こだわり人[2016.05.12]
日本の美と匠の技への、こだわり
学会誌『自治体学』(2016・3)に野口暢子長野県短期大学助教がちょっと気になる一文を載せておられた。日本を訪れた外国人が2003年には521万1725人だったが、2015年には1973万7000人になったと。そして、外国人に人気の日本の観光スポットの表を引用されているのである。見ると、そのベスト5は2位を除いてすべて神社仏閣ではないか。改めての日本の魅力は追憶の神社仏閣であることを教えられたものである。
- 表:外国人に人気の日本の観光スポットランキング2015(「トリップアドバイザー」調べ)
- 1位 伏見稲荷大社(京都府京都市)
- 2位 広島平和記念資料館(原爆ドーム、平和記念公園)(広島県広島市)
- 3位 厳島神社(広島県廿日市)
- 4位 東大寺(奈良県奈良市)
- 5位 禅林寺 永観堂(京都府京都市)
そう言えば、我が愛読書の一冊である『月刊MdN』(2015・10)が宮大工の道具ということで千葉県の織戸社寺工務所のこだわりを紹介していた。時代の最先端を行くデジタルデザインとビジュアルアートを紹介した雑誌に伝統的な宮大工を取り上げるなんて、その組み合わせが妙に印象に残っていたものである。HPを拝見すると、"日本の美と匠の技を未来に傳える"という宮大工へのこだわりや設計、施工された神社仏閣の建築事例が数多く紹介されている。今や宮大工と言えば全国に100人もいないというではないか。となれば、ここはその真摯な想いに耳を傾けなければだ。
ということで、今回は宮大工にこだわられる有限会社織戸社寺工務所の代表、織戸晃一さんに着目させていただいた。
■こだわり人 ファイル049
日本の美と匠の技への、こだわり
織戸社寺工務所(千葉県・習志野市)
●創業50年、神社仏閣の設計、施工のプロフェッショナル
宮大工と言えば、その言葉を聞いただけで、独特のこだわりを感じてきた。やはり神仏が宿る建造物だと思うと、何か研ぎ澄まされた匠の技を思い浮かべてしまうのである。Wikipediaによると、“宮大工は渡り大工と呼ばれ、何年も家を離れ社寺のある地に居住して材料、技法を生かしながら仕事を進める。その技術は徒弟制度という形で師匠から弟子へ口伝で継承されるのがふつうである”云々と記されている。もちろん現在では、ここまで徹してはいないそうだが、やはり心が揺さぶられるというものだ。
JR京葉線の南船橋駅から歩いて15分。人出がなく、大通りを大きな運搬車が行き来するばかりだが、その先に会いたい欲求を満たしてくれるものがあるかと思うと、自然と足が速くなるのだ。

待望の工務所が見えてくると、たちまちのうちに木の香りだ。神社仏閣に使われる材木だろう。敷地内の置かれたもの、開いたシャッター越しに見え隠れする材木を目にすると、我が五感は一段と弾んでくる。
織戸さん若い。後でお聞きしたのだが、50才前と言われる。宮大工と言えば、なんとなく年季の入った60代、70代の方をイメージしてしまうのだが、とんでも八分だ。でも、その言葉動作には18才からこの道一筋にという経験豊かな足取りがあるということだろう。この方にお願いしておけば、安心だという精気が満ち溢れている。

