トップページ > 王国のコラム > こだわり人 わが国でたった一人の、セルロイド玩具職人

王国のコラム

ページTOP

こだわり人[2013.12.06]

わが国でたった一人の、セルロイド玩具職人

 “足立区の辰沼にわが国でたった一人、セルロイド人形を作っているこだわりの職人さんがおられるよ”の案内を足立区の区役所の方からいただいた。そういえばセルロイドといえば、昭和の初めには日本が世界最大のセルロイド生産国になり、日本の輸出玩具のトップを占めていたではないか。それが今ではすっかりプラスチックなどに取って代わられてしまっているから切ない、いや懐かしい。
今回は日本最後のセルロイド職人と言われる『平井玩具製作所』の平井英一さんをご紹介させてください。

 

こだわり人 ファイル023

わが国でたった一人の、セルロイド玩具職人
平井玩具製作所(平井英一氏)

昭和前半の主役だったセルロイド人形。

 昭和の初期から"日本の戦後は終った"と言われた昭和の30年代に渡って、セルロイドが一つの時代を引っ張ってきたことを何度か学んだ。そのセルロイドの代表的な加工品であるセルロイド人形の製作現場が見られるのだから有り難い。そういえば我が家の玄関脇に飾っていたミーコは平井玩具製作所のオリジナルセルロイド人形ではないか。"よし、今日はこれを持って訪ねていこう"とカバンに入れて、つくばエキスプレスで秋葉原駅から7つ目の駅『六町』に向ったのである。

 乗る前に秋葉原の駅前をぶらり。この街の風景の一つである華やかなフィギュア人形の店を2軒覗かせていただいたが、あい変らずの賑わいぶりだ。いったいなぜ人は人形に魅せられるのだろう。古代から今日に至る時代を紐解いても、形こそ違え人形に対する想いは綿々と続いている。そんな中で、昭和という一つの時代に君臨したセルロイド人形をいまなお作り続ける最後の玩具職人さんなんて、もうこだわり以外に何物でもない。
 『六町』の駅を降り、平井玩具製作所に向って歩いていても"こだわり"という言葉が何度も思い浮かび、年季の入った工作機の前で腰据えて、じっくりとミーコを作っておられる玩具職人の姿が重なり合ってくるのである。

 ところが、あにはからんやだ。入口のドアを開けるなり目にしたのはパソコンの画面に向いあっておられる平井さんだ。すると平井さんは挨拶もそこそこに、「ネットで注文されてくるお客さんにお応えしているんですよ」だ。そうか、いまは玩具店などではほとんど見向きされず、ネット注文が多いと言うことをHPで拝見していたが、こういうことなんだ。 昔ながらのセルロイド人形を作る傍らで、時代の最先端のパソコンで注文に対応されているなんて、何か演出されたドラマを見ているような気分だ。

セルロイド人形を通して結ばれる心と心。

 「私はこの人形の材料であるセルロイドの仕入れから金型による成型、胴と手足の組立、目や髪の毛の彩色、さらには集荷までをすべて一人でやってるんですよ。衣装だけはお客さん自身に愛情を持って着せてもらいたいので、Webで知り合った女性の方々に作ってもらって、別売りしているんです」と、時代をしっかり生き永らえてこられた67才のいい笑顔だ。
 「思えばボクの子供の頃は、近所の駄菓子屋やデパートの玩具売場で女の子が買ってというのが定番だったが、いまは違うのだ。注文してこられる方は大半がアラフォー世代以上の女性で、子供たちへのプレゼントいうより自分自身のために買うということに妙に納得だ。懐かしいということはもちろんだが、それ以上にセルロイド人形の素朴さ、やさしい手触り感、メルヘンチックな空気感が手元においておきたいということなんだろう。

値段も裸一体で3500円、洋服1500円からと言われるから決して安い価格ではない。それでもそれなりのネット注文があるのだから、平井さんのこだわりがお客さんのこだわりとみごとにマッチングしているということに違いない。「たくさん作って、たくさん売るという思いはありません。ある面ではマニアックなところがある人形ですから、あくまでも手づくりの少量生産にこだわっています」
 平井さんの後のガラスケースにさまざまな衣装を身に着けたミーコが飾られているが、くるくるした髪に黒い大きな目はどれも印象的だ。思わず家から持ってきた我がミーコをカバンから取り出してみんなとの再会だ。思わず、我がミーコに笑みがこぼれたように見えたのはボクの思い込みか。すると平井さん、「セルロイド人形の歴史と私の思い入れを話しましょうか」だ。もちろんお聞きかせくださいだ。



