こだわり人[2015.07.17]
世界に一つ、江戸切子へのこだわり
伝統工芸というと、自然とイメージが広がる。広辞苑によると、"長年にわたり受け継がれている技術や技が用いられた美術や工芸のこと"と記されている。全国各地の自治体でも伝統工芸品とか伝統工芸士の名のもとにその工芸を保持していくことにさまざまな施策を展開しているが、この言葉が安易に使われて過ぎていると、嘆く人も多い。ある面では時代と共に永らえてきたモノづくり技術やモノづくり文化の火を消すなということかも知れないが、ちょっと安売り過ぎる、あまりにも昨今の商業主義に乗り過ぎということだろうか。
そんな折に目にした『職人図鑑 伝統工芸品』(同友館)という本に、"現代にあってもものづくりの心を失わず、日々、より良いものをつくっていこうとしている会社と、そこで働いている人がいる〜"という名のもとに、江戸時代の後期から伝わる伝統工芸品の手づくりにこだわり、世界に一つしかない江戸切子を作り続ける『華硝』という会社が紹介されていた。名前もいい、ガラス特有の輝きを生かした繊細できめの細かな文様が目に浮かぶ。
ということで今回は、東京は江東区亀戸の『華硝』という屋号のこだわりの江戸切子店に着目させていただいた。
■こだわり人 ファイル040
世界に一つ、江戸切子へのこだわり
株式会社江戸切子の店『華硝』(東京都・江東区)

●伝統と未来の町で息づく江戸切子

亀戸といえば、"伝統と未来が息づく水彩都市"を標榜する江東区を写し取ったような街である。学問の神様、菅原道真を祀る亀戸天神社をはじめ亀戸七福神、荒川、横十間川などがこの街独特の香りを漂わせている。東京オリンピック、パラリンピックを控え、区内に13もの競技場の設置が予定されているから、亀戸の未来は確かに注目すべきものがある。
そんな亀戸の表玄関である総武線亀戸駅から歩いて10分、国内最古の恵比寿神、大黒神を祀る香取神社の道沿いに『華硝』の工房&ショールームがある。入口前、通りに面した一角にこの工房の顔である江戸切子が展示されているのがいい感じだ。折からの午後の明るい陽ざしを浴びて、道行く人にほっとした心の安らぎを与えている。
前哨戦からこんな洗礼を浴びて3Fのショールームに案内されるともういけない。伝統的な技術と現代的なデザインの涼やかな美。部屋中に飾られたさまざまな江戸切子に包まれると、たちまちのうちに心も爽やかになってくる。まさに本物だけが持つオーラだ。

そこへ、「いらっしゃい」と明るい声で出てこられた『華硝』の社長、熊倉節子氏。「これが『華硝』です。一つ一つ手にしてみてください。本物を実感してください。手が真っ先に感じ取ってくれますよ」と言われると、もう完全に江戸切子の虜だ。すると、熊倉氏は言われたのである。
「今日はこだわりのものづくりということですが、江戸切子へのこだわりの前に、私どもの会社としてのこだわりをお話しさせてください。会社の組織自体がこだわりを前提に動いきていますから」
是非、お聞きしたい。そこで最初に、創業時からの組織へのこだわりを紹介いただいたので、そのあらましを紹介しておこう。

●本物の魅力に身も心も心酔だ

創業されたのは1946年、戦後まもない時である。熊倉茂吉氏(初代)が江戸の手工業文化の象徴の一つである江戸切子の伝統を守っていこうということで立ち上げられた。その後、1990年代になり、現在の熊倉隆一氏(2代目)が、それまでの下請け的な世界から脱皮。作るだけではなく直接お客様に江戸切子をお届けしようということで、屋号を『華硝』とする直営店を開業されたのである。その時、隆一氏には自分は作ることにもっと集中したい、お客様対応や事務的な仕事は奥様に任せたいということで、社長職は節子氏に委ねられたのである。
考えてみれば、大量生産ではなく、一つ一つ丁寧に作られた本物を求める人も多い時代だ。また、ネットなどを通じて世界中から注文を受けられる時代だ。工芸士という作り手がモノづくりに集中して、納得したものをお届けというのも当然のことかもしない。
「いま、息子の隆之が3代目として日々新たに腕を磨き、娘の千砂都が私をフォローしてくれていますが、大きな企業と違って私どもの世界では家族を核に、こんなモノを作りたいという職人さんやパートナーと一緒にやっていくのがいいんですよ。ある面では、昔ながらの形態が一番ですね、私どものこだわりですよ」
●『華硝』のこだわりの7カ条
熊倉社長の家族経営へのこだわり。確かにそうかもしれない。そして、「その上での商品へのこだわりですよ」と言われると、やっぱり組織と商品は背中合わせではなく、両輪なのだ。すると、熊倉社長は「『華硝』がこだわっている7つの心得があります」と言って、その熱い想いを話されたのである。
これはまさに昔風に言えば、"華硝〜モノづくりこだわりの心得帳〜"ということかも知れない。その真摯な思いを順に紹介させていただこう。
1.素材へのこだわり
「華硝」の江戸切子に使われる素材は、ソーダガラスという天然の砂のガラスである。クリスタルなどの鉛を含んだガラスを使わないことにこだわっている。鉛は環境を阻害する有毒な物質として海外では厳しく抑制されているが、『華硝』では世界的な趨勢に乗って鉛はご法度。地球環境の保全に努めているのだ。
2.伝統的な文様へのこだわり
3.オリジナル文様へのこだわり
江戸切子はガラス工場で作られたグラスや器の表面を削り、紋様を付けていくのが基本だが、『華硝』ではその紋様について新旧のこだわりを持っている。江戸時代からの伝統的な紋様(矢来、魚目など)の受け継ぎと、自らデザインした現代的なオリジナル模様(米つなぎ、玉市松など)の考案である。
伝統とオリジナルへのこだわり。このことについて熊倉社長は「名誉あるエポックがございます。これからも、世界中の人々から愛される本物の江戸切子をお届けしていきます」と熱く語られたので、その言葉をそのまま紹介させていただこう。
「2008年に、日本とフランスの交流150周年を記念した展示会がパリのルーブル美術館で開かれたんです。その時、日本を代表する工芸品の一つとして『華硝』の江戸切子も展示されましたが、"メイド・イン・ジャパンの魅力が満載"と大変評判になったんです。すると、その余韻が日本に伝わってきたんでしょうね。その年の秋に北海道の洞爺湖で開かれたサミットで、私どものオリジナルブランドである『米つなぎ』紋様のワイングラスが訪れた各国首脳への贈呈品になったんですよ」。
『米つなぎ』、聞きなれない言葉だが、我が国の農業を代表する米をモチーフにデザインした逸品である。

