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こだわり人[2012.10.26]

指先から始まる街の彩り、文化の香り

 時代への想いを彫刻に託し、創った彫刻で人の心の中にある生命の活性化因子を揺り動かす。こだわりの彫刻家、小堤良一氏。その手の中に過ぎ去った時の送り方を、これからやってくる時の迎え方を拝見させていただいた。

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指先から始まる街の彩り、文化の香り
現代日本彫刻作家連盟同人 小堤良一氏

 2010年の3月である。毎日新聞の朝刊の記事に目が留まった。日本経団連会館(東京・大手町)の入口上部にふくろうのモニュメントが設置されたと。読むと、前会長の御手洗富士夫氏が会長を辞するにあたってポケットマネーで寄贈したとされている。そして、その除幕式に自ら立ち会って、"ふくろうは知恵の使者であり、経済の象徴である。その翼を大きく広げた姿は日本経済の行く手の羽ばたきである~"云々のコメントが添えられていたのである。

 ここまでなら別に目を見張ることもなかったが、そのふくろうを創った彫刻家が小堤良一と記 されていたのである。何、この人は15年前に白水社という造型会社で企画部門におられ、何 度か一緒に仕事をした方ではないか。東京芸術大学の大学院卒業後、白水社に勤務しながら 彫刻を作っていることは知ってはいたが退職されたので、その後を知ることもなかった。確か一 緒に仕事をしている頃は、女性像を中心に作品を創っているという話を聞いていたが、経団連 にふくろうの彫刻とは、もうボクの好奇心は一気に全開だ。

 さっそく、WEBで小堤氏を検索してみた。すると、学校を卒業してからの作品歴が綴られていたので、それを読むと同時にその創作物に目を見張った。何と、ボクが時々立寄っている神田神保町のすずらん通りにある老舗の本屋「東京堂書店」の『知の森』と名づけられたふくろうの彫刻を小堤氏が創られていたのである。正直、書籍ばかりに気を取られて、その存在に気がつかなかった。
しかも、 WEBをサーフインしていると、そこから歩いて約10分、九段下のある「東京堂書店」の千代田ビルの前にも小堤氏の『ふくろう家族』と名づけられた彫刻があることが記されていた。そして、その脇に店主の大橋信夫氏の"ここにも、ふくろう一家に住んでもらおうと考えた"とちょっと含みのある言葉が添えられていたのである。

 となるとここは小堤氏ウオッチングだ、次の日に出かけてみた。いや、すごい。
たちまちのうちに我が心の琴線に触れてくる。まさに小堤ワールドだ。ふくろうに込めた小堤氏のやさしい想いがどんどん身体の中に溜まっていく。特に『ふくろう家族』の遊び心は笑いを誘う。ビルの前に立つ数十本の自然木に混じって小堤氏が制作された彫刻の木が立っている。その木は5メートルぐらいあるのだが、遠くから見ると金属製とは気がつかないだろう。実にリアリテイーがある。しかもその木の中ほどの穴にはふくろうの親子が、また、その上の枝には今にも飛び立とうとしている羽根を広げたふくろう、さらにその上には、もの思いにふける大小のふくろうがいる。まさに『ふくろう家族』だ。そこに、えもいわれぬ人間小堤氏のこだわりを感じるのである。

 そこでボクは小堤氏とお会いして、再会もそこそこに伺ってみた。女性像とふくろうが同居する彫刻家の魂を。すると、懐かしそうにこれまでの足取りを紹介いただいたので、少し触れさせていただいておこう。
小堤氏は大学中に、戦後日本を代表する舟越保武氏〔1999年 文化功労者顕彰〕に師事された。その氏がその後の小堤氏の彫刻に大きな影響を与えたそうである。となると、舟越氏とはどんな人かと云うことである。少し脇にそれるが簡単に紹介しておくと、舟越氏は75歳の時に脳梗塞で右半身不随になられたが、亡くなる89歳まで左手で創作を続けられている。
代表作は『長崎26殉教者像(1962年)』とされているが、作られた大半が女性像でいつくしみ、慈悲の心がどれにも満ちあふれているといわれている。作家の遠藤周作氏は『聖なるもの』の中で、"~我々の魂の最も奥にある大いなるものへの希求が刺激されるのである~人間の誰もが持っているかなしみと苦しみとが、思わず手を合わせるあの気持。それが先生の御作品のどれにも存在しているのだ~"と書かれている。

