こだわり人[2013.07.09]
創業230年、老舗のこだわり。
街を歩いていると、見るからにこだわりを感じさせるお店や建物に出くわせることがある。ついつい立ち止まって、所有者や作り手の想いをあれやこれやと考えてしまい、その胸の内を聞きたくなるというものだ。今回、着目した東京都中央区の人形町にある『うぶけや』は、店の前を通るたびに足を止めさせられていた打刃物の製造販売店である。
■こだわり人 ファイル019
創業230年、老舗のこだわり。
刃物店『うぶけや』(東京都・人形町)
人形町について言えば、改めて紹介することもないだろう。商人の街として、また、職人の街として栄えた江戸の伝統を受け継ぐ粋な街である。ついついこの街を回遊したくなってしまい、江戸時代から続く老舗の食いもの処や伝統的な工芸品店などに出くわすと、何かホッとさせられるものがある。作家の小林信彦氏は『私説東京繁昌記』の中で"人形町は<玄治店跡>とか<谷崎潤一郎生誕の地碑>とか、史跡が多く、そして、なりよりも、通りの西側裏通りに、古い東京の家がひっそり残っているのが貴重である。願わくば、ほどほどに繁昌して、奇妙な今様にならぬように"と書かれている。

『うぶけや』は小林氏のこんな言葉にあたかも答えるようだ。裏通りどころか、地下鉄日比谷線の人形町の駅から歩いて約30秒、人の行き来の激しい表通りで(写真にあるように)実に趣きのある佇まいを維持されている。周りがどんどんビル化されていく中で、この佇まいだ。もうこれだけで『うぶけや』のこだわりを見て取れるではないか。webによると、木造3階建ての建物は昭和2年に建てられ昭和50年に改装されたが、唐傘天井や陳列棚は東京大空襲にも耐え残ったものをそのまま残しているといわれるから店主の想いが伝わってくるというものだ。
ところで今回は事前にアポイントをとらずにいきなりの飛び込みにした。webなどを拝見していると、鋏や包丁などを扱う伝統的な刃物店としての商人の心意気と刃物に対する職人的な熱い想いを感じる。客になってお店に入ると、どんな対応をされるのかということをとくと味わってみたかったのである。
3階建ての店の前に立つと、2階の屋根に掲げられた看板が目に飛び込んでくる。木製の看板に書かれた右書きの文字がもうこの店の歴史を見事に語っている。また軒下にも小ぶりの同じような木製の看板がかかっている。その看板の由緒についてはwebで紹介されていたが、お店でゆっくり聞いてみようということで、ガラス戸に手をやったのである。すると、もう懐かしいということだ。ガラス戸を左右に開けてお店に入ったという子供の頃の商店街がたちまちのうちに甦ってくる。マニュアル的な対応ではなく、親しく言葉を交わしながらのあのホットな空気感である。
すると、この店にはこの人だろうなと思われる親しみやすい大女将と小粋な若女将に迎えられたのである。レトロな趣のある店内とお二人が実にいい雰囲気を作り出している。おそらく現在の当主、矢崎 豊さん(60才)のお母さんと奥様だろうと思いながら二言三言話をしていると、"いらっしゃい"とご本人が出てこられたのである。

江戸の伝統を現在に受け継ぐ老舗の商家というから、何か緊張させられるものがあるのかと身構えていたのだが、まったくの思い違いだ。その物腰のやさしいこと。口調も穏やかで、"ああ、これが商人の心意気に職人の熱い想いを合わせ持った、世に言う"職商人"の持ち味か"などと肩の力を抜き、立寄った趣旨を話すと、寸暇もおかずに「どうぞ、おかけください」だ。

喧騒とした外の空気が止まったようだ。『うぶけや』と銘の入った包丁や鋏や毛抜きが控えめに陳列されている。派手な照明を浴びてこれでもか、これでもかという御仕着せ的な雰囲気は微塵もない。あくまでも穏やかで"陳列よりも展示されている"と言った方がいいのかもしれない。ちょっとした刃物博物館にいる感じだ。300種は越えるだろう。毎日の生活に欠かせない必需品に囲まれながら、当主は言われたのである。
「私どもは刃物屋として、天明3年(1783年)に商いの街、大阪の新町橋で創業しました。その後幕末に、西から東へという時代の流れに乗って長谷川町(現:堀留町)に江戸店を設け、明治の初めに現在のこの地に店を移転、今に至っています。刃物一筋、こだわりの230年です。私で8代ですが、5代目が明治の文明開化のときに日本で最初のメリケン鋏(現在の裁鋏)を売り出したのが大評判になりました。折からの洋服の西欧化で、鋏も洋裁ということですよ」
そして壁にかかった額を指し示しながら「あれがその時の栽鋏です。長さ約40センチ、刀のような鋭さを持っているでしょ。私たちにとって記念すべきものです。その後、矢羽根切り、毛抜き、利休小刀などと共に中央区の『区民有形文化財』に認定されました」と言葉を付け加えられたのである。丹念に磨き抜かれた刃物一つ一つの存在感。そこに改めて歴史の重みを見せ付けられるばかりである。

