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こだわり人NEW[2019.11.06]

伝統から未来へ、印刷文化のこだわり技術と心 / 三晃印刷株式会社(新宿区)

止まるところにない技術の進歩。こだわり人の行く手に大いなる未来ありだ。今回のこだわり人は、あのラグビーのワールドカップのチームジャパンを写し取ったようなチームカンパニーを誇る印刷業界のこだわり企業を紹介させてください。

グーテンベルグの活版印刷技術以降の進歩、発展には枚挙にいとまない。この100年を見ても明らかのように戦後の大量生産、大量消費の舞台裏に印刷技術ありだ。モノづくりから生まれた商品もあまねく伝えるには印刷物ですね。今回着目した、昨年春に創業90周年を迎えた三晃印刷株式会社は、まさに時代の流れに着目し、時代の吐く息、吸う息を写し取ってきたこだわりの企業だ。

創業者の山本正宜さんは明治35年(1902)に鹿児島県の奄美大島で生まれ、大阪の鉛版所に務めた後、大正11年(1922)の21才の時に上京。昭和3年(1928)の26才の時に『山元鉛版所』を社員4名で立ち上げ、亡くなられた昭和58年(1983)には400名を越える従業員を抱える印刷会社になられている。その裏には印刷事業に対するこだわりが随所に見られ、印刷文化の拡大、浸透に魂を込められてきたのだから、ここは絶対に見逃せないというものだ。機会があって今から数年前に同社の『八十年の歩み』という著書を読ませていただいたが、印刷事業に対する社員と共に肩を組んでやってきたという想いに魅せられて、印刷会社と席を共にすることが多いわが身の発奮剤としてきたものだ。。

思えば、我がスガツネ工業も2020年には創業90周年を迎えるというから、ある意味では三晃印刷株式会社と同じ時代を、業種は違うが共に駆け抜けてきた企業ではないか。その真摯な想いとダイナミズムは察して余りある。何かご縁のようなものを感じて仕方がない。その三晃印刷株式会社がこのほど創業者の想いを今に、いや未来に繋げていくという観点から、創業者が手掛けられた新宿区の神楽坂近くの水道町に新社屋を竣工されたのだ。案内いただいた2代目の社長、山元悟さんのご子息である創業者と同名の山元正宜さんは「ここは創業者がよく言っていた“会社は家族”というこだわりを集約。全社一体となって印刷の今を目の当りにしながら、これからの進路を予感させるホームミュージアムです」と言われるのだから、その熱いこだわりを伝えさせてください。

こだわり人 ファイル086

伝統から未来へ、印刷文化のこだわり技術と心

三晃印刷株式会社(新宿区)

●「印刷産業は設備産業だ」の想いと、その実践

いつの時代になっても、伝統を重んじることを語る企業の多い時代だ。でも、そこに未来が見えない、片手落ちだと多くの識者が指摘している。すると、山元さんは開口一番、「印刷業界はある面では設備産業です。お客様の多様なニーズに応えるために時代に対応した新しい印刷設備に作業場、それを使いこなしていく人手が欠かせません。それには投資コストもかかるし、熟練した職人さんが不可欠です。そういう意味で私どもの創業者の毎日は印刷設備と作業場と熟練した職人技能がすべてだったんです」と言い、創業からの会社の経緯を話されたので、その大要を最初に紹介させていただこう。

三晃印刷株式会社 取締役 山元正宜 氏

「昭和3年に小石川区(現在の文京区小石川)」で『山元鉛版所』を立ち上げた創業者は、昭和16年(193)に印刷の未来を予感して『三晃社印刷所』の名の元に鉛版製作から印刷事業に進出したのです。だが、戦火は厳しくなってきたので岐阜に疎開した後、昭和20年(1940)に東京に戻り、文京区の柳町で本社兼工場を再開。翌21年(1946)には社名も『三晃印刷株式会社』と改組して戦後日本の新たなスタートとしました。すると出版界に雑誌の創刊、復刊ブームがやってきたのですが、一方で低俗な雑誌や書籍が街に溢れるようになってきました。すると、私共の創業者はそれを由とせず、“事業は金儲けだけのためにあるのではない。社会性、公共性を持っていなければならない。低俗な印刷物は儲かるかもしれないが、卑しくも見識のある事業家の為すべきでない”に徹底的にこだわってきました」

印刷事業に対する創業者の深い見識と熱い志が見えるではないか。それを裏付けるように山元さんは言葉を添えられるのである。

「今の印刷ブームはそう長くは続かない。これからは技術で勝負する時代になると信じあいましたからね」と。

その後、昭和の30年代、40年代、50年代に至る時代に印刷業界の基盤を着実に果たしてこられた業績、役割は枚挙にいとまなしだ。自社の成長、発展はもとより、印刷業界の進展に尽くしてこられた業績には枚挙に限りなしだ。身近に印刷業界に接し、共にしてきたものとして失礼ながら言わせてもらえれば、まさに「近代印刷業を引っ張ってきた“こだわりの闘魂、ここにあり。“と、ついつい思ってしまうのだ。

●印刷文化の限りなき進展を担って

すると山元さんは、一冊のカタログを取り出し、創業から今日に至る歴史を示されたのである。

その流れはまさに作業現場にあたる工場とそこに設置される印刷機器の歴史だ。HPなどでもCorporate historyとして紹介されているが、実際の動きをこの目にしたことのある印刷機の名称が次々に出てきて、改めて印刷設備が重要な役割を果たしてきたことを教えられる。

ちょっと取り上げれば、昭和20年、柳町工場のB全印刷機から始まって翌年の鋳造機、昭和23年の回転印刷機、活字鋳造機、書籍輪転印刷機へと続き、昭和28年(1953)に新宿区の印刷の街と言われる水道町に活版印刷工場を設立し高速輪転印刷を開始。その後、水道町に石切橋工場を新設、増築し、柳町工場の全業務を石切橋工場に移転し、書籍輪転印刷機、雑誌輪転印刷機、ハイデルべルグ印刷機などを設置し、膨れ上がる多様なグラビア印刷などにも積極的に対応。そして昭和42年(1967)には千葉県習志野に現在の主力工場であるオフセット印刷工場を設け、オフセット時代の多様な印刷業務に応える陣形を整えられたのである。

それによって活版印刷からグラビア印刷、オフセット印刷という時代の流れに沿った事業力は一段と高まり、石切橋工場は本社兼工場になり、習志野工場と並んで印刷業務の2大生産体制を確立されたのだが、多様な印刷用紙などに対応した印刷設備の強化、増設に明け暮れられたことは想像して余りある。その間には自社だけのことではなく、印刷業界のために東奔西走されたのだから『八十年の歩み』に書かれた創業者の足跡を読めば、感動ものだ。

そして昭和54年(1974)に二代目の山元悟さんにバトンタッチされ、昭和58年(1983)に亡くなられたのだが、まさに戦後日本の印刷事業の基盤を作り、印刷文化の行く手を担ってこられた第一人者だ。印刷用語で言えば想いをしたためた原稿を見事に製版し、印刷し、製本された人生ということだろう。そのこだわりが山元パラダイムとして今に受け継がれ、印刷力や社内環境力の強化、充実に受け継がれてきているのだが、ボクが魅せられ、非常に関心を抱かされたのは、ある面では印刷革命とも言われた昭和60年代から始まった“活版から電算写植へ”という時代への対応である。従来の印刷プロセスが新しい印刷技術の登場によって劇的に変わってきた流れをいち早く察知し、その変革に終始されたことだ。

山元正宜さんは当時の模様を想い浮かべながら、亡き創業者の想いを次のように言われるのである。

「時代の流れに乗り遅れるな。仕事の流れを変え、それに対応した組織に変えていかねばならなくなってきたし、お客様の印刷納期、コスト意識も変わってきて“早くて、美しくて、安い時代”だ。そのためには、私ども印刷に携わる一人一人がマインドスイッチしなければならない。従来の伝統的な印刷技術を維持しながら未来へ向かった新しいビジョンを描き、実践していこう“と社員の一体感を説き続けましたね。おかげさまで、その結果が社員一人に浸透し、この新社屋の精神的支柱になっているんです」

