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こだわり人[2014.10.09]

逆境に打ち勝つ、東京の地場産業へのこだわり。

 ものづくりこだわり人を追って、ボクは探偵になる。すると、『世界のモノを生み出す日本の会社(星美堂出版)』『工場見学(昭文社)』といった書籍でクローズアップされている東京の地場産業のトップ企業、北星鉛筆株式会社が目に飛び込んできた。そういえばこの企業は、東京都のものづくり中小企業を伝える『輝く技術 光る企業』でも紹介されていたか、まさに星に辿り着いたということか。創業者精神を綿々と受け継ぎながら、時代の変化を先取って話題の新製品を次々に世に送り出されている。
 中でも特筆すべきは循環型鉛筆産業システムで、持続可能な社会をめざす“ものづくり産業の鏡”と記されているから、これはお話を聞かせていただきたいということだ。ということで今回は、東京・葛飾区にある北星鉛筆株式会社に着目させていただいた。

 

 

こだわり人 ファイル032

逆境に打ち勝つ、東京の地場産業へのこだわり。

北星鉛筆株式会社(東京都・葛飾区)

●鉛筆の心は、企業の心。

 葛飾区のこだわり企業ということで前に、銀のカトラリーを作り続けて58年という上田銀器工芸株式会社を紹介させていただいたが(こだわり人ファイル17)、葛飾区は都内の工場数が1位大田区、2位墨田区に継ぐ第3位という町工場が元気な地域だ。そこには『葛飾ブランド』という各工場の比類なき汗があることは承知していたが、浅草から京成押上線に乗って約10分。かって隆盛を極めていた四ツ木駅周辺もいまは昔ということか。現在は住宅地が町工場にとって代わってきているそうである。
  だが、北星鉛筆は地元にしっかりと根を下ろし、揺るぎなき事業基盤を築いておられることは、“鉛筆の殿堂”と言われる建物を前にしただけでも見てとれる。鉛筆へのこだわりここにありということか。外装の壁に描かれたカラフルな鉛筆が力強く大空に向っている。

 鉛筆をモチーフにした6角形の入り口に立つと、社長の杉谷和俊氏に迎えられた。社長自らということでいささか恐縮しながら中へ入ったのだが、思わずボクの口元は緩んだ。文房具店などに並ぶあの鉛筆の雰囲気とはまったく違って、おもちゃ箱をひっくりかえしたような賑わい、“さあ、どれから手にしようかなぁ”の楽しみに満ちあふれている。教室を思わせるテーブルが並び、周りの壁や展示台には北星鉛筆の多彩な商品群が所狭しと並べられている。まさにメルヘンチックな鉛筆のミニテーマパークだ。杉谷社長の鉛筆へのこだわりがここでも我が頭の中に刻み込まれていく。


●家訓から始まる、次代への夢。

 実はこの部屋は『東京ペンシルラボ』という名で、鉛筆のあれやこれやを知る体験型の学習機能を備えた施設であることはHPで拝見していたのだが、楽しみは後だ。失礼とは思いつつ気になっていた鉛筆の現代事情を先に伺ってみた。ボクらの子供時代は鉛筆から始まって大人になっていく世の中だったが、現在はボールペンやシャープペンやIT機器が主体で鉛筆マーケットが縮小していることが気になってしかたがなかったからである。
「厳しさは身を持って感じています。この国の鉛筆の生産量は昭和の30年代半ばから40年代を頂点に下降する一方です。特に近年は小学生の数の減少、筆記器具のIT化、価格の安い外国製品。トリプルパンチです。ですから鉛筆メーカーも減少し、最盛期には全国で120社以上ありましたが、現在は44社です。そのうちの8割近い34社が東京都の地場産業としてがんばっていますが、先行きは予断を許さない状況です。日本鉛筆工業協同組合によれば、生産本数も昭和41年には13億8000万本あったが、2014年には2億を切っています。国民一人当たり年間17~18本だったものが1.5本ですよ」

想像していたよりも厳しい業界であることが改めてわかる。それでも1日に10万本、年間にしたら4000万本近くを北星鉛筆が作っておられるのだから鉛筆へのこだわりは想像してあまりある。1日10万本の製造ラインを持つのは都内唯一だそうである。

