若い頃に新宿のデパートで初めてこの人形を見た時は、粗忽なボクの心も妙に緊張感に包まれた。穏やかな表情の中にも強い意志がある。腕のある職人さんが真心を込めて作り上げたもので、“真多呂”という名も何か意味ありげで、いつか余裕がある時に買い求めようと思ったものである。すると、それから数年後に娘ができたので、男雛と女雛が並ぶ親王飾りを購入したのだ。優しく穏やかなでありながら、どことなくふっくらした表情が愛らしく、娘もお雛様の季節になると、「またろ!またろ!」と呼び親しんだものである。その伝統ある真多呂の生みの親の血を受け継ぐ三代目にお目にかかろうなんて、何と無謀と思いつつ、子供の頃の娘が妙によみがえってきたものだ。

かつて真多呂人形について調べたことがあるので、少し紹介させていただこう。真多呂人形のルーツは京都の上賀茂神社である。当時、その神社に仕えていた高橋忠重が作ったのが始まりで、鴨川の柳の木に木彫を施し、そこに溝を掘って神宮の衣装の端切れを木目込んだのである。なるほど、だから、木目込み人形か。以降、江戸、明治と時代が変化していく中で、東京の人形師、吉野栄吉がその技術を東京に持ち帰り、江戸の木目込人形の基礎を作ったのだが、その吉野栄吉の息子、喜代治に師事したのが今回お訪ねした三代目の祖父にあたる金林真多呂氏だったのだ。その後、その木目込人形は「真多呂人形」と呼ばれて今日に至っているというのだから、この人形は江戸の職人の心意気が綿々と引き継がれているということなんだ。だから、江戸の伝統を守っていこうという三代目の心意気には納得するばかりで、人形一体一体に込められた歴代と真多呂氏のこだわりにはついつい、“よい買い物をした”だったのだ。

「父が二代目、私が三代目です。父である二代目同様彫刻家に師事し、塑像やデッサンを学びました。大学は慶應義塾大学の法学部に入学。卒業後は日本橋三越の百貨店に務めましたが、血筋ですね、昭和63年に父のもとで真多呂人形を作ることを決心し、今日に至っています。これらの人形と親しく心を通い合わせられるお客様のことを思うと、本当にやりがいのある仕事で、江戸職人の心を永らえていこうと心しています。おかげさまで平成12年には経済産業省の伝統工芸士に認定されましたし、平成25年には三世を襲名しましたので、有り難い人生ですよ」

●基本は工程、衣装、伝統へのこだわり

まさに人には人にそれぞれの人生ありだ。法学部出身の世に言う慶應ボーイが伝統的な江戸の人形の世界に終始する姿勢に心底、魅せられるというものだ。いま、こうしてショールームで表情豊かな真多呂人形たちに囲まれていると、三代目の強い意志のようなものが見て取れて、私の体の中にもどんどん入り込んでくるようではないか。ありがたい時間の共有に感謝だ。そこには単に伝統的なものに留まらず、明日への飛躍や次代への夢が読み取れて、その時、私自身も何か真多呂人形と対話するようになっていたのである。すると、三代目は囲まれた多くの人形を愛しむように言われたのである。

「私たちの真多呂人形のこだわりと特長を紹介させてください。基本は正統の伝統者の志に恥じない確かな技術の提供です。具体的には3つの技法にこだわっていますが、1つ目は工程へのこだわりです。すべての人形は真多呂の手によって一体一体、手作りで丁寧に作っていきますが、多くの専門の職人が真多呂の原型にさらなる芸術的な息吹を吹き込でいくのが特長です。2つ目は衣装へのこだわりです。平安時代の衣装を綿密に考証した上で、創造性豊かなカラーコーデイネートを施しています。3つ目は伝統へのこだわりです。衣装、桐塑(粘土の一種)などの素材はもとより塗り加工の回数まで伝統技法に忠実です。また人形のボディには天然の桐素材を使い、海外の素材やウレタンなどの科学素材は一切使いません。まさに伝統技法を現代に伝える真多呂の木目込み人形の真髄で、経済産業省の伝統的工芸品に認定されたことに誇りを持っています。

 また、真多呂人形の特長について言えば、お顔、ボディ、衣装についていつまでも飽きない、眺めれば眺めるほど味わい深いものがあるということです。お顔についてはふっくらとした気品のある顔立ちに満面に笑みをたたえるような表情で、見る人の心を優しく和ませる雰囲気に仕上げています。人形は消えてなくなるものではありません。長いお付き合いになりますので、真多呂はいつまでも飽きない、眺めれば眺めるほど味わい深い人形にこだわっているのです。五月人形は愛くるしい瞳入りの子供大将飾りから勇猛な鍾馗人形といった具合です。また、ボディについて言えば、先程申し上げたとおり伝統技法に忠実で、国産天然の桐素材を使っているということです。人形の世界もともすれば価格競争で素材や制作工程を海外ということになりがちですが、これではどこで、誰が作ったのかわからないので品質の差は歴然としていますし、人形の心まで宿っていません。ですが、私どもは木目込人形の唯一の正統伝承者として魂を込めて一体一体作り上げているんです。

 衣装についても確かな時代考証と現代的な創造性あふれる現代的な感性で美しさを追求していることです。単なる昔帰りではなく伝統と現在の中で落ち着いて上品。お客様が求められる明るく格調のある真多呂らしさをお届けしようということですよ」

●本物に対する、至れり尽くせりのこだわり

お聞きすればするほど、三代目の真多呂人形への思いに魅せられるばかりだ。前に購入した我が娘の親王飾りに改めて満足感が拡がってくる。そこで、真多呂人形の出来上がるまでの工程を紹介いただいたので、その流れの大要を以下に紹介させていただいておこう。

原型づくり
粘土の原型を木枠の中に入れ、樹脂などを流し込んで人形の型(かま)を取り出す。かまは原型の前半分と後半分の2つを作る。
かま詰め
かまに桐粉としょうふのりで作った桐塑を詰め、前後を合わせて一体にしてボディを作り出す。
ぬき
上半分のかまを外し、はみ出した部分を竹ベラで取り除いたあと、下のかまを横にしてボディを取り出す。
木地ごしらえ
よく乾燥させた後、ボディに生じる凹凸やひび割れを、竹べらを使って桐塑で補整、またはやすりで補修して仕上げる。
胡粉塗り
貝殻を焼いて作った白色の胡粉をにかわで溶かして、ボディに塗る。ボディの木地を引き締めると共に筋を掘りやすくするための作業となる。
筋彫り
胡粉が乾いたら布を木目込んでいくための溝作りをする。彫刻刀を使い丁寧に彫る。
木目込み
溝に糊を入れ、型紙に合わせて切った布地を目打ちや木目込べらを使ってしっかりと木目込む。
面相書き
面相とは人形の顔形のことで、人形の良し悪しを決める重要な作業となる。
仕上げ
ボディに顔や手を取り付け、髪の毛をブラシで整え、全体をよく眺めて不出来なところはないかを調べて仕上げる。
完成
天然の桐素材を使ったすべてに人にやさしい手づくりの真多呂人形が完成する。
  1. 原型づくり

