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こだわり人[2017.11.15]

平面が立体に、起こし文(おこしぶみ)へのこだわり / 山岡 進(東京都・台東区)

2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前に都心がどんどん様変わりしている。勢い、自治体や企業はその流れに乗って、“東京大変革構想、只今進行中”ということに終始していくので、“昭和の東京、いずこへ”ということかも知れない。

そんな折に、(私事ごとで恐縮だが)ある展示・イベントを推進させていただいたということでちょっと気になる礼状はがきをいただいた。というのはそのはがきの裏は昔懐かしい理髪店の姿が印刷されていたのだが、切り込みに従って指を動かしていくと、昭和の理容店が立体的に立ち上がったのだ。このような絵柄が立体的になるポップアートはクリスマスカードや飛び出す絵本などで見慣れているが、これはひと味違う。懐かしい日本の店や街並みをモチーフとする起こし文(ふみ)作家の山岡 進さんのこだわりの作品だと思うと、嬉しくなった。今や時代はメール便の世だが、やはりこのようなアナログ的なはがきの世界は心やわらぐホッとするものがある。絵柄に添えられた手書きの文字も味わいがあって、送り手の心根が優しく伝わってくるのだ。

実は起こし文という言葉は見慣れない言葉で気になっていたのだが、山岡さんの飛び出すはがきを初めて目にしたのは4年前である。このこだわり人ファイル022(インテリア家具から始まるワールド・パラダイム)でも紹介したがインテリア家具やインテリア空間を通じて豊かな暮らしを提案するWISE・WISEという企業のオーナーでありながら、こだわりのある和の工芸品などを販売する佐藤岳利さんの六本木のショップである。六本木ミッドタウンというモダンな建物の中で、こんな素朴な和の世界に触れられるなんて面白い。思わず、起こし文はがきを買い求めていたものだ。コミュニケーション手段のはがきが長期に渡って飾れるアート作品になるし、郷土の時間軸&場所軸の歴史資産にもなるのだ。

ということで、今回はこの飛び出すはがきを“起こし文はがき”と呼ぶ山岡 進さんのこだわりに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル065

平面が立体に、起こし文(おこしぶみ)へのこだわり

山岡 進(東京都・台東区)

●生まれ育った昭和の香りを永らえたい

起こし文はがきを作られる山岡さんの制作工房はJR山手線の日暮里駅から歩いて3分の谷中にある。江戸時代から寺院や町屋が集まって栄えてきた処で、昔ながらの街並みが今もなおここかしこに残っている。だから、東京・下町の観光ルートの一つとして独特の空気感を漂わせている。

すると山岡さん、開口一番「私が生まれたのは日暮里駅の反対側の根岸で、現在は駅の反対側の谷中で工房兼自宅ということです。作るものは下町を題材にしたものが多く、『街並はがき』シリーズは昭和の下町をテーマにしています」だ。
いきなりのこの言葉に納得だ。机の上に広げられた数々のはがきを見ると、この街で生まれ育ってこられたことが如実に伝わってくる。地元に対する優しい眼。まさに地元愛だ。
しかもこの工房は谷中銀座商店街の『夕焼けだんだん』から一歩中に入った場所で、ドラマやカタログなどさまざまなシーンがクローズアップされるから、この地に住む山岡さんの心の中を勝手に思いやるばかりだ。そこに気になっていた起こし文という言葉である。HPで紹介されているが、改めてご本人の口から聞いておこうということだ。

「桑沢デザイン研究所を卒業し、デザイン事務所に勤めました。その後結婚することになり、案内状のモチーフを式場である根津神社にあった千本鳥居にして、それを立体化できるように作りました。それが好評だったので、さらにオリジナルな作品を作りたくて独立し、立体カードの作品群に「起こし文」という名をつけました。その後、昭和の街並を立体的に組み立てられる「街並はがき」が生まれてきます。」

なるほど、これは面白い。街から昭和の名残が消えていく中で、写真や絵画ではなく、立体的な形あるもので表現していく。加えて、そこに手書きのメッセージを添えていくなんて何か心揺さぶられるものがあるではないか。

●観光庁主催『魅力ある日本のおみやげコンテスト』でグランプリに

「その後、私の起こし文へのこだわりが募っていくばかり、個展を開いたり、ショップなどに置いてもらったりしたのですが、なんと、2011年に国土交通省の観光庁主催の『魅力ある日本のおみやげコンテスト』でグランプリに選定されたんです」

