こだわり人[2017.09.06]
アミューズメントロボットへのこだわり / 秋山岑生(東京都・世田谷区)
日本のロボット産業の行き先について、さまざまな論評が飛びかっている。中国メディアの工控網は、日本のロボット技術はあらゆる面で世界をリードするロボットの革新基地になることを示唆している。言わずもがなで、我が国のロボット技術に対する期待は大きく、高齢化や少子化をはじめとする労働力の減少といった面からも、さらなる期待が集まっている。
そのために我が国政府も、ロボット大国を目指してさまざまな施策を掲げているが、先頃、世田谷区のこの分野に明るい方がちょっと気になるメール便を送ってくださった。読むと"ロボット産業へのこだわりは不可欠で、産業ロボットやサイエンスロボットが光を浴びているが、博物館やショールームや商業施設などでのコミュニケーションメディアとしてアミューズメントロボットやエンターテイメントロボットにもっと着目して欲しいね。世田谷区にはこの分野のこだわり人がおられるので、凄いよ。秋山岑生(みねお)さんだ"と記されていたのだ。

お名前は耳にしたことがある。昭和40年代の初めに、動く動物模型を博物館や商業施設のディスプレイ用に作りだされた方で、今日のアミューズメントロボット文化やエンターテイメントロボット文化の第一人者だ。今や年齢も80才を越えておられるが、ロボットへのこだわりは絶えることなく、"自ら描き、自ら創る"に徹しておられる。そんな大御所をボクのような若造が紹介するなんて何と畏れ多いことか だが、ボクの好奇心はたちまちのうちにアポイントをとる電話に向かっていた。
ということで、今回は秋山さんのアミューズメントロボットなどロボット人生に着目させていただいた。
■こだわり人 ファイル063
アミューズメントロボットへのこだわり
秋山岑生(東京都・世田谷区)

●夢みるロボット少年の心
京王線の仙川駅。駅から徒歩で20分の所に『工場?研究所?』とちょっと秘密めいた館がある。秋山さんがいまも、夢を描き、夢を熟成し、夢を形にする創造拠点だ。入口に『マイテク』という小さなプレートがあるだけだから、その中への好奇心はいやが上にも高まるというものだ。
案の定だ。中に入ると、もうそこは今にも鉄腕アトムやロボコンやダースベイダーが飛び出してきそうな雰囲気だ。愛嬌のある動物園の人気者や、もう何度も目にしてきた恐竜や表情豊かなだるまが話しかけてくるようではないか、制作中のロボットのサンプルや設計図面を見ると、ついついこちらもさまざまな想像力を駆り立てている。秋山さんはその中央に座っておられて、いい笑顔だ。とても80才越えなんて、ウソ、ウソだ。表情も動作も夢見る少年だ。

「私の今日に至る足取りを話させてください。その足取りに私のこだわりが集約されているからです。
私は福島県の会津で生まれました。いまの子供のように簡単におもちゃを買ってもらえる時代ではありません、とにかく自分で作るしかないんです。ですから、物心がつくようになりますと、自分で描いて、自分で創っていましたね。それがいまも続いているんですね。ですから学校も、地元の福島大学の美術科に進み、卒業すると、そのまま福島大学の助手になっていました。
ところが一年後です。知人を通じて、東京のデザイン事務所に誘われたので上京し、グラフィックデザインなどの仕事をしていました。でも、その事務所もいま一つ自分の想いと違うので、2年後には同郷の友人と『東京デザインプロダクション』というデザイン事務所を立ち上げたんです。26才の時です。
それから5年後、私が31才のときです。ディスプレイ用に動く動物模型を作ったんですが、それがロボットの研究団体やマスコミから注目されるようになったので、これは面白い。やりがいがあるということですよ。33才の時に、動く動物模型を中心にした事業を展開しようということで、『東京デザイン工芸』を立ち上げたんです。それからは動くロボットの開発という毎日ですが、48才の時にあの『キティちゃん』でおなじみのサンリオの出資を得て『ココロ』を立ち上げ 、専務として開発部門を担うようになったのです」
●動くロボットを創ることを目的に起業
秋山さんはその後、51才の時に『ココロ』の代表取締役になられるが、その間に我が国はもとよりロボット先進国アメリカなどから"日本に秋山あり"という名を頂戴されているのだ。ボク自身、街やデパートやレジャー施設で秋山さんの創る独創的で親しみやすいキャラクターを今も鮮明に覚えているので、年代を追ってその開発史を紹介しておこう。
- 1969年(昭和44年)
- 京王線新宿駅の改札上部に動くキリンを設置
- 平塚市の風物詩である七夕祭りの際に商店街アーケードに幻のネッシーを再現
- 1982年(昭和57年)
- 三越デパートの恐竜展の開催
- 1983年(昭和58年)
- 三越デパートのロボット展の開催
- 恐竜ロボットをアメリカ・カンサスシテイの『IAAPA]に展示
- 宝塚ファミリーランド(童話館)に人体型ロボット8体を設置