    原型づくり

  2. かま詰め

    かま詰め

  3. ぬき

    ぬき

  4. 木地ごしらえ

    木地ごしらえ

  5. 胡粉塗り

    胡粉塗り

  6. 筋彫り

    筋彫り

  7. 木目込み

    木目込み

  8. 面相書き

    面相書き

  9. 仕上げ

    仕上げ

  10. 完成

    完成

●和の文化の象徴として永らえたい

改めて真多呂人形の奧深さを、いや、江戸職人の伝統的な心意気を教えられるではないか。スマホやタブレットなど科学技術の進歩、発展には目を見張るものがあるが、このような伝統的な和の技術にもすっかり魅せられるというものだ。いま、目の前には、ひな人形をはじめ、五月人形、浮世人形など三代目の自信作が展示されていたが、優しい顔でこちらを見る人形の目はあくまでも澄んで、見とれてしまうばかりだ。まさに、長い歴史の上に築かれてきた温もりのある本物ということだろう。すると、ボクは思わず“どうぞ、これらの人形文化を永らえてください”と声をかけていたね。すると、三代目は返すように力強く言われたのである。

「今や、この世界も職人の技量や後継者問題に加え、材料や海外問題、さらには、お客様の人形に対する考え方、接し方の多様化といった課題を抱えていますが、人形業界だけの課題にしないで、和の文化の象徴として、その伝承的発展により一層の力を注いでいきたいですね。ある面では“人形はお子様への愛情の形”と言われていますので、伝統技法の伝承者として恥じない確かな技術をお届けすると共に、“人形はご家族の一生の宝物”という考えからアフターサービスにも万全の体制を整えていますので、どうぞ、お気軽にお立ち寄りください」だ。

何だろう。何か晴れやかな気分だ。帰りに上野公園に向かうと桜はすっかり散っていたが、ここかしこに多くの外国の方だ。思わずボクは、“どうぞ、今日はこのまま帰らず、真多呂人形会館ショールームに立ち寄って、日本の和の文化に触れてください”なんて、声をかけたくなっていたね。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2019.05.22]

伝統的な日本橋の老舗、和家具へのこだわり / 株式会社小林寶林堂(東京都・中央区)

平成から令和へ。やはり時代の一つの節目を感じる。テレビなどで多くの人の声が寄せられている姿を見ると、おおむね好評で、これからの時代の進路に明るい姿を描いている。これを機に、身も心を改めて、次代への道筋を歩んでいこうということだろうか。確かに一つのわくわく感がこの国に広がっている。勢い、これを機に、やや閉塞感があるこの国も明るく元気に弾んでもらいたいものだ。

そんな折に、中央区の知人が我が愛読雑誌の『江戸楽』とフリーマガジンの『東京エキマチ』を送ってくれるともういけない。かつての江戸・東京の面影を残しながら、新たな時代の青写真を鮮明にしつつある中央区の日本橋、京橋、八重洲、丸の内、有楽町、大手町などの街並みが浮かんでくる。かつて、中央区の広報業務に携わっていたこともあるからだろう、やっぱり江戸城をとりまく往年の賑わいのある商家の数々を思うと、我が中央区行脚は早くも始まっているのだ。

特に今回は中央区おすすめの"和の専門店"とか"和家具修理情報館"を標榜する『小林寶林堂』に真っ先に立ち寄ってみたくなった。日本橋の三越百貨店の近くで、和家具に徹底的にこだわっている店で、伝統工芸品や職人さんの手づくりの品々は自ずと和の文化のミニ博物館の様相とお聞きしていたので、この『こだわり人』欄でも取り上げてみたいと思っていたところだ。元号も変わったメモリアルの日にお膳立てがすべて揃ったということではないか。早くも足はこの日本橋に向かって行くではないか。

ということで、令和元年の最初のこだわり人は日本橋の『小林寶林堂』の代表、國分孝一さんである。

こだわり人 ファイル080

伝統的な日本橋の老舗、和家具へのこだわり

株式会社小林寶林堂(東京都・中央区)

●伝統の中に見え隠れする、次代への息吹

日本橋の三越百貨店の前から歩いて3分。老舗の店がかつての屋号をそのままに残す雰囲気のある街並みの一角だ。小林寶林堂の看板がもの静か、控えめにかかっている。ちょっと得意げに首を持ち上げるコレドなどのモダンなビル群とはひと味もふた味も違った空気感が醸し出す佇まいも心地よく、何か物語の始まりに導かれたような気分になる。

「昭和20年、焼け野原のこの街に伯父が立ち上げた店を、私が引き継いで早30年。ただひたすら、和の文化に魅せられて和家具や和食器をお届けしてきました。独特の肌触りや香りは今もなお変わらずで、その存在感は日常的工芸品という思いと同時に味わい深いアート作品を感じますね。そういう意味で、ここに来られるお客様は単に昔帰りということではなく、これらの中に何か新しい時代の香りのようなものを感じておられるようですね。

古さの中にある新しさということでしょうか。特に、最近増えた外国の方や若いOLさんや学生さんにはそんな思いがしますね。だから私どもも、単に古きを提供するということではなく、伝統に裏づけられた今日的な空気感をお届けしているという思いです。創業者の志を変えることなく、この種の商品にこだわるお客様の一途な心にお応えしていこうということにつきます。

また近年は、お客様の好みも多様化し、伝統的な"職人さんが作る本物"を求めるお客様も多いので、私ども一緒に勉強して共に高みへという思いです」

嬉しいね。いきなりの國分さんの和の文化に対する熱い思いに教えられる。ともすれば、和文化が時代からどんどん遠ざかっていっているとよく聞くので、國分さんの真摯な思いには魅せられるというものだ。

「ですから、ここ日本橋で和家具や和食器を取り扱う私どもの店はこの地に根づいた地元産業の息づかいだと自負しています」なんて言われると、もういけない。表情は穏やかだが、國分さんの体の中にはこの仕事に対する江戸職人の心意気がそのまま継承されているようで、こちらの眼もついつい明るく弾んでくる。

すると、「とりあえず、お店に並べた和家具や漆器を見てください」と言われ、1階から2階を案内されると、國分さんの情熱イズムが部屋の隅々までいきわたっているこことに心がゆすぶられて行くばかりだ。

和の佇まいの中に選りすぐられた品々が控えめに品よく居並んでいるのだ。思わず「ボクの父の部屋の再現ドラマを見るようですよ」と言ってしまったが、ボクの父や母が愛用していた職人手作りの指物家具や漆塗りの食器が次から次へと目に飛び込んできて、どんどん昔帰りさせられていくのである。

●職人さんの手づくりに、心がそば立つ

2階は畳に障子なので、思わず腰を下ろし、子供の頃の我が家に戻ったようでボクの中の再現ドラマがどんどん進行していくのだ。中にはオリジナルの新しい和食器なども並べられ、新旧揃い踏みという感じがドラマをより一層、盛り上げていくのである。

「江戸から明治へ。職人さんの伝統的な手作り技術は凄いですね。こうして並べてみると改めて教えられますね。機械では出せない味わいがあるので、それ絶やすことなく提供していきたいですね。また、これらを末永く使う喜びを知ってもらうために商品のアフターケアにも力をいれていますが、昔からある思い出の和家具や漆器を当店では修理を承り、いついつまでも何代にもわたり大事に使っていってほしいと思っています」

まさに、和の専門店ならでは心意気とこだわりだ。これらの品と接するお客様の毎日の生活を思い浮かべると、やっぱり嬉しくなってくる。その家の穏やかな営みが見えるようではないか。

●奥の深い和家具のこだわりを、今に伝えて

ところで、國分さんのこだわりに着目した理由はもう一つある。和家具などを作る"職人"としてではなく、和家具などを提供する"商人"として和文化の啓蒙、促進に非常にこだわっておられることだ。自社の工場に職人を抱えるだけではなく、全国の優秀な職人さんと連携しながら、この分野の伝統を守り、その伸長、発展を永らえておられるのだ。

その様子は雑誌やHPなどでも紹介されていることは知ってはいたが、伝統的家具職人さんなどのこだわりを徹底的に奨励したり支援したり、自ら一緒になって江戸指物や漆器の更なる日常化に思いを巡らしておられるのだ。

