こだわり人[2016.08.10]
創業300年の老舗、江戸手描提灯へのこだわり / 山崎屋源七提灯店(東京都・台東区)
いくつになっても祭りばやしが聞こえると、身体が弾む。思わず近づいて行くと、賑わいのあるちょうちんが列をなし、見事な舞台が出来上がっている。そこに色とりどりの露店が並ぶと、老いも若きもいい笑顔だ。日本の伝統的な祭りへのこだわりが見て取れるというものだ。
しばし、祭りへのこだわりに酔っていると、気になったのはあのちょうちんだ。漢字で書くと"提灯"ということだが、提というのは手に下げるということで、携行できる明かりということではないか。いまでいう懐中電灯のようなものだ。
ところが現在では、ちょうちんは神社仏閣の祭礼や儀式、おめでたい結婚式場で使われている。さらに最近は出産祝いや新築祝いにプレゼントする人もいるし、室内インテリアや商業的な販促ツールというものもある。
いったいこの利用フィールドの広い提灯ってなんだろうと思って、いつもながらのネットサーフィンを行っていると、飛び込んできたのは、江戸時代から提灯を作って300年、浅草の雷門のすぐそばで店を構える浅草神社、浅草寺御用『山崎屋源七提灯店』である。読むと、江戸提灯手描職人の店で店主の山田記央さんは8代目というではないか。その上、浅草名物『三社祭』の際に軒下などに下げられる提灯の多くは山田さんの手によるというから、これは是が非でもお会いしなければだ。
ということで、今回は江戸手描提灯の8代目、山田記央さんのこだわりに着目させていただいた。
■こだわり人 ファイル052
創業300年の老舗、江戸手描提灯へのこだわり
山崎屋源七提灯店(東京都・台東区)
●浅草雷門前で、江戸伝統の暖簾を守る

相変わらずの浅草雷門前の賑わいだ。特に近年はインバウンド効果もあるのだろう、海外の旅行者がいかに多いかということだ。カメラなどを手に山門を次から次へとくぐっていく。上を見上げると、江戸提灯を象徴するような大提灯だ。もう何度も見ているが、今日はまた一段と輝いて、これから訪ねる山崎屋の露払いをしているようだ。

浅草通りを一歩横に入ると山崎屋の看板が目に飛び込んでくる。江戸の粋ということだろうか、小ぶりで控えめ。雷門前の大にぎわいと違った物静かな横町にあって、早くも山田さんのこだわりを感じてしまう。
その看板の下に、お店というのだろうか、工房的な作業場というのだろうか。ガラス戸越しに大小さまざまな提灯が見える。まるで小さな提灯のテーマパークのようだ。山田さんはそんなテーマパークの中央で、手に筆を持ちながら70センチぐらいの提灯に向かいあっておられたが、何か懐かしい雰囲気だ。子供の頃にこんな雰囲気の仕立て屋さんや建具屋さんが近所にあって、口の想い職人さんの手仕事をガラス越しによく見ていたものだ。
いま思うと、あの職人さんたちも自分なりのこだわりがあったのだろうと思うと、時代がどのように変わっても、職人魂のようなものは変わらないのだ。

失礼だと思いながら話しかけると、山田さん手を休めてにっこりだ。昔見た職人さんのイメージはまったくなく、丁寧でさわやかな口調にこちらの緊張感も一気にやわらいでいく。この際だ。提灯について少し頭に入れておきたかったので、提灯の歴史について最初に伺ってみた。
「提灯は携帯できる明り取りです。伸縮自在な構造で、細い割竹でできた枠に紙を貼って、底に蝋燭を立てて光源とするものです。現在は電気を光源とするものがありますが、この国に最初に登場したのは室町時代で、『籠提灯』です。その後、折り畳みのものが出てきて宗教的な祭礼や儀式に使われるようになり、一般庶民に広まっていったのは江戸時代です。
ここ浅草は職人の街として提灯屋も多かったのですが、明治時代になると問屋制が発達し、地ばりと呼ばれる提灯の本体を作るのを生業とするところと、提灯の文字描きを生業とするところとの分業化が進みました。私ども山崎屋は文字描きに専念。江戸手描提灯店として暖簾を守ってきました」
●伝統の江戸文字が、職人の道に走らせた
提灯には歴史があり、奥が深いのだ。携帯用の明かりが宗教的な場で使われるようになり、現在ではお祝いやインテリアや商業的な販促ツールに使われるなんて、その多彩な利用フイールドに改めて魅せられるというものだ。
山田さんはそんな提灯と生れた時から接してこられたのだろう。そこで、山田さん自身の今日に至る足取りを伺ってみた。
「私は浅草生まれで浅草育ち。現在、46才ですが、もの心ついたときから、提灯店という職人の世界を身近に見てきました。だが、学校を卒業するまでは、この世界でという意識はまったくなかったのですが、家の手伝いで提灯の材料を問屋さんに買いに行くうちに、妙に提灯が愛しくなってきたんです。先祖代々の血ですかね、あの竹ひごが貼られた和紙の上に文字や家紋を描く職人さんの姿を見て、自分でもやってみようということですよ。
やろうという決断した私は、迷うことなくその世界の達人と呼ばれている方の門を叩き、徹底的に教えを乞いました。先輩たちは温かったですね。素人同然の私に手を取り足を取り、伝統的な江戸文字を描く喜びを教えてくれました」
江戸文字に対する山田さんの想いは半端じゃなかったそうだ。提灯に描かれる文字はもとより歌舞伎の勘亭流文字や落語の寄席文字も学ばれた。そしていまもなお、その学びを続けると共に同業者が集まる組合の中の提灯研究会で仲間と共に提灯文字の描き手順などを勉強しているというから、江戸文字へのこだわりは想像するに余りあるというものだ。
そこで、ちょっと失礼かとも思ったが、HPに『父は提灯の仕事を数か月でやめた』と記されていたので、そのことを伺ってみた。
「父もこの仕事をしていましたが、自分に合わないということでサラリーマンになりました。だが、その勤務先は提灯の問屋だったので父なりに提灯に関わっていたかったのでしょうね。だったら、私が父に代わって受け継いでいこうということですよ」
そんな山田さんの想いが開花したのは21才。山崎屋の8代目として独り立ちされたのである。世に言う"暖簾を守る"ということだろうか。その後、毎日が提灯との向かい合いで伝統ある江戸手描提灯を継承しながら、その伝統ある技術を次代へバトンタッチしていこうとされているのだ。そんな功績が平成22年に表彰された『台東区優秀技能者』につながっていったと言われるから、まさに提灯一筋の道のりなんだ。