まさに、アミューズメントロボットやエンターテイメントロボットの歴史に残るクリエイティブだ。
「新宿駅のキリンは多摩動物園のオープン15周年の記念事業でしたが、駅の行き交う通路の上に巨大な動くキリンで、腹ばいになって左右に首を振りながら草を食べるのですから、キリンの形態、機構、材料の調達、設置工事。その達成感がその後の私の原点になりましたよ」
その後1987年〈昭和62年〉、51才の時に『ココロ』の代表取締役に付き、1987年〈昭和62年〉にはアメリカ・ロサンゼルスに『ココロUSA』を設立されている。この偉業を当時のマスコミも華やかに取り上げ、日本のロボット技術が海を渡ると拍手を送ったものだ。そして、アメリカの博物館を中心に8セット、130体のライフサイズ(実物大)の恐竜を納品し、その後のビッグプロジェクトである西武ユネスコ村『大恐竜探検館』の総指揮をとられるのである。やはり当時のマスコミはこの大事業についてよく取り上げていたが、1993年〈平成5年〉完成された時に報じられた総工費100億円、ライフサイズ恐竜250体。それをボートライドに乗って探検するというのだから、そのスケールの大きさは推してしかるべきだろう。まさに今日の恐竜施設の拡がりは秋山さんから始まっていったのだ。
●御年、80才を越えてもロボットへの夢は尽きない

秋山氏の『自ら描き、自ら創るロボット』への夢は尽きることがない。
その後、1994年(平成6年)。58才の時に『ココロ』を退任されたのだが、3か月後にはアミューズメントロボットやパーソナルロボットを開発・製造する『ロボテックス』の設立に参加し、代表取締役を務められる。そして3年後には"感性のあるロボットの開発・製造"を目的に、現在の『マイテク』を立ち上げられたのだ。その後も自ら描き、自ら創るロボットへの夢は尽きることがなく、現在も続いていると言われるので、その後の足取りを付け加えておこう。

- 1998年(平成10年)
- 日本の伝統的なからくり人形の自動化に成功
- 2001年(平成13年)
- 横浜トリエンナーレ展で巨大バルーン『イナゴ』設置
- 2002年(平成14年)
- シンガポールサイエンスセンターに巨大カメレオンロボット設置
- 2004年(平成16年)
- ロボット劇場『ノームの森」完成
- 2006年(平成18年)
- メカロボ漫才『ITクッキング』制作
- 2007年(平成19年)
- メカロボ漫才『地球大好き』制作
- 2008年(平成19年)
- USAジャクソンビル博物館に『心臓模型』納品
- 2010年(平成22年)
- 産業ロボット『マスク耳紐自動溶着機)』完成
- 2011年(平成23年)
- 所沢航空発祥記念館の展示造作物の制作
秋山さんのロボットへのこだわりは尽きない。改めて魅せられる。
「こうして、私の足取りを紹介していますと、私の自ら描き自ら創る精神は終わりそうじゃありませんね。あの『ココロ』が掲げた創業精神 "ロボットに心を吹き込み、こころを持ったロボットを創っていきたい想い。ロボットが人を楽しませて、人とのコミュニケーションで心を通わせる。人と共存できるロボットを創る" がいまなお受け継がれているのは本当に嬉しいですね。キーワードは『単純化、先進性、新規性、意外性』の4つでしたからね。
考えてみれば、今も当時と全く変わりませんね。あの時、私たちの事業は『動刻』と呼んでいました。動く彫刻ということで、その存在を広く認知してほしかったんです。ロボットを通じてお客様の心を刺激し、心を通い合わせるということですよ。一つ一つが手づくり。夢を形にする『動刻』を創るプロセスは、昔も今も基本は次の通りです」
- お客様の希望を聞き、相応しい満足企画を進言
- お客差の要望に合わせてオリジナリティのある動刻や企画を提案
- 企画提案に賛同いただくと、具体的な設計図面を作成し、制作の工事日程や金額提示
- 了承いただくと、外装、形態、機構など仕上がりを前提に工場制作に着手
- 特に動刻は外見、見た目の印象と動くメカニズム、プログラムが重要なので、
さまざまなシミュレーションをして完成度をアップ - 完成した後の品質管理にも万全を喫し、合格を確認したうえで出荷
- 現場の設置工事、駆動点検、お客様の了承
- 保守、メンテナンスなど維持管理への対応
そのプロセスの重要性は想像して余りある。ここ事業は理屈ではことが進まないことがあまりにも多いそうだ。人の心をとらえ、それをアイデアに変え、デザインする。確かに技術だけで解決するものではない。作ったものを見た人が目を輝かせているかいないかがすべての出発点だそうだ。
●ロボットを通じて心と心を結ぶ
今回のこだわり人は秋山さんの仕事の足取りに傾注したかもしれない。80才を越えた秋山さんのこだわりはもうそこに集約されているからだ。最後にお聞きした。現在取り組んでいるロボットはと、するとこうだ。
「現在は2020年の東京オリンピックに照準を合わせて、日本の伝統的な心と技術心を世界中の人に共感していただきたいので動くだるまをモチーフにしたロボットに挑戦しています。題して"応援だるま"です。だるまが持っている日本的な祈り、応援する心を動く手や目にですよ。口も世界中の言葉を発しますからね」
秋山さんのロボットへのこだわりは尽きない。

そういえば、『夢を追う経営者たち―21世紀を創る12の男』(出版社:ティビーエス・ブリタニカ)に、"Jリーグを成功させた川渕三郎"氏、"「地球にやさしい家」創造への道 OMソーラー協会専務理事 小池一三"氏らと並んで秋山さんが、"世界を制覇した「動く恐竜の動刻」創造への歩み 秋山岑生"とクローズアップされている。

文 : 坂口 利彦 氏