そこで、このことについてお聞きしたかったので、この分野におけるものづくりへのこだわりを伺ってみた。すると、職人さんの仕事ぶりを思い浮かべながら和家具と江戸指物と漆食器に対する自分の思いとこだわりと言って次のようなことを話されたので、その大要をそのまま紹介させていただこう。ある面では伝統的な和家具を今に伝える"語り部"という趣があったものだ。

和家具について

粋な江戸っこの象徴と言われる江戸指物、自然から取れる樹液を活かした漆塗り。日本の伝統工芸品として名高い輪島塗や越前漆器などが現代まで育まれてきた歴史の背景には多くの職人さんたちの努力と良質な素材が得られる自然環境が存在したことだ。また、こうした和家具は家族で何代も使うことができ、年数を重ねるごとに趣が増していくのだから、時代を越えていつまでも残していきたい。

江戸指物について

指物は釘などを一切使わずに板と板を組み合わせて作ることを言う。なかでも江戸時代の武家や町人や商人の家庭用に作られた指物を江戸指物と言った。特に江戸指物は宮大工の流れを組み、隠し蟻つなぎなどの高度な仕口を使い、組み上げた後の組み手が見えない作りが多く用いられ、手をかけたことをあえて隠すことに江戸子の粋さを求めた。桑や欅や桐などを素材として美しい木目を最大限に生かし、高度な組手を使って華奢に見えるが壊れにくいところが重宝にされた。素材、意匠、組みたて、使い勝手などの良さが今もなお愛されている。

漆器について

漆は主にアジアに生育する漆の木の樹液を生成して作られる。塗装として、また接着剤としても優れた性質を持っていており、木材に塗った場合、虫喰いや浸水を防ぎ、とても硬い表面を作ることができる。

また、仕上げによればとても光沢の美しい品物に作り上げることができるし、鉱物を入れ反応させることにより、美しい朱色や黒色を作ることができる。

漆黒という色は漆しか出せない美しい黒で、ヨーロッパの貴族には宝石より珍重されたそうだ。

また、漆は何にでも塗れる塗料として、金属やガラスや革にもOK。最近では抗菌作用も証明され、漆の魅力が一段と増している。唯一、漆器を使う日本人としては先人から伝えてこられた漆文化を後世にも伝えていかなければならないのだ。

【ワンポイント】伝統的工芸品

経済産業大臣指定伝統的工芸品のこと。2018年11月現在232の品目が指定されている。木工では下記のような技術がある(『世界にはばたく日本力』(ほるぷ出版)より)。

彫物(ほりもの)
何種類もの彫刻刀を使って木を彫り、置物などを作る。
曲物(まげもの)
檜や杉の薄い木材を曲げて両端を閉じてから底板や上板をはめ込み、桶、樽などを作る。
刳物(くりもの)
木の内側をくり抜き、お椀、鉢などを作る。
挽物(ひきもの)
轆轤を使って木を丸く削り、子皿、盆などを作る。
指物(さしもの)
数枚の板を釘などを使わず組みたて、箱などを作る。
●日本の和の文化をいつまでも永らえて

もうこれだけで、和家具などに対する國分さんの伝統的、かつ未来的な思いはわかるというものだ。あれやこれや、多様な和家具の存在感が改めてわが身に入り込んでくる。時に愛らしく、愛おしく。まさにものづくり日本人の心意気、ここにありということではないか。すると、國分さんは1枚の紙を取り出し、こんなことを言われたのである。

「私は現在の事業に携わる傍ら、日本の歴史や文化にも一方ならぬ興味と関心を持っています。10年前に日本の問題点について考える機会があり『日本を知る会』という会を立ち上げました。毎月1回勉強会を行い、現在110回を超え多くの方にご参加頂いております。毎月行っている勉強会には、いろいろな分野の専門家を講師として招いていますが、会の目的は1つです。日本人が日本の素晴らしさを知り、日本が世界の見本となる素晴らしい国となり、世界の人の心を1つにまとめていく、そして地球を慈愛で満たし慈愛で包み、この美しい地球を未来につないでいくこと。そのために多くの人の意識を変えていきたいと活動を続けています」

ある面では、和家具の店ということもあるので当然のように受け止めたが、日常的な商いを通じてこのような思いを深めておられるかと思うと改めて國分さんに大拍手だ。この伝統的な日本橋に心優しい方がおられるんだと、またまた日本橋に行くことが楽しみになったものだ。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2019.04.24]

時代の先の先を行くのは技術です、その実感 / スガツネ工業株式会社(東京都・千代田区)

時代の元気な息づかいを肌身に実感できる総合展示会『日経メッセ 街づくり・店づくり総合展』が今年もやってきた。人口の減少と少子高齢化が進むこの日本で、これからの街づくり、店づくりを支える多くの製品、サービス、ソリューションを一堂に集めてということになれば、やはり見逃せないではないか。しかも、平成最後となれば、その製品や技術は新しい年号『令和』に期待を持って、バトンタッチされていく歴史的な一大エージェントいうものだ。

今や、この総合展の顔の一つとも言われる『建築・建材展』は、“今年もやってきました、スガツネ工業は”だ。住宅、店舗、ビルなどの各種建材をはじめ設備機器やソフトウェア、工法、関連サービスなどが紹介される中で、スガツネ工業もここにありということだ。主催者の日本経済新聞社が掲げた開催趣旨である“これからの住まい、オフィス、店舗、街づくりの最新情報を総合的に発信する”とくれば、まさにスガツネ工業の今日的な役割、使命を享受していただける絶好の機会なのだ。昨年の東京、大阪、名古屋で開催されたスガツネ工業のプライベートショー『スガツネ博』のあの熱気と活気を今一度お届けして、その多様なこだわりをできるだけ多くの方に実感していただいたということだ。

そこで、今回のこだわり人は先頃、東京ビッグサイトで行われた『建築・建材展』に照準を合わせ、多くの来場者から注目を浴びた大要を紹介させていただこう。“技術が技術を呼んで、時代の進歩、発展が紡がれていく今の世にあって、スガツネ工業のこだわりに時代の行く手を見ることができた”という声が数多く聞こえたものである。

こだわり人 ファイル079

『建築・建材展』のスガツネトピックス!
時代の先の先を行くのは技術です、その実感

スガツネ工業株式会社(東京都・千代田区)

ご存知の通りスガツネ工業の総合カタログには、たゆみのないモノづくりにこだわる30,000点を超える製品が紹介されている。その多様性は先のプライベートショーでもリアルに実感できたが、今回の『建築・建材展』でも同様に、数多くの製品がカタログから飛び出したということだろう。来場者の目を引付けた代表的なものを画像とともにダイジェストで紹介させていただこう。

●きら星のごとく。元気なこだわり技術が会場を包み込む
ラプコン搭載オリンピア スライド丁番360シリーズ

家具金物でお馴染みのスライド丁番だが、スガツネ工業からは5段階で扉の閉まる速度(ダンパー)が調節できるラプコン搭載オリンピア360シリーズが一挙に登場。外部展示会では初出展となる厚扉用、ガラス用をはじめとしたフルラインアップで来場者の注目を浴びていた。扉のサイズに捉われることなく好みの開閉フィーリングを手に入れることができる使い易さに加え、抜群の耐久性と、施工する方に嬉しい簡単調整に熱い視線が寄せられた。

上吊式引戸金物 FDシリーズ

扉の開閉方向それぞれにゆっくりと静かに引き込むデュアルソフトクロージング機構付の上吊式引戸シリーズ。住宅用に新たに開発された【FD30EX】は扉を開ける時の操作力を従来の7割に留め、“お子様やご高齢者でも軽く開けることのできる扉”を実現。またホテル・店舗・オフィス・施設向けには【FD35EV】。不特定多数の使用を想定した耐久試験でその安全性は実証済。こちらは扉高さ2,700mmのハイドアに対応し会場でもその扉の高さが注目の的となっていた。

