こだわり人[2015.05.07]
貴金属加工 "へら絞り、鍛金" へのこだわり
テレビであるコメンテータがこんなことを言っていた。「ここに来て、ものづくりの職人といった紹介番組が増えて、匠とか達人という言葉を安易に使いすぎている。匠とか達人というのはもっと奥深く、研ぎ澄まされたものだ」と。そういえば、テレビや雑誌などを見ても、そんな番組が本当に多くなっている。
聞けば、自治体などでも『○○○マイスター』などの称号を簡単に与えて、モノづくりの街を標榜されているところが増えている。ある面ではそれによって街の活性化のためにいう願いがあると思うが、あまりにも行き過ぎると、"それ、あまりにも商業化していませんか"と当のものづくりの職人さん自身が嘆いておられるのだ。「メーカーなどが作ったものを買ってきて、それを組み立てただけなのにものづくりの達人と言われるのには同じ職人として恥かしい限りです」だ。
今回、着目させていただいた貴金属の伝統工芸士、浅野盛光さんはそんな風潮を嘆く、"魂の職人さん"と呼ばれる気骨のある方である。
■こだわり人 ファイル038
貴金属加工 "へら絞り、鍛金" へのこだわり
浅野 盛光氏(東京都・荒川区)

●現代に生きる伝統工芸士
浅野盛光さんの工房は荒川区の西尾久にある。日暮里・舎人ライナーで西日暮里駅から二つ目の熊野前駅へ。この電車に乗るのは初めてだが、熊野前、高野、扇橋、西新井大師西、舎人と言った駅名がなぜか京都らしく気になっていた沿線である。
熊野前駅で降りて都営荒川線に沿って徒歩4分、線路脇の八幡神社の大きな社を見ると、まさに市井の街にお寺などが散在する京都の雰囲気だ。勢い、金や銀やプラチナと向い合う貴金属加工の魂の職人さんというからには格式があってちょっと近寄りがたいイメージを描いていたのだが、入口を一歩入って一転だ。引き締った表情の中にもやさしい笑顔に明るい物腰。もう、何十年の友だちのように迎えられるとこちらの緊張感も一気にほぐれ、伝統工芸士・浅野さんに魅せられていくばかりだ。

事前にHPなどで調べておいたが、やっぱり人はお会いしないとわからないものだ。身体全体から作り手としての職人魂を見てとれる。しかもそれは歴史を背負ってきた職人さんというだけではなく、"もっと先に行くぞ"という現代に生きる職人魂が宿っている。
その魂が乗り移った金や銀やプラチナの和洋茶器、仏具、酒器、優勝杯、香炉などが浅野さんを取り囲むように置かれているのですから、ちょっと想像してみてください。浅野さんの分身が揃い踏みという雰囲気で、モノづくりへのこだわりを心底感じさせられるというものだ。
しかも、この高価なものがよそ行きの高価なケースではなく、日常生活の身の回り品のように実に身近に置かれているのにも驚きだ。貴金属に対する浅野さんの心を写し撮ったようでこちらの心も和らぐ。しかもその脇に置かれた荒川区技能功労者『荒川マイスター』、東京都優秀技能者知事賞受賞『東京マイスター』、経済産業大臣指定『伝統工芸士』などの認定称号も控えめで、浅野さんの人となりを思わせるではないか。

●職人修行に徹して40才過ぎに工房を開設
そんな浅野さんの肩越しのガラス戸の先に若い職人さんが見え隠れする。世に言う一心不乱と言う感じで金や銀と向かい合っている。いったい何をしているのか、後でじっくり拝見させていただけるということで、とりあえずは気になっていた浅野さんの足跡をお伺いした。HPによると、16才の時に生まれ故郷の宮城県から上京したと記されていた。
「3才の時に父が亡くなり、16才の時に上京しました。貴金属の加工している知り合いの工場に入れてもらい、修行です。毎日ノコギリで丸太を切るばかりで、なんでこんなことをやるのかと嫌々やっていましたね。ところが5年ぐらい経つと、これも自分の身になるだろうという思いになってきました。すると、1960年の少し前です。折からのゴルフブームで、ゴルフの優勝カップなどの注文が殺到してきたんです。1度に2000個、3000個ですから休む暇なんかありません。ただひたすら身体を動かしていましたね。これも修行だ、こうして数をこなしていけば自分の腕も上るだろうと思ってね」
わかる気がする。現在では修行という言葉は縁遠くなってきたが、当時の職人の道をめざす人は、そんな形で腕を磨いていたんだ。まさに光は修行の先にあるということだったんだろう。
その後、自分の腕を磨きたいということで他の工場で修行を重ね、40才を過ぎた頃に独立できるようになったそうである。だが、独立しても仕事がすぐに来るわけではない。
でも、浅野さんには自分なりのこだわりがあったそうである。当時の模様を浅野さんは「仕事は全然なかったのですが、私のこだわりとして仕事をもらいに行くということはまったくしませんでした。きちんとした仕事をしていれば、必ず声をかけてくれことを信じていましたね」と明るい。まさに、職人魂ここにありということだろう。
聞けば、この時間が止まったような時に二つの技術修得に努められたそうである。それが、その後の浅野さんの最大の売りにつながったそうだが、一つは貴金属を成形する『へら絞り』に徹するために成形に欠かせないへら棒などを作る道具づくり技術であり、もう一つはできあがった成形物に装飾を施す『鍛金』技術である。
「『へら絞り』と『鍛金』、この二つの技術を合わせ持つのは日本では珍しいということでしたから、こだわりましたね。おかげさまで、現在、盛光にちなんで『風光』という号を命名していますが、画家や文人の心意気です。この分野で生きる職人として、しっかり仕事をしようという自分自身への戒めにしていますからね」
●すべてを手作業でおこなっていく、職人魂。
『へら絞り』と『鍛金』。金属工場などでよく聞く言葉だがいま一つ理解できなかった。すると浅野さんはこちらの思いを察したかのごとく、「あちらをご覧になるといいでしょう」だ。
工房に入ると、先ほどの若い職人さんたちはちょっと恥らいながら会釈をされるともう自分の世界だ。おそらく、浅野さんの若い頃もこうだったんだろうと思うと、まさに修行僧だ。思わずこちらの身体も引き締まる。
「順に説明しますと、まず茶器や酒器の形づくりから始まります。樹脂の型を使うこともありますが大半はデザイン画から図面を起こし、木型を作ります。材料の木は凹凸がなくて滑らか、硬いものが必要ですので伊豆大島から桜や椿を仕入れています。その木はほどよい大きさに切って荒削りしておいて、いざ使うとなると茶器などの出来上がりをイメージして私が自らの手で作った木工道具を使って削り、磨き上げていきます。できあがったものが茶器などの土台になりますので、いっさいの妥協をすることもなく納得できるまで木型づくりに執着します。当然ですよね」