「鉛筆へのこだわりは歴史にあります。といいますのは、この会社の前身は私の曾祖父が明治42年に北海道のサロマ湖の町浜佐呂間で起した鉛筆用木材製造販売会社です。その後、私の祖父が東京の葛飾区四ツ木に出て、昭和26年にこの北星鉛筆を立ち上げたんです。その祖父が残した家訓が私を走らせ、何が何でも引き継いでいこうということですよ」 となると、その家訓をお聞きしたいではないか。「あの壁の額が家訓です。"鉛筆は我が身を削って人のためになり、真ん中に芯の通った人間形成に役立つ立派な職業だから、利益にとらわれないで、鉛筆のあるかぎリ、家業として続けるように"ですよ」

 なるほど、市場は厳しいが時代を越えた鉛筆へのこだわり。そこに改めて北星鉛筆の時代を生き抜いてきた熱い想いを垣間見る。そして、言葉を添えられたのである。「現在、長男の龍一が専務をしていますが、私以上に家訓を引きついでいくことにこだわっていますから、嬉しいですね。だからといって、ただ鉛筆を作り続ければいいということではありません。常に時代が何を要求しているかを追い求めて、新しい商品開発を続けていくことですね。王道を貫きながら新しいことにチャレンジ、これこそが町工場が生き延びるすべてですね」

●鉛筆へのこだわりは、人へのこだわり。

 そこで、そんな思いから誕生した4つのブランド商品をピックアップしていただいたのでそれぞれの商品に込められたこだわりを紹介しておこう。

トップバッターは『大人の鉛筆』である。名前からして何か意味ありげで、すでにボクは使っているが、2011年に第20回日本文具大賞のデザイン部門で優秀賞を取られた人にやさしい鉛筆である。「この商品には前身があります。というのは昭和30年代にいまで言うシャープペンシルのような替え芯を使用する『ノーカットペンシル』を売り出したんです。だが、市場であまり受け入れられなかったんです。ところが、創業60年を迎えた時にこの商品を復刻させようということになり、子供が大人になっていくにつれて鉛筆を手放していきますが、いま一度鉛筆を手にしていた時代を思い出し、書く楽しみを取りもどしませんかという想いをこの鉛筆に込めたのです」

 確かに描き心地がいいし、使い込むほどに手になじんでくる感触もいい。手にする軸(北米産のインセンスシダーという木材)に着色せず、木の目美しい素材の持っている温かみをそのまま活かしている。製品の名前ロゴなどもなく、余計なものはすべてそぎ落としたこだわりが実にいいのである。

 二つ目は鉛筆を作る際に出るおがくずを再利用した商品である。これには現在、おがくずを粉にした『もくねんさん』、『ウッドペイント』と、おがくずを固めた『着火薪(ちゃっかまき)』というちょっと気になる名前だが、いずれも木のリサイクルという環境ニーズに応えている。鉛筆の製造工程で板の約4割がおがくずになり、毎日大量に排出している。地球環境の面からもこれはまずい、使おうということになったそうである。
「『もくねんさん』は約100メッシュの微粉末にした粘土です。軽くて他の材料と混ざることが容易で手にべとつかず、乾燥すると素焼き風に仕上がります。紙粘土のように乾いてもひびが入ることもなく、切る、削る、穴あけ、ビス止め、接着などができるので絵画はもとより造型や彫刻などにも使っていただけます。おかげさまで、全国地場産業大賞の優秀賞を平成15年にいただきました」


 一方、『ウッドペイント』はおがくずから生まれた絵具である。油絵の絵具などとまったく変わらない風合いで絵を描いていける。自然乾燥すると、その絵が木になるという世界初の木の絵具なのだ。「この部屋の柱や壁にかかった額の絵も木の絵具で描いたものなんですよ。立体的で面白いでしょ、これまでにない造型表現ができますよ」
確かに面白い。木彩画だ。油絵とはまた一味違った世界がある。エジプトのピラミッドやひまわり畑などの絵が壁にかかっていたが、いずれもキャンバスから飛び出し立体的で、いま注目のデジタル3Dなどとは違った手作り感が何かホッとさせてくれるものがある。

 

