こだわり人[2015.03.11]
木を奏でる、バイオリン職人のこだわり
あい変らずの東京ドームだ。澄み切った冬空にあの"もこもこ天井"が一段と輝いているのだろう。その下で賑やかな展示イベントが繰り広げられたが、いつものことながら感慨深いものがある。長嶋選手や王選手が立ったグランドに形は違うが、今日一日立っていたんだ。元野球少年としては最高の贅沢というものだ。
よし、この浮かれた気分をお土産に少しこの界隈を"ちい散歩"といくか。めざすはあの夏目漱石の「心」に出てくる『こんにゃく閻魔さんの減覚寺』だ。すると、春日通りを越えて少し行ったところで非常に気になるショップが、いや、ショールームかと思わせられるウインドウが目に入ったのである。なんと、ガラス越しに中を覗くと部屋全体がバイオリンだけで埋め尽くされているではないか。たくさんの種類の楽器が並ぶ楽器店と違って、バイオリンだけというのは初めて見る光景だ。
そうか、ここがバイオリンにこだわるTOVIC<東京バイオリントレードセンター>か。前々から気になっていたところではないか。ということで今回は、TOVICのバイオリン職人、堀 酉基さんに着目させていただいた。
■こだわり人 ファイル036
木を奏でる、バイオリン職人のこだわり
TOVIC 堀 酉基氏(東京都・文京区)
●木の声を音に変える
前々から気になっていたと言ったが、実は昨年の夏の頃である。雑誌『住宅建築』に掲載されていた"木を奏でる"というテーマの元にバイオリン職人の堀さんのコメントが載っていたのである。住宅や家具や日常品などに使われる木が楽器にということもあるが、バイオリン職人というのが妙に気になって、機会があれば立寄ろうと思っていたのである。そのショップが目の前にあるなんてラッキーというものだ。というのは、雑誌には取材協力は文京楽器と出ていたので、WEBで調べると文京楽器にはTOVICという店舗があると記されていたからである。すると、この店にはバイオリン職人の堀さんがおられるのかと思うと、もうドアの中だ。

「確かにバイオリンは木を奏でる楽器です。木が生命です。そのため、表面と裏面・横面の板を使い分けています。表板はスプルースというモミの一種の柔らかい木です。冬目が1mm間隔で均一に詰まったものを選び、はぎ合せています。一方、裏板・側板は強度と美しさの面から楓を使います。楓は密度が高く狂いの少ないのが特徴です」
なるほど。表裏の木目の違いはここにあったのか。材料選びから繊細なのだ。すると気になっていたあの美しい独特のフォルムと構造だ。「あのくびれのあるフォルムは音響装置のようなものです。縦横断面がふくらみを帯びているのは共鳴部の働きをすると同時に、弦の張力に耐えるようにするためです。
また、表面の両サイドにはf字孔の穴が開き、弦を支える駒が付いています。端部は象嵌細工して縁で生じた割れなどが本体に及ぶのを防いでいます。指板の先には弦の張力を調整する糸巻き(ペグ)がつき、先端の渦巻は装飾で天使やライオンなどの彫刻を施す人もいます。4本の弦は昔はガット(羊の毛)を使っていましたが、現在では安定性のある金属弦や合成繊維が主力です」

そのフォルムからしてバイオリンは、楽器はもとより美術品としての価値があると言われている。確かに、深く艶のあるニスの輝きは柔和な鑑賞品を思わせる。となると、音響装置と言われる内側の構造を知りたいというものだ。すると堀さんは(図1)を示しながらなら言われたのである。
「内側は音の出し方を決定するバイオリンの真髄です。ギターのように音が減衰していくのと違い、バイオリンは弓を当て続ける限り一つの弦から連続した音を出し続けられるのが特徴です。高音弦の駒の下には魂柱があって高音の短い波長を共鳴部の裏板に直接伝え、低音弦の駒の下にはバスバーがあって低音の長い波長を共鳴部の縦方向に伝えるようになっています。共鳴部内を音が循環し、振動が一瞬にして楽器全体に広がり、音を出しているのです」
まさにバイオリンは繊細だ。材料の木とその木が作り出す空気の循環や振動とくれば、物理の世界だ。その物理の世界で音楽プレーヤーの演奏技術や感性を受け止めているのだから、バイオリン職人さんのこだわりは想像して余りあるというものだ。そういえば、東京ドームは空気を送り込んであの『もこもこ』を維持し、バイオリンは空気の循環と振動で音を奏でるというのだから、今日は何か空気を身近に感じる一日だ。木と空気、バイオリンの製作工程のこだわりを下記に紹介しておこう。

●受け継がれる名器のDNA
ところで、堀さんはバイオリン職人としての道をなぜ踏み出されたのだろうか。大学を卒業すると文京楽器に入社されたのだが、その時はよく言われるサラリーマン気分の入社だったそうだ。ところが、初代社長の茶木泰寛氏の創業時の想い、さらには2代目の現社長、茶木泰風氏の弦楽器に寄せる熱い想いを目の当たりにすると、バイオリンを自分の手で作ってみたいという思いに猛烈に駆り立てられたそうである。
「文京楽器は1947年に初代の茶木泰寛社長がコントラバスの専門店として創業し、現代の茶木泰風社長が西ドイツのミッテンウァルトでバイオリンの製作を学び、1976年に国産ブランド『ピグマリウス』を発表しました。それまでの量産楽器と一線を画したワークマンシップあふれる国産楽器とし、国内外のプレーヤーにたちまちのうちに受け入れられていきました。
この歴史的事実に、"よし、私も自分の手で作ってみよう"と言うことですよ。その時24才、以来20年、バイオリン一筋です」