●時代の行く手に終わりなし、変わらぬ創業者精神

まさに、立ち止まっていてはダメだ。先人たちの伝統に想いを馳せながら歯車を止めることなく、さらなる未来を社員がスクラム組んで押し出していこうということではないか。その兆しを身近に感じたので、現在のこだわりのある事業の体系とその概要をお聞きした。

「現在は本社に隣接する工場と習志野工場の二本立て、カタログ、パンフレット、ポスターなどの商業印刷部門、週刊誌や月刊誌・書籍などの出版社関連、加えて官公庁部門を主要な得意先としていますが、創業者の印刷設備への想いはまったく変りません。そこにあるのはこれまでの経験と実績を基盤に、次代の進路を鮮明に描きながらワンストップソリューションサービスという観点から一つの印刷工場内で製販・印刷・製本を一貫して行うことにこだわって事業を展開しています。

特に、印刷事業は、“活版から電算写植へ”と変わってから必然的に事業体系も変えてきましたので、現在は印刷に入る前の段階であるデータなどを作るDTP部門、実際に印刷物を作る印刷部門、印刷後の加工をする製本部門、さらにアナログからデジタルへの時代に対応したデジタルコンテンツ部門を明確にし、多様なお客様の要望に責任を持って応えするワンスポットソリューションサービスに徹底しています。そこにあるのは品質の管理、スムーズな進行の管理を基軸に、顧客窓口から製品の作成、納品に至るすべてを完璧にカバーするということです。

DTP部門はデザイン支援から文字組版、画像組版。画像色調補正、スキャナ、CTP出力といった業務、印刷部門はいろんなサイズや特徴に合わせた印刷物に対応したオフセット輪転機や平台印刷機を稼働する業務。製本部門は印刷されたカタログや本の紙を追ったり組み立てたり、カバーを取り付けたり業務、さらにデジタルコンテンツ部門はモノクロ漫画に色付けするカラーリング,WEB配信の電子書籍、携帯用コンテンツの制作業務に特化しています」

その根底にあるのはまさに従来から綿々と続く印刷業に軸足を置きながら、インターネット時代、アナログからデジタルという時代の潮流を先取っているということだろう。改めて、印刷業界の新たな変わりようを三晃印刷に見ることができる。廊下などですれ違う社員の方に何か躍動感を感じる。現在の“働き方改革”なんて、すでに私たちは享受していますという感じだ。

●スクラムパワーで、印刷文化の未来に陰りなし

平成10年頃からはやはり日常化したDTPとかCTPといった設備も整備され、“さあ、印刷のことならなんでも来い!”という事業ダイナニズムに拍車を駆けておられる。すると最後に、「これも創業者の印刷事業に携わる社員への想い。印刷文化の未来へのこだわりです」と言って、新社屋の見どころ2点を案内いただいたので紹介しておこう。

「一つは新社屋の中央に設けたパブリックスペースです。社内に当社の印刷事業の歴史とこれからの印刷文化に想いを巡らせる印刷博物館ともいうべき社内空間を設けています。歴史を彩ってきた書籍を、お茶を飲みながら歓談できるカフェ、さらにひとり静かにリラックスできるパーソナルスポットを設けましたが、既に社員の研鑽処、憩い処、交流処になっています。

もう一つは新社屋の4階は当社の本社機能と先ほど言ったDTP部門などを設けていますが、1階から3階までには大手のスーパーマーケット『マルエツ』などを誘致したことです。買い物客の日常的な生活を身近に見ることによって印刷事業の根底にあるコミュニケ―ション意識をみんなで高めていこうということですよ」

歴史を彩ってきた書籍の数々

納得だ。壁を作らず、社員の心を一つになってというマインドレボリューション。また、一般の消費者の日常を積極的に見ていこうというパブリックリレーション。印刷マンとしての誇りと市民と共に生きているという創業者の志が綿々と息づいている。ある面では三晃印刷の社是である「従業員の物心両面に亘る幸せを追求し、併せて、世のため人のためとなる企業でありたい」の現われということだろう。いま、印刷業界は出版業界と並んで厳しい時代と言われているがこれからも創業者の生きた時代を共有しながらスクラム組んで“One for All, All for One”のワンチーム精神で未来トライをあげていってもらいたいものだ。

帰りに1階の『マルエツ』に立ち寄って奄美大島のこだわりの黒糖焼酎「朝日」を買って帰り、創業者の想いを口に含むと、身体はほんわか、何か朝日が昇るように温かい気分がどんどん広がっていくのである。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2019.10.15]

伝統の江戸指物にこだわる職人の心意気 / 江戸指物の渡邊 彰氏(東京都・台東区)

いつもながらの有難い連絡だ。台東区の方が非常に気になる案内状を送ってくださった。早速、封を切ると、『現在に生きる北斎の世界観~北斎を見立て造りました』という標題の元に2019年10月24日(木)から30日(水)まで新宿の京王百貨店で行われる展示会の案内だ。これは気になるなんて思いながら中身を見ると、木彫、陶芸、竹工芸、市松人形などに勤しむ方と肩を並べて、江戸指物にこだわる渡邊彰さんの名が出ているではないか。

渡邊さんと言えば、平成28年に東京都の優秀な技能者に認定された『東京マイスター』ではないか。

東京都のHPなどでも紹介されているが、東京の江戸指物協同組合の副理事長として、江戸伝統の指物を自ら作ると同時に、その豊かな指物技術を後輩たちに伝えていこうとされているのだ。しかも、その工房兼店舗が『たけくらべ』や、『にごりえ』、『十三夜』などの名作を書いた小説家として親しまれる明治の巨匠 樋口一葉さんが暮らし、生計を立てられた台東区下谷竜泉寺町(現在は竜泉3丁目)の『一葉記念館』の眼と鼻の先にあるということで、非常に気になっていた江戸伝統の技術を永らえる職人だ。『一葉記念館』にはこれまでにも何度も立ち寄っているが、指物師についてはこの『こだわり人』62回で墨田区の益田大祐さんを紹介させていただいたが、また一味違う観点から江戸指物文化の維持・促進と啓蒙をはかっていると言われると、もうボクの好奇心は止まらない。これは一度、お訪ねしなければだ。

一葉記念館

ということで、今回のこだわり人はモノづくりの香りが漂う竜泉で江戸伝統の指物技術を面々と受け継がれている渡邊彰さんに着目させていただいた。暑かった今年の夏も終わり、昔なつかしい趣のある街を訪ねるのもいいものだ。

こだわり人 ファイル085

伝統の江戸指物にこだわる職人の心意気

江戸指物の渡邊 彰氏(東京都・台東区)

●伝統の江戸指物に熱い眼差しが飛ぶ

今、江戸の指物と言われる木工品が見直されているそうだ。確かに家具店などを見て歩くと、年配の方はもとより若い男女がじっくり眺めたり、スマホなどで写真を撮ってる姿をよく目にするようになった。思わず嬉しくなって、あの人の住まいは和風かなとかマンションかなあと勝手な想いを巡らしてしまう。“そうそう、手作りのこの独特の感触はいいいですよ”と、そばから声をかけたくなるというものだ。江戸の街を作った家康が全国から呼び寄せた職人衆の技がこんな形で日常化しているのかと思うと嬉しくなってくる。

