こだわり人[2012.06.07]
鳩と鴉が、いつも身体の中で舞っている。/ 彫刻家の柳原義達氏と建築家の関口雄三氏
一人の彫刻家が一つのこだわりを持って作品を創る。その作品に触れた一人の建築家が自分のこだわりにさらに磨きをかける。"昨日から今日、今日から明日、明日から未来へ"と、時を越えたこだわりへの軌跡。今回はお二人のこだわり人をクローズアップさせていただいた。
後日談はこちら
■こだわり人 ファイル007
鳩と鴉が、いつも身体の中で舞っている
彫刻家の柳原 義達氏と建築家の関口 雄三氏
いささか手前味噌でお許しいただきたい。今から20数年前に、ある新聞社の広告賞で大賞のトロフイーをいただいた。オリーブの葉の上に立つ孔雀バトの像である。添えられたコピーを読むと、彫刻家は柳原義達氏(1910年〜2004年)。絶望的な状態の箱船のところにオリーブの葉をくわえた孔雀バトが飛んできて、まだ"希望がある"ことを勇気づけたノアの箱船の話をモチーフに作ったと記されている。
正直言って私は柳原氏についてよく知らず、そのまま本箱の上に置いておいた。ところが先頃、WEBサーフインを繰り返していた時になにげなく柳原氏ってどんな方なのかを検索してみたのである。すると、柳原氏の作品に対するこだわりとその作品が東京・江戸川区の葛西にある関口美術館に数多く展示されているという言葉に出会ったのである。だが、関口美術館って聞いたことがなかったが、館主は関口雄三氏で、建築、環境、文化を人生のつむぎ糸のようにされているこだわり人というではないか。となると、これは見逃せない。柳原氏のこだわり、関口氏のこだわり。ここはお二人のこだわりに触れなければの想いに駆りたてられたのである。

ちょっと前置きが長くなった。これからが本題である。
地下鉄の東西線の葛西駅から歩いて10分。閑静な住宅街である。こんな所に美術館があるのか。なぜかこだわりの前哨戦が早くも始まっているようで、足を急がせる。すると今日は"見たい欲求"が特に強いのだろう、7分ぐらいで瀟洒なマンションの1階にある関口美術館に辿り着いた。ざわざわした都会にありながらちょっと時間が止まったようないい雰囲気だ。路上の壁越し、緑の植え込みの先にちらちらと彫刻が見えるのもいい。これは早く中へとドアを開けると、これまでの美術館で味わったことのないやさしい空気の流れがたちまちのうちに我が身を包み込んでくる。
なんだろう、この感触は。時間が完全に止まってしまい、あたふたした毎日がたちまちのうちに消え失せていく。何か私だけの特別ルームに誘われていくようだ。歩幅も先ほどと違って自然と縮まり、このひと時は自分専用の時間にしようという想いがどんどんふくらんでくる。そして足を一歩踏み入れると、私の予感が完全に実感に変わっていく。そこは完全に柳原ワールドだ。展示された40数点、その存在感、その迫力はやはり違う。柳原氏の想いや吐く息吸う息。WEBでは味わえない肌触りが私の身体の中に一気に飛び込み、宿っていく。

考えてみれば、それもそのはずだ。私の持っている孔雀バトと同じような鳩と鴉が、リビングからテラスを通って庭先へという住居空間に展示されているのだ。しかも、それらはいましがたこの家に舞い降りてきて、あまりにも居心地がよいので羽を下ろした。すると、この家のご主人は彼らにすっかり惚れ込んで、"そのまま、帰らないで"と魔法をかけてしまった。
何かおとぎ話に出てくるようなシーンがなんども頭の中を行き来するのである。

でも気になるのは、平和のシンボルといわれる鳩と、ともすれば嫌われモノの鴉が同居していることである。そこに、柳原氏のこだわりがあるのだろう。
答えを求めて、柳原氏のプロフィールを紹介するパネルを読んだが答えはない。だが、そこに貼ってあった柳原氏の写真には心が揺すぶられた。というのは、鳩や鴉の力強さ、荒々しさに比べ柳原氏は実に穏やかで、街の優しいお医者さんという雰囲気をお持ちなのである。いったいこの違いはどこからくるのだろう。そこにえもいわれぬこだわりを感じるではないか。すると、私のそんな想いを察したか、館員の方が関口館主に会わせてくれたのである。

