こだわり人[2012.03.13]
世界でたった一台だけの自転車をつくる/松田志行氏(マツダ自転車工場)
作る人にこだわりがあれば、使う人にもこだわりがある。人の心の中にあるこれだけはゆずれないというこだわり欲求。
いや、オンリーワンマインドいった方がいいかもしれない。今回クローズアップさせていただいたオーダメイドの自転車を作るマツダ自転車工場(東京都・荒川区)の世界はまさにその生きた証し。一つの究極を見る思いである。
■こだわり人 ファイル005
世界でたった一台だけの自転車をつくる
マツダ自転車工場の松田志行氏

JR日暮里駅から京成本線で一駅。新三河島駅から歩いて3分。下町の面影を残す荒川区・東尾久の街の一角にちょっとモダンなビルが建っている。店内から店頭にかけて大小さまざまな自転車が並ぶ自転車屋さんというあの雰囲気はまったくない。通りに面した大きなガラス越しにスタイリッシュな自転車が並んでいる。まるで高級なブティックかモダンなカフェという感じだ。外壁に付けられた「cycle studio Level」のサインもおしゃれで、早くも一味違うこだわりの店であることを予感させる。社名に自転車工場なんて入っているが、ここはやっぱりスタジオの名がふさわしいと思うばかりである。
今回もまたいきなりの飛び込みである。あらかじめアポイントをとって訪れてはついつい準備されて、よそ行きの顔になってしまう。ここはあくまでも普段の日常的な姿に触れたいので30秒。目の前のスタイリッシュな自転車に目を奪われていると、オーナーの松田志行氏の登場だ。"ああ、この社長はこだわり人だ"。お会いした瞬間にこう思わされてしまったが、世にいうカリスマ性と云うか存在感がおおありだ。とはいっても近寄りがたい大御所という感じではない。自転車と云うインダストリアルデザインに取組むアートデイレクターという雰囲気なのである。

「Levelというのはこちらのブランド名ですか」挨拶もそこそこにぶしつけな質問をすると、松田氏は私の質問を予期したように「Levelというのは自転車を意味するフランスの古い言葉『LEVELO』に由来するものです。左右どちらからも読めるということで最後のOを省き冠詞と名刺をつなげて、 『LEVEL』にしたんですよ」と言われたのである。そうか、私は再び松田氏の自転車へのこだわりを感じたのである。というのはLEVELという文字の並びを見ると、自転車の中央にある三角のフレームに前後の車輪が付いているイメージが浮かんだからである。
スタジオといい、人柄といい、いったい松田氏のこだわりはどこまで拡がっていくのか私の好奇心は深まる一方だ。すると、松田氏は奥の壁に取り付けた一台の自転車を指し示されたのである。聞くとその自転車は、1984年、大阪で開催されたインターナショナルサイクルショーに合わせて完成させた記念すべき1台でロードレース用の自転車だと言われる。そういえば、この自転車はこれまでに見たことのないフォルムをしている。軽快な白いフレームに前輪が後輪よりも一回り小さい。前傾姿勢でスピードが出そうなことが素人目でもわかる。ブレーキやワイヤーやヘッドパーツなどがすべてフレームの内部に収納。人呼んで"オール内臓レーサー"と言われるゆえんである。

記念すべき自転車ということがわかると「では、この自転車はいくらぐらいするんですか」と下衆な質問をしてしまう私である。「優秀な職人6人が3ヶ月がかりで、最後の1ヶ月はほぼ徹夜。完成したのは搬入前夜真夜中ですよ。このような職人に最低でも一人50万円の労賃を払って、そこに材料費を加えると350万円の原価ですよ」。「ええ!」だ。いくらレーサー用といってもその金額に驚きだ。1万前後の自転車に乗ってる我が身がたちまちのうちに固まっていく。だが松田氏は「自転車はとにかく走ればいいんだ、だから低価格でちょっとした機能が付いていればという方はそれはそれでいいでしょう。だが一方で、精度、性能、強度に徹底的にこだわる人もいるんですね。だから、その要求に応えるこだわりの作り手も必要なんですね」と涼しい顔だ。
となると、350万円の前に並ぶ自転車もそれなりの値段なんだろうと思いを巡らしていると、松田氏は「自転車の生命はフレームです。パイプ1本で自転車の精度や性能が違ってきます。そのため、選手の体格、体力、能力などに合わせてフレームパイプを調整します、1ミリの長さの誤差が選手のハンドリングや競走に影響を与える場合があります。100人いれば100人のフレームを作ります」と熱く語られ、「ほら、この窓の向うでフレームの溶接をしているところですよ」と言葉を添えられたのである。