移動間仕切金物FDPN40型フラットパーティション

住宅など、室内の間取りがいつでも簡単に変更できるスライディングパーティション金物。上吊ローラーで軽々、滑らかに操作でき、1本のレールで扉がフラットに納まる点にお客様の目が釘付け。縦列と並列の2種類の収納方法が選べることも喜ばれていた。

ガラス丁番各種

こと欠かない丁番の利用場所にガラス丁番はいかがだろうか。シャワーブースなどの水まわりで使用できるガラス丁番や、使用頻度の多い間仕切用のガラス丁番など、デザインは繊細かつ機能性も抜群。ソフトクロージンング機構、閉止速度調整付きのスムーズな操作でワンンランク上の空間が演出できることを体感することが出来た。

自立ガラスフェンス金物 Q-railingバラストレイドシリーズ

施工性が高く、デザイン性にも優れたQ-railing社の自立ガラスフェンス用の金物。施工時間の大幅短縮を実現した新製品を見ることが出来た。会場では実際にWEBツール紹介コーナーとの間仕切として機能し、そのデザイン性も高評価を得ていた。

家具用コンセントカバー

今やIT機器の利用は場所を選ばない。LAN、USB、双方のコネクタ対応の配線マルチタップはホテルや飲食店や空港のカウンターテーブルなどに不可欠だ。家具用コンセントカバー・プレートは業界でも圧倒的なラインアップを誇り、金属製、樹脂製、鍵付、フタ付など使用用途に合わせて選べる点が来場者に好評だった。

ショーケース用金物

店舗などにおけるショーケースの需要は広がる一方だ。機能性、操作性、耐久性、安全性という面からショーケースに特化した金物をラインアップしているが、丁番と錠前のデザインを統一した『GS-Gシリーズ』、非接触式電子錠システム『エクセロック』には“魅せられた、目が離せない”と、スガツネ工業ならではの斬新性にも話題が集中した。

屑入投入口

角型に丸型。ふた付にふた無。不快な音や衝撃を和らげるダンバー付きに扉が左右に連動するタイプ。さらに、分別に便利なペットボトルを入れることができない細長タイプ、テロ対策仕様の鍵付タイプなど、まさに場所や利用目的に合わせた豊富な品揃えだ。スガツネ工業の現場に浸透した微に入り、細に入りの技術力には改めて共感を得た。

リフトアシストダンバーLAD型

オリジナルメカニズムのラプコンによってカウンター天板の開閉をソフトでスムーズにコントロールする2014年のグッドデザイン賞の受賞品。天板の閉まり際で手を放してもダンパーが効くのでゆっくりと締まる安全性を再確認。また、リフトアシスト機能による省力化など、尽きることのない技術革新を自らの手に収めることができた。

スイッチ・コンセントプレート王国

壁紙にデザインを選ぶようにインテリアに合わせてスイッチやコンセントのカバーを選びたい、こんなお客様の選択ニーズに応えて多様なラインアップを用意。その数250種以上。新たに加わった2連、3連、ワイドタイプやトグルスイッチを見て、自分好みの空間を気軽に構成、演出できることを体感することができた。

バスルームアクセサリー王国

リラックスと憩いのひと時。バスルームをもっとおしゃれに意心地の良い空間にしたいというニーズに応えて、バスルーム用のこだわりアクセサリーをラインアップ。機能性はもとより、素材、デザイン性にこだわった納得感から、お客様好みのヒューマンタッチのバスルームが生まれることを約束した。

フック王国

それぞれのところで、それぞれのフック。細部に至るまでこだわったデザイン性の高いタイプやプロに選ばれ続けてきたサイズ豊富なステンレス製タイプなど、多彩で高品質なフックを紹介。中にはタオル掛けやつまみなど同じデザインや素材でトータルコーディネートもできるシリーズを展開しており、至れり尽くせりのスガツネ工業の多彩さに好評価を得ていた。

●時代への鮮明な道筋を描く

...などなど、多彩なスガツネラインアップを『建築・建材展』でご覧になった方もおられるだろう。たまたま会場で著名な建築設計家の方にお会いしたので「今回のスガツネ工業はいかがですか」と伺ってみた。すると、間髪入れず、「改めて、スガツネ工業の多様なこだわり技術に魅せられました」だ。

うれしいね。すると、「世の中の進歩をさせた技術にも満足せず、新しい時代の空気を察知してさらなるワンランク上を目指す、熱いものを感じます。建築金物や家具金物に期待される機能性、デザイン性、操作性、耐久性、安全性、そしてコストパフォーマンス性といったことを一段と強化し、その先を追求してほしいね。私たちの表現欲求はそこからさらに高まって、自分好みの空間が、シーンができていくのですから」と、応援メッセージをおくっていた。

ある面では時代は技術で先導されていく時代だ。これからの先行きに具体的な展望を描き、その勢いを成果に結びつけていく時代だということだろう。先のプライベートショーに引き継ぐものが本展示会でも改めて体感させられた。これからの街づくり、店づくりの一助になればと思うばかりだ。

年号も変わり、新しい時代が始まっていくのだ。モノづくり事業の先にゴールはない。お客様のニーズとスガツネ独自のニーズの融合の中から、次代への道筋が鮮明に浮かび上がってくるのだ。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2019.04.03]

今日も、世界のこだわりの木製玩具を届けて / 『アトリエ ニキティキ』西川敏子(東京都・武蔵野市)

明るい春の始めの光が身体に心地よい。雀の親子が窓越しにこちらをうかがっている。思わず“元気だな”と声をかけたくなる。その時、机の上の一冊の本が、ボクを子供に戻した。その名は『玩具とデザイン アトリエ ニキティキとトイメーカーの歴史』、編者は上條桂子さんという。

行きつけの近所の図書館で初めて出会ったのだが、表紙から非常に印象的だったので今しがた借りてきたものだ。表紙は玩具のパーツだろうか。明るくカラフルなグラフィックがリズミカルで、さまざまなイメージを描かせる。正直言って、上條桂子さんって初めて知る名前だ。ページをパラパラとめくると、西川敏子さんという方が1971年に創業された『アトリエ ニキティキ』の玩具に対する熱い思いと、ヨーロッパの名代の玩具メーカーの奥行のある商品が写真入りで丁寧に紹介されているのである。いくつかは見たこともあるが、ほとんど見たことのないもので、その温かみのある、しかも木製の玩具に引き込まれていくばかりだ。これは面白い。安価なコマーシャリズムに毒されず、健全で優しい心。子供たちの知的好奇心をかきたてる玩具で満ち溢れている。これはじっくり読んでみたいということだ。早速、図書館で借りて中を見ると、『アトリエ ニキティキ』の店舗は我が街の隣、住みたい街のトップで人気の吉祥寺の商店街にあるというではないか。情けない。そんな店があることに気が付かなかったことを恥じると共に、今すぐその店に行ってみたい。西川敏子さんの勧める木製の玩具のテイストに触れてみたいと思ったのだ。

ということで今回のこだわり人は、木製玩具にこだわる『アトリエ 二キティキ』の代表,西川敏子さんに着目させていただいた。子供のみならず、大人にも優しい木製玩具を届けて約50年なんて心はほっこり、何か無性にワクワクさせられるのである。

こだわり人 ファイル078

今日も、世界のこだわりの木製玩具を届けて

『アトリエ 二キティキ』西川敏子(東京・武蔵野市

●西欧の木製玩具に魅せられた、“おもちゃ愛”