改めて伝統ある指物文化に大拍手だ。

江戸指物協同組合の資料によると、“指物は板材や棒材に「ほぞ」と呼ばれる凸凹を彫り込み、それを組み合わせながら作っていきます。金釘を使うことなく組み合わせた継ぎ手部分は外から見えません。見えないところに技を施し、極めて堅牢に作られています。自然に育った木の美しさを生かし、実用的で素朴な味わいのある江戸指物は江戸の粋を表現した傑作と言えます”と記されている。まさに江戸職人の心意気が一途に宿った代物なんだと思いながら行き慣れた『一葉記念館』に一礼し、渡邊さんの店舗兼工房の前に立った。すると、早くも江戸職人の心を思わせる佇まいの入り口から、ガラス戸越しに多くの江戸指物が“早く入りなよ”と出迎えてくれるようだ。

ありがたい。やっぱり木の感触はいいものだ。見た目も手触りもいい。渡邊さんが自ら丹精を込めて作られた江戸指物の心まで我が心にじわじわと入り込んでくる。『一葉記念館』にはよく来ていたのに、なぜ、もっと前にもっと立ち寄らなかったのかと悔やまれるというものだ。そこで、早速、渡邊さんが江戸指物にいかに魅せられたのかをお聞きした。

「私は、祖父、父に次ぐ3代目です。この竜泉という街と共に生き、暖簾を守ってきました。いや、街の雰囲気が私を支えてくれたんですね。子供の頃から両親の江戸指物への想いを見てきましたので、学校を出ると当然のごとくこの世界の職人になる決心をしました。江戸指物は将軍家や大名などの武家や商家、さらには歌舞伎役者用といった形で江戸幕府が職人たちの手業にこだわってきたという歴史の重みと、祖父と父が目の前で何年も生き貫いてきた木材とが向かい合っているんですよ。何の迷いもなく自分でもやりたいということですよ。18才の時です。
それから30年、近所のさまざまな職人衆に可愛がられて、今日の家業の面白みを味わっていますので、やっぱり地元の人々と共に生きているという実感がありますね」

渡邊氏と店内の様子。「江戸指物」の提灯が飾られている

●いつまでも色あせない百年家財を作り続けて

確かに台東区は地域に根づく地場産業が盛んで、長い歴史の中で培われた技術や技法を受け継ぎ、手仕事に生きる職人さんが多い街だ。多くの職人と共に言う渡邊さんの想いに改めて魅せられる。その街に育てられたという真摯な渡邊さんの想いが目の前に並ぶさまざまな江戸指物に現れているのだろう。木工品などの職人さんを褒める言葉に“腕がいい”とか、“腕が立つ”という言葉をよく耳にするが、渡邊さんの人生はまさに、その道なりの人生なのだろう、2014年には経済産業省の『伝統指物伝統工芸士』、2016年には『台東区の優秀技能者顕彰』に選ばれ、2018年には『東京都のマイスター』に認定されている。

そして現在は江戸指物協同組合の副理事長という要職にあるのだから、“腕が立つ”ということはもちろんのこと、江戸指物の伝統を守りながら、永らえていこうという想いが非常に強いのだ。

そんな渡邊さんから目の前に並ぶ江戸指物の見どころをいくつかピックアップしていただいたので紹介しておこう。

江戸指物の魅力
飾り棚
シックな和室を拡張高く演出する逸品。香炉や花器を置き、優雅な生活を楽しめる。
文机
座敷に座って使用する座卓タイプの机。本を読んだり書き物をしたり。愛着が増すものだ。
長火鉢
時代劇などの必需品。日本の伝統的な暖房器具として親しまれている。
鏡台
座敷などで座りながら化粧する女性の必需品。風情と奥深さが人気である。
茶箪笥
湯呑み、急須などの茶道具を収納する箪笥。和風サイドボードとしても人気がある。
小箪笥
小振りで品が良く引き出しも多い、身の回りの物を収納するのに適している。

それぞれの手触り感が違う。

「親やから子へ、子から孫へ。いつまでも色あせない百年家財。それが江戸指物の魅力です」
と言われたが、納得だ。一つ一つに存在感があり、物語性がある。かっての江戸職人の声が聞こえてきそうだ。改めて江戸指物の使い心地や息づかい、いや、“粋づかい”を感じてしまうではないか!すると渡邊さんが「これを見てください、私のオリジナル作品です」と言って、これまでに見たことない家具を指さされたのである。

「伐採した木から直接切り出した無垢材を使った「大黒柱」と名付けたオリジナル品です。多くの仕掛けやからくりを施したのが話題を呼んでいますが、江戸指物の新しい魅力を作っていこうということですよ。自分で面白くしてやろうということがお客様にも受け入れられていくなんて、本当に痛快ですね。江戸指物の未来には終わりがありませんよ」

なるほど面白い。単なる伝統を追いかけるではなく、新しいことにもチャレンジされているんだ。そこで、ちょっと気になっていた価値ある家財を作るための工程について伺ってみた。すると、渡邊さんはこれが基本的な工程と言って組合の小冊子を示されたので、その大要をそのまま転載させていただこう。そして言われたのである。

「今、一番やりがいがあることは、ちょっとスケールは違いますがモノづくり体験に訪れる子供たちに鑿(のみ)や鉋(かんな)の使い方をやさしく伝えていくことですね」

江戸指物の基本的な工程
乾燥
材料の刻材を用途に合わせた厚さに製材し自然乾燥させる。
木取り、木削り
木目が美しく見えるように各部の寸法に合わせて気を取っていく。
板の厚さをはかる罫引きなど使いながら板の厚さを平らに整える。
組み手加工
組み合わせる板にそれぞれ「ほぞ」を彫り込む。板の側面を鉋(かんな)で正確な長さと幅に削り、彫り込む位置に線を入れて鑿で「ほぞ」を掘っていく。
組み立て
「ほぞ」を掘って組み手を施した板と板を組みたて行く。必要に応じて木槌を使いながら組み立てる。
外部仕上げ
表面を鉋で仕上げ、過度の丸みをつけるなどの加飾加工をした後、サンドペーパーやトクサを使って表面を磨く。
塗り・金物取り付け
漆を塗って乾かす作業を繰り返し最後に取っ手などの金具を取り付ける。
●樋口一葉のこだわりとイメージが重なって

ところで、これらの工程を聞くと作業の実施の現場が気になるというものだ。すると、渡邊さんはすぐさま店舗の2階の作業現場に連れて行って下さった。

一歩入ると、まさに職人の部屋だ。ボクはかってに工房なんて呼んでいたが、世に言う仕事部屋だ。エコロジカルな材料になる欅、杉、桑、桐、タモ、キハダ、ヒノキ、ケンボナシなどなど人にやさしい、環境にやさしい木材がボクを包み込んでくる。もうこれだけで材料に対する渡邊さんのこだわりがひしひしと伝わってくる。そして、木材越しに、愛用されているカンナや鋸や鑿(のみ)や錐(きり)などが次々に眼に飛び込んでくるから、これらを使って江戸指物に向かい合っている渡邊さんの姿がどんどん膨らんでいき、こちらもついつい手に取りたくなってくる。これらから階下に並べられた、あの百年家財の茶箪笥などが生まれるかと思うと、それらを使って生活する人々の姿が鮮明に浮かび上がってくるのである。

もっとこの場にいたい欲求は止まらない。だが仕事の邪魔になると申しわけない。腰を上げて帰路に就く前に帰りにあの『一葉記念館』に立ち寄ってみた。もう何度も訪れているが、改めて一葉の24才という短い人生に胸が熱くなる。17歳の時に父を亡くし、生活と闘いながら母と妹を養うためにこの竜泉で雑貨・駄菓子屋を営んでいた一葉が小説へのこだわりを立ち切らず、あの『たけくらべ』などの日本の近代文学に燦然と輝く名作を残しのだ。

何だろう、その一葉がなぜか渡邊さんの心意気に重なってくる。係の人に聞けば、この3階には渡邊さんの祖父の松太郎さんが作った一葉の文机のレプリカが展示してあると言われるのだからさもありなんということだろう。渡邊さんは元気いっぱいの江戸伝統の指物師だ。こだわりの形は一葉とまったく違うが、一つの目標に向かってこだわりのある仕事を追いかけるというスタイルには教えられることが数多い。

