こだわり人[2013.04.26]
銀のカトラリーを作り続けて58年、あの輝きは生涯の友です

"『葛飾町工場物語』をご存知ですか"と、小冊子24年版が東京・葛飾区から送られてきた。正直、知らなかったが、どうやら"ものづくりのまち葛飾"の魅力を伝える広報冊子のようだ。すると、その中にちょっと気になる企業名が出ていたのである。カトラリーという銀の食器を作って87年という老舗の上田銀器工芸株式会社である。
ということで、今回のこだわり人は葛飾区の上田社長をクローズアップさせていただいた。
■こだわり人 ファイル017
銀のカトラリーを作り続けて58年、あの輝きは生涯の友です
上田銀器工芸株式会社(東京都・葛飾区)
葛飾区といえば、真っ先に浮ぶのはあの"柴又の寅さん"だ。だが、意外に知られていないのが"ものづくりの町"ということである。都内23区の工場数を見ると、1位大田区、2位墨田区、3位葛飾区ということだから納得だ。勢い、区でも製造業の活性化を支援。『葛飾町工場物語』もその一環で、すぐれた技術や製品を葛飾ブランドとして認定し、その開発の背景やエピソードをストーリー化して情報発信されているのである。開始されたのは平成19年度からで毎年10社を認定されているが(22年は8社、24年度は11社)、上田銀器工芸は24年度に銀製カトラリーに対して授与されたのである。
カトラリーってちょっと馴染みのない言葉だが、フォークやナイフ、スプーンなどの洋食器を意味するフランス語である。日本でこの言葉がいつから使われるようになったかは定かではないが、江戸時代に金属を金槌で打ち叩いて銀器を作り上げる『銀師』と呼ばれる職人さんが東京を中心に多くいたそうだ(鍛金技術)。現在では全国でも数十件と数えるほど。洋食化が進んだと言っても、箸文化の日本だ。その隆盛を察して余りある。
だが、上田社長の銀食器へのこだわりは国、東京都、葛飾区が認定した伝統工芸士という肩書きが何よりもそれを物語っている。しかも、上田社長が凄いのは伝統工芸士と言っても時代の新しい技術も"いいものはいい"という観点から、上田社長の言葉によると"伝統の職人技と機械の職人技のコラボレーションを徹底追求"されていることである。

東京スカイツリーの誕生などで何かと話題に取り上げられる京成本線。堀切菖蒲園の駅から商店街を抜けて上田銀器工芸へ。道すがらに製作所とか工房と書かれた文字が目に飛び込んできて、なるほど"ものづくりの町 葛飾"を思わされるが、中には看板は上っているがシャッターが下り明らかに事業を辞められた雰囲気の佇まいもここかしこにある。昨今の町工場事情を思えば何か複雑な気分になったが、上田銀器工芸の明るいビルを目にすると、たちまちのうちに揺れる思いは一転だ。

ところが、中へ入って声をかけさせていただいたのだが一向に誰も出てこられないのである。やむなくドアを開けると、なんと、HPで見ていた上田社長がパワープレス機と無心で向かいあっておられるではないか。伝統工芸士で社長と言われるのだから、社長室でドーンと構えておられると思っていたら何はからんだ。自ら、フォークを一本一本手作りされていたのである。
すると、上田社長は「いま、手を止めることはできない。次の工程の職人さんに私のやったものを流さなければならないので、30分ぐらい待ってください」 だ。もうこれだけで銀食器へのこだわりが伝わってくるではないか。
待つこと30分。2階に案内されると、壁一杯に置かれたガラスケースに銀製のカトラリーが所狭しと陳列されている。近づいてみると、昭和34年、皇后美智子様ご成婚の折の白樺のお印入銀製カトラリーを初め皇室の晩餐会や高級レストランで使われる銀製カトラリーが並べられている。また、テレビのドラマなどの高級な食卓シーンでも使われるのだろう、人気の木村拓哉さんが出演した「華麗なる一族」(2007年1月〜3月TBS)の万俵家の食卓を飾った銀製のディナーセットが番組写真と共に飾られている。デパートなどで銀製カトラリーの陳列を見ることはあるが、こんなに我が瞳孔が開いたことは一度もなかった。そのグレースフルな輝きがさまざまなディナーシーンを思い浮かばせる。しかも、まばゆいカトラリーの間にさりげなくおかれたさまざまな表彰状が上田社長の銀食器へのこだわりを垣間見せる。

