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こだわり人[2016.11.16]

時代和家具にこだわり70年、井の頭通りの名物店。

 時はどんどん過ぎていく。その過ぎ去る時間をいつも手の届く身近なところに置いておきたい。そこに、人間の優しい心がある。思い出の本、思い出のカバン。思い出の学校。思い出という言葉を持っている人間は本当に偉い。晴れの結婚式で新婦が「母が残してくれた思い出の着物を着ました」なんて言われるともういけない。胸が熱くなって、彼女の過去をすっかり共有してしまっている。

 そんな気分ですっかり日常化した朝のメール読みをしていると、世田谷区の方からちょっと気になるメールが入っていた。”毎月の『こだわり人』の、ものづくりへのこだわりには教えられるが、ものを売ることにこだわる人もいる。世田谷の下北沢で創業70年を迎えたアンティーク山本商店と名乗る時代和家具の専門店です。現在の店主は3代目で、和家具に対する愛情は半端じゃない。昨年の暮れには『和家具をたのしむ』(洋泉社)という本まで執筆されています“と記されていたのである。

 もうこれだけで我が好奇心は全開だ。すぐさまHPでお店の場所を見ると、眼を見張った。というのは、私は20代後半の頃、下北沢のアパートに住んでいたのだが、そこから歩いて5分の所にある店ではないか。井の頭通りをはさんで山本商店は北沢5丁目、私は北沢4丁目だった。こんな偶然があるのか。しかも、あの時代にこの店で小さなちゃぶ台を買っている。確か当時は間口6~7メートルぐらいの店で、街の古道具屋と思っていた。ところが、HPの写真を見ると間口50メートルはあるだろう。もうこれは行かなければだ。

 ということで、今回は我が青春の思い出が詰まった土地で営業を続けておられる山本商店の3代目店主、山本明弘さんのこだわりに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル055

時代和家具にこだわり70年、井の頭通りの名物店

アンティーク山本商店(東京都・世田谷区)

 

●思い出の土地で、思い出の店と出会う。

 いつもながらの駅から目的地へ行く道すがらのワクワク感がたまらない。特に今回はかって住んでいた目の先というから、当時が思い出され特別なものがある。まさに初恋の女性に会いに行く気分になっている。
 馴染みだった商店街を抜け、瀟洒な住宅地を通って歩くこと10分、一気に視界が広がって井の頭通りに出た。思わずうなった、井の頭通りの幅が当時の2倍以上に広がっているのだ。しかも、その通り沿いにHPで見たままのワイドスケールの店が左右に広がり、(後でお聞きしたのだが、左右の土地を手に入れ店舗を拡げてこられたそうである)
店正面の看板がなんとも言えない味わいなのだ。『時代和家具の店アンティーク山本商店』という屋号が縦書き、横書きの切り文字で記されている。

 もうこれだけで、山本さんのこの店へのこだわりが見て取れるというものではないか。
近づいて見ると、ワイドスケールの店先にアンティークの和家具が横一線に日向ぼっこするように並んでいて、またまた山本さんの想いに魅せられるというものだ。郊外の大型家具店などの無個性な決まりきった店先と違って実に個性的で、遠景から近景からこの店の熱い想いがどんどんこちらに伝わってくる。

 店先には3人のアメリカ人がカメラを片手に店の方と身振り手振りで話をしている。また、和箪笥の修理をしてもらっているのだろうか、店の若い人が年配の夫人と話しながら引き出しの出し入れを繰り返している。そして、店の近隣にある中学校のグループだろうか、年期の入った木造りの机を前に、「こんな机ならもっと成績が上がるよ」と笑い転げている。

いい感じだ。見事な絵になっている。おそらく山本さんはこんなシチュエーションを描いてこのような店にされたんだろうと思うと、その店舗イメージ力に拍手を送りたくなる。そこへ出てこられた山本さん。店主というよりアンティークの若きトータルコーデイネーターと呼んだ方がいいだろう。このようなアンティークな和家具を扱うとなればそれなりのお年で、威圧的な方を想像していたがまったくの思い違いだ。言葉も表情も穏やかで、若い。この人なら安心して売り買いをお任せしますという優しさに溢れておられる。

