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こだわり人[2012.10.01]

オーガニックコットンで人の生命と地球環境を守る

 モノづくりと経営。さまざまなサクセスが語られているが、もしもそこに一つの指針があるとすれば、そのモノづくりに対してどこまでこだわれるものがあるかと言われている。今回はそんな観点から日本のオーガニックコットンのパイオニアといわれる株式会社アバンティの女性経営者、渡邊智恵子氏に着目させていただいた。

こだわり人 ファイル011

オーガニックコットンで人の生命と地球環境を守る
アバンティの代表 渡邊智恵子氏

 2010年のことである。NHKのテレビ『プロフェッショナル 仕事の流儀』で創業社長としてクローズアップされた渡邊氏を見て、非常に気になっていた。人の生命と地球環境を守る。それが言葉だけでなく、オーガニックコットン(無農薬有機栽培綿)に結びついたと紹介されていた。その後も、マスコミ等にファッションやソーシャルビジネスのトレンドリーダーとしてもしばしば登場されていたので、尊敬の目で眺めていたものである。その渡邊氏とお会いできるというのも何と好運か。念じれば功なすかと思いながら、本社のある新宿の大京町に向かったのである。

 会社のあるビルの前は外苑東通りを挟んで新宿御苑だ。窓越に見えるうっそうとした木々の緑は濃く、セミの元気な声まで聞こえてくる。まさに人の生命と地球環境を守りたいという渡邊氏のこだわりを写し撮ったような光景ではないか。ここで働く人たちもそんな渡邊氏に魅せられているだろうとドアを開けると、何と渡邊氏自らの出迎えだ。これは恐縮とお顔を拝見すると、テレビで拝見したあの親しみやすい笑顔だ。肩肘張らないやさしい物腰がたちまちのうちのボクの緊張感を解きほぐす。
しかも、着ておられる洋服が優しい肌さわりのオーガニックコットンだし、部屋のテー ブルやラックにオーガニックコットンの生地や洋服やカーテンなどのインテリア商品が並んでいる。なんだろう、この空気感。オーガニックコットンのオーラというのだろうか。喧騒とした都会の中で。ここの時間だけはゆっくりと流れているようだ。
となると、渡邊氏のオーガニックコットンへのこだわりをとにもかくにも伺ってみたいというものだ。すると渡邊氏はこちらの思いを察するように"アバンティ哲学といった言葉で、オーガニックコットンへのこだわりを集約しているので"と言われたので、その大要を紹介しておこう。

 まず原料へのこだわりである。安心と信頼。確かな原料を安定的に得るためにアメリカのテキサス州で栽培された原綿を輸入されている。化学肥料や除草剤、落葉材を使用せず、あくまでも自然の摂理に従った農法で育てられたものである。
"アバンティ設立当初は、光と水と空気に関わる仕事をしたいと思っていました"と言われるから、まさに水をえた魚ということだろう。

 そして二つ目のこだわりとして上げられたのは製法である。輸入された原綿は風光明媚な瀬戸内海の能美島の紡績工場で、アバンティ製品の元になる糸を作っておられる。創業は明治25年、日本の近代繊維産業を支えてきた由緒ある工場ということである。ともすれば海外の安く作れる工場でという今日だ。だが、渡邊氏はあくまでもメイド イン ジャパンにこだわっておられる。"日本の風土が育んだ品質のよい確かなものを届けたいじゃないですか"だ。

 三つ目は綿糸をもとにさまざまな織物を送り出していく織物工場へのこだわりである。織物は、最終的にはこの工場の職人たちの手の裁量でその良し悪しが決まっていくからである。"そうなんですよ、作る布地の表情に合せて綿糸を一本一本織機にかける作業は気の遠くなるような根気のいる作業です。そのため織機が動き始めると仕上がるまで、わが子を手塩にかけるように見守っています。特にアバンティが作る布は生成り、あるいはカラードコットンと呼ばれ天然の綿の色にこだわっているので、一切の妥協も許さないようにしています"。