浅草に向かって歩くと、懐かしい街かどから超近代的な東京スカイツリーが見え隠れする。伝統と最先端が入り混じったこの街のハーモニーに心が弾む。思わず「渡邊さん、一葉さんも見ていますよ。江戸指物の火は消さないで、永遠ですよ」なんてつぶやいていたね。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2019.09.26]

懐かしさもあり、革新的でもある木製眼鏡へのこだわり / 「63mokko」 神田 武蔵 氏(東京 立川市)

令和元年の夏も早くも終盤だ。地球温暖化の影響化の影響が一段と深まってきたと思わせられたことしばしば。暑い夏だった。汗を拭きながら街を行く人はもちろん、目に入ってくる木々も何か日陰が欲しそうで、やっぱり地球の行方を考えさせられてしまう。それでも元気な子供たちだ。前を行く3人の小学生が夏休みの宿題である工作作品を手にして、ちょっと誇らしげに声を上げている。何気なく耳をそば立てていると、どうやら小学生なりのこだわり談議で、盛り上がっている。

嬉しいね。人間、年齢など関係なくこだわり談議で盛り上がるなんて、本当にいいものだ。
というのは、先日、HPで読んだ立川市で『63mokko』という木工の工作工房を開いている神田武蔵さんが何か少年のような心の持ち主で、人にやさしい眼鏡をオーダーメイドで作っているというのだ。しかもその眼鏡のフレームはすべて木製仕上がりというから、頭から離れなくなっていたのだ。

そこで「お会いしたい」と連絡したら、神田さんの声もまさに少年のように声が弾んでいたのだから、目の前のこだわり小学生に神田さんのイメージが重なってくるというものだ。今日は幸先がいいぞ。早くもこの小学生がこだわり神田さんの露払いのようになっている。バスの車窓から見る武蔵野の木立も入道雲に負けず元気いっぱいで、緑の手足を空高く伸ばしている。HPによると、神田さんは若い頃には建築技術などに長けた工学院大学(東京・新宿)で学び、木工技術の総本山である飛騨高山で身に着けた木工技術を東京に持ち帰ってきたと書かれていたが、お客様一人一人の多様なニーズに応えながら木の感触を活かしたオーダーメイドの木製眼鏡を自分なりの手法で作りあげているなんて、多様な木に対するこだわりは察して余りある。

ということで今回のこだわり人は、本名の武蔵の名前から『63mokko』と名付けた工房を経営する木工家の神田武蔵さんである。

こだわり人 ファイル084

懐かしさもあり、革新的でもある木製眼鏡へのこだわり

「63mokko」 神田武蔵氏 (東京都・立川市)

●木を纏う日常を求めて

五日市街道を西へ、砂川十番というちょっと気になるバス停の一歩中に入ったところに『63mokko』の工房がある。気になったのは砂川という駅名で、かつては砂川闘争という名で激しいぶつかり合いがあり、街は荒れていたからだ。

今は若葉町という穏やかな住宅地として人気があるが風の流れも穏やか、周りには緑の木々も多く、まさに木工の工房をここに構えた神田さんの心根がわかるというものだ、新宿などオフィスビルが立ち並ぶ所と違って、ちょっと時間が止まったような雰囲気に魅せられてしまう。

じっくりとモノづくりに専念できる恰好の場所ではないか。神田さんがすっかりこの地に溶け込んでいる姿が見て取れる。いい感じだ。そこに持ってきて、部屋には制作された木製の眼鏡のサンプルが並び、加工に使う道具、作業機械などが次から次へと目に飛び込んで来るのだから、木製の眼鏡づくりにかけた神田さんの熱い思いがまたまた身近に伝わってくる。まさに“この地から、人にやさしい眼鏡を生み出しているんですよ”という人恋しいメッセージが聞こえてくるようだ。すると、神田さんは自ら作った木製の眼鏡を愛しみながら言われたのである。

「この日本は世界でも有数の、しかもたくさんの種類の木々が存在する国です。日本人は古来から木と共に生き、生活のアイデンティティは木と非常に密接に結びついてきました。周りを見渡しても明らかのように住宅用の建築材や日用雑貨品など、使われる木は実に多いではないですか。私はそのような木をこれまで以上に日常化しよう。言葉を変えると、樹を纏う生活をエンジョイしていこうとしているんです」

木に対する神田さんの熱い思いが伝わってくる。そして言葉を加えられたのである。

「樹を纏う。この精神を私は飛騨高山で学びました。飛騨高山は高度な木工技術の総本山だったので、ここで学んだ経験を元に木の種類ごとに違う特性や肌触り、さらには時間と共に変わる木の息づかいを活かして、懐かしくもあり、革新的な輝きもある木製の眼鏡を作っているのです。これまでの概念にとらわれない自分なりの手法で、あなただけのオンリーワンの眼鏡という発想ですよ」

●奥の深い木製眼鏡の魅力

なるほど、たかが眼鏡ではないんだ、されど眼鏡だ。木の存在感を損ねることなく、木の心を掘り下げ、人それぞれの生き方を大切する“愛着品”にしようとされているのだ。そこで、お客様の注文を受けてから手に入れるまでの流れをお聞きした。すると、神田さんは

「基本はオーダーメイドです。お客様が最も気持のよい状態でお使いいただけるように注文を受けますと、お客様一人一人の顔に合うフィッティングを採寸していきます。ですからお客様の好みに合わない眼鏡をかけるなんてことは絶対ないのです。レンズについてはお客様の眼鏡の処方箋を見せていただいたり、かけておられる眼鏡をお借りして推奨眼鏡店でも対応します。もちろんお客様自身で眼鏡店で注文頂いても大丈夫です」

では、木製の眼鏡はどんなところがよいのだろう。すると、神田さんは間髪入れずにちょっと誇らしげに言われたのである。

「木製の眼鏡のいいところは軽くて疲れにくく、肌触りが良いところです。私どもの眼鏡は肌の敏感な方でも、汗をかく夏場でも肌が荒れないという有難い言葉をいただいています。また、金属アレルギー方にも“病気やアレルギーに悩むことなく快適に過ごしています”との声を数多くいただき、金属アレルギー協会様からも栄誉ある賞をいただいていますので、木製眼鏡の存在感を改めてお勧めしています。プラスチック製品があふれる現代社会にあって、自然素材を使うことは、ある面では環境保全社会にお役に立っているんですね」

●木製眼鏡の未来に、輝きがあり

すると、“懐かしさもあり、革新的な輝きもある。私だけの眼鏡を作っている”という神田さんの言葉が再び蘇ってきた。まさに木を纏うという真髄なのだろう。目の前に置かれたさまざまな種類の木を材料とする眼鏡が、窓から差し込む夏の光に冴えていい感じだ。

  • “Egg”オーバル型(黄楊)

  • “Jazz”ボストン型(桑と紙)

  • “John Lennon”ラウンド型
    (ブラックウォールナット)

  • “Train”スクエア型(神代欅)

  • “Queen”クラウンパント型
    (パドック)

  • “Fragrant Man”ウェリントン型
    (染井吉野桜と紙)

それぞれ個性あふれる木の材質がひとつずつの表情を作っている。

「最近では、現在使っているプラスチックの眼鏡の一部を木に変えることにも取り組んでいます。フロントは今のまま残して肌に触れる耳と鼻のところを木製にします。元のプラスチックなどの形状に合わせて手造りの対応ですから、お客様の様々なご要望に応えられるのも木製眼鏡ならでは身近さですね」