「おかげさまで、私自身この道58年、銀への想いはつきませんね。」
と言われればもういけない。ここはとにもかくにもこれまでの経緯を聞かせてくださいだ。
「私がこの世界に入ったのは昭和30年、15才の時です。大正15年に父が銀師としてこの事業を始めたのですが、子供が後を継ぐのがあたりまえの時代ですよね。以来、父から金工技術を仕込まれてきましたが、おかげさまで昭和50年に社名を上田銀器工芸株式会社として私が社長につきました。その間、美智子皇后の御成婚は34年だから。父の腕も察して余りあるでしょ。」
確かにだ。お聞きすると、伝統を重んじる父とお客様に喜ばれる物を作るには機械も辞さないという上田社長との間には喧々諤々あったそうだが、納得できる物を作るという点では同じだったんだろう。ただ手法が違うと言うことだ。でも、伝統の職人業と機械を使った職人技が見事に調和して、銀食器製作の一つの理想の形を創出されたんだ。
以降、平成2年に通商産業大臣指定・国の伝統工芸士に認定され、平成5年には皇太子妃雅子様の浜茄子のお印入銀製カトラリーを製作。平成6年には東京都伝統工芸指定・伝統工芸士に認定されている。その間、その後の華々しい栄光はHPでも紹介されているが、平成12年には銀器の精励した功績によって黄綬褒章を授与。13年には内親王愛子様のベビースプーンを製作。まさにロイヤルブランドの第一人者の工芸士になっておられるのである。
こんな晴れがましい経歴をお持ちなのにその温和なこと。失礼だが、穏やかな物腰。下町の意気のいいおやじさんと言う感じだ。そこで、上田社長に聞いてみた。銀食器の魅力を。
「銀の輝きです。銀は純粋とか無垢のシンボルとして重宝にされますが、金属の中でも銀は一番反射率が高いんです。手入れさえしていればいつまでも輝き続けています。"いぶし銀"と言う言葉があるでしょ、長く使っていると光は深みを増してきます。司馬遼太郎さんが"けばけばした金はヨーロッパや中国の文化だが、銀は日本人の心を映しこんだ文化だ"と言っておられたが、銀はまさに日本人の美意識の象徴ですよ。」
そして、言葉を付け加えられたのである。
「輝きに加え、銀に魅せられるのは銀の抗菌性です。まな板や化粧品に銀が使われていますし、最近では靴下や下着にも銀が入っていることが話題になっているでしょ。水の入ったグラスに銀のスプーンを入れておいて飲むと、肌が美しくなると言うのも銀の抗菌性を言っているんですよ。」

そういえば、赤ちゃんが誕生した時に銀のスプーンを贈るのは"抗菌作用で赤ちゃんが病気ならないように"ということを耳にしたことがある。また、西洋で銀の食器が重宝にされてきたのは、金は毒物に反応しないが、銀は瞬時に反応するからだ。王族や貴族は食べ物に毒物が入っているかいないかを調べるために銀食器を使ったので、その風習が現在にも受けつがれている。晩餐会などで銀食器を使うのは"この食べ物には毒は入っていませんから、安心して食べてください"という証ということも耳にしたことがある。
こんな銀の魅力にとりつかれた上田社長だ。銀製カトラリーに対する想いは熱く、「この業界で一環製作するオールイン ワンスタイルのはうちだけですよ」と言われるので、そのこだわりの製造ラインをとにもかくにも見せてくださいというである。すると、嬉しいね、上田社長は"どうぞ、どうぞ"ということである。
「フォークやスプーンに使う銀は国際標準のシルバー925という合金を使います。これは銀が92、5%、銅が7、5%という比率の合金でスターリングシルバーと呼ばれ、銀食器を作るのに輝き、重さ、硬度の面で最適なんですよ。」
銀100%純度だと、柔らかすぎると学生の頃に聞いたことがある。スプーンなどに記された925という数字はなんだろうと思っていたが、そういうことだったんだ。
「板状になったシルバー925を仕入れると、まずパワープレス機でフォークやスプーンの『粗抜き』をします。次いで材料を柔らかくする『焼鈍』を行った後、金槌で叩いて柄の根元などを太くする『鍛金』といった作業を行ないます。ここは伝統的な職人技が要求される最初の難所です。その後、スプーンなどの皿の部分を薄くする『ロール作業』、さらに柄の部分の文様を成型する『型打ち』をフレクションプレスという機械で行います。」

