こだわり人[2017.02.28]
夢は力、時代を創っていく / 杉野ゴム化学工業所の杉野行雄氏(東京・葛飾区)
2017年、従来的な枠組みが1枚のカードによって、次々にめくり取られていく。トランプ旋風はいかに。ある面では日本が大幅に塗りかえられるのではないかと一喜一憂だ。すると、ある著名な経済学者がそんな状況に警鐘を鳴らし、“従来的な大企業というところに、おんぶに抱っこではなく、中小や中堅という企業や団体、もっと言えば個人のモチベーションや技術力にもっと目を向けなければならない”と檄を飛ばしていた。
そんな折に、またまた葛飾区の方が、“西に東大阪市の『まいど1号』があり、東に大田区の『ボブスレー』ありと言われるが、葛飾区の無人深海探査機『江戸っ子1号』を忘れていませんか。ある面では東京の町工場のこだわりを象徴する事業だよ”というメッセージを送ってくださった。確かにボクもテレビや雑誌で、大阪が宇宙なら東京は深海をめざすというこの『江戸っ子1号』のことを知ってはいたが、そのプロダクトリーダーの杉野行雄さんが気になっていた。というのは、杉野さんは葛飾区でゴム製品の開発・製造メーカーである杉野ゴム化学工業所の社長だが、その社長がなぜ深海に、しかもゴムについては専門の学者先生以上の博識者と言われる方だからである。かってTBSの「がっちりマンデー」(毎週日曜日)にも出演されているのを拝見したことがあるが、森永卓郎経済アナリストや勝間和代経済評論家もゴムへの情熱、そして行動力には舌を巻いていたものである。
ということで今回は、葛飾区の町工場の重鎮と言われる杉野行雄さんのこだわりに着目させていただいた。
■こだわり人 ファイル058
夢は力、時代を創っていく
杉野ゴム化学工業所 杉野行雄氏 (東京・葛飾区)
●親子二代、ゴムの開発と製造にこだわって

京成線『お花茶屋駅』から徒歩で3分、町名も『白鳥』というから何かロマンがあって、心が和らぐ。化学工業所というから大型の車が行き交い、音があり喧騒としたイメージを抱いていたが見当はずれだ。先の名を映したような穏やかな住宅地にあるちょっと昔懐かしい佇まいだ。この地で昨年、創業60年を迎えたというから、さまざまな想像力が掻きたてられる。区のHPによると、葛飾区にはかって500社近くのゴムメーカーがあったが、現在では200社ぐらいに激減していると記されているから、杉野さんのゴムへのこだわりが見て取れるというものだ。