4.手磨きへのこだわり
江戸切子の製作工程のこだわりである。基本的に江戸切子は、模様を切り出すためのしるしをガラスの表面に付ける『割り出し』から始まって、グラインダーでグラスを大まかに削る『荒摺り』、さらに、グラインダーを使って文様を仕上げる『仕上げダイヤ』、削った部分を磨いて透明にする『磨き』という工程を辿る。
『華硝』ではこれらすべてを手作業で行っているのが大きな特徴だが、特に『磨き』については薬品などを使わないで、手磨きにこだわっておられるのである。薬品を使えば、ガラスにつけた色が溶けだして色落ちするし、輝きもなくなる。また、ガラス独特のシャープな手だわり感も失われるからである。もちろん、薬品による環境汚染防止ということも念頭に置かれたそうである。

5.直営店へのこだわり
『華硝』の江戸切子は百貨店などでは購入することができない。この亀戸の直営店『工房&ショールーム』か、ネットでの販売のみにこだわっている。二代目の「下請け的な立場ではなく、あくまでも自分たちで作って、自分たちで売る」という姿勢を貫かれているのである。
熊倉社長はそれによって「誰が、何のために、どのような商品を買い求めているのかが直接わかりますので、新しい商品開発などに結び付けていけるんですよ」と、直営ならではのこだわり効果を強調されている。
6.新しい発想へのこだわり
伝統的な技術を新たな分野でも生かしていきたい。そんな想いを胸に『華硝』では、グラスなどの江戸切子技術を照明ランプなど、異分野の商品と連連させていくことにこだわっている。世に言うコラボレーションだ。
「すでに富山県の高岡銅器や佐賀県の有田焼で作ったベースの上に、私どもの江戸切子のシェードを乗せた卓上ランプを提供させていただいていますが、伝統工芸士同士のコラボレーション品として喜んでいただいています。これからも積極的に進めていきます」
業界の今後を思えば、伝統技術をさらに生き永らえると共に新たな市場拡大の起爆剤になっていくということだろう。次代への新たな光になっていくことは想像してあまりあるというものだ。
7.次世代の育成へのこだわり
『華硝』の工房を見せていただいた。すると、そこで見た『荒摺り』などに取り組む職人さんは20代、30代ではないか。すると熊倉社長は言われたのである。「これも私どものこだわりです。学校を卒業した若い人が、この仕事をやりたいと入ってきます。私どもは、それ応えてあげたいんです。未経験者でもデザインから磨きまで3年で技術習得できるように2代目が指導していますし、先輩が後輩を個人指導するチューター制度を徹底しています。また、全員参加のデザイン会議を行ったり、それぞれが作品を作って品評会などをおこなうなど、お互いが切磋琢磨して成長していくよう、力を注いでいます」

ともすればこの業界は高齢者とか、継承者不足とか先行き不安が問われるのだが、ここではそんな空気を一掃するための汗が飛び散っているのだ。
「この思いは社内にとどまらず、本物の技術を受けてプロの職人を育てたいということで、直営スクール『Hanasyo'S』を2010年に開校しました。この業界の未来への道筋をつけたいんです」
●ガラス文化の一翼を担って
こだわる熊倉社長の想いは、どんどん我が胸に響く。"亀戸七福神"にあやかれば、まさに"華硝七福工"ということだろか。納得できる商品を納得できる形でお届けしますので、豊かな福を、幸せ感を享受して下さいということだろう。
それは国際的なステージでの日本を代表する工芸品のエポックをはじめ、2007年、経済産業省から与えられた『地球資源事業活用計画』東京都第一号認定、2012年、経済産業省の『中小企業の小さな未来会』の運営委員選出、2015年、『がんばる中小企業・小規模事業者300選』の認定などなどを通じて実感させられるが、そこにはこれまで紹介させていただいてきた『こだわり』同様に、腰を据え、長く続けことの大切を改めて教えられる。
かって、明治以降の近代文明を支えて両翼は鉄とガラスの歴史だということを教わったが、江戸切子という特化した世界で息づくガラス工芸品の存在感はやはりすごい、窓ガラス、食器、レンズ、鏡、液晶デイスプレイ、光ファイバー、電球、蛍光灯、ハードデイスクドライブ等々、現代社会の重要なガラス文化のファクターとしてその一翼を担っている。
日常性があり、装飾性があり、その一つ一つの表情についつい魅せられて、時にはこの江戸切子グラスでゆったりとワインなどを飲んでと、自分なりの物語を描いてしまう。
文 : 坂口 利彦 氏