展示スタジオの裏が制作の作業場になっているんだろう。松田氏の後ろの壁の窓ガラスを通して、バーナーから出る青い炎が見える。手馴れた職人さんがフレームパイプのロー付け作業を黙々と行なっておられる。まさにフレームこそ自転車の生命であることが伝わってくる。すると松田氏は「あのロー付けの時に一番大事なのはバーナーを当てるフレームパイプの色の変化から、これは最適な温度かどうかを瞬時に見極めることなんです」と言われたのである。まさにフレームビルダーの腕の見せ所なんだろう。その真摯な姿勢に魅せられるばかりである。そして、松田氏の言葉を借りれば、"走るプロと作るプロのコラボから生まれた競輪用自転車。その技術とノウハウを活かして作っているのがいま目の前にあるような自転車なんですよ"ということである。
ビジネスマンのために書類カバンがスマートに収納できる自転車『バッグボーン』、足を上げるのがつらい高齢者や障害者のための自転車『優U』、重い荷物を載せても重心が安定したお買い物用の自転車『マイばすけっと』、すべてが乗る人の目的や身体に合わせた自分仕様の自転車だ。こうなると、私はもう値段は気にならなくなってきている。高い安いではなく本当にこのような形の自転車を必要とされる方がおられるからである。すると、私のそんな想いを察したかのように「売るのは自転車ではなく、目的に合わせたお客様の"満足"です。自転車がその人のライフスタイルにどれだけ寄与できるか、それが私のこだわりです」
世界に一つしかないハンドメイドの自転車を作り続けられる松田氏。その経歴を少し紹介しておこう。
1968年、22歳のときである。実用の自転車を製造されていた父親の会社に入社し、1975年からレース用自転車のフレーム製作を開始される。そして、1980年に財団法人JKA(元日本自転車振興会)<NJS>登録を経てプロの競輪選手のためのオーダーフレームの製作に着手される。競輪選手用の自転車はNJSの登録者でないと製作できないのだ。
その後、フレーム設計の精度を上げるために業界初のコンピュータによるCADシステムを導入されたのだが、"CADは腕の悪さをごまかすものだ"と非難されたそうである。

ところが、ここはやはりこだわり人の心意気である。非難を一掃する自転車を作ってやるという思いで完成されたのが先ほど紹介した壁に飾ってある"オール内蔵レーサー"である。だから、先ほどの"記念すべき"という思い入れはわかるというものである。そして、1995年には社長に就任。2000年に『荒川マイスター』、2003年に『東京マイスター』に認証されている。その間、『ハンドメイド・バイシクルフェア』(財団法人自転車普及協会)で4年連続最高賞を受賞されている。
「短くもあり、長くもあり。この40年間は自転車と共にですよ。これからも世界に一つだけの自転車を作っていきますからね」。まさに自転車にかけた人生だ。こだわりの使い手がいれば、こだわりの作り手がいる。これからも世界に一つだけの自転車を作っていきたいという一方でこんなコメントをいただいたので、最後に紹介しておこう。
「荒川区は名実と共に自転車の街なんです。昭和30年頃は自転車の地場産業といえば関西は堺市、関東は荒川区です。ここ荒川区にはセキネ自転車、ゼブラ自転車などのブランドメーカーを頭に300社近くの自転車関連会社がありましたからね。いまは時代がすっかり変わってしまいましたが、"自転車の街、荒川区"の誇りは失いたくないんです。安全でおしゃれで、快適な自転車ライフ、荒川区から提案していきたいんです」
そういえば、息子の裕道氏が三代目として後に控えておられるそうだ。ああ、ここにもこだわりかあるぞ。なんと、名前に自転車が走る『道』という文字が入っているではないか。
LEVEL マツダ自転車工場のWEBサイトはこちらから⇒ http://level-cycle.com/
文 : 坂口 利彦 氏