案内された2階の作業場にもやはり懐かしさが漂っている。雑然としているが、ついつい手にしたくなるゴム製品が次から次へと目に飛び込んでくる。そんな中で見る杉野さんはやはりここが一番心地いいのだろう、この作業場によく似合う。1956年に父の健治さんが立ち上げられた工業用ゴム製品の開発・製造メーカーの2代目社長として、真正面からゴムと向かい合ってこられたのだ。
「戦前、父はゴム商社に勤め、英語やドイツ語に堪能だったので海外の資料を翻訳しながら、ゴムに関する知識を深めていました。その後、ドイツのバイエル社の日本総代理店の技師長になったのですが、戦中には兵器開発にも協力することになり、戦後は戦犯ということですよ。そのため、長く軟禁状態が続いたのですが、1956年にそれが解けたので、現在のこの地でゴム製品の開発と製造を始めたんです。おかげさまで、父の持つ高い技術力を知る同業者やメーカーからゴム部品や製品の開発依頼が次から次へと飛び込んできましたね。すると、私も当然ごとく父の元でということです。大学を卒業すると父と二人三脚、従業員も30名近くいて、着実にゴム需要に応えていきましたね」
そんなある日、その勢いに追い打ちをかけるような案件、電線ケーブルや配線部をカバーする高電圧に耐えるゴム製品の開発依頼というプロジェクトが飛び込んできたそうである。
「依頼されたのは世界的な化学、電気素材メーカーであるアメリカの3M社です。『耐電圧ゴム』については素材を見直し、密度を高めればできるというアイデアを持っていましたので自信がありましたね。おかげさまで、その開発に成功し、以来、大手はもとより中小に至るまで、“ゴムのことなら、杉野に行け”という声をいただくようになりましたよ」
●時代の波を追い風に、ゴムの総合デパート的な役割をはたす
何か当時の様子が目に浮かぶ。時代は家電、車、住宅などがどんどん伸長していった時代だ。勢い、ゴム製品の需要もどんどん高まっていったことは想像して余りある。この時の『耐電圧ゴム』は今でも多くの場所で採用されているというから、その高い技術力は特筆すべきものがあったに違いない。
その後も勢いは止まらず、産業機械や建設機械の振動防止に使われるゴムを国内で最初に開発されている。以降、業務用としては産業機械、建設機械、自動車、家電、家具、住宅などに使う『防振ゴム』『防振マット』『防振パット』『ストッパーゴム』『ボルト足ゴム』を、また電気部品用としては『電気コネクター』『ベローズ』『ピストンゴム』『水膨張ゴム」『ガスケット』『脱手羽ゴム』などを次々に世に送り出されている。まさにゴムの総合デパートともいうべきで、現在はゴム材料の配合設計、混練加工、金属などとのインサート焼付・接着を中心に試作品や金型設計、成型などを主体にされている。
- 電気コネクター
- 絶縁性の高いゴムを使用した電気コネクター。優れた耐久性で、建築・土木機械などで使用される。
- ベローズ
- 蛇腹(ジャバラ)、ブーツとも呼ばれ、使用される目的・用途に合わせ、最適な材質・形状・サイズにて設計。
- 水膨張ゴム
- 水を吸収すると膨張する、特殊なゴム。 防水用のパッキンとして使用される。
- 脱毛羽ゴム
- 鳥の羽を取り除く機械に使用される。
その間、杉野さんは30歳の時に父の健治さんが亡くなられたので2代目の社長に就かれたが、当時のことを次のように語られる。
「父はゴム博士と言われるぐらい高名だっただけに私はずいぶん若造扱いされましたよ。早く知識と技術を身に着けようと、その後の3年は勉強の明け暮れで、材料メーカーの製品発表会などに出掛けて強引にサンプルをもらって分析したりしていました。だが、発表データなどに間違いがあると指摘したり、発表会場でしつこく質問したりするので煙たがられもしましたね。半面、面白いとかわいがってくださるメーカーの方もおられたので、ゴムに関する知識が着実に身についていきましたよ。まだまだ父にはおよびませんがね」
と明るい。
●“ものづくり”に込めた杉野さんの熱い想い。
その後は、バブル経済の崩壊や国内のゴム工場の海外移転などで、製造事業は大きな打撃を受け縮小せざるを得なくなってきたが、開発事業はほとんど影響を受けなかったそうである。
「技術顧問として海外工場の生産ラインの指導をしてほしいというような依頼が増えましたね。日本の技術を海外へという夢がありましたので誠心誠意つくしました。日本から“ものづくり”の技術が海外に移転して行くのは悲しいことですが、その技術は海外のどこの国にも負けないものがあると自負していましたので、日本のモノづくり精神を見せてやれということですよ」
当時の杉野さんの熱い想いがやはり見えるようだ。いまもその想いが顔に現れているが、そんな想いに拍車をかけたのが自分の会社だけにとどまらず、他のゴム会社や他の業種と提携して協働で“ものづくり”をしていこうというプロジェクトの発足である。いまも続いているが、2002年に立ち上げられた『技術伝承勉強会』である。
「ゴム業界は伝統的に"技術は門外不出"の気風が強く、同業者間の交流が少なかったんです。だが、これでは時代から取り残されていくということですよ。立ち上げ時は6社でしたが、現在は葛飾区以外の地域の方も参加して30社を越えていますから嬉しいですね。志は皆同じですよ」
すると、勉強会の成果は次々に現れ、2004年には協同開発商品として、ゴム製の家具転倒防止グッズ『地震耐蔵(じしんたえぞう)』や地震の被災地の避難所などで間仕切りが簡単にできるゴム製品『UFO』など、その名も印象的な製品を生み出されたのである。
「一般の方にも関心を持ってもらいたいので、商品名にも工夫しました。おかげさまで、マスコミ等で取り上げていただいて、いまもそのユニークな発想と実用性が喜ばれています。UFOなんて面白いでしょ、このような名にしたのはその形がお椀を逆さまにしたような形で未確認飛行物体を思わせるからです」