そして現在では起こし絵と起こし文の制作にこだわると共に、NHK文化センターの講師として、また母校の桑沢デザイン研究所の講師として若い人の育成につとめておられるんだ。
まさに人に歴史ありだ。この分野における山岡さんの情熱は絶えることなし、アナログ的な世界を形にするという想いは一段と燃え上がっているそうだ。では、山岡さんはどのような作品を作っておられるのだろうか、作品アルバムの中ら写真で紹介させていただこう。できれば、ショップなどで実物を目にしていただくと一番いいのだが。

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1. 谷中はがき その1「夕焼けだんだん」(写真上段左)
名物の猫たちを階段に遊ばせ、遠くに現在の日暮里駅を配して遠近感を。
2. 谷中はがき その2「昭和30年代の谷中銀座」(写真上段中央)
商店街入口アーチの元に当時の人々の風俗を。古写真に見られる「きず、かすれ、煙り」なども取り込んで。
3. 谷中はがき その3「初音小路」(写真上段右)
古いアーケードが残る飲屋街。昭和の味わいを出すため劇画タッチで。
4. 谷中はがき その4「古い八百屋さん」(写真下段左)
浮世絵の木版画のイメージで、人物なども猫の擬人化で表現。
5. 川越山車揃い(写真下段中央)
折って飾れるペーパークラフト。川越祭りに登場する2町会の山車を再現。
6. 昭和の街並み(写真下段右)
駅は2枚連作で絵がつながる、軽食堂や診療所などもあって並べると一つの街並みに。

「考えてみれば日本には、扇や風呂敷など広げて使い、畳んで仕舞える素晴らしい文化がたくさんありますね。1枚のはがきを受け取って、折れば風景などが立ち上がるなんて楽しいじゃないですか。日本の素朴な美を表現するために紙の持つ、簡単に折ったり曲げたりできる機能性や紙の透過性、さらには紙の空間性を生かせば、これからも伝統的な和の世界はつきることがありませんね。」と、山岡さんは熱い。

●熟練の技術から生まれる街の空気感

ところで山岡さんはこのような作品をどのように作っておられるのだろうか。その工程を簡単に紹介いただいたので、その言葉をそのまま掲載させていただこう。

「依頼をいただいた場合も、独自の作品を作る時も同じですが、まずは大段階としてラフなアイデアを描き、イメージを膨らませます(①)。この時、参考にするのは時代をよみがえらせてくれる図鑑や写真なのですが、谷中などについては、私が子供の頃から撮ってきた写真を最大限に活用しています。」

まさに、地元のことは地元の人が一番、ご存知ということだろう。

「イメージが出来ると、原寸はがき大のダミーを作る第2段階に入ります(②)。全体の構成や細かい部分を何度もチェックして、納得できるまで修正を加えます。そして、ダミーが完成すると、第3段階です。パソコンのIllustratorでラフ画を描き、再度、ダミー化して細部をチェックします。問題がなければそれを下絵にして、Photoshop+タブレットで絵柄を手書きで書いていきます(③)。私にとって、この手描きは重要で、絵画の味わいを出すために非常にこだわっています。」

やっぱりこの種の作品は一つ一つの技術の積み重ねであることに改めて納得だ。1枚のはがきが心やわらぐ人に優しい世界を生み出していくなんて、やはり山岡さんのこだわりはここにありということだろう。単なる起こし文ではない。されど起こし文ということに違いない。

●国境を越え、世界に広がるこだわりの起こし文文化

山岡さんの工房を出てしばし谷中銀座を散策したが、先ほど見せていただいた谷中はがきが次から次へと蘇ってくる。自分がいま、何か遠い時間帰りをしているようだ。『夕焼けだんだん』の階段に当たる夕陽が、その時間をいやが上にも増幅させてくるようではないか。
“ナイス、シーン!”。そばを行く外国の観光客は赤ら顔で表情も柔らかく声を弾ませている。すると、私の頭は外国の人はもとより、この国の人にも“あの賑わいの浅草散策もいいが、しっとりした谷中散策もいいでしょ”と声をかけたくなっている。しかも、帰り際に言われた山岡さんの「東京の街が、いや、日本中の街がどんどん変わってしまうでしょうから、街並はがきが更に愛されてもらえればありがたいです。」という言葉がそこに重なってくるのだから、まさに山岡パラダイムの共有だ。

そういう意味で言うと山岡さんの起こし文は、ある面では趣味的な所から出発されたかもしれないが、日本の文化や風俗の歴史資産を後世の人々に伝える歴史の生き証人的な役割を担っておられると思えてきて仕方がない。となると、そのこだわりの技術はこの街を越え、日本全国の街や村へ、さらには外国へと広がり、“自分たちの街をこのような形で残していきたい”ということになってくるのだろう。

あやかろう、明日を迎えに行った明るい夕陽に向かって合掌だ。

文 : 坂口 利彦 氏