こだわり人[2018.05.24]
三味線に対する父と息子のこだわり / 亀屋邦楽器(東京都・世田谷区)
おかげさまで、この「こだわり人」も70回を迎えさせていただいた。わが街、わが国のものづくりへのこだわりにはいつも魅せられることばかりだ。伝統的なものづくりから、ITなどの新しさへの夢追いかけ。両者のこだわりがこの国の歴史のエンジンだ。相も変わらぬ“モノづくり日本に学ぼう”という世界各国からの来訪日本は言わずもがなで、2020年の東京オリンピックを前に、その勢いはさらに弾みがつくという。まさに日本の底力は意気揚々ということなのだろう。

だがその一方で嘆かれているのは、伝統的な技術や文化に対する足かせである。ある面では歴史の必然であるが、人々のライフスタイルの変化、技術や技法の後継者不足、生産基盤の劣化、材料の不足などが揶揄されているが、このまま行けば“今は昔”ということで完全に干上がってしまうという懸念だ。
そんな折に世田谷区の方が、ちょっと気になるメール便を送ってくださった。読むと、日本の和の文化の一つ象徴である邦楽器の三味線の世界で、親子でこだわっている方が世田谷の豪徳寺におられるよというのである。そういえば、この親子のことは世田谷区の発する小冊子「ものつくるひと」で読んだことがある。前回の代田橋製作所からも近く、住宅地のイメージが強い世田谷で古式豊かな三味線づくりを事業の基軸しているとは面白い。しかもそれを親子で、“三味線の火は消さないで”というから、わが好奇心はいやがうえにもときめきはずむというものだ。
ということで、今回のこだわり人は小田急線の駅名にもなっている『豪徳寺』のそばで事業を展開する有限会社『亀屋邦楽器』の父・芝崎勇二(初代)、息子・勇生(2代目)に着目させていただいた。
■こだわり人 ファイル070
三味線に対する父と息子のこだわり
亀屋邦楽器(東京都・世田谷区)
●名門『豪徳寺』のそばで三味線の音色

都心に勤める人やお住いの方やちょっと自分帰りしたい方にお勧めしたいのが『豪徳寺』だ。あの浅草などの賑わいはないが、寺の大屋根と木々の葉っぱの間をゆっくりと流れ動いていく雲や光の強弱を見ていると、ついつい自分帰りなどしてしまう。喧騒とした都会の音が消え、葉っぱの光と影だけが何かもの言いたげで、明るい明日を語りかけてくるのだ。思わず、そこにこれから訪ねる三味線の音色なんて飛び込んでくると、また絵になるだろうと思ってしまうのだ。
三味線の店など、このような機会でもないと中に入ることはないだろうと思うと、早くも入り口を開ける手に力が入り、迎えてくださった父と子の笑顔に微笑み返しだ。お二人に加え、私を包み込むように飾られた大小さまざまな三味線や歴代都知事の名の入った賞状も印象的で、お二人のモノづくりへの熱い想いがなぜか伝わってくる。


すると、開口一番、初代の弾む挨拶だ。
「とにもかくにも、挨拶代わりに三味線のことについて前知識として頭に入れてください。諸説ありますが三味線は中国の『三弦』という楽器を起源とし、室町時代の末期に琉球を経て、大阪・堺から全国に広がっていきました。基本的には四角上の扁平な木製の胴の両面に猫や犬の皮を張り、胴を貫通して伸びる棹に張られた弦を、イチョウ型のバチで弾き演奏する撥弦楽器です。
江戸時代に入ると、琵琶法師などによって三味線は歌いもの文化、語り物文化として親しまれ近世の邦楽をリードする邦楽器として定着していきました。しかし、明治、大正、昭和、平成という時代の流れは容赦なく、三味線などの邦楽器の需要に陰りをもたらしてきたのです。邦楽ブームとか民謡ブームといった一時的に伸長する時代もありましたが、ブレーキはかからず、深刻化していくばかりの今日です。
だが、日本人の生活になじんだ音楽は決して消えるものではありません。伝統的な文化や趣向を愛する気持は途絶えることなく永遠です。そのためにも私たちの役割は極めて大きいと思っています」
●時代を越えて、江戸伝統工芸士の血筋を
初代の三味線への想いに改めて教えられる。確かに大きな狭路にある。応援しなければとわがことのように思える。すると、2代目はこうだ。