まさに至れり尽くせりの対応だ。おそらく街でこの眼鏡をしている方と出会うと、ボクはピースマークをしてしまうだろうと思うと、街はもっともっと華やぎ、木製眼鏡の未来に夢が広がっていくことをイメージするばかりだ。ある面では日常的な生活の中から、人それぞれが元気はつらつ、その周りも明るく華やいでいくなんて環境は、これからの我が国の大きな財産ではないか。

思えば我が国の木材産業、林業が行き詰まりと言われる現代にとって、“木製眼鏡がその突破口になっていけばいいね!”なんて、改めて思い描いた。最近読んだ畠山重篤氏(京都大学フイールド科学研究教育研究センター)の『人の心に木を植える』が何度も何度もよみがえってきて、武蔵野の帰り道が一段と輝き、神田さんに光を浴びせているようにこちらも心弾んだ、ね。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2019.09.11]

江戸伝統の技術を、未来に紡ぐ / 株式会社杢目金屋 髙橋正樹氏(東京・渋谷区)

GマークでおなじみのGOOD DESIGN賞。デザインの可能性を支援し、私たち一人のひとりのより創造的な暮らしの構築をめざす公益財団法人日本デザイン振興会に対する期待は一段と大きくなってきている。かつて、この振興会の展示・イベントなどに関わらせていただいたことがあるが、いまでもその役割の大きさを鮮明に覚えている。なかでも、日本の伝統的な技術に着目し、その個性的な技術を後の世まで残していこうという想いを具体的な行動で示したある企業の存在は圧巻で、その遠大な歴史感、世界感に感動したことがある。

いまから4年前の2015年のことである。建築やインテリアや家電といった多彩なデザイン分野がある中で、結婚指輪という分野で初めてGOOD DESIGN賞を受賞された杢目金屋という企業である。「もくめがねや」というあまり聞きなれない社名ということもあったが、創業者で現社長の髙橋正樹氏が、江戸時代に生まれた杢目金という400年前のわが国独自の金属技術を身近に触れてその繊細な世界を現在に蘇らせると共に、ブライダルジュエリーという今日的な世界に一石を投じられたのである。杢目金へのこだわりは東京藝術大学の美術学部の在学中から始まっていて、日本人の細やかな心を集約した伝統的な技術をこのまま埋没させてはいけない、後の世に残していかなければ、ということで、杢目金技術の研究、復元に徹底的にこだわって来られたのだ。伝統的な技術を未来へ、ということだろう。ジュエリーを通じて人と人との新しい出会いを祝し、これからの人生の行く手に希望と夢を描かせるなんて、まさに技術で結ぶ“愛の伝導者”ということではないか。

それから後も、その輝かしい足跡はテレビや雑誌などで何度も目にしてきたが、髙橋さんの杢目金の加工技術に対する取り組みは終わることなく、大学卒業後に実現された秋田県の指定有形文化財である杢目技術の再現をはじめさまざまなエポックメーキングに感動していると、学校卒業後の1997年に建築、インテリア、ファションなど常に時代の最先端を行き交う発信地の街、東京都渋谷の神宮前で起業(2003年に有限会社杢目金屋設立)し、設立してから16年たった2019年現在では、従業員の数が200名を越え、東京銀座をはじめ全国の主要都市に直営店19店舗、取扱31店舗を構えるというから、その驚異的な伸長力、成長力にはただただ魅せられるばかりだ。

今回のこだわり人は杢目金にこだわり、世界中の人々の心にジャストフィットするジュエリーを提供される『株式会社杢目金屋』の代表取締役、髙橋正樹さんに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル083

江戸伝統の技術を、未来に紡ぐ

株式会社杢目金屋 髙橋 正樹 氏(東京・渋谷区)

●こだわりの街のこだわり企業、目白押し

あいも変わらないこだわりのある街だ。都心の風にも香りがあって、思わずこちらの身体も弾み、スイングするように軽快な気分になる。すっかり姿を現した新国立競技場から早くも世界中のアスリートの人間ドラマが見えるようで、さまざまなイメージが広がっていく。笑いあり、涙あり、拍手あり。勢い、人間の愛ある人生のスタートダッシュを彩る髙橋さんのショップイメージもふくらんで、大きな夢が広がっていく。

そんなロマンあふれる感動の街の瀟洒な建物を入ると早速、髙橋さんの熱い志が伝わってくる。もう何度もテレビや雑誌で拝見しているが、やっぱり空間全体が髙橋イズムを発信しているようだ。何かほっとすると同時に、ジュエリーづくりの繊細な指先がさまざまなイメージを描かせるようだ。やっぱり、あの指が400年の伝統をよみがえらせ、次代への契りを約束しているかと思うと、そこに並ぶジュエリーが一段と輝いているように見える。


すると、ここはやっぱり杢目金にすっかり心奪われたという髙橋さんのこだわりを頭に刻まなければというものだ。HPによると髙橋さんはこんなニュアンスの言葉を載せられている。

杢目金との出会いは在学中からに始まる。いまから400年前の江戸時代に生まれた、金属の色の違いを利用して木目状の文様を作り出すという我が国独自の繊細な金属工芸技術に魅せられた。その後も、この技術をこのままにしておいてはダメだ、後世に残していかなければ、という思いが日増しに高まっていき、自ら先頭に立ってその原理や手法を身に着けていこうと決心した。だが調べてみると、加工工程が複雑で、文献などもあいまいなところが多く、その技術習得なんてとても余裕のあるものではない。それでも乏しい文献や資料を調べていくうちに、この金属工芸技術の価値は実に奥深く繊細なものがあり、わが国が世界に誇れるものがあるということがおぼろげながら見えてきたので、ここは一発奮起、この技術に特化して、究めていこうと決心したということだ。

●最古の杢目金技術を現在に蘇らせる

小柄 金銀地杢目鍛 復元制作

髙橋さんの若い頃の言葉を思い浮かべると、改めて歴史の重みを感じる。そして、HPなどでも紹介されているが、最古の杢目金のルーツに取り組み、それを自らの手で復元されたイメージを描くと、髙橋さんの尽きない好奇心に魅せられていくばかりだ。HPによると、こんなニュアンスで紹介されている。

400年前の江戸時代に始まった杢目金技術のルーツは、現在は秋田県指定有形文化財に認定されている出羽秋田住正阿弥伝兵衛が小柄に施したもので、現存する最古の木目金である。髙橋さんはそれを日本で最初に復元されたが、その技術を途切れなく、この国はもとより世界中の人々に提供していこうということで、学校を卒業すると、その名もずばりの『杢目金屋』という自分の事務所を立ち上げられたのだ。


そこにあったのは杢目金のこだわりから始まった“髙橋の人生ここにあり”ということだろう。杢目金という由緒ある技術の火を消すことなく、後々の世まで伝えなければならないという髙橋さんの熱きこだわりが見事に結集。ジュエリーの世界に新しい生命の輝きを灯されたのである。現在は婚約、結婚指輪はじめ多種多様なジュエリーに加え、美術工芸品の制作などにも深く関わっておられるが、その繊細で遠大な技術はまさに日本のジュエリー文化の新しい流れの生き字引を担っているのだ。

大輪の花に穏やかな小花ありということか、人触りのよい、趣のあるお店に、個性的な髙橋ブランドジュエリーが品よく並ぶ。思わず、きらきらとした輝きに見いってしまうが、WEBなどと違った一つずつの存在感に心が和む。そこに記された名称もロマンティックでやさしく、さまざまな映像イメージを描かせてくれる。『桜一輪』、『恋風』、『弓桜』、『桜こころ』、『桜あわせ』なんて、先頃の「令和」同様の日本の古典に出てくるような優しい響きに改めて魅せられてしまうではないか。一点一点に髙橋さんのジュエリーに対する優しい心根が込められている。そこにあるのはただ一つ、“愛あるご結婚おめでとう。その契りを絶やすことなくいついつまでもご一緒に”ということなのだろう。髙橋さんの愛ある応援メッセージに包み込まれでいくではないか。

