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こだわり人[2015.01.23]

時代の最先端技術にこだわる『開発型メーカー』

 2013年の時である。経済産業省の『ものづくり白書』を見ていると、"第4節、我が国ものづくり産業復活の方向性"の項に50数社が紹介されていたのだが、世界に名の知れたNECやキヤノンという企業に挿まれて出ていたファースト電子開発という会社が気になっていた。正直、聞いたことのない社名だったが、白書には"産業集積地域における『開発型メーカー』で、日本の中小製造業は『製作型メーカー』が多い中、ファースト電子開発は『開発型メーカー』として高く評価されていたのである。
 メーカーに二つのタイプがあることもよく知らなかったが、その後、WEB検索で調べてみると、社長と従業員4名の会社で世界シェア70%を誇るスポーツ競技用無線計時装置を初め無線や電子の応用機器を、開発から製造まで一貫して手がける『開発型メーカー』と記されていたので、何かこだわりがある会社だと思い続けていたのである。すると、2015年の年明け1月8日、毎日新聞朝刊に紙面の半分近くを割いて、"マンションの一室 通信回路開発"の見出しでこの会社の伊藤義雄氏が実に大きくクローズアップされているではないか。これは何が何でも行かなければだ。
ということで、今回はファースト電子開発株式会社の伊藤氏に着目させていただいた。

 

 

こだわり人 ファイル035

時代の最先端技術にこだわる『開発型メーカー』

ファースト電子開発株式会社(東京都・板橋区)

●マンションの一室から世界シェア70%の無線機器。

 地下鉄都営三田線の本蓮沼駅。中山道から一歩中に入った板橋区の事業所を訪ねた。本社は創業時の区界を越えたすぐそばの北区上十条に置かれているが、町工場の元気を積極的に推進される板橋区の模範的企業と言われているから期待は高まる一方だ(東京23区の製品出荷額、第1位の板橋区は、工場見学ツアーを重点施策の一つにされているがファースト電子開発はそのコース認定会社になっている)。しかも、毎日新聞によるとマンションの一室で世界シェア70%とあるから、さぞ瀟洒なヒルズ的マンションで事業を展開されていると勝手な想像をしていたが然にあらず。街角などにあるごく普通の5階建てのマンションだ。とっさに、外見や見てくれでない中味だという伊藤氏のこだわりのようなものをと、またまた勝手な想像だ。
 そんな逸る気分でドアを開け一歩中へ入ると、毎日新聞で見た写真通りだ。壁一面のラックに、また机にさまざまな電子計測器が並び一気にわが好奇心を刺激する。いったいこれらの機器はどんな仕事をしているのかわからないが、『開発型メーカー』としてのこの会社の屋台骨を支える重要機器であることは見てとれる。板橋区は地場工場と書いていたが、工場というより研究所という雰囲気だ。
 なんだろう、この空気感は。ものづくりには歴史ある伝統な技術にこだわっていくものもあれば時代の最先端技術にこだわっていくものもあるということだろうか。伝統と最先端、ものづくりの形は違うがその根底にあるのは同じで、こだわりこそが時代のエンジンであることを改めて教えられるではないか。

 

●宇宙への夢を無線で叶える

 事前にWEBなどを見ていて気になっていたことがある。というのは、伊藤氏は学校を卒業後、日本で最初の通信機メーカーである大手の沖電気工業に入社されたのに、3年後に退社して現在の会社を立ち上げられたことである。いまの世では起業などという言葉も定着して、20代で独立というのもあたりまえのようになっているが、当時はさぞ勇気がいっただろうと思えてならない。
「そうですね、1967年ですね。小学校時代から宇宙に興味があって、将来は宇宙にかかわる仕事がしたいということで、大学で電子工学を専攻し沖電気に入社しました。しかし、当時の日本の宇宙産業はまだまだ停滞産業で、私は船舶用の小型レーダーなどの設計を担当させられていました。まさに宇宙は遠いという心境ですよ。
そこで一念発起、高校時代からアマチュア無線が好きで自分で作ったりしていましたので、無線機器の開発をやろうということですよ。無線なら宇宙への夢も叶えられるということですね。以来、無線にこだわって48年です。子供の頃の夢を追いかけていますね」

 48年の道のりは想像して余りあるが、現在は無線応用機器、電子応用機器、マイコン制御機器、ICタグシステムなどを主力に、設計から開発、製造まで一貫して手がける『開発型メーカー』の技術者社長として自ら先頭の立っておられる。また、OEMや受託開発にも力を入れ、無線技術の第一人者として国内外にその名を轟かせておられる。
 となると、開発事例などを覗き見したいではないか。すると伊藤氏は「すべてに、ものづくりのドラマがありますよ」と言って開発事例の一覧表をいただいたので、そのまま掲載させていただこう。

 

 