消えたセルロイド人形をよみがえらせる。

 「ご存知かもしれないが、セルロイドは綿と樟脳などから作られる合成樹脂で、象牙の代替品としてアメリカで作られたんですよ。1879年です。温度90度ぐらいで柔らかくなり、成型が簡単、彩色が容易といった特徴を持っているんで、玩具を初め身のまわりの日常品などに使われていったんですね。
 日本では1913年(大正2)にセルロイド人形が初めて作られたんですが、アメリカで『キューピー』が誕生すると、わが国でもたちまちのうちにセルロイド人形時代の到来です。当時の世相を象徴するのが1921年(大正10)に発表されたあの"青い目をしたお人形はアメリカ生れのセルロイド~"の歌です。その後、戦争が激しくなるとセルロイド玩具どころでなくなるし、セルロイドの可燃性が問題となってセルロイド産業に陰りが出てきたんです。
 ところが戦後、赤ん坊や幼児向けのバブー人形が登場すると、これまでの低迷が一新です。再びセルロイド産業が脚光を浴びるようになってきた時に私の父がセルロイドの魅力に取り付かれ玩具工場を立ち上げたんです。1947年(昭和22)の時です」
 そして、平井さんはその後のことについて感慨深く、次のように言葉を付け加えられたのである。
 「私は子供の頃から家業の手伝いをしていました。私のところではセルロイド人形はもとより、祭りや縁日で売られるお面や、熊手に付ける鯛や招き猫などの縁起物を作っていました。その他にセルロイド製品には、筆箱、卓球の玉、眼鏡のフレームも作っていましたね。それから写真のフィルムやアニメやOHPに使われるセル画などもあって、セルロイドはまさに時代の一つの文化でしたね」(*セル画という言葉はアニメ業界では日常語で、セルロイドから来ている)
 ところが、1950年頃になると、プラスチックがセルロイドに取って変わる時代になり、セルロイドの利用が急降下。同業者が次々にセルロイドの生産品を中止する中、最後までこだわっておられたが、1960年(昭和35)についに"ここまで"と、平井さんの製作所も塩化ビニール製のお面に生産シフトされたのである。
 当然、長年使ってきたセルロイド人形の金型もお蔵入りということである。その時の無念さ。平井さんの想いを察してあまりある。
 だが、セルロイド人形が平井さんを呼んだんだろう。50年経った2002年(平成14)に倉庫の床下から、人形の金型が出てきたのである。もはや記憶の中にしかなかった金型だ。"よし、もう一度、この金型でセルロイド人形をよみがえらせてやろう"ということである。50年の空白を一気に縮めるべく人形を復活させて、その名を『ミーコ』と命名されたのである。その時の模様を平井さんは満面の笑みを浮かべて、こうだ。

 「まさに、屋号である「セルロイドドリーム」ですね。常に頭の中にあったセルロイド人形をよみがえらせることができたんですからね。するとこのニュースが足立区役所で取り上げれるし、テレビや新聞で報道される。さらにネットで紹介されると全国各地から"ミーコが欲しい"と言う注文が来るようになったんです。だからミーコはインターネット時代の申し子ですよ。お客さんの依頼がある限り、作り続けますからね」

次代への道は、いつも歴史の上に描かれていく。

 50年の空白を埋め、セルロイド人形を復刻された平井さんのセルロイドへのこだわりは圧してしかるべきだろう。ここはセルロイドの板から、あの可愛いミーコが誕生するまでを見たいということだ。すると平井さん、"どうぞ、どうぞ"と、庭先に設けられた作業場に案内いただいたので、一連の流れを紹介させていただこう。

 ミーコ12体が一つになった鉄の金型が2枚。そのうちの1枚にセルロイド板を二つ折りにして載せ、その上にもう1枚の金型を載せる。イメージとしては、たい焼きの上下の間にセルロイドの板が挟まれている感じである。次いで重なった金型を鉄板の上に置き、熱していきながら、二つ折りになったセルロイドの間から空気を送りプレスすると、金型に添って上下のセルロイドの板が見る見るうちに膨らんでいくのである。
 その膨らみを見れば、もうミーコの身体ができていることが一目でわかるが、金型ごと水で冷やしながら、成型したセルロイドの板を金型から外し、12体のミーコを1枚1枚、切り離し、胴体の周りのバリなどを取っていかれるのである。
 その後は、目や髪を着色し、手足の部品をつけて裸の一体完成とあいなるのである。衣装などは先に紹介した通りお客様に自由に付けて楽しんでいただくということである。

 ある面では作業は単純に見えたが、平井さんの目、手の動きは違っていた。これから生れる人形へのやさしい愛情がはっきりと見てとれた。まさに赤子の誕生を待つ母親の心情なのだろう。
 "セルロイド人形は時代の波間に消えた昭和の遺品"などとよく語られるがそれだけではない。いま、昭和を回想する本が書店に並び、昭和のモノ、ヒト、ことに焦点を合わせた展示イベントがさまざまなところで行なわれている。そこには低迷する現代日本の突破口として昭和の元気を今一度見つめてみようという想いが満ちあふれている。
 そんな意味で言えば、昭和という時代を、セルロイド人形を通じて語っておられる平井さんには次代への伝導士的な役割が課せられているといっても過言ではないだろう。
 考えてみれば、あの秋葉原のフィギュア人形だって遡れば、セルロイド人形の延長線上に生み出されたんだ。次代への道すがらはいつも歴史の上に描かれていくものだ。いま、平井さんと向かい合っていると、先に生きてきたものが次の世代のために何をバトンタッチしていくかということを改めて思い知らされる。"昭和は眠りませんよ"平井さんの言葉がじわじわ、じわと我が身に浸み込んでくるではないか。



文 : 坂口 利彦 氏