行きなれた吉祥寺だ。お会いする前に西川さんのプロフィールが『玩具とデザイン』で紹介されていたので、その大要を最初に紹介させていただこう。西川さんは女子美術大学を卒業すると、日本のグラフィックデザインの黎明期の第一人者で、女子美術大学の教壇に立ち、愛知県立芸術大学の学長になられた河野鷹思氏の事務所『デスカ』に学生時代にインターンとして通っていたのだ。河野先生と言えば、あの大阪万博で日本政府館などを担当された著名な方で、ボク自身も、事務所の門下生たちと付き合ったこともあるので河野先生の名を知ると何か縁のようなものを感じたのである。

その事務所時代にデンマークやスイスなどの玩具と出会い、その世界観に魅せられドイツの国立美術大学に留学したというから、玩具に対する西川さんの思いは、察して余りある。その後、ドイツや周辺諸国の幼稚園や玩具店や見本市などを見て回って木製の玩具に魅せられ、いずれ、日本の子供たちにもこれらの玩具で遊ばせてあげたいと思ったというのだから、西川さんの玩具に対するこだわりはボクの想像をはるかに越えるものがあったということなんだろう。その時、日本はプラスチック玩具がブームだったそうだ。

だが、幼児教育や美術に関心のある西川さんは西欧の玩具の世界に共感。1970年、日本に帰国し、1971年に『アトリエ ニキティキ』を立ち上げられたのである。だから、西川さんの提供する玩具にはデザイナーとしての目、事業者としての目、そしてさらに言うと子供たちの健全な成長を見る目は確かで、自分で見て、触って、納得できるものしか店頭に並べないという、今でいう“おもちゃ愛”が着実に根付いていたと思えてならないのである。

「日本と同じ敗戦国なのに、ドイツでは当時もう伝統に基づいたものづくりが生き返っていました。ケラーの力強い乗り物玩具や木馬、デュシマの黄色い編み袋に入ったミニ積木などは、今でも作り続けてられています。玩具見本市の木製玩具会場は地味な印象でしたが、よく見ると、素晴らしい玩具の宝庫でした。日本の子供たちがこの素晴らしい玩具で遊んでいる姿を想像すると、私はもうこれらの日本への輸入、販売の可能性を考えていましたね」

帰国してからの西川さんの精力的な行動は語り尽くせないということだろうが、その活動は目を見張るものがあったことが想像できる。西欧の木製玩具の魅力をショップに集約、愛され、親しまれる店を吉祥店にオープンされたのだ。

あいも変わらず人通りの絶えない吉祥寺の商店街の一角だ。少し着飾ったお母さんたちが子供を連れて次から次へとショップに入っていく。すると、店先から西川さんの玩具に対する優しい心に包まれて、こちらも一気に西川パラダイムに包み込まれてしまったということだ。西川さんのお墨付きの玩具が次から次へと目に飛び込んできて、その一つずつの存在感に魅了されるばかり、西川さんのテイストにどんどん引き込まれていくのである。

やっぱり本物は写真などと違う。思わず手が出て本物の感触を味わっていると、手にしたものしか味わえない心の弾みが始まり、それと遊ぶ子供たちの姿がイメージされていく。まさに、本物だけが与えてくれるリアルでメッセージ性のある世界への誘いということだろうか。すでにボクの子供は成人しているが、子供の頃にこんな玩具を与えてやればと思うのも、子を持つ親なら当然ということだ。周りのお客さんもそんな思いに違いないと思うと、西川さんの玩具に対する真摯な思いに改めて拍手、拍手になってくるのである。

●子供の心弾ける、魅力の粒ぞろい

そこで、『玩具とデザイン』の本を見ながら実物を見ていると、ボクの玩具への思いは西川さんの世界と完全にハモっている。偽りのない本物だけが持つ存在感に、海を渡ってこの国の子供たちに会いに来てくれたという、何か気高いものを感じるのである。すると、ボクの好奇心は一段とヒートアップして、一つ一つの玩具に優しく穏やかに語りかけられたようなので興味津々。魅せられた逸品をいくつか、写真でクローズアップさせていただいておこう。その時,ボクは完全に子供にもどっていましたからね。

スイスのネフ社
玩具の世界にデザインの概念を持ち込んだ、超人気のリグノをはじめ玩具史に刻まれる逸品を生み出している。
ドイツのケラー社
木馬と言えばケラー社の名が出る。生きている木にこだわり、堅いブナ材を使った力強いラインにファンが多い。
ドイツのデュシマ社
楽器製作と数学的な発想から始まった90年以上の歴史を持つ老舗。色と形を自由に使って新たな造形を生み出せるのが人気である。
フィランドのユシラ社
森の文化で支えられたフィンランドのイメージそのまま。実直なものづくりイメージが好評だ。
スウェーデンのミッキィ社
玩具づくりの村、ゲムラから誕生。子供のイメージのまま、遊びを広げる北欧らしいシンプルな汽車セットがロングセラー。

どれをとっても、手触りもよく心地よい。さすが河野先生ゆずりの西川パラダイムがそこに溢れているということだろう。今後、後輩たちの子供にプレゼントする機会があれば、これらの中から選んで送ってやろうと思うばかりだ。もう、わが子は大きくなったと思いながら、いや待てよだ、部屋のインテリアとしても面白いから送ってやろうと、ついつい財布の紐を緩めていたものだ。

何かこちらの気持も豊かになってくるのは何故なのだろう。玩具が好きで、いろんな玩具売り場などに立ち寄るが、今一つ定型的で商業中心的。中身が薄っぺらくて深みのないことに失望することが多い。だが、このショップではそんな感じに微塵もならない。子供目線で選ばれた西川さんの“おもちゃ愛”にボクの心はただただ子供に戻っていっているのだ。

●時代が西川さんの深い愛を呼んでいる

そこで、西川さんに、これらの玩具に対する“おもちゃ愛”の心を伺ってみた。すると、西川さんは

「ネフ社の創業者は玩具についてこんなことを言っています。“小さいときに肌で感じ取った感触や心に触れたことはその子の人生に大きな影響を与える。小さいときから美しいものに触れる機会を与えることで子供は知らず知らずのうちに良いもの、美しいもの、本物を見分ける力をつけていきます。子供はおもちゃを通じて世界を知っていく。だからこそ、美しい優れたおもちゃを子供たちに手渡すべきです”と。私の思いもこれと全く同じです。ニキティキは子供たちの心を育てる美しいおもちゃ、創造力を育むおもちゃを届けることを使命としています。環境が変わっても子供の本質は変わりません。こんな時代だからこそ、子供たちの心が育っていく玩具が大事なのです」

そして玩具を選ぶ基準について、次のような言葉を添えられたのである。

「ニキティキの玩具に対する選択基準は簡単です。理論ではなく感性を大切にし、自分の子供に与えたいおもちゃか否かを判断基準にしています。

  • おもちゃは、子供の創造力を引き出すシンプルなものであってほしい。
  • おもちゃは、こわれにくい丈夫な作りであってほしい。
  • おもちゃは、できるだけ自然素材を使用した、安全性の高いものであってほしい。
  • おもちゃは、大人でも側においておきたくなるような、美しいものであってほしい。
  • おもちゃは、作り手の子供への愛情が感じられるものであってほしい。

私たちの取り扱う玩具の原点です。すべてはここから始まっていきます。いい加減なものを勧めるということはありません。ですから、重要なことは作り手のオリジナリティと商品化までの苦労を私たち自身が身近に感じることですね。私はもう80才を過ぎましたが、私の後を継いだ息子や若いスタッフたちもそのことを大事に継承していく空気ができているのが非常にうれしいですね。誇りです。」