 その舟越氏に師事されたのだ。小堤氏の彫刻のどれにもやさしく人の心根に響いてくるものがあると言わしめていることに納得だ。"これがボクの作品歴"と云われたので、その内容を表にして紹介させていただこう。

 彫刻歴30数年、女性像とふくろうへのこだわり。人の行き来する公共施設や学校や病院などに多く設置された作品の数々。そこに舟越氏ゆずりの小堤氏ならではのいつくしみの心が読み取れる。そして、女性像については"時代の吐く息、吸う息の中で身体全体を使って生きる女性ならではの健康的な美しさに共感。その折々のフォルムの美しさを封じ込めることによって、見る人の心に小さなさざ波を与えたい"。
また、ふくろうについては"学校卒業以来、女性像を中心に彫刻を創ってきましたが。1992年にある建築家からビルの外壁にふくろうの彫刻を依頼されたんです(港区・赤坂DSビル)。自分の培ってきたものとまったく違う方向かと思ったんですが、完成してビルの一角から地上を見下ろすふくろうの姿に感激、以来、生きとし生きるものの生命力を形にということですよ"と語られている。

自分の掲げたテーマを追いかける、自分がのめり込んだフォルムを追いかける。そこに彫刻家ならではの真髄があると言われている。いや、その追いかけなくしてなんの彫刻家ということかもしれない。そんな中で小堤氏はいま、生きとし生きるものへの想いにさらに磨きをかけ、時代と向かい合っていきたいと言われる。"いまボクは、パブリックアートという世界に非常に興味を持っているんですよ。人が行き来する日常的な空間のなかで、自分の心根を伝えたいんです。伝えることによって、今日を生き、明日を生きる応援歌になればと思っているんです"。
そういえば、ともすれば地味な県といわれる埼玉県の『彫刻でまちづくり』という行政施策がいま全国で大きな話題を呼んでいる。街の景観という観点からパブリックアートを積極的に推進するというものである。小堤氏も言われる。"ある面では世知辛い世の中で、一つの彫刻が街に彩りを与え、文化の香りを漂わせるなんてうれしいですね。

 彫刻家の一人として新しいミッションを感じますよ"。そして、言葉を付け加えられるのである。"彫刻がその街のランドマークになるなんていいですね。記念写真のロケーションでもいいし、遊具でもいい、ちょっとした心の拠りどころでもいい。ボクらが創った後は、そこを行き来する人や集う人のものにいなってほしいんです。ボクの名前なんかどうでもいい。ボクらのプライベートなクリエイティブがパブリックなクリエイティブに変わっていくんですよ"。

 確かにそうだ。パブリックアートはそれが設置された瞬間から、皆のものだ。行政的にいえば、その街の写し絵だし、地域資源だ。そこには、言葉ではない、 無言のメッセージがあるんだ。そこには、人の心の中にある活性化因子のようなものがあるんだ。ここに注目される小堤氏の言葉を借りるならば、"環境も好き、人間も好き"と言うことなんだろう。もっと言うと、ともすれば時間に追われ、我を忘れ類型化する現代人に"ちょっと立ち止まって"と言うことかもしれないのだ。

 小堤氏と話をしていると、何か忘れ物でもしたようなボクの頭の中に活性化因子がどんどん入り込んでくるようだ。そのすっきり頭にこんなお土産言葉をいただいたので、最後にその言葉を紹介し ておこう。"実はボクの家内も彫刻家なんです。小堤寿美子と言うのですが、『窓を積もる記憶』と いった作品を創っています。毎年、二人のささやかな個展を開いていますが、夫婦といえど彫刻へ の想いはそれぞれですね。ボクは趣味でフルートを吹いていますがいつも音楽から大きな影響を 受けています。特にモーツアルトの開放的な世界です。求心的で内向的なバッハの世界と違って、 モーツアルトは一つの機軸から、外へ外へと拡がっていく遠心性があるんですよ"。


文 : 坂口 利彦 氏