ここまでの工程で行なう『粗抜き』や『型打ち』で使う抜き型や文様の金型を自社で作っているのが上田銀器工芸の大きな特長だそうである。というのは上田銀器工芸では多彩なデザインシリーズをラインアップされているし、品目も多い。その抜き型や金型をいちいち外注製作していたら、コストが大変だ。また、文様を作る腕のいい彫刻家も少なくなってきている。その解決には、自社で作ったほうがいいということになったそうである。
そのためのワイヤーカット機、放電加工機、3次元造型機など、機械に任せられるものは機械でということだろう。金型などが保管された棚を見せていただいたが、その数には圧倒される。創業以来、80年に及ぶ金型がすべて収容され、いつでも瞬時に取り出して製作に取組めるようになっている。

銀製カトラリーへのこだわりはさらに続く。『型打ち』されたものはパワープレス機で余計な部分を取り除く『上げ抜き』や『やすり磨き』を行ない、バブ研磨機で「粗磨き」を行なう。そしてさらにフレクションプレス機でスプーンの皿の部分を成形する『坪出し』やフォークの『刃先曲げ』を行なった後、やすりやペーパーで細かなキズをとる作業、さらにさらにもっとも細かなバブ研磨を行なって、納品しておられるのである。
スプーンやフォーク1本にこれだけの工程を辿っておられるのだ。そこではまさに先にも紹介したが人手による職人技と機械により職人技の見事なコラボレーションがあるのみだ。
「『鍛金』や『型打ち』や『バブ研磨』は機械でやるといえど、職人の手の感触が大事です。例えば、文様を成型する『型打ち』のフレクションプレス機などは作業する職人さんの腕次第ですからね、どの程度の力加減で打てば最も美しい文様ができるかなんて」
ところで、このような工程で作られた上田銀器工芸自慢の銀製カトラリーを紹介しておこう。オリジナルディナーカトラリーとしてcuiljereen925シリーズ (フルール、マンハッタン、シンプルマリーナ、翼、松、竹、梅) と cutleryシリーズ(キングリチャード、クイーンローズ、プレリュード、フレンチ、プレーン、モダンライン)をラインアップされている。かつて銀のイメージワードを調べたことがあるが、前者には格調、華麗、スタイリング、ビューテイーといった言葉。また後者には繊細、豪華、永遠、ゴージャス、クオリティ、しなやかといった言葉が踊り、その言葉一つ一つにも上田社長の銀へのこだわりを思い知らされるというもんだ。また、上田社長から、
「銀製カトラリーの経験を元に『出産お祝い銀器コレクション』や和の季節の花で彩る『銀製12ヶ月誕生花スプーン』などを提供してますので、お見逃しなく」なんて言われると、上田社長の銀への思いにただただ圧倒されるばかりである。

"金は金庫などにおいてあると安心感を与える価値があり、銀は工業用などの材料として使うところに価値があるといった言葉がありますね"と別れ際に上田社長に言ったのである。すると、上田社長は言われたのである。
「銀で作ったものは使っていくうちに自分の色になっていくんです。時を越え、その人の歴史が刻まれていくんですよ。物語があるんですよ。」
そんな言葉をお聞きしていると、「葛飾町工場町物語」は実は上田銀器工芸のために用意されたものに見えてきた。となると、これから先『上田銀器工芸物語』はどのような続編を描いていかれるのだろうか。何か無性に読み進みたくなったのである。
<さらなるこだわりの数々をご覧にいれます!>


WEBページでも美しいカトラリーの数々がご覧いただけます↓
http://www.ueda-silver.co.jp/
文 : 坂口 利彦 氏