 『着火薪』はおがくずに圧力をかけてブロックにした商品である。レンガをコンパクトにした大きさで、炭や薪に火を点けるのにとても便利だそうである。
「これは乾燥・ロウ加工した鉛筆のおがくずを圧縮加工しているので火付きがよく、きれいに燃えて火力も強い。煙も少なく環境にもやさしいので、暖炉の点火を始め、キャンプなどでのアウトドアに便利です。裏技を紹介しますと、クラフトテープを10センチぐらいに切り、棒状に折って貼り合せ、先端にマッチなどで火を点ける。すると、クラフトテープはすぐに燃えますのでそれを『着火薪』にあてるんです。火付きは早いですよ」

●企業の存続基盤を担う循環型鉛筆産業システム。

 『着火薪』の上手な使い方まで教えていただいた。早速、ボクもやってみようと思ったが、木から鉛筆を作り、その工程の中で出たおがくずからここ独自の製品を生み出していく。実はこれが北星鉛筆のやりたかった『循環型鉛筆産業システム』だそうである。
「おがくずは、私が子供の頃は風呂屋さんが燃料に使うということで買いに来ていましたし、私どもの工場内のストーブでも使っていました。ところがエネルギー源が多様化し、環境問題や木の伐採問題などによる鉛筆材の高騰で、おがくずがもったいない、やっかいものというふうになってきたんです。そこで考えたのが、おがくずを逆に再利用しようということです。その後、長い年月がかかりましたが、産業廃棄物を新しい資源に変えるという私どもの夢が叶ったんです。この事業化が私どもの鉛筆製造産業としての存続価値・存続基盤の確立につながっているんですよ」とは、またまた杉谷社長のこだわりに肯首するばかりである。

 そこで、このシステムの一連の流れを見せていただきたいということで工場に案内していただいた。基本的な猿臂の製造ラインは木工から始まって塗装、仕上げの3段階の流れになっていたが、まず木工では鉛筆の軸の材料になるスラットと呼ばれる板に溝を入れ、1枚に芯を入れ、もう一枚をその上にサンドイッチのように貼り合わせ、最後に両面を削って1本ずつの鉛筆にされていた。次いで塗装では鉛筆1本1本に油とめ、色付けなどを行い乾燥されていた。塗りは均一に塗られていることが大事なので、通常は6~7回この作業を繰り返す。製品名や絵柄を入れる場合は白地の塗装をするそうである。
塗装が終わると、仕上げである。製品名などを箔押し、両面をカットして決まった長さに揃えておられる、消しゴムなどを付けたり、イラストなど熱転写が必要なものはここで行うそうである。まさに機械と作業する人とのかかわりが絶妙で、その繊細な仕事ぶりに感動を覚えたものである。

 

  その後、仕上がった鉛筆はパッケージに入れられ出荷されていくのだが、木工などで出たおがくずはリサイクル商品として、先にご紹介した『もくねんさん』などの商品に変身されていっているのである。

●人と共に、社会と共に、時代と共に。

ところで、鉛筆のミニテーマパークを思わせる『東京ペンシルラボ』だ。こちらは鉛筆の善さをもっと身近にということで開設されたのだが、ここにも杉谷社長のこだわりを目の当たりにすることができる。
「見て、触れて、作ってということですよ。ここには『もくねんさん』などを実際に使ってみる体験学習館、鉛筆の歴史や作り方を学べる鉛筆資料館、さらには『ウッドペイント』で描いた作品の美術館などを設けています。子供も大人も鉛筆の魅力を実感してほしいのです。嬉しいのは、いまここは小学校の社会科見学工場になっていますし、修学旅行生が訪ねてくれることです。若い人たちのあんな姿勢を見ていると、この国の未来は大丈夫だと思いますね。逆に、私たちの責任の重さを教えられますよ」

 たかが鉛筆ではない。されど鉛筆という言葉があらためて我が身にくい込んでくる。町工場の活性化については、国も各自治体もさまざまな施策を展開されている。東京の地場産業という観点から、杉谷社長は最後にこんなことを言われた。
「日本の鉛筆製造業が世界競争に勝てるような企業存続基盤を確立し、ものに対する考え方が違う中国などで、日本の鉛筆が使われていくことを夢みています。安さだけの価値観はさびしいですね。ものは納得、安心を買うんですよ。そんな価値観を持ってもらうのが私たちの最も大きなこだわりですよ。鉛筆は我が身を削らないと字が描けません、いくら立派な芯を持っていても削らなければ文字や絵が描けないのです。大いに我が身を削り、努力し、大きな夢を描き続けていきたいものです」



文 : 坂口 利彦 氏