●「こだわります。文字は心の写し絵ですからね」
では、山田さんは江戸手描提灯をどのように作っておられるのだろうか。そのこだわりのある手順を目の前にある提灯を手にしながら話しいただいた。
「提灯に何も書かれていない状態を『火ぶくろ』と云いますが、この上に文字を描いていきます。提灯の種類によって描き方は多少違いますが、例えばこの提灯の場合ですと、『三社祭』の三という文字を描いてみましょう。
まず最初に、木炭で文字のあたりを付け、その上に面相筆を使って文字の外枠を描いていきます。外枠ができると文字はほぼ完成ですが、文字は書道と違って描き手順に決りはなく、次に、枠の中を塗っていきます。この塗りつぶしも左からでも右からでも、時に提灯を逆さにしてもOK。書道と違うところです。
このとき私が特にこだわるのは二つあります。一つは提灯が吊り下げられた時の見えです。提灯は基本的に高いところに下げられるので、文字は下から見られます。そのため、縦書きの場合は下側の文字は少し間を詰めます。上が4コマ空きなら下は3コマ空きという具合に。また、地球儀のように張られた竹ひごに沿って文字を描いていきますと、下の方の文字幅がどうしても小さくなってしまいますので、提灯の下の方の文字は竹ひごに逆らって、幅が広がるように描いていきます」
なるほど。そうすることによって、下から提灯を見上げた時に縦書きの文字がバランスよく見えるんだ。
「もう一つは文字に自分なりの持ち味を出すことにこだわっています。
といいますのは、力強い文字を描く方、細いやさしい文字を描く方、定規を使って図形のように描く方。いろんなタイプの方がおられますが、私はあくまでも自分の個性が出るようにということですよ。いま描いている"三"で言いますと、私はただ横線にするのではなく、少し丸みを持たせて文字に表情を持たせようとしています。
また、提灯の文字は書道のかすれなどが嫌われるのですが、私は三社祭などの提灯はあえてかすれ文字にして文字に勢いが加わるようにしています」

まさに、文字は人なりということだろう。描かれる文字一つ一つに山田さんの心が封じ込められているのだ。
「私ども業界では街に下がる提灯を見ると、どこの提灯屋が描いたのかということがすぐにわかりますので、絶対手が抜けないということですよ」
●筆一本の力が、人の心を動かしていく。
こうして目の前で書いていただくと、改めて筆の力に魅了されてしまう。机の上などの置かれた平面ではなく丸みのある立体物だ。しかも竹ひごなどで凹凸もある。そこに手書きで文字や家紋を入れられるのだ。また、定規を使ったり、パソコンでということではなく、すべて筆1本で仕上げておられるのだ。
山田さんのまわりを見ても描き道具といったものはほとんどなく、筆と墨色のほかに3色のインク壺があるだけだ。その少ない材料で、広告屋的にいえば、のっぺらぼうの提灯をメッセージメデイアに変えておられるんだ。

帰りに天井や壁に下がる提灯を見ながらカメラを向けた。すると、一段と提灯への愛しさが増してくる。この一つ一つに山田さんの想いが凝縮されているんだ。山田さんのこだわりが人々に安らぎや元気や活気を与えているんだと思うと、何か心がざわついてくるのである。江戸伝統の職人魂ここにあり、日本の職人技、ここにありということなのだろう。

外に出て、再び雷門前に立ち寄り、山門の大提灯を拝んでいくことにした。すると、大阪の観光客だろうか。40歳ぐらいのおじさん二人の声が耳に飛び込んで来た。
「ほら、この大提灯、松下電器の松下幸之助さんが寄贈したんや」
「凄いねぇ、大阪の幸之助さんが東京屈指の観光地である浅草の提灯に名を記すなんて」
「ほんまや、提灯に込めた夢が伝わってくるなぁ」
文 : 坂口 利彦 氏