お会いするなり、関口館主に感服だ。こだわりが洋服を着ているといったら怒られるかもしれない。でも、不躾に聞いてみた。"柳原さんの鳩や鴉を集めておられることに、こだわりがおありなんでしょうね"。すると、関口館主は言われたのである。"銀座の焼き鳥屋に飾ってあった柳原氏の鴉を見たのが最初の出会いです。その後、柳原氏の作品を見ていると、いつしか自分の内なる姿、例えば毎日の喜びや悲しみや寂しさと重なってくる。鳩も鴉も。生きとし生きるものはすべてたくましき生命力を持っている。私もまた彼らと同じようにたくましく生きていかなければということを教わったんです。だから、私が受けた想いを自分だけのものにしないで、多くの人に共有していただこう。そんな想いがこの美術館の開館につながっていったんですよ"。
なるほど。こだわり人をこだわり人が惚れている。気になった柳原氏の鳩と鴉の同居が晴れる思いだ。関口館主は柳原氏の想いをそっくりそのまま引き継がれているのだ。となると、関口館主の今日に至る道のりを聞きたくなるというものだ。"私は生まれも育ちも葛西なんです"から始まった話をかいつまんで紹介させていただこう。

関口館主は東京湾に近いここ葛西の半農半漁の家に生まれられた。
近くの海は父親の仕事を手伝う場であり、格好の遊び場だったのである。潮干狩り、魚の手づかみ、のりすき、ベカ船、少年時代の海が今でも頭から離れないと云う。その後、絵を描くことが好きだったので名門の日本大学芸術学部に入学。都市計画を中心に学び、卒業後はあの黒川紀章氏の建築設計事務所などに勤め、28才の時にふるさと葛西に「関口雄三建築設計事務所を設けられたのである。ところが、経済優先の開発の名の下に街や海が壊されていくことに疑問を感じ、"これでは東京の自然がなくなってしまう。特に自分を育ててくれた葛西の海がなくなっていくのはたまらない。ここは住民の立場に立った建築家として今できることは"という想いで一念発起。建築、環境、文化を同じフイールドで考えていこうという想いが募り、「ビッグバン株式会社]を立ち上げられたのである。
何と力強い社名であろうか。もうこれだけで関口館主の想いが伝わってくる。建築家という枠を越え、人間として何をしなければならないかという想いが押さえ切れなかったのだろう。だから、造られる建築物は"CADで図面を作って、さぁ建てて"というものではない。季節の香りがあるし、木々の葉音がある。窓辺から差し込む光の24時間、塀の外から聞こえてくる子供たちの元気な声。そこには生活を営む人々の心をしかと受け止めた一つの写し絵があるのである。
しかも、押さえ切れない想いはさらに加速だ。その後、・認定NPO法人ふるさと東京を考える実行委員会をはじめ、健康で心豊かな家族の暮らしを届ける事業(株式会社富洋)やホテル、保養所などのコンサルタント事業などを次々に立ち上げ、建築、環境、文化という関口マインドに一段と拍車をかけてきておられる。

"そうですね。引き潮、満ち潮のようなものかもしれない。これからも尽きることなくやりますよ。特にふるさと東京を考える実行委員会については力が入ります。というのは、この会は私のふるさとともいうべき葛西の海を、子供たちが自由に泳いだり遊んだりできる場にしてやろうという目的で2001年に立ち上げたからです。それによって子供たちは、自然と人間のかかわりを学ぶし、自然を大切にすることは人を大切にすることだという想いを深めていくと思うんです"。
まさに大海原を行く船長の想いだ。次代を背負った子供たちを乗せて次代というアイランドに無事に送り届けてやりたいということだろう。
それにしても関口館主の想いを伺えば伺うほど、生きることへのこだわりに教えられる。単に建築の世界ではない。環境、文化を包含して人間として何をしなければならないかを示唆した関口マインド。穏やかな表情の中にも荒ぶるものがある。まさに鳩と鴉が身体の中で羽ばたいているんだ。だからこれからも、この2羽への想いは変わらないだろう。
"考えてみれば柳原さんもそうですが、人間って生きていること自体がこだわりなんでしょうね。裏を返すとこだわりが生きるエンジンですね。問題はそのエンジンを一過性のものにしないで時を越えて、ふかし続けることですね"。
帰り際にいただいたこの言葉が骨身に沁みる。となると、我が身のエンジンはさび付いていないかということである。よし、今日はこのまま東京湾だ。"エンジン洗って総点検だ"と葛西の海に足を伸ばしたのである。
文 : 坂口 利彦 氏
【TOPICS】葛西海浜公園西なぎさ マリンガーデニング体験イベント>>>関連サイト
後日談はこちら