●他店にない規模、2000点の和家具や雑貨が待っている

 『和家具』という言葉が生まれたのは昭和初期の頃。当時から増え始めた『洋家具』と区別するためにデパートなどが使い始めたそうだ。

「とにかく、店内をご覧ください」ということで、山本さんの後についていった。1階、2階、地下1階のフロアに2000点近くのアンティーク和家具が陳列されているという。一人歩けるぐらいの通路をはさんで様々な和家具が床から天井に向かって山積みされている姿は圧巻だ。上を見上げたり腰をかがめたり、宝物を探す探偵団の楽しさがある。





 いま人気のドン・キホーテの成功要因の一つは“このような商品陳列にあり”とよく報じられるが、山本さんはそれよりも早く積み上げ商法を手掛けられたと思うと痛快だ。思わず、「山本さんの売りへのこだわりをまたまた見る想いです」と言うと、にっこりだ。

「店内には明治から昭和30年代に至るアンティーク和家具や雑貨が陳列されています。中でも本箱、食器棚、茶箪笥、和箪笥などが中心で、おそらくこれだけの規模で展開している店は他にないと思います。一部、日本の家庭で使われてきた英国やアメリカや中国のアンティークも扱っていますが、看板で"時代和家具"と謳っているのは昭和30年代の大量生産時代に入る前の職人さんが作ったものをお手軽な値段で提供するというのが私どものこだわりです。
といいますのは、和家具というと数十万円もする高価な骨董品を思い浮かべられがちですが私どもは数千円から数万円のリーズナブルなものが主流です。だが粗悪でなく、注文に応じて職人さんが誂えた1点ものがほとんどで作りがしっかりしていますし、デザインも日本人ならでは美意識があってとてもしゃれています」

 そしてさらに、こだわりと言えばもう少し話をさせてくださいと、言葉を付け加えられたのである。

「アンティーク和家具といえば、実用性はもとより装飾性ということで自分の部屋に置きたいという方が多いのですが、安値で質のよいものをどこで手に入れたらいいのかわからない方が多いのです。中にはそのようなお客様に対して、粗悪なものを高い値段で販売するところもありますからね。しかし、私どもはお買い求めてくださったお客様ががっかりするようなことは絶対にしません。創業70年という暖簾の重みを常に背負いながら3代続けて日々の営業を重ねていることで、それを実証しているものだと確信しています。自分の目で見て、手で触れて、納得したうえでお求めいただくことの徹底ですね。
また、以前では当たり前のように生活に溶け込んでいた『和の心』を、このような和家具を通じて現在の生活に活かす提案にこだわっています。和家具から始まる豊かな生活の提案ですね」

●息づく『和の心』を伝えたい

 アンティークと言えば、ともすれば年配の方のコレクション、あるいは昔を懐かしんでというイメージが強いそうだが、最近は若い人がこれらのものを新しい生活道具として、また装飾品として買い求めるというケースが増えてきているのでそれに応えていきたいということだ。確かに、最近のインテリア雑誌などを見るとアンティーク和家具を取り扱うものをよく見るようになった。

「素材、職人さんの腕、一つの時代を生きてきた本物が持っている香りが人の心を引きつけるのでしょうね。裏を返せばアンティークには人間の息づかいがあり、それと対話しようという人の優しい心があるんでしょうね」

 そんなお客様の想いに応えるようにお店でも工夫が施されている。店舗両サイドの倉庫兼工房では多くの職人さんが仕入れた和家具に、痛みの補修、色付け、ニス塗り、ワックスかけなどを徹底して行っており、その作業の様子がお客様の目で身近に見られるようにされているのだ。また、仕上げ前の商品であれば、家具の素にこだわるお客様には色つけなし、艶なしといった対応もされている。

 そしてさらに、アンティーク商品は2つと同じものがないので、店内の雰囲気は2~3週間でがらりと変わる。その結果、お客様はそこに行けば、また新しい和家具と出会えるという店舗演出にこだわっておられる。「常に、新しい出会いを提供していきたいのです」だ。
 また、ネット時代だ。オンラインショッピングにも力を入れ、全国各地からの注文にも応じておられる。

