こだわり人[2018.12.25]
和の文化「前掛け」を現代によみがえさせるこだわり / 有限会社エニシング(東京都・港区)
『たまの力』という非常に気になる本が送られてきた。副題に多摩ブルー・グリーン賞受賞企業の NEXT STAGE と名付けられた多摩地域のベンチャー企業をクローズアップした図書である。出版されたのは地域金融機関として多摩地域の繁栄と経済の振興に寄与する多摩信用金庫で、同金庫の長島剛価値創造事業部長が事務局を担い、同金庫が力を注ぐ「多摩ブルー・グリーン賞」を受賞された多摩地域の元気企業、120社の現業の展開と NEXT STAGE への熱い思いを明星大学の関満博教授(現在は一橋大学名誉教授)の監修のもとに取りまとめられたものだ。ブルー賞は優れた技術や製品への評価であり、グリーン賞は新しいビジネスモデルに対する評価と聞けば、地域経済の行く手にまさに光明ありということで、これは絶対に見逃せないということだ。

そんな中で、妙に気になったのがエニシングという前掛けを専門的に製造、販売をする企業である。エニシングなんて、社名からして何をする会社かと思ったが、“前掛けという仕事着をコミュニケーションのツールとして捉え直して、新しい需要を掘り起こす。エニシングは和の文化を守りつつ、地域産業の再生にインパクトを与える”と、前文に書かれていると、この会社のこだわりがますます気になってということだ。
ということで、今回はかって商人の必需品だった前掛けにこだわるエニシングの創業者、西村和弘社長に着目させていただいた。
■こだわり人 ファイル076
和の文化「前掛け」を現代によみがえさせるこだわり
有限会社エニシング(東京都・港区)
●商人の心を映す動く暖簾
私ごとで恐縮だが、ぼくの実家は大阪の商家である。小さい頃から前掛けには見慣れていたが、父はもとより、そこで働く奉公人さんや仕入れにこられるお客さんも屋号の入った前掛けをしていた。子供心にあの前掛けは商人のあたり前の姿で、何か商人の制服のようなものを感じていたものである。時々、父が若い奉公人さんに「前かけは商人の心や、店先の暖簾と同じで、大事にせなあかん。動く暖簾や。前掛けに恥じないように気張って仕事をせなあかん」と言っていたのも今は懐かしいものだ。
すると、番頭さんが「前掛けは腰にしっかり結ぶのが大事で、緩んでいるなんて以ての外や。商人失格や」とよく檄を飛ばしていたものだ。そこに持ってきて、当時のテレビ番組の「番頭さんと丁稚」とか「暖簾」というのを見て、前掛けの存在にお店の一体感のようなものを感じていたものだ。ところが今日ではそんな姿をほとんど見ることがなくなったが、西村さんにとっては、“今は昔”どころか“昔は今も”ということだろうか、前掛けにかける熱い思いに感動だ。

「そうなんですよ。あの前掛け姿にしっかり商品をお届けしなければという、商人の心意気や姿勢を見る思いなんです。バイトの子にジャンパーなどを着せて、中途半端なやり取りしかできない店員と違いますよ。あの1枚にその店の真摯な思いや活力を感じるんです。お店の誇りや一体感といったものも読み取れて親近感が湧くんですよ。今でも地方に行けば、酒屋や八百屋や米屋で前掛けをして立ち居振る舞っている人を見かけますが、あの風景はいつまでも残したいじゃありませんか。日本の伝統的な仕事着で、その店の本気度といったものを感じますよ。前掛けに揉み手、これが日本の商人の心ですよ」
もうこれだけで、西村さんの前掛けにかける熱い思いが伝わってくる。そこで前掛けの歴史についてお聞きしてみた。

「前掛けの始まりは江戸時代末期と言われています。身体の前にかけることから『前掛け』、『前たれ』と呼ばれ、働く人たちの腰を守り、衣類の破れや怪我の防止という実用的な面から重宝にされてきたんです。明治時代になると、屋号が染め抜かれ、お店の象徴になり、現在ではユニフォームや広告宣伝としても使われるようになっているんです。
日本一の前掛けの生産は愛知県の豊橋で、戦後、1950~70年代には折からの高度経済成長という時代の波に乗って爆発的に広まり、会社の屋号や商品名の入ったものが、1日に1万枚出荷されたそうです。綿の糸で厚く織られた長方形の記事に紐などがついたシンプルな形ですが、ここに来て、そんな前掛けの役割が見直されているんですよ」
●前掛けはコミニュケーションツールだ
それにしても、西村さんは40代と見たが、若い頃から伝統的な前掛けにこだわるというのはどこから来たのだろうか。単に昔帰りということではなく、西村さんの言葉を借りれば、「和の文化を守りつつ」という言葉に尽きるというものだ。そこで、前掛けをビジネスの軸にしたのはどんな理由からですか、とお聞きしてみた。
「私は学校出ると、食品メーカーに務めていたのですが、たまたま目にした、パソコンで生地などにデザインすることに魅せられ、漢字をデザインしたTシャツを企画、販売する会社を2000年の11月に立ち上げました。その後、立ち寄った愛知県の豊橋で前掛けを作る工場を見たのですが、職人は高齢化し、後継者もいない、価格も下がり続けている。そのため、質を下げてもコストカットをしなければやっていけない状況を知ったのです。すると、これが無くなれば前掛けという和の文化の一つの象徴が消滅してしまうという危惧を抱いた私は、自らがこの仕事にかけようと心が動いたのです。