今や、我が国は親が子を虐待したり、死に追いやる時代だ。ロマンあり、理のあるこのような木製玩具を目の前にすると、親も心して、時代を背負った子供たちの成長、発展に温かい目を注ぐだろう。一方、西欧の木製玩具の生産の面からみると、多彩な手作業や生産コストの高騰や後継者不足といったことで、難題が絶えないそうだ。そのための、安易なコピー商品が売り買いされたり、心のこもらないものが店頭に並ぶようなこともあるそうだ。

需要と供給の間にある多様な課題をかかえる中で、ニキティキはこれまでの経験と実績をもとに、納得のできる、夢のある玩具環境、玩具文化の行く先を描き、繰り寄せておられるのだ。その時、ボクは思ったね。小さな子供へ玩具を届けるということは、裏を返せば、大人の同調、共感を得ることだ。そのためにいま必要なことは、大人たちも心に“おもちゃ愛”をしっかり持とうと。するとこの間、窓辺にいた親子の雀が頭に浮かんだので雀をモチーフにした玩具を買って帰った。窓際に置くとどんな表情をするのか、二羽の表情が見たくてねぇ。ボクはもう完全に子供に生まれ変わっていたんだ。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2019.02.14]

日本の和の文化の象徴、和菓子へのこだわり / 『梅花亭』井上 豪(東京都・新宿区)

こだ金下書き

人それぞれ。新しい年を迎えて、これからの進むべき道筋を夢見て手を合わせる。さあ、今年はどんな夢を描かれますか。こだわり王国のこのコラムも元気いっぱいのスタートダッシュです。

すると、年賀状に挟まれて『和の技術を知る会』から『子どもに伝えたい和の技術』というシリーズ本の案内ありだ。うれしいね、前々から愛読している本の第4巻「和菓子」の案内が新年早々からくるなんて、思わずにんまりだ。というのは、この本の中に紹介されている一級和菓子、製造技能士の井上 豪さんのことが非常に気になっていたからである。井上さんは東京・神楽坂で『梅花亭』というお店を経営しながら、東京都マイスターとして和菓子に対するひたむきな姿勢とその卓越した技術に業界を問わず、日本の和の文化を永らえる第一人者として世界中から注目を浴びておられるのだ。先頃もイギリスに招かれ、日本の和菓子の魅力を講演されている。また、この3月には東京・新宿の京王プラザホテルで東京菓子協会が主催する『知る、見る、味わう和菓子を愉しむ集い』のメインゲストとしてその技を披露されるというのだ。

ちなみにその案内には、“和菓子は千年を越える歴史の中を、日本人生活文化と共に育まれ、日本人を代表する食文化の1つとして親しまれてきたが、味わっておいしいことの他に長い歴史の上に積み上げられた伝統や季節感、手作りならではの個性、さらには健康性などの多くの魅力を持っており、現代人にとって必要な心の安らぎ、憩い、団らんに欠かせないモノとなっているその和菓子の魅力を愉しむ集いを開催する”云々と記されていた。こうなると一足先に井上さんの和菓子へのこだわりに触れたいものだ。ということで2019年最初のこだわり人として『梅花亭』の店主、井上さんに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル077

日本の和の文化の象徴、和菓子へのこだわり

『梅花亭』井上 豪(東京都・新宿区)

●神楽坂の人に優しい老舗の和菓子店

神楽坂の魅力は改めて紹介することもないだろう。神楽坂は新宿区にある早稲田通りにおける大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂道である。この周辺は大正時代にご隆盛を誇った花街で、表通りから一歩入った路地裏に情緒があり、坂沿いに立ち並ぶ商店と並んで、独特の風情を作っている。横丁から風呂敷を小脇に抱えた粋な姉さんが今にも出てきそうで、ついつい引き寄せられるというものだ。『梅花亭』はそんな神楽坂の坂上の本店と飯田橋駅近くにもう1軒構えておられるが、足は自然と本店に向かった。すると幼子を店先に立たせて親御さんがスマホのシャッターを向けている。何かほのぼのしたものがあり、店先から『梅花亭』のやさしいおもてなし心が伝わってくる。

中に入ると、穏やかな和菓子が花畑の花のように迎えてくれる。色とりどり、形もとりどり。まさに和菓子のテーマパークのような華やかな雰囲気だ。するとガラス越しに和菓子を作る作業場におられた井上さんと目が合い、陳列された和菓子の前に出てこられる。いい香りだ、早くも和菓子にこだわる和菓子職人の心意気が見てとれる。気取らず、肩肘張らず、物腰のやさしさが和菓子に包みこまれているようで、この店主ならおいしく安心していただけるというものだ。店の中にも神楽坂の風情が溶け込んでいるようで、早くも人気のこだわり店の舞台裏を見るようにわが目に光が差し込んでくる。

この本によると、“子供の頃から菓子作りが好きで、父や祖父の和菓子作りを身近に見て、将来はモノづくりに職人になりたいと思っていました”と書かれていたので、『梅花亭』の歴史と今日に至る井上さんの歩みをお伺いした。

「神楽坂『梅花亭』の初代井上松蔵は米どころで有名な新潟県南魚沼市の280年続く旧家の出身で、上京後は柳橋の『梅花亭』で修行の後、新宿淀橋の十二社で独立、開店しました。その後、第二次世界大戦で2度招集され、終戦後にロシアの捕虜となり、極寒のシベリアの炭鉱で強制労働を課されたのですが、その強制労働中に考えることと言えば食べること。特に子供の頃に母が作ってくれた『かきもち』のことです。もし生きて帰ることが出来たらこんな味の菓子を作りたいということで、それが今の銘菓『鮎の天ぷら最中』につながったそうです。形状の鮎は新潟の魚野川の鮎をモチーフにして、もともと餅を油で揚げるものが最中の皮であることから、これを油で揚げることにこだわりました。

戦友が次々と飢死凍死する中、炭鉱のネズミや芋虫を食べて命をつなぎ、たまたま日本に帰る帰還船に乗れ、無事に生還することができたのです。その2代目が戦後の復興の波に乗って和菓子と洋菓子を主体に受け継いだのですが寝食を忘れた生活で39才の若さで亡くなりました。その後、祖父にあたる3代目が後を継ぎ、現代は4代目の私が暖簾を引き継いでいるのです。昼間は美術大学に通い、夜は製菓学校で学び、卒業後は家業である『梅花亭』に平成7年に入社。平成10年にここ神楽坂に移転、今日に至るということです。平成26年には国家資格一級菓子製造技能士に認定され、平成28年には東京都の優秀技能者<マイスター>都知事賞をいただきました」

そこに持ってきて、先にも触れたように井上さんは昨年の2月に外務省の日本ブランド発信事業の一環で、日本の和の技術を紹介するためにイギリスに派遣され、日本の無形文化財の和菓子の啓蒙・発信専門家として各地で講演会を実施されている。また、昨年の10月には茶道裏千家坐忘斎家元から茶名『宗豪』を拝受されている。まさに和菓子職人の家で生まれた血筋が国内外に広がっているのだ。真摯で前向き、多面的な活動はお見事という他ない。そして、お菓子などの激戦区の神楽坂で、2店舗を経営されているのだから、そのこだわりの技量は押してしかるべきということだろう。日本の和の文化の宝だ。

●愛される、季節と素材へのこだわり

では、井上さんが作る和菓子は他の和菓子とどんなところが違うのだろうか。「とにもかくにも、“安心、安全、見て楽しく、食べておいしい”を心がけています」と言われるので、その具体的なこだわりについて紹介いただこう。