●お客様オリエンテッドなあくなき追求

ところで、日本の伝統的な技術から発展されたジュエリーに対する熱い思い、髙橋パラダイムともいうべき成長事業の秘密をもう少し知りたいので、HPでも紹介されているが、その大要に着目させていただいた。成長の舞台裏に髙橋さんの熱い思いがあるということだろう、実に多くのアイテムが網羅されているが、なるほど、なるほどと肯首させられるものばかりだ。

とにもかくにも大事にしていることはたくさんと思うのだが、一番に挙げたいのは「生涯保証」という観点から専門職人の手による品質管理の徹底を基本に、指輪を交換されるお二人のリングカルテの作成から始まってジュエリーの制作、メンテナンス、クリーニング、サイズ直しなどにきめ細かく対応する体制を確立しておられることだ。そこには、日本初の杢目金のオーダーメイド専門店としての実績、経験が裏付けされているが、信頼のできるジュエリーが安心して求められるということなのだ。特に杢目金については日本で唯一の専門の『特定非営利法人日本杢目金研究所』を設立されているので、杢目金の研究、文化財の保存、加工技術情報の提供なども積極的で、多くのお客様に信頼をえておられるのだ。

ジュエリーは何度も購入されるものではないし、それなりの価格がする。そのために、お客様は納得できるブランド品を、納得できる価格で買い求めたいというのが一般的だ。裏を返せばそこで要求されるのは安心と信頼できるデザイン力からくるブランド価値なのだろう。そこで、髙橋さんはブランド価値を高めるという観点から『GOOD DESIGN賞』をはじめ数多の栄誉ある賞を受賞することにも積極的だ。世界の最高峰の『Red Dot Design Award』、経済産業省の『ものづくり日本大賞』、『おもてなし規格認証』、『おもてなし経営企業選』などはその顕著な現われで、お客様の高い信頼と共感を得ておられる。また、『JJA認定(ジュエリーコーディネーター在籍店)』、世界に認められた知的財産の取得、国際規格『ISO9001』の認定などを見れば、ジュエリーの世界における知的行動集団としてのエネルギッシュな事業展開に拍手を送りたくなるではないか。本当に心強い。

●成長、発展の舞台裏にある髙橋パラダイム

まさに事業の多様な発展の裏に、全社的な飛躍のタネがあるということだろう。改めて髙橋さんの伝統的なものづくりから始まった杢目金の存在感、さらには未来感に魅せられるではないか。元気な髙橋パラダイムが元気に息づいているのだ。

髙橋さんたちはより満足いただけるジュエリーをお届けするために多様な事業展開をされているが、同時にすべての人々の安らかな暮らしや生活のために惜しみないエネルギーを注いでおられる。いまや時代の代名詞になっているコンプライアンスということだろう。企業の社会的な信頼、信用という面から、人と環境にやさしい触れ合いプログラムを軌道に乗せておれられる。例えば、出版普及活動として『木目金の教科書』の企画・監修をされたし、我が国を代表する名刀などの復元研究、障害者雇用の拡大といったことにも力を注いでおられる。また、地域や環境に優しい街づくという観点からエコキャップ活動、グリーン電力サポート、伝統文化の継承、古民具の採用、桜並木プロジェクト支援、清掃活動の参加、グリーンバードの参加、使用済み切手の寄付活動などにも積極的で、髙橋さんにとっては重要な未来ミッションなのだろう。

まさに今日の時代の企業に求められる人と環境にやさしい最重要事項に照準を合わせ自らの事業の行く手を描いているということだろうか。成長発展する事業にコンプライアンスありということの生き写しだ。伝統的な事業から始まった未来先取りのベクトルを止めることなく、さらなるこだわりの未来軸を示してほしいではないか。まさに、時代は創るから面白いのだ。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2019.08.08]

伝統と革新で紡ぐ、心のつながり / 明治座(東京・中央区)

「笑って泣いて、人は人と共に感動したいんだよ」 かつて、劇作家の菊田一夫さんからこんな言葉をお聞きしたことがある。以来、ボクの劇場文化への思いは尽きることがなくなった。そんな劇場追っかけ人生に、またまた気になるニュースが飛び込んできた。日本のみならず世界中をアートで魅了しているチームラボと、東京で最も古い歴史を持つ日本橋浜町の明治座がコラボして“緞帳(どんちょう)”に革新的な変貌をもたらしたというのである。

平成5年開場の現明治座

明治26年開場の旧明治座

明治座の歴史を紐解けば明治5年(1872年)の法令よってそれまでの三座(中村座、市村座、守田座)以外での興行が許可され、翌年に現在の久松警察署の南側に『喜昇座』を開場したのが始まりだ。その後の改称、再開場などを経て明治26年(1893年)に初代 市川左團次が座主として新築したのが現在の『明治座』の出発点である。洋風建築で観客定員1200余人の大劇場、左團次は前売り制度や大入袋などの生みの親としてさまざま革新的な事業を立ち上げられたと言われているが、創業145有余年を迎えた現在も、その伝統的な開拓精神は連綿と受け継がれ、現在の代表、三田芳裕社長の『伝統と革新』という思いのもとに独特の存在感を見せているのだ。

その由緒ある明治座が舞台と客席を結ぶ劇場の顔である“緞帳”に、現代技術の先端を行くデジタルアートで『伝統と革新』というメッセージの(今の世で言う)見える化を実現されたと言われるのだから、これは見逃せない。職工の手によって彩糸が一本一本織り込まれる芸術性の高い緞帳が先端のデジタル技術により、『四季喜昇座 ― 時を紡ぐ緞帳』の標題のもとに4K解像度と同等の高画質で縦7メートル、横20メートル上に再現されているのだ。まさに、日本独自の工芸美が凝縮された美術品の価値を持つ緞帳の大革命だ。

伝統ある劇場で時代の先端を行くデジタルアート。今回のこだわり人は劇場のハードチックな部分にとどまらず人の心を揺り動かすソフトチックな面にこだわる明治座の『伝統と革新』の紹介である。

こだわり人 ファイル082

伝統と革新で紡ぐ、心のつながり

明治座(東京・中央区)

●先端のデジタルテクノロジーで描く緞帳

あいも変わらずの人形町だ。いま。中央区はこだわりの区を合言葉にさまざまな事業を展開されているが、明治座のこだわりも眼が離せないということだ。お客様の喜びと感動を追求する明治座はまさにその象徴的な存在である。それは、緞帳に描かれた『四季喜昇座 ― 時を紡ぐ緞帳』を見れば明らかで、明治座の前身である喜昇座が誕生した文明開化の頃の日本橋の町並みや人々の営みがデジタルテクノロジーによって描かれている。当時の多様な職業や歴史上の人物が町に登場し、時間や季節と共に日々変わっていく姿に思わず引き込まれてしまう。日本橋の街が日の出と共に明るくなり、日の入りが近づくと夕焼け空になる。日本橋に雨が降れば作品世界でも雨が降る具合だ。また、凧揚げ、お花見、お祭り、雪景色などの季節の営みも非常に印象的で、街と共に、人と共に息づいている明治座の長年の歴史が想起できるというものだ。連綿と受け継がれてきた明治座の歴史の奧深さと次代への熱い展望を示した「伝統と革新」の姿勢にただただ魅せられていくばかりだ。

伝統を最先端で語る。三田社長の熱い思いに納得だ。

「東京で最も歴史の長い劇場である明治座がこれまで大事にしてきた「伝統」と常に新しいものに挑戦し続ける「革新」の姿勢を融合させた「伝統×革新」を体現するような作品となります。緻密に描かれた緞帳の絵柄がデジタルテクノロジーにより、生き生きと動き出す、新しい芸術体験を是非ともお楽しみください。」

