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こだわり人[2018.10.18]

理容の伝統と未来へのこだわり / 大野悦司(東京・中央区)

暑い暑い。何かと燃える太陽と向かい合う夏だった。身ぎれいにして、少しは身も心も和らぐ秋を迎えようではないか。それでもこの夏の一服の清涼剤になったのは、あのボランタリおじさんの心意気だ、思わず2才児もやさしい呼びかけに身体が反応したのだろう。

ボランタリと言えば、なぜかボクの頭に恩師と仰ぐ直木賞作家で、夜の人気番組「イレブンPM」の司会者であった藤本義一さんが蘇ってきた。今から23年前に起こった阪神・淡路大震災で、震災遺児や孤児のために、[希望の家」を建て、心のケア活動を献身的に行われたのである。

人それぞれ、ボランタリの形はあるが、藤本さんと初めてお会いしたのは50年前、大阪に住んでいた頃だ。以来、その物腰のやさしさ、言葉の使い方に魅了されて、その言動の一つ一つに“人間、藤本”を見てきたのだが、この幼児救出ボランタリおじさんが飛び火して、また一人、ボランタリ精神で自らの生きざまを理容という世界で昇華させている御仁が我が頭の中で舞い踊った。“おぎゃあ”と生まれてから老いていく中で、人それぞれの人生がある。その人生に美と健康と安らぎを与え、英気と精気をお届けするという理容の役割を今一度見直し、培われてきた伝統の上に時代の進むべき進路に光を投げかけるというこだわり人、大野悦司さんだ。「うわべだけではだめ、すべてに渡って“上質”を合言葉に自社の経営はもとより、伝統ある理容文化をさらなる未来に結び付けることだ」と熱い。 

ということで今回は、理容の世界にもっと光を、そしてその光を人々に広く拡散してという理容文化の永らへ人、“繁盛理容店の出発点は店舗構成にあり”と言われる大野悦司さんのこだわりに着目させていただいた。

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理容の伝統と未来へのこだわり

大野悦司(東京・中央区)

●老舗が集う日本橋の繁盛店

大野さんのフイールドは広い。「大声を振りかざしてではなく、こまねずみのように動くのが性に合っていますよ」の言葉が言い当てている。中央区日本橋、三越本店の斜め前、中央通りに面して『ヘアサロン大野』(本店 艶出専科)を構え、東京のほか、帝国ホテル大阪など東西の老舗ホテル等にも趣のある11店舗を設けておられるのだから、その手腕は推して知るべしだろう。江戸日本橋という土地柄もあるのだろう。伝統ある町のイメージと新しい時代の空気感が漂い、ヘアサロン大野の本店は独特の雰囲気をかもしだしている。まさに、店舗プロデューサーの手腕もここにありだ。

大野さんは昭和9年に東京・蒲田で開業された理容師の父、孝次郎さんの子で、理容師としては、高校1年の昭和38年、後継ぎを決意し父のもとに弟子入りした時から始まる。昭和45年に慶應義塾大学経済学部を卒業した時には当時の堤清二社長に請われ、『静岡の西武百貨店』内に出店。経営を任されながら技術者でもある店長としてプレイイングマネージャー的な手腕を発揮された。そして昭和60年からは先代の志を受け継ぎ、『ヘアサロン大野』グループを陣頭指揮してこられたのだ。

「思えば理容歴55年ですが、父は近代理容業の草分けと言われる大御所、篠原定吉氏に師事し、戦後の昭和23年に現在の日本橋本町に本店を設けて事業の拡大を図りながら、日本の理容技術の向上、発展のけん引者として全国理容組合中央講師会幹事長のなどの役職を担ってきました。その父のDNAが身体にしみこんだというのでしょうね、親子二代で幹事長を務めさせて頂き理容界の発展と理容の未来を追いかけ続けてきましたよ」

●メッセージ性のある店づくり

大野さんの理容への想いは、その長い経験から生まれるのだろう。

「理容店に限らないとは思いますが、店の存在感、価値観の出発点はメッセージ性のある店舗づくり(コンセプトの創出)ですね。それぞれの時代の社会背景や立地条件とを前提に近未来にまでわたるお客様に必要とされる店創りなんですよ。

現在、理容店は全国に14万件以上ありますが、それぞれの店舗にとって一番大事なのは地元の人々に愛され、親しまれることですね。そのためには何をしなければならないのかというと、その土地に根づいているという空気感を取り入れ、時代に同化させることですね。ここ日本橋について言えば、お江戸日本橋、東京の中心、歴史にとんだ伝統的な土地柄を大切にしながらも、常に新たに生まれ変ろうしているチャレンジ精神が漂っている。お洒落で、粋でイナセな江戸っ子気質、この気質を活かした店づくりですね。伝統と革新の融合した店づくりです」

大野さんのこだわりは明白だ。いま、オリンピックを前に世界の建築家やインテリアデザイナーが注目している日本橋だ。これから先、これまでの歴史の上に立ってどんな未来が描かれていくのか、日本橋の動静が気になって仕方がないという。すでに大野さんの頭の中にはそんな人々の想いがいち早く根づいているのだろう。その兆しを次の3つの観点から具体化しましたと言われたので、その大要を紹介させていただこう。まさに、大野さんならではの店舗づくりへのこだわりだ。