「私どもは基本的に『定番銘菓』、『上生菓子』、『季節の生菓子』の3つの分野から、納得のできる和菓子を作っていますが、こだわっているのは四季の移り変わりに対応した和菓子の提供と和菓子の素材へのこだわりです。定番銘菓というのは神楽坂福来猫もなかとか神楽坂古梅、お手玉、浮き雲、鮎の天ぷら最中、飛躍うさぎ最中、一口ようかん夢絞り、神楽坂石畳、あさどら・神楽焼、豆大福などがあります。また、上生菓子には蜜柑きんとんとか七五三上生菓子などがあります。さらに、季節の生菓子には黒糖わらび餅とか玉杏珠、あんず餅、葛桜、切り出し水羊羹、とろける水羊羹などがあります。いずれも、私どもの手作りの和菓子で、多くのお客様からご贔屓いただいています。

特に喜ばれているのは季節の生菓子で、和菓子を通じて四季をお届けするということにこだわっています。日本の誇りである春夏秋冬をイメージした和菓子で、お菓子で季節感を味わってくださいということですよ。今の時期では新年の干支をモチーフにした猪の最中や春の到来を予感させる梅をあしらったものが楽しく、その後は桜やサツキ、夏のひまわり、秋の紅葉などをモチーフにしたものへと優しく続きます。」

一方、素材については安心、安全の面から徹底したこだわりを見せておられる。

「和菓子にとって非常に重要なことで、れもん、砂糖、飴、小麦粉、色素、あんず、栗、柚子、ジャムなどについて徹底した本物主義を貫いています。例えば、レモンについて言えば皮と果汁を使うので減農薬の瀬戸内レモンをつかいます。レモンの島と呼ばれる岩城島産を中心に収穫や季節によって産地を変えて仕入れ、手作業で皮をすり果汁を絞ってレモン大福を作っています。また、砂糖について言えば、和菓子によって6種類(鬼双糖、グラニュー糖、上白糖、和三郎盆糖、黒砂糖、粉糖)を使い分けています。さっぱりとした甘みを出すには、単に砂糖を減らすのではなく素材の味の強さとバランスが決めてとなります。

また、飴についていえば、北海道の小豆、大福豆、手亡豆、赤えんどう、青えんどうなどを使ってお菓子の種類ごとに飴を炊き分けて自家製飴にしています。小麦粉はポストハーベスト(収穫後農薬散布)していない国産の小麦粉を使っています。色素はすべて天然色素で赤はベニバナ。黄色と緑はクチナシ、青は葉緑素からといった具合です。さらに、あんずは長野県更埴の契約農家から生の杏の実を購入しています。2週間かけて自家製の蜜漬けをして和風ゼリーを作っているのです。そのほか、栗は手剥きのものを9月半ばに茨城県から、柚子は徳島県や埼玉県から送ってもらっています。ジャムはもともと自家用であったものが口コミで商品化したものですが、瀬戸内産レモンとザラメだけを使っている、といった具合です。

私は幸いにも美術学校を出て絵心が少しありますので、これらの和菓子を作るにあたって自分なりのイメージを描いて、その出来上がりを追いかけています。私なりの和菓子作りの楽しみです」

●和菓子は日本文化の入口であり、時代の良き友です

ところで、井上さんは若い和菓子職人を育てることについても非常に積極的だ。今も作業場で8人の若い人の面倒を見ておられたが、8人の若者はいずれも地方から出てきて、「和菓子の手作りを学んで故郷に帰ります」と言っていたが、井上さんの思いやりのある優しい指導に拍手だ。若者の1人が言った「和菓子作りには茶道や華道、歌舞伎、俳句や短歌など幅広く日本の伝統文化を学ぶことが必要なんですね」なんて嬉しいね。その言葉を返すように井上さんもこうだ。

「若い人が和菓子作りにチャレンジしてくれるのは非常にうれしいですね。もちろん和菓子の世界だけではなく、我が国のモノづくり精神を絶やすことなく、どんどん広げていきたいじゃないですか。ある面では和菓子はアートでもあるし、芸術ですね。暮らしにほっとした安らぎをもたらしてくれるアナログ的な、人の手から生まれた和菓子の存在は貴重ですよ。たかが和菓子ではない、されど和菓子ですよ。これからも伝統を受け継ぎながら、新しいことにどんどん挑みながら、ちょっとしたいい時間をお届けしていきたいですね」

帰りにやっぱり口で味わうのが一番なので一口咥えると、さすがにこれまでに食べたものと全く味が違う。井上さんのあの職人魂が帰り際に言われた「和菓子は時代の優しい音色であり、日本文化の入口であり、時代良き友です」という言葉が身体の髄の髄まで入り込んで来たね。

新年早々いい時間をいただいた。今日はこのまま、『梅花亭』のすぐ裏にある赤城神社に参っていこう。何か明るいよい年になりそうな年明けだ。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2018.12.25]

和の文化「前掛け」を現代によみがえさせるこだわり / 有限会社エニシング(東京都・港区)

たまの力』という非常に気になる本が送られてきた。副題に多摩ブルー・グリーン賞受賞企業の NEXT STAGE と名付けられた多摩地域のベンチャー企業をクローズアップした図書である。出版されたのは地域金融機関として多摩地域の繁栄と経済の振興に寄与する多摩信用金庫で、同金庫の長島剛価値創造事業部長が事務局を担い、同金庫が力を注ぐ「多摩ブルー・グリーン賞」を受賞された多摩地域の元気企業、120社の現業の展開と NEXT STAGE への熱い思いを明星大学の関満博教授(現在は一橋大学名誉教授)の監修のもとに取りまとめられたものだ。ブルー賞は優れた技術や製品への評価であり、グリーン賞は新しいビジネスモデルに対する評価と聞けば、地域経済の行く手にまさに光明ありということで、これは絶対に見逃せないということだ。

そんな中で、妙に気になったのがエニシングという前掛けを専門的に製造、販売をする企業である。エニシングなんて、社名からして何をする会社かと思ったが、“前掛けという仕事着をコミュニケーションのツールとして捉え直して、新しい需要を掘り起こす。エニシングは和の文化を守りつつ、地域産業の再生にインパクトを与える”と、前文に書かれていると、この会社のこだわりがますます気になってということだ。

ということで、今回はかって商人の必需品だった前掛けにこだわるエニシングの創業者、西村和弘社長に着目させていただいた。

こだわり人 ファイル076

和の文化「前掛け」を現代によみがえさせるこだわり

有限会社エニシング(東京都・港区)

●商人の心を映す動く暖簾

私ごとで恐縮だが、ぼくの実家は大阪の商家である。小さい頃から前掛けには見慣れていたが、父はもとより、そこで働く奉公人さんや仕入れにこられるお客さんも屋号の入った前掛けをしていた。子供心にあの前掛けは商人のあたり前の姿で、何か商人の制服のようなものを感じていたものである。時々、父が若い奉公人さんに「前かけは商人の心や、店先の暖簾と同じで、大事にせなあかん。動く暖簾や。前掛けに恥じないように気張って仕事をせなあかん」と言っていたのも今は懐かしいものだ。

すると、番頭さんが「前掛けは腰にしっかり結ぶのが大事で、緩んでいるなんて以ての外や。商人失格や」とよく檄を飛ばしていたものだ。そこに持ってきて、当時のテレビ番組の「番頭さんと丁稚」とか「暖簾」というのを見て、前掛けの存在にお店の一体感のようなものを感じていたものだ。ところが今日ではそんな姿をほとんど見ることがなくなったが、西村さんにとっては、“今は昔”どころか“昔は今も”ということだろうか、前掛けにかける熱い思いに感動だ。