  • 春
  • 夏
  • 秋
  • 冬
●お客様の喜びを一つに集約した感動の劇場

改めて劇場に対する明治座の思いに魅せられる。まさに伝統ある歴史の重みだ。お客様の喜びを追求した事例のあれやこれやをもう少し紹介させていただこう。

現在の明治座は平成5年(1993年)に18階のオフィスビルの中核に位置する形で建てられた我が国最初の純鉄骨造りの本格的な劇場だ。注目すべきは伝統の『櫓』を演出した劇場の正面である。江戸時代の芝居小屋には必ず座紋入りの『櫓』が飾られていたが、それを現代風にアレンジしたものが劇場正面に設けられているのである。江戸時代の芝居小屋の伝統を現在によみがえらせ、これからも継続していくというメッセージが込められているのだ。

そして、この劇場の中では歌舞伎、新派、スター歌手公演、ミュージカルなど多彩な演目が連日繰り広げられているが、そこにあるのは多様なお客様の喜びにいかに幅広く応えていくかということだろう。和の国、日本の時代のリズムと足並みに歩調を合わせたエンターテイメント施設、ここにありだ。どの客席からも見やすい座席設計、長時間の公演でも疲れず観劇できるクッションの設置など、お客様から圧倒的な支持を得られている。 また、来場されたお客様に明治座でのひと時を快適に過ごしていただきたいという思いを営業部の林菜穂子さんはこんな風に語ってくれた。

「お芝居は勿論ですが、開演前や幕間、そして終演後までもお客様に楽しんでいただきたいというのが明治座の願いです。1階のエントランスには観劇チケットがなくても利用可能で、お待ち合わせに便利な喫茶『花やぐら』、2階には外の銀杏並木で季節を感じながらゆっくりとおろくつぎいただける喫茶ラウンジ、3階、4階の客席ロビーにはさまざまな劇場売店を設けており、明治座でしか買えないオリジナルグッズや公演にちなんだ商品などを取り揃えております。ロビーで販売している幕の内弁当や劇場内の食堂では【芝居+幕間の食事】という昔ながらの観劇スタイルを大事にしてきた明治座伝統の味をお楽しみいただけます。また、各フロアの豪華な内装やロビーに展示された日本画の数々をご鑑賞いただくのも幕間の過ごし方のひとつです。そして芝居がはねた(終了した)後は、人形町、浜町界隈の小粋な下町風情を感じつつ明治座観劇の余韻に浸っていただけることでしょう」

●劇場文化が人間の生命文化に

至れり尽くせりのこだわりの明治座だ。快適で豊かな時間を過ごせる空間の構成と演出に改めて魅せられるというものだ。そこにあるのは伝統に裏づけられたお客様への熱い思いと、それを具体的な形にしたきめ細やかな愛情があるということだろう。

いまや、明治座は劇場文化の極致であり、人間の生命文化の拠り所だと思うのだ。芝居好きなボクにはたまらない。すべてが『伝統と革新』の事業精神が根強く息づいているということだ。笑いあり、涙あり。人の生きざまを共にして、今日の元気を明日につなげていこうという明治座の役割に、ともすればハードチックな世の中にあってソフトタッチな人の触れ合い、絆の大切さを思うのはボクだけだろうか。

そういえば、『令和』という新しい元号をいただいた現在のボクは、明治チョコレート、明治大学、明治屋、明治通りといった『明治』という言葉に新しい時代に挑んでいったエネルギシュな幕明け感、維新をついつい呼び起こされてしまう。停滞するこの国の未来に、『明治座』のこだわりが舞台文化を越え、人間の生命文化の行く手に明るい光明、幕を開けていってくれそうに思えてならないのだ。ほら今日も、そんな夢を背負って、こだわりの緞帳が開いていっている。思わず大向こうから元気な掛け声だ。

「いよ、日本一!伝統と革新の心!」

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2019.06.20]

伝統的な江戸の木目込人形へのこだわり / 三代目 金林真多呂氏(東京・台東区)

平成から令和へ。確かに。この国の空気が変ったようだ。今もその流れが絶えることなく、元気な令和の歓迎ブームが街に溢れている。だが、気になるのはやはり景気の動向だ。マスコミ等で「悪化」という言葉を聞くと、これからの先行きについつい考えがいってしまう。

そんな中で、先頃に紹介させていただいた吉祥寺の『アトリエ 二キティキ』の西川敏子さんの木工玩具へのこだわりに胸が打たれたというメールをいただいた。「西川さんの、“あのドイツで木製の玩具を見た時に、日本の子供たちにもこれらで遊ばせたいので、その輸入販売を始めました”という気持ちに心打たれ、早速、そのお店に行ってきました。まだ戦後の傷痕が残る中で子供たちの創造力溢れる健やかな成長を願ってなんて感動ものでした。それに引き変え、日本の最高学府と言われる東大出身の国会議員が、戦争して北方諸島を取り返そうなんて何というお粗末さでしょうか。お酒が入っていたという言葉も虚しく、こんな方に税金を払っている私たちが情けなくなりました」だ。

せっかく、上皇、新天皇があの荘厳な儀式などを通じて“世界の平和”ために力を尽くそうと呼び掛けておられるのに、何ということかだ。ここは、盛り上がる国民的なコンセンサスで、次代への夢を広げていくのが景気対策と同時にこの国の最大のミッションだと思っているところに、日本人形協会から『人形感謝祭』という案内チラシが(2019年10月6日 明治神宮本殿)が送られてきた。掲載された写真などを見ると、今回の宮中での儀式などの映像が重なり、我がボルテージは一気に上がり、前々から気になっていた江戸の伝統工芸品である木目込人形『真多呂人形』のこだわりに改めて心が沸き立ったのである。日本全国の伝統的な人形から現代的なフィギュアに至るまで、人の形をモチーフにした“ひとがた”と言われる人形はどこの家庭やお店にも見られる。その中にあって先の宮中儀式などで見た荘厳な姿がなぜか伝統的な木目込人形に重なって、心は、いや足は早くも上野御徒町のある真多呂人形会館ショールームへ向かって行くのである。

ということで、今回のこだわり人は上野御徒町にある真多呂人形会館ショールームの代表、三代目 金林真多呂氏に着目させていただいた。

こだわり人 ファイル081

伝統的な江戸の木目込人形へのこだわり

三代目 金林真多呂氏(東京・台東区)

●江戸の伝統を受け継ぐ心意気に感動

やっぱり、“真多呂人形”という名が気になって仕方がなかった。おそらく、何某真多呂という方がおられて、その人の名が命名されたものだと勝手に思いを巡らしていた。ところが、若い頃に新宿のデパートで初めてこの人形を見た時は、粗忽なボクの心も妙に緊張感に包まれた。穏やかな表情の中にも強い意志がある。腕のある職人さんが真心を込めて作り上げたもので、“真多呂”という名も何か意味ありげで、いつか余裕がある時に買い求めようと思ったものである。すると、それから数年後に娘ができたので、男雛と女雛が並ぶ親王飾りを購入したのだ。優しく穏やかなでありながら、どことなくふっくらした表情が愛らしく、娘もお雛様の季節になると、「またろ!またろ!」と呼び親しんだものである。その伝統ある真多呂の生みの親の血を受け継ぐ三代目にお目にかかろうなんて、何と無謀と思いつつ、子供の頃の娘が妙によみがえってきたものだ。

かつて真多呂人形について調べたことがあるので、少し紹介させていただこう。真多呂人形のルーツは京都の上賀茂神社である。当時、その神社に仕えていた高橋忠重が作ったのが始まりで、鴨川の柳の木に木彫を施し、そこに溝を掘って神宮の衣装の端切れを木目込んだのである。なるほど、だから、木目込み人形か。以降、江戸、明治と時代が変化していく中で、東京の人形師、吉野栄吉がその技術を東京に持ち帰り、江戸の木目込人形の基礎を作ったのだが、その吉野栄吉の息子、喜代治に師事したのが今回お訪ねした三代目の祖父にあたる金林真多呂氏だったのだ。その後、その木目込人形は「真多呂人形」と呼ばれて今日に至っているというのだから、この人形は江戸の職人の心意気が綿々と引き継がれているということなんだ。だから、江戸の伝統を守っていこうという三代目の心意気には納得するばかりで、人形一体一体に込められた歴代と真多呂氏のこだわりにはついつい、“よい買い物をした”だったのだ。