「三味線を取り巻く環境はまさに初代が言う通りなのです。ですから、学校を卒業して初代の言う音の世界を子供の頃から身近に見てきたので、この音色をこの国から奪い去ってはダメだ、消してはならないということですよ。親元を離れて10年間、他人の店で三味線修行をし、40才の時に父の店を引き継ぎました。父は三味線一筋65年、東京都が認定する東京三味線の伝統工芸士の大ベテランですが、父の血筋を受け継いだ私も微力ながら三味線のためにという想いは尽きることがないということです」
何かわかるような気がする。2代目ならではの三味線への深い愛情が言葉にも、表情にもはっきりと表れている。ともすれば、父親の仕事などから遠ざかりたいという時代の風潮だ。だが2代目にとっては、格別なものがあるのだろう。そこで伺ってみた。三味線のどこにそんなに魅せられるんですかと。
すると、2代目は飾られたガラスケースからいくつかの三味線を取り出し、こうだ。
「基本的に三味線は100を越える工程を経て作られますが、その名の通り基本的には三味線は3つの部分から構成されています。『天神』、『棹』、『胴』の3つのパーツです。さらに『棹』は“三つ折れ”と言って、「上棹」、「中棹」、「下棹」の3つに分割して作るのが一般的です。持ち運びの便利さや棹に狂いを生じさせないようにするためです。
三味線づくりは、最初に『棹』の部分を作るところからがスタートです。材料は三味線などに適した紅木、紫檀、花林などを使います。それを鋸で「上棹」、「中棹」、「下棹」と3切断し、丁斧(ちょうな)で荒けずりをし、鉋で削ります。その後、繋ぎ手を作って棹を一本につなぎ合わせ磨き、椿油で艶出しをします。まさに細かい神経の連続ですが、次に行うのは『胴』づくりです。材料には花林を使い、4枚の板を合わせ外側を削って磨きをかけます。高級品は内側に綾杉彫りという特殊な刻を入れ、音響効果を高めます。最後にニカワで4枚を張り合わせ『胴』を完成させます」
●三味線の音の命は皮張り

「『胴』が出来上がると、三味線の生命ともいわれる『胴』への皮張りです。皮はよく言われていますが猫の皮が一番です。三味線が良い音を出すためには胴の範囲内で厚みのあるものを選ぶことが大切ですし、皮張りによって音色の80%は決まるので全身全霊、魂を込めて打ち込みます、まさに私ども職人の腕の見せ所です」
音色にはこれが正解というものがないそうだ。弾き手の技量はもとよりその人の体格や性格などによっても音色は変わる。もちろん皮の微妙な厚さや材質でも音は異なる。それをいい音に導くには長年の経験と勘、鍛えられた耳しかない。指で皮を張り上げながら納得できる音色を探していくしかないそうだ。確かに根気のいる作業だ、一枚の皮でも熱いところと薄いところがあったり、皮に小さな傷跡があったりすることもあるので、その張り方は尋常ではないはずだ。
この張り方は三味線ならではの独特の世界なので簡単に紹介してもらった。まず、皮を湿った布に包んで柔らかくし、胴に合わせて切る。これに『木栓』という洗濯ばさみのようなものをつけ、新米の粉で練ったノリでつなぎ、張り縄をかけて皮を引っ張り、皮の張り具合を確認して完成させる。この皮の張り具合が三味線の生命であり、ここのこだわりこそ、他に類を見ないそうだ。

そして最後に、出来上がった『胴』と先ほどの『棹』をつなぎ合わせた『天神』といわれる部分の『サワリ』の作業に入るのだ。『サワリ付け』というのも三味線ならではの工程なので、紹介していただきましょう。
「3本の糸と「さわり」という仕組みでできています。棹の上部にさわりの山とさわりの谷という凸凹の部分があり、一の糸、二の糸、三の糸という3本の糸のうち、二の糸と三の糸は上駒に載せますが、一の糸は上駒に載せず棹に直接触れるようにします。これによって、一の糸を弾くとひくとさわりの山に触れて振動し、余韻のある音が出ます。そしてその振動音は二の糸、三の糸に伝わって共鳴し、三味線独特の深みのある音色を奏でていくのです」
●あの音色で楽しさも、悲しさも、いいねぇ
三味線の出来上がるまでを紹介していただくと、改めて三味線の奥深さに感心した。たった3本の糸で季節の移り変わりや人の喜怒哀楽を自在に表現するなんて、なんと凄い楽器だ。現在、三味線のあれやこれやをつくる作業は基本的に分業化されているそうだが、亀屋では親子に加え、2人の職人さんがトータルコーディネーターとして、一手にやっておられるそうだ。
聞けば、三味線は時代から取り残されつつあるといわれるが、とんでもない。この店における三味線の存在感はさすがだ。こうして親子と向かい合っているところに、それらしい粋な姉さんが三味線片手に、「来月のゴールデンウイークに舞台がありますので、見てください」だ。

芝崎親子の元へは、プロから愛好家、学生、遠く外国からも来られるそうだ。とにかく来られる方皆々受け入れて、三味線の根を絶やさず、この『豪徳寺』から世界に三味線文化を永らえていくそうだ。うれしいね、この親子。帰りに豪徳寺の名物、いや招き猫の発祥地になっている『豪徳寺』の境内に再び足を運び、可愛い招き猫に手を合わさせていただいて、“頼みますよ、亀屋さんの後に私たちも続きますからね”だ。
そういえば先に読んだ女性エッセイストの群ようこさんの『三味線ざんまい』というユーモア小説が何度も何度も頭に戻ってきたので、“ぼくも三味線ざんまいになろうかね”なんて思ったね。
楽しさも、悲しさも、熟練によって生まれた音が演奏者を介して聞き手の心に響いてくるなんて、三味線文化はいいねぇ。
文 : 坂口 利彦 氏