●“この仕事が好きだ”から始まる今日、そして明日。

 店内を案内されながら山本さんの話をお聞きしていると、和家具に対する愛情を改めて教えられる。そこで、著書『和家具をたのしむ』にも書かれていたが、今日に至る道のりに少し触れていただいた。というのは、大学は情報学部で、卒業された2004年頃と言えばIT産業が日の出の勢いで伸長していた時代ではないか。

「確かにそうですね、この店は終戦の後、祖父が古物商として立ち上げ、当初は古着を取り扱っていました。その後、父と一緒になって次第に生活骨董品にシフトしていったのです。その当時は店舗兼自宅でしたので、私は祖父と父の仕事への想いをいつも身近に見ていました。しかしながら、いま一つ興味もなく、大学を卒業するときには企業への就職も決めていました。
ところが、父の病気を機に一転です。店の仕事を手伝っているうちにサラリーマンになるよりこちらの方が断然面白いという想いが募り、家業を継ぐ決断をしたんです。それはもうDNA以外何ものでもありませんね。和家具が私を呼んだんですね。すると後は生活骨董品一辺倒です。私なりのコンセプトで事業を展開し、街の古道具屋から現在のアンティークショップという体制で法人化するところへ到達したのです」

 その時、25才。三代目として店を背負うことになったそうだが、その後の道のりは想像して余りある。今は祖父も父も亡くなられたそうだが、アンティークショップは山本さんの言葉を借りれば、現代進行形の発展途上にあるそうだ。現在、昔ながらのメンバーを含めて10名を超えるスタッフがおられるが、その躍進の原動力はとにもかくにも和家具好きが集まっていることだと言われる。いつの時代もそうだが、結局、大事なのは「この仕事が好きだ」というこだわり人から始まるというのが、山本さんなのである。

●商品を売るのではなく、生活を売る

「まさに人に歴史ありだ、私がいまなお使っているちゃぶ台は、山本さんの幼児の頃に購入したものだ。不思議な縁を感じる。まさに、思い出をいつも手の届くところに置いておきたいという私の心の写し絵だ。」

 そんなことを思うと、山本さんが商品を売る前に生活を売るというコンセプトがいやがうえにも伝わってくる。人の一生は一過性のものではない。連続大河ドラマだ。一つの時代を次の時代につなげていこうという明日への踏み出しを見る。ともすれば時間に追われ毎日の生活であたふたしている私たちだ。少し時間を緩めて自分を取り戻しなさいと肩を叩かれているのかもしれない。だからだろう。帰りにもう一度、店舗内を見せていただいたのだが、「買うとか買わないということでなく、この空間で得た時間を持って帰ってもらえばいいんですよ」という声が、またまた聞こえてくるではないか。

 和家具も一生もの。人も一生ものということだろう、山本さん流に言えば「いつでも、心は修理、修繕、修復できますよ」ということかもしれない。

 この項の書きたいことまだまだ尽きない。山本さんの著書のことはもとより、親しみのあるHP、ブログ、かわら版、チラシ。さらにテレビドラマや映画での美術協力、ロケ地協力。そしてさらに和家具の選び方や使い方なども紹介したい。機会があればまた改めてということだ。著書『和家具をたのしむ』の最後に山本さんのこだわりの真骨頂と思える言葉があるので、その一部を転載させていただこう。

この商いを長く続けていると、当店で一度販売した商品を再び買い戻して、それにまた修理を施して、次のお客様に販売させていただくというシーンに出くわすことがあります。その商品がいい状態で戻ってくると、「よかったな。大事にしてもらって」と、とてもうれしい気持ちになります。ときには、4回も、5回も戻ってくるレコードキャビネットなどもあり、「おいおい、久しぶりだね!」なんて声をかけてしまうほど、愛着が生まれることもしばしばです。反面、ボロボロにくたびれた状態で戻ってくると、「随分荒っぽく使われたちゃったな、またちゃんと直してやるからなぁ」と、慰めてやりたくなるものです。~使い捨て前提の大量生産品ではなく、一点ものの和家具には命があります。そこには、作った職人から始まって売った人、買った人、使った人の綿々と連なる想いがあります~

文 : 坂口 利彦 氏