有限会社織戸社寺工務所の代表、織戸晃一氏
そこで、挨拶もそこそこに創業50年という神社仏閣に携わっておられる宮大工への思いを最初に伺ってみた。
「父が1963年から宮大工の仕事をしていましたので、私も父のような仕事をしたいという思いです。学校を卒業すると、秩父市の宮大工の所で修行を5年間やり、1990年に父の織戸社寺工務所に勤めるようになりました。その7年後、2代目として父の後を受け継ぎ千葉県や首都圏の神社仏閣を中心に手掛けていますが、思うことはただ一つです。神社仏閣は流麗で崇高な神仏に通じる場所として、それに相応しい佇まいが大切だということです。
荘厳な中にも美しさを携えている。その神々しさに行き交う人も思わず足を止め、手を合わせていくのですね。そうであってこそ、神社仏閣の存在は維持され、人々に心の安らぎや感謝、希望を与えていく光の空間として長く愛されていくのではないでしょうか」
●めざす、技術力と芸術性を持つ“笑顔の頑固職人”
宮大工は光の空間を作るエキスパートか。だからこそ、仕事、商売という前に、職人全員が神社仏閣に畏敬の心を持ち、神仏と一体となるように己の心を磨き、古来から伝承される宮大工の技を極めていくことにすべての情熱を注いでおられるのだ。しかもその立ち居振る舞いに気負いがなく、あくまでも自然体だ。すると、織戸さんはこちらの思いを察するように宮大工としての経営理念を、次の言葉を添えて示されたのでそのまま掲載しておこう。
「宮大工として私は、優れた技術力と芸術性を持つ“笑顔の頑固職人”こそが、本物の社寺建築を作り上げる出発点だと思っています。そのため5つの理念、『技術力、芸術性、笑顔、棟梁力、信仰心』を徹底しているのです」
- 5つの理念表
- 「笑顔の頑固職人」となるために
- 一 技術力千年の風雪に耐える建築技術を身につけること
- 二 芸術性参拝者に感動を与える芸術的センスを磨くこと
- 三 笑顔お客様の心の声に耳を傾ける、豊かな心を育むこと
- 四 棟梁力現場を仕切り、お客様を笑顔にする力をつけること
- 五 信仰心技術習得の奥にある、神仏を尊び感謝する心を深めること
なるほど、笑顔の頑固職人か。織戸さんの宮大工としての熱い想いに教えられる。そこで、失礼とは思ったが、「宮大工さんと普通の大工さんとはどこが違うんですか」なんて伺ってみた。

「よく聞かれますがあえて言うならば、宮大工は社寺建築の“あるべき姿”と“決まりごと”を熟知し、神社仏閣ならではの美しさを形にする技術力を持っていることだと思います。というのは、長い歴史の中で洗練されてきた日本の社寺建築の“決まりごと”とは社寺建築工法の規範になるもので、『規矩術』や『木割り』といったものです。これは建物の柱間や高さ、各部材の寸法などを詳細に割り出す比率や計算方法、構造、納まりなどをあらわしたもので、社寺建築の基準です。ですから、この基準に沿って忠実に作るだけでも見栄えの良い神社仏閣ができるわけです。でも、私はその基本を踏まえた上で敷地の状況、宗派、施主様のご要望、さらには予算などを考えた上で施主様の期待を超える社寺建築を建立するのが本物の宮大工だと肝に銘じています」

最近では,『規矩術』や『木割り』は書籍になっているので、誰もが学ぶことができるそうだ、だが、“この継ぎ手は1割ほど大きくした方がいい”とか“この部材は木割りより5分大きくした方が美しい”とか“屋根の反りは緩くした方がいい”というようなことは、職人たちが豊富な経験によって積み上げたもので、教科書などには載っていないそうだ。
裏を返せば、それこそが職人さんたちの口伝えによって継承されてきた、世に言う秘伝といったもので、宮大工の腕ここにありということなのだろう。
●本物一筋、こだわりがこだわりを創っていく
ところで、社寺建築が完成するまでには規模にもよるが、長い年月がかかるのだろう。建築の話があって着手するまでのご苦労は察して余りある。すると織戸さんはこれまでの建築事例などを見せながら言われたのである。
「おっしゃる通りです。神社仏閣の建築物は個人住宅とは違い、発起から着工までに、とても長い時間を要します。一般的には1年以上です。3年や5年かかることも珍しくありません。というのも、宮司様、住職様、総代、建設委員など沢山の方々の考えやご意見を聞きつつ、それらを一つの方向にまとめる事が大切だからです。そのため、多くの時間がかかりますし、高額になる工事費の準備も簡単なことではありません。それでも建築の相談や依頼を受けますと、とにもかくにも現地に赴き、祭神や宗派によって建物の姿を想定して、資金なども考慮して、その地に相応しい建物を設計していきます」