そこで、気になっていた『うぶけや』という屋号の由来について伺ってみた。すると当主は感慨深く言われたのである。 「『うぶけや』と言うのは産毛のことです。初代の喜之介が作った刃物をお客さんが"赤ちゃんの産毛までもきれいに剃れる"と吹聴されたので、初代はその"うぶげ"という言葉をそのままいただいて、屋号にしたんですよ」 なるほど。ちょっとユーモラスな屋号の由来は産毛にあったのだ。そこでもう一つ、気になっていた表の看板について伺ってみると、またまた目の鱗が取れた思いになったので、その骨子を簡単に紹介しておこう。

2階の屋根のところの看板は明治の高名な書家である日下部鳴鶴門下の丹羽海鶴によるもの。また、軒下の看板は鳴鶴門下四天王による寄せ書きで、『う』は伊原雲涯、『ぶ』は丹羽海鶴、『け』は岩田鶴皐、『や』は近藤雪竹がそれぞれ書いたそうである。切れ味の鋭いノミの後も生々しく、看板にかけた先祖代々の熱い思いが伝わってくる。
まさに、この看板を見ているだけでも、店に並べられた刃物に対する自信が読み取れると言うものだ。
当主の言葉や表情を見ているだけで、刃物に対するこだわりが自然と読み取れる。だが、刃物の良し悪しは切れ味で決まる。そしてその切れ味は『刃付け』という研ぎの技術によって決まるといわれるので、『刃付け』のこだわりを伺ってみた。
「私は24才の時に店を継ぐ決心をしたんですが、店を手伝いながら稲荷町にあった『研勝』という刃付けの工房で修行していました。ところが修行して20年、『研勝』が廃業したので、この店の裏に刃付けの工房を設けたんです。いまから15、16年前です。ですから、私のこだわりは唯一つ、"伝統を重んじて、納得できるものをお客様に届けるのには自分の手の届く処に"研ぎ工房あり"ということですよ」
まさに職商人であるという当主の信念。商いの街、大阪の心を受け継ぐ『うぶけや』ここにありということなのだろう。お話しを聞くまで刃物といえばすべて刃鍛冶屋で作られているものだと思っていた。ところが、当主のお話しを伺っていると、刃物は最終的には切れ味がすべてだということを改めて教えられた。そこには、『うぶけや』ならではのこだわり、"納得主義"が面々と受け継がれてきているのである。
「刃物は日常的に使う道具ですから、毎日、納得して使っていただきたいではないですか。ですから、長年愛用していただくよう研ぎ直しなどにも積極的にお受けしていますよ」

できれば刃付けの工房を見せていただきたいとお願いすると、"どうぞ、どうぞ"だ。別に隠す必要もないということだろう。商品に対する絶対の自信の現われという他にない。現場をオープンにすることによって、納得感をより深めていただこうとされているのだ。
店の奥に入ると、真っ先に飛び込んできたのは回転砥石に調理包丁を当てておられた当主のご子息の大貴さんである。聞くと9代目としてお店を引き継がれると言うことだが、親譲りの明るい笑顔で"いらっしゃい"だ。もうこれだけで、工房の空気を読み取れる。まだ24才、いい笑顔だ。
「研ぎは天然の砥石と人工の砥石を使い分け。砥石の目を細かくしながら刃のラインや厚さを変えていきます。最後は
やはり目と手の指先の感覚で仕上るしかないんです。正直、年季ですね」と言われると、こちらも笑みこぼれだ。当主もその若い声に笑顔を返しておられる。昔も今も変わらず、このような形で刃物を作っておられることに何か"いいものを見たった!"といった感覚だ。


"商いは飽きない"という言葉があるが、一つの目標を持って飽きずに続けることがすべてなのだろう。「私どもは納得できる包丁をお届けします。その納得の刃先から納得の料理を作ってください」と言われると、刃物に対する見方を変えなければと改めて思い知らされるではないか。
東京に『東都のれん会』という組織がある。江戸〜明治初期に創業して東京で3代、100年以上の歴史を紡いできた老舗の集まりである。グルメ、食の名物、暮らしの逸品など、現在55軒の店がその名を連ねておられるが、『うぶけや』はその会の一員である。会長の細田安兵衛氏は"老舗という言葉は店みずから言うことではなく、長年に渡る店の精進から得たお客様の信用の積み重ねによって得られます"と暖簾の心を語っておられるが、創業230年、現在も盛業という『うぶけや』はやはり、凄いことだ。
あの西郷隆盛が"子孫のために美田を残さず"と言われたが、とんでもない。伝統の技は後世のためにどんどん受けつないでいってもらいたいものだ。幸い、『うぶけや』は9代目が引きつがれるというから、改めて"拍手!拍手!"だ。
文 : 坂口 利彦 氏
最後にちょっとPRをさせてください。というのはこの『うぶけや』の前の人形町通りを北に向って歩いて10分。小伝馬町を越え、岩本町の交差点の手前に『こだわり王国』のスガツネ工業のショールームがあります。ここは建築金物や家具金物などが中心で『うぶけや』と商品は違いますが、"丹精なものづくりの心"はまったく同じです。あくまでも使う人の納得感を最優先しています。

"ぶら〜り、こだわりの人形町通り散策" なんていかがですか、立寄ってみてください。
全国4店舗のショールームを構えています。アクセスはこちら→http://www.sugatsune.co.jp/showroom/