こだわり人[2020.03.05]
東京の伝統工芸品の一翼を担う、本物のこだわり / 東京象牙美術工芸協同組合(東京・台東区)
令和2年、新しい年の第2ランドの幕開きだ。新聞やHPなどで多くの企業や団体、自治体が新しい年の抱負や意気込みを報じている。やっぱり年明けはこれでなければ、だ。この『こだわり人コラム』にも元気な声を寄せられているが、東京都の指定伝統工芸品を扱う事業者の熱い想いには改めて目を奪われた。
インバウンド成果も大きく影響しているのだろう、指定品目の41(村山大島紬、東京染小紋、江戸木目込人形、東京銀器、江戸切子、江戸表具などなど)が一段と脚光を浴びて、国内はもとより海外の方々の関心も高く、見学、体験が急増しているのだ。思わず今年の夏の一大イベントである東京オリンピックが待ち構えているので、東京の風土と歴史の上に刻み込まれてきた伝統的なこだわり技術はもとより、日本各地に広がる地域特性を生かした技術にも着目してほしいと念じたものである。

東京の41品目のこだわり技術には、これまでにぼく自身がさまざまな作業現場に立ち寄らせていただいたところも多々あるが、今回、特に気になったのは象牙工芸品である。TVなどで象牙に対するいささか悲観的な情報が報じられているので、気になっていたのだ。象牙文化の歴史は古く、奈良時代の正倉院の宝物『紅牙撥鎮尺』にも象牙が見られるし、以降、歴史とともに重宝され、江戸、明治、大正、昭和と続く時代に名工と言われる象牙職人を生んできているのだ。用の美、手細工、触感、集中と拡がりなどを思えば、象牙には何か人を引き寄せる心の通い合いがあって、豊かさとか潤いといった“心の拠り所”のようなものを感じるのである。今日的に言えば“心のフレンドリー・パートナー”ということか。人と動物が寄り添って共に生きていく、よりスケールの大きな地球愛を肌身に優しく感じさせてくれるのだ。まさに時代のテーマになっているサステナビリティと言われる持続可能な社会をめざす人間と動物の共に生きる共存社会を今一度考える生き字引ということである。種の保存という世界の標準に沿った上での伝統ある象牙文化の維持、存在はやはり貴重である。
ということで、今回のこだわり人は象牙文化のPR拠点ともいうべき『東京象牙美術工芸協同組合』に着目させていただいた。場所は、東京はもとより日本の伝統文化を綿々と伝える総本山ともいうべき台東区の浅草である。
■こだわり人 ファイル089
東京の伝統工芸品の一翼を担う、本物のこだわり
東京象牙美術工芸協同組合(東京・台東区)

●世界が注目する我が国固有の、美と技の世界観
あいも変わらずの浅草だ。もう何度も来ているが、やっぱり海外の方が増えたなぁ、日本に対するイメージがまた一段と高まっているのだ、の思いだ。雷門から国際通りに出て、かってオープンセレモニーに関わらせていただいたことのある懐かしき浅草ビューホテルの前で一礼して脇を一歩左へ。すると、東京象牙美術工芸協同組合のビルだ。外観は写真で見ていたが、案内いただいたのは広報担当の石橋保浩さん(組合員:石橋象牙店)と、専務理事の本橋庸平さんだ。

お二人とも若い。もう少し年配の方かと想像していたが悲観的な思いなどなく、明るく元気いっぱいだ。早速、象牙文化の立体図書館ともいうべき館内を案内いただいたが、象牙工芸品の繊細なあれやこれやに見入ってしまうばかりだ。改めて象牙の存在感に魅せられてしまう。すると石橋さんは、「見ての通りで、象牙に対する今日的な問題にも丁寧に答えさせていただいていますが、ここでは象牙細工に対する私たちのこだわりについて話をさせてください」だ。もちろん、“ボクもそれを聞きたい”だ。
「ご存知のように象牙は奈良時代に日本に伝わってきましたが、日常品として広く庶民の間に拡がっていったのは江戸時代です。根付けや櫛、三味線の撥などです。現在では印鑑の消費量が一番多く、密度が高く切削加工のしやすさなどが重宝にされ、手ざわり感、使用感、さらには世界観が高品質な実用品として欠かせないものになってきています。
だから象牙の魅力を活かした伝統工芸技術は芸術彫刻品や装飾日常品として独自の存在感を示してきたのですが、象など野生生物の保護という観点から製造や売買に厳しい規制が加わって象牙の世界も先行きが厳しくなってきていますが、私どもはあくまでも法令第一に、法に基づいた合法的な事業を展開していることを理解してください」
そして言葉を綴られるのである。

「象牙の魅力はどこにあるのでしょうか。長い歴史の年月がすべてを語っていますが、一言で言うと、象牙の材質が美しく加工も容易ということです。適度に吸湿性があって手に馴染みやすく、材質が硬すぎず、やわらかすぎず、加工性も金属や水晶や大理石などより優れているんです。ですから私たちの先輩たちが象牙にほれ込んできたのは納得ですね。印章・彫刻・根付などの高級素材としての象牙、ブローチや帯留めなどの装身具としての象牙、三味線の撥や琴の爪などの楽器としての象牙、さらには箸や印鑑などの日用品としての象牙など、実に多様な用途に利用されてきたんですよ。現在では印鑑を象牙というのが一番多いですが、まさに象牙は現在文化を支える人間の知恵と職人技術の集積なんですよ、ね」
なるほど、象牙の利用も多彩だということを改めて教えられる。だが、象牙に対する厳しい規制などを拝見すると、象牙職人さんのあの情熱、心意気はどこに行ってしまうのかと改めて心が痛むというものだ。確かに合法的な象牙工芸品の火を消していけない、あの職人さんたちのひたむきな想いを切ってはいけないと改めて考えさせられる。
●生きとし生きるもの共存社会の生き字引きに
そこで、いまお聞きした石橋さんの象牙への想いを集約したような館内を案内いただいたので、その大要を簡単に紹介しておこう。併せて、「日本の伝統工芸と象をとりまく現状』という小紙を渡されたのだが、やはり象牙の生まれ故郷アフリカと、その後の工芸品などが表示パネルと実物で優しく紹介されているのだ。