やはり一般の住宅よりも、前段階に多くの時間を費やされるんだ。同じ規格のモノでプレハブ的にということは許されないんだ。そして、設計内容が大筋で合意に達すると正式の契約を結び、具体的な工事に入っていかれるのである。その後の工事は一般の住宅と同じような工程を辿っていかれるのだが、本物の社寺建築ということで特に3つのことにこだわっていると言われたので、その3つをクローズアップさせていただこう。
1つ目は材木へのこだわりである。購入した木材は調書に基づいて製材し、天然乾燥に時間を費やされるのだ。材木の大きさにもよるが、織戸さんはしっかりと乾燥させることにこだわっておられる。可能であれば、乾燥期間は1年以上が理想的とのこと。敷地内に置かれた先ほど見た材木はただ並べてあるということではなく、早くも完成品に向かっての前哨戦が始まっているのだ。
「どんな名工が腕を振るっても、木材が十分乾燥していないとたちまちのうちにガタがきますからね。木の縮みやねじれなんか絶対ご法度ですよ。太い材木などは芯までなかなか乾かないので、着工早々に穴を掘ったり、切ったりして建てる寸前まで乾燥に徹し、もうこれで大丈夫だという確信が得られると寸法や穴ほぞを修正して納得のできる材木に仕上げていきます」
二つ目は原寸型板づくりへのこだわりである。設計図面をもとに実物大の原寸図を描き、その図面をもとに型板を作っておられる。そして、曲がった材、くねった材、丸い材を型板通りに鋸などで挽いて建てる前の準備を徹底されるのだ。
「丸柱は八角で注文製材したものを16、32、64としだいに角を落として最後は丸鉋で仕上げます。花や動物などの彫刻が入る部材は、大工が初めに穴やほぞを付け、現場に収まるようにしてから彫刻師に渡しています。すると、彫刻師はこれに絵を描き、100本近くのノミを使い分けて仕上げていくわけですよ」

原寸図(左)と、原寸型板(右)
3つ目は屋根へのこだわりである。社寺建築の屋根が出来上がると工事の7割が上がったと言われるぐらい重要なので、形態、素材、施工などに非常に神経を使うそうである。素人目にも神社仏閣の屋根の存在は重要なアイテムであることは見てとれるというものだ。
「屋根材としては昔から瓦、銅板、檜皮、板、葦、石材などが使われてきましたが、現在は瓦と銅板がほとんどです。瓦葺には大きく分けて本瓦葺と桟瓦葺があり、本瓦葺は平瓦を3枚重ねでその間に丸瓦をかぶせていきますので工事の日数も費用もかかるため、最近では本瓦風の改良瓦や桟瓦葺も増えてきました。
一方、銅板葺は温度の変化によって収縮も大きいため特殊な工事を擁しますが、現在では瓦も銅もよく研究されて耐久性などもほとんど両者に差がありません。瓦屋根は見るからに重厚な雰囲気がありますし、銅板屋根には自由な線が演出できるので芸術的な美しさが魅力だと言われています」
屋根について少し付け加えると、時に6尺以上(約1.8m)もの軒の出を支えるということがあるので、屋根裏の細工には大量の木材を使って入念な施工をされるそうだ。そこを手抜きすると、軒先のたわみやゆがみなどが生じさせ、当初の寸法と線が崩れさせ、流麗で崇高な美をすべて損なってしまうからだ。また、雨漏りなどの原因になるので、そのこだわりは想像できるというものだ。

●安らぎや感謝や希望を刻み込む
ここでは3つの代表的なこだわりを紹介いただいたが、まだまだ社寺建築へのこだわりは尽きないのだろう。材木で囲まれた工務所の現場で木と向かう会う職人さんたちの顔の表情、一つ一つの動作を見ていると、はっきりと見て取れる。あの手の先には常に神社仏閣に手を合わせられる人々のことがあるんだと思うと、目の前の職人さんたちにボクが手を合わせたくなるというもんだ。

再び人出の少ない大通りを駅に向かって帰っていくと、法隆寺や薬師寺を修復された宮大工の棟梁、西岡常一氏の言葉が頭の中によみがえってきた。飛鳥時代から受け継がれてきた社寺建築の技術を後世に伝える"最後の宮大工"と称された方だ。その言葉の一つ一つは、後に続く宮大工への応援メッセージでもあり、いまを生きる私たちの人生訓でもあると言われている。その気骨ある言葉を共有してみませんか。
「明治以来、建築史学いうもんができたけれどね、それまでは史学みたいなもんあらへん。大工がみな造ったんやね。飛鳥にしろ白鳳にしろ、結局は大工の造ったあとのものを系統的に並べて学問としてるだけのことで、大工の弟子以下やというんです」
「自分からしてみせな。それが一番ですな。なんぼ上手に文句を言うてもあきませんわ。やっぱりまず私自身鉢巻をしめて、汗を流して、その人の前でこういうふうにやってくれと実際してみせんとな」
「道具は頭で思ったことが手に伝わって、道具が肉体の一部のようになることや。私らにとって、道具は自分の肉体の先端や」
文 : 坂口 利彦 氏