「『へら絞り』というのはここからの仕事です。へらというのはこのような棒のことです。先ほどの木型をろくろのような働きをする絞旋盤にセットし、その前に円形の金属板をあてがい回転させます。その時に使うのがへら棒です。勢いよく回る金属板をへら棒を使って押したてながら木型にそって成形していくんです」」
なるほど、平だった金属板が美しい曲線を描きながら茶器に変わっていく。職人さんの手の力の加減で均一の厚みや形状を作っていくわけだから、その技法、集中力はまさに感動ものだ。こちらも足の先から手の先まですべて神経がそこに向かっていく。聞けば、0.1mm単位の加工精度で仕上げていると言われるから、その一挙手一挙手に魅せられるばかりだ。
「こうしてできあがった成形物に文様や装飾を施していくのが『鍛金』です。よくご覧になるのを紹介しますと、これが『あられ文様』です。ミリ単位で弾かれた縦横の線にそって凹凸のたがねを表裏からはめ込んでひとつずつ叩き出しています。透けてもいないのに表と裏をピタリと合わせるのですから神経使いますよ。これは『亀甲文様』です。6角形の亀甲模様が整然と並んでいますが、一つの亀甲を作るのに2万回ぐらい叩いています」
ここでも、もう唸るしかない。すべてが手仕事で、気が遠くなるような細かな作業がおこなわれているんですからね。
集中力に根気、まさに職人魂だ。思いを形にする。いや違う。魂を形にするといった方がいいだろう。そんな職人魂は毎日の作業はもとより、そこで使われる道具にも現れているとHPで紹介されていたので、お聞きした。
「そうですか。先ほど私が自ら作った木工道具と言いましたが、この部屋の壁に並んでいる道具はすべて私の手づくりです。へら棒をはじめノコギリ、あて釜、やすり、刃物など数にして200本以上あります。自分で叩いて、削って、磨いて作りました。道具をどこかから買ってきてというのはダメです。納得できる茶器や酒器を作るには、それを作る道具から始めよというのが私のモットーですから。道具は職人の命です」

自分の手に合わない道具を使ったり、また粗末に扱うようでは真に納得できる仕事ができない。道具に対する思いにまたまた教えられる。だから、ここにある200本以上の道具の持ち味や使い心地はすべて頭の中に入っていて、愛着があるというのはわかるというものだ。
「作ったものは作り手の心、人間性が出ます。そのため、毎日の仕事は神棚に手を合わせ、工房の掃除をして心を整え清めてからから仕事に入ります。その最初の出会いが道具で、長く付き合ってもらうんですからね。私の心が道具を通じて茶器などに乗り移っていってくれるんですよ」
●"金や銀は生きるためのエネルギー源です"
再び、最初の和洋茶器などで囲まれた部屋に戻ると、貴金属加工に対する浅野さんの心根が改めて伝わってくる。毎日が息の抜けない戦いで、金や銀やプラチナのように光り輝くために、自らを磨き続けておられるのだ。
「いきなり、上手になんてできません。下済みの時代、修行の時代があっていいんです。それが本物を生み出していく肥やしです。修行した結果は逃げません。必ず付いてくるんです。ですから私はいまも修行の身で、自分を毎日叱り飛ばしていますよ」
そして、帰り際にこんなことを言われたのである。
「古今東西、金や銀に対する人々の思いは不変です。単に冨や名誉と言ったことだけではなく、そこには本物への欲求や変わらず不変性のあるものを見の周りに置きたい、持ちたいという思いがあるんでしょうね。
それにも増して思うのは人間のがんばり精神の証しなんですよ。オリンピックで水泳の田島選手が、"くやし~ 金がいいです~"のコメントが話題になりましたが。銀より金を目指すからがんばれるんですよ。まさに金や銀はがんばるための人生のエネルギーの源でもあるんですよ。そんな意味でも私は本物の金製品や銀製品を届けたいんです。応援したいんです。裏切りたくないんです。スガツネ工業さんのこだわりもいいですね。一緒ですね」
思わず頬がゆるんだ。ありがたい言葉だ。

文 : 坂口 利彦 氏