さっそく、縁という思いを込めた『エニシング』という会社をたちあげ、1つの試作品を作り自社サイトに載せると、200枚というオーダーが入ったのです。まさに縁が実ったんですね。これはいけると思っていると、あの人気の東急ハンズさんが興味を示し、前掛けの売り場を設けてくれました。そこで、前掛けがなぜ売れるのかを調べてみると、前掛けは人が人に贈るギフト商品であることを知ったのです。送別会、還暦のお祝い、結婚式、金婚式などの贈り物として買われてるんですよ。“よし、これは仕事着ということより、コミュニケーションツールとして売れば”ということですよ。本格的にやろうということで、当時住んでいた武蔵小金井に事務所を構え、あの豊橋の職人さんとコラボし、“世界で1枚、感動の贈り物”というフレーズで売りだしたんです。
すると、効果覿面、徐々に火が付き、それまではコストダウンに軸足を置いていた職人さんのモチベーションも変わり、モノの良さで勝負、本物を作れば売れるということですよ。前掛けの存在感も一気に高まる、すると、産地の豊橋も力を入れる。工場も街も活気づくということになって、この商品が次第に全国区になってきたんです。

その後はニューヨークで前掛けの展示会を開いたり、豊田自動織機と提携して展示会を開いたり、三越百貨店とジョイント展示会を開いて前掛けの存在を啓蒙、促進してきました。その間、東京商工会議所や経済産業省の名誉ある賞を受けるなどして、すっかり全国区になってきました。おかげ様で事務所も手狭になってきたのと、都心で勝負ということで、現在の元赤坂に事務所を移したんです」
●本物志向の徹底したこだわり
納得だ。西村さんの前掛けにかけた思いに大輪の花が開いたのだ。そこで伺ってみた。では、エニシングの前掛けの特徴はどんなところにあるのだろうか。基本的には4つのこだわりを挙げられたのでその大要を紹介させていただこう。
「前掛けの基本的な役割に注目して、その実現を目指したんです。その4つとは第1に、重い荷物を持ったりするので、とにもかくにも腰を守る。第2に、日本酒などケースを運ぶとき、洋服が破れないようにするため前掛けを肩にかけるので、それに素早く対応できるようにする。第3に、熱い熱気のそばで仕事をしなければならないこともあるので防火仕様として熱気から身体を守る。第4に、お店の屋号や商品の名の明記して広告宣伝的な役割を果たすということです。

そこで私はこれらを徹底的に究めるために、次のような仕上りの実現をこだわりぬいたのです。簡単に紹介すると、まず第1に掲げたのは“太い糸で、厚く織る”ということです。そのためにやったことは、昭和30~40年代に作られていた『1号前掛け』にこだわり、昔の前掛け本来の厚みを現在に蘇らせたんです。まさに原点からの出発ということでしょうか。1号の魅力をもう一度復活させようということにこだわったのです。分厚いと柔らかいという一見反することを同時に実現していることがエニシングの最大の特徴です。長持ちの面でも格段にアップさせていますからね」
製造には自動車のTOYOTAの前身である豊田自動織機の織り機を現在でも使っていると言われるのだから、西村さんの和の文化に対するこだわりをここでも見ることができるというものではないか。
「第2のこだわりは、“人の身体にフィットする前掛け”ということです。織物は縦糸と横糸の打込みで生地の風合いが大きく変わりますが、一般的な帆布ではなく、糸や打ち込み方の工夫で体に自然になじむような柔らかい生地の使用し、身体に自然になじむような仕上げに徹底的にこだわっています。
第3のこだわりは、“伝統の色、色落ちしない染め”に対するにこだわりです。厚手の生地を柔らかく色落ちもほとんどなく染まるようにしています。洗濯堅牢度の検査でも高いランクを保っていますので、安心して使用できるのがうれしいですね」
●NEXT STAGEはもう始まっている
そのほか、エニシングならではこだわりが多々あるのだが、前掛けに要求される基本的な要素を究められたことが、やはり功を奏したということだろう。その根底にあるのは、前掛けの使い方を見直し、原点から本物を作ろうというところから出発されたことに尽きるのだ。その結果が現在は都心の真ん中、港区の元赤坂に移転したことにあると西村さんは熱い。
「ある面では1つの目標を達成しました。そこで得た経験、ノウハウを NEXT STAGE につなげていくのかがこれからの課題です」と言われるので、最後に今後の方向性について伺ってみた。

「残念ながら、蘇ってきた前掛けの産地の豊橋には相変らず後継者はいない。せっかくの基盤があるのにこれでは宝の持ち腐れです。そこで、前掛けにこだわって、製造と研究拠点を作り、若い職人さんを育てています。また、ここ赤坂では大手の流通企業と手を組んだ本物の量産化という新しい流れをつくっていきたいと考えています。さらに、多摩から都心へ向かっていったように、これからは都心からアジアや西欧に向かってという考えを徹底して、まさにNEXT STAGEを究めていきたいですね。2020年のオリンピックなどもあって、前掛け文化を世界に向かって発信していけるのが楽しみですね」

相撲の一手で“前さばきがいい”とよく言われるが、前さばきならず前掛けで時代と勝負というエニシングの新たな挑戦 NEXT STAGE はもう始まっている。
文 : 坂口 利彦 氏