●日本のこだわり技術が世界を駆け巡る。

 ある面では専門的でなじみのない言葉が多いが、文字面を追っているだけで現代社会の舞台裏を支えている重要な製品であり、システムであることが想像させられるではないか。まさに、時代の最先端技術から産まれるこだわり、ここにありということだろう。
 その中で、特に気になっていた世界シェア70%というスポーツ競技用無線計時装置について伺ってみた。いまでこそ、「まいど1号」とか『しんかい』とか日本の町工場の技術が世界を制覇した云々のニュースがよく紹介されるが、1989年、平成の元年に計時装置を開発。日本の無線技術を世界に知らしめられたのだ。
「まさに、この開発が私たち会社の一大転機になりましたね。この年、ヨーロッパのスキー連盟が無線式スポーツ競技用タイム計時装置の開発を世界の企業に向けて公募したんです。その内容は、計測精度を100分の1秒から1000分の1秒まで上げたい、そのデータを無線で送りたいということだったのですが、スイスの高級腕時計メーカーのタグ・ホイヤー社から私どもに開発依頼があったのです。まさに私どもの技術の発揮どころですね。結果的に、私どもが開発したマイナス30℃の雪の中で1000分の1秒を計測する無線計時装置を提案したタグ・ホイヤー社が受注。公式採用されたんです」

 その後、この計時装置は陸上競技や自動車レースなどの競技のほか警察庁、警視庁や宮内庁の白バイ隊などでも使われるようになって、現在では4000台以上を出荷、国内シェア90%、世界シェア70%になったと言われるから、ファースト電子開発の技術力、圧してしかるべきだろう。
 その技術力は、1997年『北区未来を拓く産業人顕彰』、2004年『東京都北区未来を拓くものづくり表彰』、2014年『板橋区製品技術大賞』などなどにも現われているではないか。また、マスコミ等にしばしば取り上げられて、こだわりの無線技術者の第一人者として伊藤氏は熱い想いを語っておられる。「私のこうした露出にも一理あって、従業員の励みにもなるので」と言いながら会社案内にも載せておられるので、ここ10年の主な登場エポックを記述させていただいておこう。

 2014年 J-Net21中小企業ビジネス支援サイト、2012年 朝日新聞『工場、観光の目玉に』、2011年 昭文社ムック『工場見学』、2010年 日本産業新聞『技あり中小"強さの秘密"』、2009年 リクルート『世界を制した日本の中小企業、TBSテレビ『町工場から世界へ』、2008年『ガイアの夜明け』、2005年 国民生活金融公庫総合研究所『モノづくり次世代への飛躍』などなど。
 これだけ見ても、無線という最先端技術に対する伊藤氏のこだわりが見てとれるではないか。そして現在では、自分たちの事業の枠を越え、異業種交流にも積極的に取組み、1999年 東京工業大学ベンチャービジネスラボラトリー外部審査委員、2006年 東京都北区産業基礎技術交流グループ会長、 2007年 KICCプロジェクト運営委員会委員長の要職を担うなど、ものづくり日本のけん引車的な役割をされているのだ。

●次代への夢を追いかけて、こだわりのこだわりは続く。

 そこで伺ってみた。ものづくりの決め手はなんですかと。すると、伊藤氏は「私どもの場合は、『開発型メーカー』として技術者ひとりひとりの力量がすべてです。もって産まれた才能もありますが、力量を付けていくため日頃の自分磨きが大事です。そのためには、私自身の日々新たな自分磨きや新しい技術に対する貪欲さを最優先にしながら、若い技術者に対しては4つのこだわりを説いています」と言いながら、4つのこだわりマインドを上げられたので紹介しておこう。

(一つ)ここに、こんなものがあればいいなあと思いを巡らしていく問題発見力
(二つ)問題を発見したら、それを形にしていこうという推進行動力
(三つ)一つの仕事は設計から完成まですべて一人でやり遂げる継続執着力
(四つ)技術者オリエンテッドにならず、風土、文化、芸術などにも長けたマルチ能力

  そして、「裏を返すと、これらのこだわりを持ってもらうための土壌を作ってあげることが経営者の役割ですね」と言葉を添えられたのである。

 

  時代の最先端の技術で社会の基盤を作っていく。そして、次代への夢を膨らませていく。伊藤氏は「これまでも、これからもこのこだわりは続きますよ」だ。伊藤氏をして無線の鬼と呼ばれると笑われるが、穏やかでやさしい笑顔は失礼だが、仏の伊藤氏だ。
「これまでのさまざまなコア技術を複合化していくと、さらなる新しい世界が広がっていきますよ。いや広げたいですね。こだわりのこだわりですよ。そのためには立ち止まっていてはダメですね。技術者は誰よりも動かなければ。それでも壁が後から後から出てきますが、それも当たり前のことだと思って、チャレンジ、チャレンジですね」
  そして最後に一言といって付け加えられたのである。「社名のファーストどおり、私どもは一番になろうと思って動いていますからね。時代は創るから面白い。夢があるから時代は動くんでしょうね」

 

 なるほど、今風に言えば、時代にドンして、次代へ夢を追いかけていこうということか。
 新しい年の幕開きにこちらまで熱くなってきた。


文 : 坂口 利彦 氏