地震耐蔵(じしんたえぞう)
確かに面白い形をしたUFOだ。実際に眼の前で使い方を見せていただいたが、お椀の上部に十字の溝が切られているので、そこに段ボールやベニヤ板を簡単に挟むことができるので、子供たちでもちまちのうちに間仕切りができるのだ。東日本大震災の際にはこれを持って仙台の小学校に飛び、無償で子供たちと一緒に体育館に間仕切りを作ったそうだ。
参考:http://www.kaei.net/kaeiHP%20bousai.htm
「その後、その子供たちから感謝の歌のプレゼントがあり、感謝の文集をいただいた時には泣きましたね。“ものづくり”をしていて本当によかったと。宝物ですよ」
その後、2004年には環境にやさしいコンセプトを掲げた天然ゴムを材料とする『けすぞう君』、さらに2009年には子供たちが間違って口に入れても安全なシリコンを使ったゴム粘土『ラバー君』などを市場に送り出されている。そういえば、私も渋谷の東急ハンズで見たが、子供たちが『ラバー君』を使って人形などを作って明るい声を上げていた。
●ゴムに命を与える夢は尽きることがない
現在、杉野さんは葛飾区から優良技能士(2004年)、東京都から東京都優秀技能者‹東京マイスター›(2007年)などの認定を受けておられるが、このような多様な用途に使われるゴムの話を伺っていると、改めてゴムに対する豊かな知識と経験に教えられる。だが、こちらはゴムと言えば、ゴムの木(ラテックス)で作られる天然ゴムと、石油などで人工的に作られる合成ゴムぐらいしか知らない。この際だ。ゴムの製造方法だけでも知っておきたいということでお聞きしたので、簡単な流れを紹介しておこう。
ゴム製品は基本的に、
ゴム材料の裁断 → ニーダー(混練機)による材料と薬品の混合せ → オープンロールによる本格的な混練 →
成形機による成型および加硫
という工程を辿る。このうちもっとも熟練を要するのがオープンロールによる混練作業である。しかも、この作業は職人さんの五感がすべてだそうだ。昔の職人はそれを、口で噛んで材料の硬さなどを確かめていたのだから、たかがゴムでない、されどゴムだったのだろう。

正直言って、言葉だけではイメージがわからないので、日を変えて、実際の現場を見せてくださいと約束したが、杉野さんたちはこのようなプロセスを得て、ゴムに多彩な生命を与えられていることに、改めて感動だ。杉野さんにとってはゴム一筋の人生なんだろう。そんなゴムにこだわる杉野さんがなぜ無人海底探査機『江戸っ子1号』にこだわられたのだろうか。もうテレビや雑誌などで散々紹介されているが、やはりここは生の声をお聞きしておきたいというものだ。
●一人一人の力が一つになって、明日を描いていく
「少し長くなりますが紹介させてください
2009年です。葛飾区の工業界を元気にしたい、若い人にも注目してもらえるような夢のあることができないかと考えているときに、人工衛星『まいど1号』のことを知って、“よし、こちらは深海で”ということですよ。異業種の方などとも連携して始めたのですが、当初はまったく反応がなかったのですが東京東信用金庫の賛同によって東京海洋大学、芝浦工業大学、さらには海洋開発研究機構‹JAMSTEC›との連携体制ができ、最終的には8社が参加するプロジェクトチームが誕生しました。
だが、設計した探査機はボディーにチタンを使うので高額な費用がかかるということで、参加企業は腰を引いていきました。でも私は開発したい一心で東奔西走していたのですが、ある時、JAMSTECの方から市販の耐圧ガラス球なら8000メートルの水圧に耐えられることを教えられたのです。あの海洋開発研究機構がやっている『しんかい6500』でも6500メートルですよ。しかもあちらは建造費に130億円もかかっているのに、こちらはその1000分の1ですよ。よしこれは徹底的にやろうということですよ。新たな協力者なども加わり8000メートルの水圧に耐えられるガラス球に3Dカメラやライトをセットし、プロジェクト発足から3年、ついに銚子沖の深海での潜水テストに成功したんです。
現在は、世界の最深海と言われるフィリピン沖の海溝チャレンジャー海淵11000メートルをめざしています。海の底にある水産資源、鉱物資源、エネルギー資源などを有効に使う夢を見てね」

安部総理も注目される『江戸っ子1号』プロジェクトの耐圧ガラス球
何だろう、今回の取材後感は。男のロマンだね。問題意識を持ち、未来に挑む。御ん年67才。まだまだやりたいことが山積みだと言われる。口元は優しさが、身体の中はとてつもなく熱い血潮がみなぎっているのだろう。夢はさらに続いていくと見た。
それにしても、『まいど1号』とか『江戸っ子1号』とかいいね、この国のものづくり精神は凄いや。
文 : 坂口 利彦 氏
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