そこで、伺ってみた。多くの楽器がある中で、バイオリンに魅せられた理由を。
「バイオリンは16世紀の半ば、人間賛美の潮流であるルネッサンスの影響を受けて北イタリアの小都市クレモナで誕生しています。その後、改良に改良が加えられ、現在のものと変わらない形に完成させたのがバイオリンの父と言われるアントニオ・ストラディバリです。自然の調和を応用したフォルムに美術品を思わせる色彩感覚にきらびやかで多彩な音色。科学技術が進んだ今日でも彼を越えるようなバイオリンは出てこないだろうと言われています。
そのストラディバリのDNAを引き継いでいるのが私どもの『ピグマリウス』なんです。"名器の持つ美しさ、奥深い価値観を限られた演奏家だけではなく、すべてのバイオリン愛好家や未来を担う子供たちに届けたい"という想いを集約しています」
バイオリンに対する堀さんの思いがどんどんわが身に入り込んでくる。勢い、『ピグマリウス』に記された"受け継がれる名器のDNA"という言葉がさまざまなものづくりへのイメージを広げさせる。すると、堀さんは、「『ピグマリウス』、それは"モノづくりへの情熱への固まり"と言って、次のような言葉を添えられたのである。
「『ピグマリウス』の理念。それは"古典への尊敬と造詣にもとづき、技術と美しさを融合しながらすべての演奏家に優れた楽器を提供すること"ですね。名器を尊重することは単なる模倣ではありません。私たちはストラディバリを初めとする名器の中に崇高な創造性を見出し、それをいかに現代に活かしていくかという実践こそが重要であると考えているのです。"音の出る道具という概念を越え、演奏家の創造性を刺激する楽器"という観点から、昔日の名工たちに想いを馳せながら理想を追いかけています」
現在、『ピグマリウス』はリバース、ルビーノ、デリウスの3つのコンセプトにもとづいて多彩なバイオリンが提供されているので、それぞれのプロフィールを紹介しておこう。


●名工のエスプリが宿る弓
ところで、文京楽器がこだわるもう一つはバイオリンに欠かせない弓である。名器『ピグマリウス』の魅力をさらに引き出すのは弓もまた名弓でなければならないというこだわりである。ここではこの想いを実現するために、国産弓の専門メーカーであるアルシェという企業まで立ち上げて、名弓を生み出しておられるのである。
「そうなんです。『ピグマリウス』ができた頃は、弓は西ドイツから輸入していましたが、入ってくるまでに時間がかかるし、こちらの要望に応えてくれない。ならば自分たちの手で世界一の弓を作ろうということです。弓のストラディバリと呼ばれる18世紀の製作者フランソワ・トルテの作品などフランスの名弓を集めて試行錯誤し、結果的に1983年に国産初の専門メーカーであるアルシェ立ち上げたんです。
アルシェのこだわりは弓に最も適しているブラジ産のフェルナンブーコ材を使って、機械工程と手工工程の分業化によって仕上げていることです。前工程は機械によってある程度の体裁を整える、その後は職人の手によって1点1点入念に仕上げています。その結果、思いのままに演奏できる操作感、楽器の持つ力を余すところなく引き出す表現力。精巧なメカニズムと精緻なフォルムから生まれる音も心地よし、すべての弦楽器愛好家に"演奏する喜び"をということですよ」
堀さんは文京楽器の役員に加えこのアルシェの役員も兼ねておられるそうだが、ここでも熱い。現在、アルシェでは"名工のESPRITが宿る弓"と言うフレーズで、「クニョ・オーセ」「ソノール」「アルシェ」の3つの定番ブランドを提供されているので、それぞれの特徴を紹介しておこう。

●古きを訪ねて、新しきを知る
たかがバイオリンという言葉を聞いたことがある。とんでもない。されどバイオリンだ。そこには楽器という枠を越え、歴史、文化,人間力といったものが綿々と受け継がれている。堀さんの「古きを訪ねて、新しきを知る。『ピグマリウス』も『アルシェ』も、まさにその集積です」の言葉に、改めてバイオリンの奥深さに魅せられるばかりだ。

最後に、いただいたパンフに載る茶木泰風社長のメッセージを要約して紹介しておこう。
「私たちはルネッサンスをルーツに持つバイオリンを初めとする弦楽器を長年にわたって取扱うなかで、弦楽器の価値を知ると共にバイオリンを形づくってきた歴史と伝統に敬意を払い、そこで培ってきた知識、技術、経験を、実業を通じていまの世に活かしていくことが使命であると考えています。
また、日本人の文化度は高く、よいものはよいという評価する目やモノづくりにおける繊細さといった独自の感性を持っています。その感性を活かしたモノづくり精神が今日の、この国の発展を支えてきたのであり、これからも不変のものだと思っています。私たちのモノづくり精神は不変です。これからも"モノづくりという五線"の上に乗って、弦楽器の未来を奏でていきます」
文 : 坂口 利彦 氏