「そうなんですよ。あの前掛け姿にしっかり商品をお届けしなければという、商人の心意気や姿勢を見る思いなんです。バイトの子にジャンパーなどを着せて、中途半端なやり取りしかできない店員と違いますよ。あの1枚にその店の真摯な思いや活力を感じるんです。お店の誇りや一体感といったものも読み取れて親近感が湧くんですよ。今でも地方に行けば、酒屋や八百屋や米屋で前掛けをして立ち居振る舞っている人を見かけますが、あの風景はいつまでも残したいじゃありませんか。日本の伝統的な仕事着で、その店の本気度といったものを感じますよ。前掛けに揉み手、これが日本の商人の心ですよ」

もうこれだけで、西村さんの前掛けにかける熱い思いが伝わってくる。そこで前掛けの歴史についてお聞きしてみた。

「前掛けの始まりは江戸時代末期と言われています。身体の前にかけることから『前掛け』、『前たれ』と呼ばれ、働く人たちの腰を守り、衣類の破れや怪我の防止という実用的な面から重宝にされてきたんです。明治時代になると、屋号が染め抜かれ、お店の象徴になり、現在ではユニフォームや広告宣伝としても使われるようになっているんです。

日本一の前掛けの生産は愛知県の豊橋で、戦後、1950~70年代には折からの高度経済成長という時代の波に乗って爆発的に広まり、会社の屋号や商品名の入ったものが、1日に1万枚出荷されたそうです。綿の糸で厚く織られた長方形の記事に紐などがついたシンプルな形ですが、ここに来て、そんな前掛けの役割が見直されているんですよ」

●前掛けはコミニュケーションツールだ

それにしても、西村さんは40代と見たが、若い頃から伝統的な前掛けにこだわるというのはどこから来たのだろうか。単に昔帰りということではなく、西村さんの言葉を借りれば、「和の文化を守りつつ」という言葉に尽きるというものだ。そこで、前掛けをビジネスの軸にしたのはどんな理由からですか、とお聞きしてみた。

「私は学校出ると、食品メーカーに務めていたのですが、たまたま目にした、パソコンで生地などにデザインすることに魅せられ、漢字をデザインしたTシャツを企画、販売する会社を2000年の11月に立ち上げました。その後、立ち寄った愛知県の豊橋で前掛けを作る工場を見たのですが、職人は高齢化し、後継者もいない、価格も下がり続けている。そのため、質を下げてもコストカットをしなければやっていけない状況を知ったのです。すると、これが無くなれば前掛けという和の文化の一つの象徴が消滅してしまうという危惧を抱いた私は、自らがこの仕事にかけようと心が動いたのです。

さっそく、縁という思いを込めた『エニシング』という会社をたちあげ、1つの試作品を作り自社サイトに載せると、200枚というオーダーが入ったのです。まさに縁が実ったんですね。これはいけると思っていると、あの人気の東急ハンズさんが興味を示し、前掛けの売り場を設けてくれました。そこで、前掛けがなぜ売れるのかを調べてみると、前掛けは人が人に贈るギフト商品であることを知ったのです。送別会、還暦のお祝い、結婚式、金婚式などの贈り物として買われてるんですよ。“よし、これは仕事着ということより、コミュニケーションツールとして売れば”ということですよ。本格的にやろうということで、当時住んでいた武蔵小金井に事務所を構え、あの豊橋の職人さんとコラボし、“世界で1枚、感動の贈り物”というフレーズで売りだしたんです。

すると、効果覿面、徐々に火が付き、それまではコストダウンに軸足を置いていた職人さんのモチベーションも変わり、モノの良さで勝負、本物を作れば売れるということですよ。前掛けの存在感も一気に高まる、すると、産地の豊橋も力を入れる。工場も街も活気づくということになって、この商品が次第に全国区になってきたんです。

その後はニューヨークで前掛けの展示会を開いたり、豊田自動織機と提携して展示会を開いたり、三越百貨店とジョイント展示会を開いて前掛けの存在を啓蒙、促進してきました。その間、東京商工会議所や経済産業省の名誉ある賞を受けるなどして、すっかり全国区になってきました。おかげ様で事務所も手狭になってきたのと、都心で勝負ということで、現在の元赤坂に事務所を移したんです」

●本物志向の徹底したこだわり

納得だ。西村さんの前掛けにかけた思いに大輪の花が開いたのだ。そこで伺ってみた。では、エニシングの前掛けの特徴はどんなところにあるのだろうか。基本的には4つのこだわりを挙げられたのでその大要を紹介させていただこう。

「前掛けの基本的な役割に注目して、その実現を目指したんです。その4つとは第1に、重い荷物を持ったりするので、とにもかくにも腰を守る。第2に、日本酒などケースを運ぶとき、洋服が破れないようにするため前掛けを肩にかけるので、それに素早く対応できるようにする。第3に、熱い熱気のそばで仕事をしなければならないこともあるので防火仕様として熱気から身体を守る。第4に、お店の屋号や商品の名の明記して広告宣伝的な役割を果たすということです。

そこで私はこれらを徹底的に究めるために、次のような仕上りの実現をこだわりぬいたのです。簡単に紹介すると、まず第1に掲げたのは“太い糸で、厚く織る”ということです。そのためにやったことは、昭和30~40年代に作られていた『1号前掛け』にこだわり、昔の前掛け本来の厚みを現在に蘇らせたんです。まさに原点からの出発ということでしょうか。1号の魅力をもう一度復活させようということにこだわったのです。分厚いと柔らかいという一見反することを同時に実現していることがエニシングの最大の特徴です。長持ちの面でも格段にアップさせていますからね」

製造には自動車のTOYOTAの前身である豊田自動織機の織り機を現在でも使っていると言われるのだから、西村さんの和の文化に対するこだわりをここでも見ることができるというものではないか。

「第2のこだわりは、“人の身体にフィットする前掛け”ということです。織物は縦糸と横糸の打込みで生地の風合いが大きく変わりますが、一般的な帆布ではなく、糸や打ち込み方の工夫で体に自然になじむような柔らかい生地の使用し、身体に自然になじむような仕上げに徹底的にこだわっています。

第3のこだわりは、“伝統の色、色落ちしない染め”に対するにこだわりです。厚手の生地を柔らかく色落ちもほとんどなく染まるようにしています。洗濯堅牢度の検査でも高いランクを保っていますので、安心して使用できるのがうれしいですね」

●NEXT STAGEはもう始まっている

そのほか、エニシングならではこだわりが多々あるのだが、前掛けに要求される基本的な要素を究められたことが、やはり功を奏したということだろう。その根底にあるのは、前掛けの使い方を見直し、原点から本物を作ろうというところから出発されたことに尽きるのだ。その結果が現在は都心の真ん中、港区の元赤坂に移転したことにあると西村さんは熱い。

「ある面では1つの目標を達成しました。そこで得た経験、ノウハウを NEXT STAGE につなげていくのかがこれからの課題です」と言われるので、最後に今後の方向性について伺ってみた。

「残念ながら、蘇ってきた前掛けの産地の豊橋には相変らず後継者はいない。せっかくの基盤があるのにこれでは宝の持ち腐れです。そこで、前掛けにこだわって、製造と研究拠点を作り、若い職人さんを育てています。また、ここ赤坂では大手の流通企業と手を組んだ本物の量産化という新しい流れをつくっていきたいと考えています。さらに、多摩から都心へ向かっていったように、これからは都心からアジアや西欧に向かってという考えを徹底して、まさにNEXT STAGEを究めていきたいですね。2020年のオリンピックなどもあって、前掛け文化を世界に向かって発信していけるのが楽しみですね」

相撲の一手で“前さばきがいい”とよく言われるが、前さばきならず前掛けで時代と勝負というエニシングの新たな挑戦 NEXT STAGE はもう始まっている。

文 : 坂口 利彦 氏

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