 オーガニックコットンへのこだわり。まさに渡邊氏のこだわりここにありだ。
となると渡邊氏の今日に至る道のりが気になるので伺ってみた。"1975年ね、大学を卒業してレンズの製造会社であるタスコジャパンに入社したの。ところが、社長はこれからの時代は女性もどんどん責任ある仕事をしなさいといって私に営業から経理、総務まで何でもやらせるの。おかげで企業経営のアウトラインが見え、自分でも経営をしてみたいと思っていると、アバンティという子会社が設立されて私が社長をやることになったのよ、1985年のことよ"。その時32才というから、渡邊氏の思い察してあまりある。するとそれに応えるように4年後にはアバンテイの株を取得して独立だ。そして1990年にはイギリス人にオーガニックコットンの輸入を依頼されたので、産地のアメリカのテキサス州の農場主と出会い、農薬や化学肥料をつかわず、自然の力で循環する本来の農業に戻すという事業展開に感動。
"よし、私もこれだ!"ということになったそうである。
 以来、オーガニックコットンに執着。分業化が進んだ繊維業界の常識を破って、糸から生地、最終製品に至るまでオーガニックコットンの一貫生産体制を確立されたのである。そして1993年にオーガニックコットンの認証基準を発行する『オーガニックコットン協会』を設立して初代理事長に就任。2000年にはその協会をNPO法人日本オーガニックコットン協会へ改編されている。その間、オリジナルブランド「プリスティン」を発表したり、大手デパートにブランドショップを設けるなどをして、2008年には毎日新聞社『毎日ファッション大賞』受賞、2009年には経済産業省『ソーシャルビジネス55選』に選出、2010年には日経WOMAN『ウーマン・オブ・ザ・、イヤー』総合7位に選ばれるなど、名実ともに一つのサクセスストーリーを描いてこられたのである。

オリジナルブランド 「プリスティン」

 いったい渡邊氏をこのように走らせたのはなんだろう。すると言われたのである。"私は未来進行形。まだまだやりたいことが山積よ"。聞けば、ソーシャルビジネスということか。ソーシャルビジネスに企業の社会的使命の新たな局面を見ておられるのである。その一つがマスコミ等でも大きく取り上げられた『東北グランマ仕事づくりプロジェクト』という東日本震災復興支援事業である。

"大震災で大きな被害を受けた婦人たちの不安と孤独を解消し、早く日常を取り戻すためには日々の仕事が必要だという思いから、モノづくりを生活の糧にしてもらうことにしたの。『クリスマスオーナメント』や『幸せのお守り』などを作ってもらって工賃を払うことにしたのよ"。
なるほど、泣いていてはダメ、自立しなさいという渡邊氏の思いだ。
"おかげで多くの企業や団体の方に買っていただいて。いざとなれば、みんな優しいのよ。支援は自立への露払いよ。応援できる人は応援しなければねぇ"

 それからもう一つが、いま話題になっている『福島オーガニックコットンプロジェクト』である。やはり大震災や原発で被害を受けた福島への渡邊氏なりの深い思いである。"そうなの、農地の復元に向けた道筋がいまだに見えないなか、地元のNPOザ・ピープルとコラボして、いわき市で綿花の栽培を循環保全型農業として始めたの。土地の再生という目的に加え、いわき市には繊維関係の工場が多いので、ここを栽培から製品に至るオーガニックコットンの新しい繊維産業地にしたいの"。世に言う『地産地消』をオーガニックコットンでということだ。
生産者、加工者、消費者が一体となった壮大なグランドデザインを描いておられるんだ。

 渡邊氏と向かい合っているだけで、渡邊パラダイムがどんどん我が頭に移り住んでくる。まさに時代が呼んだソーシャルビジネスの典型だ。人の生命と地球環境を守るという渡邊氏の積年のこだわりが着実に開花しているんだ。すると渡邊氏、自分が着ているオーガニックコットンの洋服に手を絡めて言われたので、その言葉を今日のお土産にさせていただいたのである。
"人はみんな、時代を背負って生きているのよ。その時、元気であればより重いものにチャレンジできる。幸い私は生まれた時から元気印なので、少々重かったオーガニックコットンをここまで運んできたの。後は、その勢いを変わらず保持して、次代の人々に送り届けてあげないと、ね。ほら、私は未来進行形よ"

渡邊氏ブログ   http://ameblo.jp/ocaj/
(株)アバンティ  http://www.avantijapan.co.jp/

文 : 坂口 利彦 氏