「まずは、日本橋という土地へのこだわりです。江戸開府以来、日本橋は日本道路元票がある日本の中心であり、商業、金融、芸能の原点として、数々の歴史を刻んできました。あの三越をはじめ、ニンベン、山本海苔、栄太郎、など昔ながらの老舗が暖簾を並べています。そこに近年は、コレドなどの商業施設や全国のアンテナショップ、ファッションビルが立ち並び新しい顔を見せている。また日本橋に再び青空を取り戻そうと「日本橋ルネッサンス100年委員会、名橋日本橋保存会」などが中心となり世論を形成し、未来音を轟ろかそうとしいています。江戸城築城や数々の大名屋敷の普請に携わる職人集団を抱えてきた日本橋が「江戸っ子」生み出し、京都から下ってきた数々の上方の生活文化を真似ながら江戸物は「下らないもの」と言われながらも次第に江戸風に塗り替え、明治維新に至っては全国に先駆け天皇をはじめとして丁髷を断髪し西洋理髪、西洋文化に切り替える気風が息づく街です。その一角に店を構える「ヘアサロン大野グループの本店」としては最高の内容と品位でお客様をお迎えしたいということですよ」

確かに大野さんの西洋理髪へのこだわりは中央通りに面した明るいが落ち着きと大人の雰囲気を醸し出す店舗空間に宿っている。伝統と革新「Traditional & Modern」ということだろうか。店内の陳列ケースに並べられたヨーロッパやアメリカから逆輸入されてきた、古伊万里の髭皿、マグカップ、等の数々のコレクションには魅せられる。毎年のように訪問する、ロンドンからおしゃれなイギリス紳士御愛用のメンズコスメラインがずらっと並んでいる。この場所にこの店ありだ。ある面では理容博物館的な雰囲気がこの店の存在をいやがうえにも盛り上げているのである。

●お客様の心へのアプローチとネット時代への対応

「こだわり店舗の2つ目は、お店の中をカスタマイズしたいので、オープンスタイルではなく落ち着いたプライベートな個室スタイルにしたことです。喧騒とした都市生活者に音もなく、光も抑え、心和らぐ時間を持っていただこうということです。穏やかなひと時に調髪や髭剃りなんていいじゃないですか。ここに来れば身も心も癒されて、明日も頑張ろうという想いになっていただこうということですよ」

ひと味違う、ワンランク上ということだろうか。私自身もその個室ルームに座らせていただいたが、確かに身体の心からリラックスさせてもらったいい気分なのである。

「3つ目は、今や時代はデジタル。店舗経営もネットワークの時代です。そこで、取り組んだのがその対応。未来派対応ということですね。この店はもとよりグループ店舗はすべてPOSレジによるネットワークシステムを確立しました。」

「点から線へ、線から面へという発想で、お客様一人一人の髪質や髪形、どのようなサービスを受けられたかを詳細に記録したお客様カルテを作り、東京・大阪にあるどの店に来られたお客様にも、いつものような気軽にご利用いただけるように素早く対応できるようにしております。すべてのお客様を全店舗で共有していく、これからはそんな時代ですよ」

正直、大野グループは理容店として大きな変貌を遂げていることに驚きだ。伝統と未来の狭間で、従来のイメージの理容店でないことを実感させられる。いや、裏を返せば、これからの時代を生き抜いていくには重要なアイテムであることを、改めて教えられたのである。かつてこの界隈も江戸の浮世床から始まって、男性のモダニズムの歴史を刻んできたが、その男衆のために、いま何をやらなければならないかということなのだろう。伝統と革新、未来への狭間で生きる大野さんの発想と実践ということではないか。

「『日本の商業地、近代の夜明け』と言われてきた日本橋を見れば、江戸の浮世床から現代に至るまでの男性のモダニズムを身近に見ることができますが、移り変わる時代の中でこれからの男性はどんな印象力(ビジュアルメッセージ)で生きていくかということですね。男性はもとより女性、子供、お年寄り、男女を問わず全世代的、全世界的な人達にとってなくてはならない存在でありたいですね。ある面では理容は一生もん、“健康生命産業”的な役割を果たしているんですからね。いまや日本の理容技術は世界一のブランドですからね、これは、3年前に進出したベトナムのハノイ店でベトナムの方々や現地で働く日本の方々から得た実感ですよ」

“こまねずみのように動くのが私ですよ”と言われたが、とんでもない。この想いが大野さんの真骨頂ということだろう。理容史の生き字引であり、未来の理容の手引書ということだ。そして、最後に、こんな一言を言われたので、それを紹介しておこう。

「私は理容のシンボルであるサインポールのように理容界が絶えることなく発展する姿を描き続けて続けたいんです。これが、多くの人々に対する私流のボランタリ精神なんですよ。思えばお江戸日本橋の街の変わり様は凄い、伝統と未来が交差しながら町が塗り変わっています。私の地元への愛着心には限りなく、中央区の東京都理容生活衛生同業組合連合会の中央支部長を長年務めさせて頂き、理容はもとより美容、ホテル、旅館、クリーニング、浴場、劇場・ホール、映画館、スポーツクラブ、等々、環境衛生にかかわる事業の成長・発展と安心・安全な市民生活の保持、推進を実現するお手伝いとして中央区環境衛生協会の会長など要職を担ってきましたが、私たちは理容を通じて人間生活を心と体を大切にすることで社会に貢献したいという発想と行動で頑張りたいと思ってこれまでも、これからも行動して参ります。日本橋は昔から日本全国の道路網の起点でもありますから」

元気一杯、大野さんのひと味違ったボランタリ精神から生まれる理容文化、いや、生活文化への綴りは果てしなく続いていくんだ。

文 : 坂口 利彦 氏