「父が二代目、私が三代目です。父である二代目同様彫刻家に師事し、塑像やデッサンを学びました。大学は慶應義塾大学の法学部に入学。卒業後は日本橋三越の百貨店に務めましたが、血筋ですね、昭和63年に父のもとで真多呂人形を作ることを決心し、今日に至っています。これらの人形と親しく心を通い合わせられるお客様のことを思うと、本当にやりがいのある仕事で、江戸職人の心を永らえていこうと心しています。おかげさまで平成12年には経済産業省の伝統工芸士に認定されましたし、平成25年には三世を襲名しましたので、有り難い人生ですよ」

●基本は工程、衣装、伝統へのこだわり

まさに人には人にそれぞれの人生ありだ。法学部出身の世に言う慶應ボーイが伝統的な江戸の人形の世界に終始する姿勢に心底、魅せられるというものだ。いま、こうしてショールームで表情豊かな真多呂人形たちに囲まれていると、三代目の強い意志のようなものが見て取れて、私の体の中にもどんどん入り込んでくるようではないか。ありがたい時間の共有に感謝だ。そこには単に伝統的なものに留まらず、明日への飛躍や次代への夢が読み取れて、その時、私自身も何か真多呂人形と対話するようになっていたのである。すると、三代目は囲まれた多くの人形を愛しむように言われたのである。

「私たちの真多呂人形のこだわりと特長を紹介させてください。基本は正統の伝統者の志に恥じない確かな技術の提供です。具体的には3つの技法にこだわっていますが、1つ目は工程へのこだわりです。すべての人形は真多呂の手によって一体一体、手作りで丁寧に作っていきますが、多くの専門の職人が真多呂の原型にさらなる芸術的な息吹を吹き込でいくのが特長です。2つ目は衣装へのこだわりです。平安時代の衣装を綿密に考証した上で、創造性豊かなカラーコーデイネートを施しています。3つ目は伝統へのこだわりです。衣装、桐塑(粘土の一種)などの素材はもとより塗り加工の回数まで伝統技法に忠実です。また人形のボディには天然の桐素材を使い、海外の素材やウレタンなどの科学素材は一切使いません。まさに伝統技法を現代に伝える真多呂の木目込み人形の真髄で、経済産業省の伝統的工芸品に認定されたことに誇りを持っています。

 また、真多呂人形の特長について言えば、お顔、ボディ、衣装についていつまでも飽きない、眺めれば眺めるほど味わい深いものがあるということです。お顔についてはふっくらとした気品のある顔立ちに満面に笑みをたたえるような表情で、見る人の心を優しく和ませる雰囲気に仕上げています。人形は消えてなくなるものではありません。長いお付き合いになりますので、真多呂はいつまでも飽きない、眺めれば眺めるほど味わい深い人形にこだわっているのです。五月人形は愛くるしい瞳入りの子供大将飾りから勇猛な鍾馗人形といった具合です。また、ボディについて言えば、先程申し上げたとおり伝統技法に忠実で、国産天然の桐素材を使っているということです。人形の世界もともすれば価格競争で素材や制作工程を海外ということになりがちですが、これではどこで、誰が作ったのかわからないので品質の差は歴然としていますし、人形の心まで宿っていません。ですが、私どもは木目込人形の唯一の正統伝承者として魂を込めて一体一体作り上げているんです。

 衣装についても確かな時代考証と現代的な創造性あふれる現代的な感性で美しさを追求していることです。単なる昔帰りではなく伝統と現在の中で落ち着いて上品。お客様が求められる明るく格調のある真多呂らしさをお届けしようということですよ」

●本物に対する、至れり尽くせりのこだわり

お聞きすればするほど、三代目の真多呂人形への思いに魅せられるばかりだ。前に購入した我が娘の親王飾りに改めて満足感が拡がってくる。そこで、真多呂人形の出来上がるまでの工程を紹介いただいたので、その流れの大要を以下に紹介させていただいておこう。

原型づくり
粘土の原型を木枠の中に入れ、樹脂などを流し込んで人形の型(かま)を取り出す。かまは原型の前半分と後半分の2つを作る。
かま詰め
かまに桐粉としょうふのりで作った桐塑を詰め、前後を合わせて一体にしてボディを作り出す。
ぬき
上半分のかまを外し、はみ出した部分を竹ベラで取り除いたあと、下のかまを横にしてボディを取り出す。
木地ごしらえ
よく乾燥させた後、ボディに生じる凹凸やひび割れを、竹べらを使って桐塑で補整、またはやすりで補修して仕上げる。
胡粉塗り
貝殻を焼いて作った白色の胡粉をにかわで溶かして、ボディに塗る。ボディの木地を引き締めると共に筋を掘りやすくするための作業となる。
筋彫り
胡粉が乾いたら布を木目込んでいくための溝作りをする。彫刻刀を使い丁寧に彫る。
木目込み
溝に糊を入れ、型紙に合わせて切った布地を目打ちや木目込べらを使ってしっかりと木目込む。
面相書き
面相とは人形の顔形のことで、人形の良し悪しを決める重要な作業となる。
仕上げ
ボディに顔や手を取り付け、髪の毛をブラシで整え、全体をよく眺めて不出来なところはないかを調べて仕上げる。
完成
天然の桐素材を使ったすべてに人にやさしい手づくりの真多呂人形が完成する。
  1. 原型づくり

    原型づくり

  2. かま詰め

    かま詰め

  3. ぬき

    ぬき

  4. 木地ごしらえ

    木地ごしらえ

  5. 胡粉塗り

    胡粉塗り

  6. 筋彫り

    筋彫り

  7. 木目込み

    木目込み

  8. 面相書き

    面相書き

  9. 仕上げ

    仕上げ

  10. 完成

    完成

●和の文化の象徴として永らえたい

改めて真多呂人形の奧深さを、いや、江戸職人の伝統的な心意気を教えられるではないか。スマホやタブレットなど科学技術の進歩、発展には目を見張るものがあるが、このような伝統的な和の技術にもすっかり魅せられるというものだ。いま、目の前には、ひな人形をはじめ、五月人形、浮世人形など三代目の自信作が展示されていたが、優しい顔でこちらを見る人形の目はあくまでも澄んで、見とれてしまうばかりだ。まさに、長い歴史の上に築かれてきた温もりのある本物ということだろう。すると、ボクは思わず“どうぞ、これらの人形文化を永らえてください”と声をかけていたね。すると、三代目は返すように力強く言われたのである。

「今や、この世界も職人の技量や後継者問題に加え、材料や海外問題、さらには、お客様の人形に対する考え方、接し方の多様化といった課題を抱えていますが、人形業界だけの課題にしないで、和の文化の象徴として、その伝承的発展により一層の力を注いでいきたいですね。ある面では“人形はお子様への愛情の形”と言われていますので、伝統技法の伝承者として恥じない確かな技術をお届けすると共に、“人形はご家族の一生の宝物”という考えからアフターサービスにも万全の体制を整えていますので、どうぞ、お気軽にお立ち寄りください」だ。

何だろう。何か晴れやかな気分だ。帰りに上野公園に向かうと桜はすっかり散っていたが、ここかしこに多くの外国の方だ。思わずボクは、“どうぞ、今日はこのまま帰らず、真多呂人形会館ショールームに立ち寄って、日本の和の文化に触れてください”なんて、声をかけたくなっていたね。

文 : 坂口 利彦 氏

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