- アフリカの風を感じるアフリカ民芸品コーナー
- アフリカ象とワシントン条約を紹介するサイテス・アフリカコーナー
- アフリカ象の原産国や工芸品制作のビデオコーナー
- 象牙何でもご案内コーナー
- 象についてのパソコン検索コーナー
- 象牙工芸品展示コーナー
- 象牙書籍コーナー
やはり象牙の魅力を再認識させられるばかりだ。象牙はあくまでも自然死した象であり、生態系維持のために政府管理のもとに間引きされた象なんだ。もっと言えば、一度死んだ象を作品として蘇らせているんだ。ある面では供養であり、輪廻であり、人間と動物がこの地球上で共に生きていく“生きとし生きるものの共存権”などと思ったのである(持続可能な資源として国内取引は事前に登録を受けた事業者だけが取り扱う)。
●江戸伝統の職人魂の心を引き継いで
浅草雷門界隈の賑わいと違って、しっとりとした下町風情に、たちまちのうちに心が揺らぐ。今にもひと仕事終えた職人さんが飛び出してきそうな空気感がいい感じだ。すると、目の前に『石橋象牙店』の大きな看板だ。

このご時世だ。象牙などの文字は避けるのかと勝手な想いを巡らしていたが、意にはからんやだ。その堂々とした看板に石橋さんの象牙に対する心意気を見るようだ。そして、入り口を入ってすぐに目に飛び込んできたのが、木造の小象に白い象牙が埋め込まれた印象的な置物だ。一瞬、この事務所のシンボルモニュメントだろうと思ったが、石橋さんの心意気が再び伝わって来て、後から後から紹介される多様な象牙品に魅せられるばかりだ。しかもどの品にも丁寧な布に包まれ、温かい象牙文化に引き付けられる。やっぱりものづくり職人さんの心意気がこんところに浸み込んでいるのだ。
その一点一点がこの事務所から生まれているのだと思うと、まさにボクの頭は山本周五郎や池波正太郎の世界だ。ものづくり職人のひたむきな思いが駆け巡り、大量生産で大量消費の今日的な時代に改めて警鐘を鳴らされているように思えてならなくなってくるのだ。やっぱり、本物を丁寧に作っていく職人的心はここにありだ。コンビニ的な発想ではなく、いついつまでも末永く生き永らえていってほしいではないか。

そして事務所の隣の作業場を見せていただいたのだが、職人さんの原点と言われる鑿や鋸ややすりに囲まれた真ん中に職人さん一人一人の座布団が並ぶ姿に、またまた職人さんの心根が浮かぶ。「全盛期の頃はここで職人さんが並び、黙々と手を動かしていたもですからね」なんて言われると、“そうでしょ。そうでしょ”の気分だ。先に見せていただいた事務所の象牙品がどんどん蘇ってくるのである。すると、石橋さんは追い打ちをかけるように温かい声だ。
「これは父が組合の理事長をしていた時(先代の石橋保氏は、昭和61年5月から平成10年4月まで理事長を務められた)にまとめたものですが、象牙の製造工程を記しています。美術工芸品、装身具、楽器用品、日用品の製造工程が記されていますが、現在もこの流れは基本的に変えわりませんので、このまま掲載してください」だ。
- 製造工程(代表的な工程)
この工程表を見ていると、当時の職人さんたちの一驚種一興種が思い浮かんでくる。「昔も今もまさに長い研鑽と洗練された技術を要求される象牙職人の腕の見せどころだったんだ。そして、基本的な技法を簡単に紹介しておきますといって、その大要を簡単に案内いただいたのである。
- 墨付け・型出し・荒削り
- 創る品物イメージを下絵に描き、粘土で模型を作る、素材に墨付けをしたのち、鋸や鑿で荒取りをする。
- 彫り
- ろくろや丸がん木で彫りカタチを整えていく。
- はぎ合せ
- 限定された素材以上に大きな置物は腕や足などをつなぎあわせたり、バチなどは握り部分をやすりなどで削ってニカワでしっかり接着する。
- 磨き
- トクサ、ムクの葉、角の粉などで細部まで磨きあげる。
- 染色
- 木の実を銅鍋などで煮て、その中に象牙品を入れる。磨きの悪い部分は磨きなおして最後の染色をする。
●次代への扉は、こだわり職人の心意気から開いていく
ある面では、象牙というちょっと縁のない世界だったが、改めて象牙文化に魅せられた。思えばボクは上京する前は大阪の『天王寺動物園』近くに住んでいたので、同園にいた人気のタイ生まれの象、“春子さん”。また上京してからは吉祥寺の『井の頭動物園』の象、“花子さん”を、子供を連れてよく見ていたものだ。
小学生の時には学芸会で象の縫いぐるみを着て小象の芝居をしたことがあって、何か象との縁が深く、心を揺すぶられてきたものである。それだけに今、こうして象の映像や象牙品を見ていると、やっぱり象と共存した愛ある地球を願う象牙職人のお二人に改めて拍手を送りたくなる。供養や転生という言葉があるが、亡くなった象の牙を供養し、その生きざまを永らえていこうというものづくりの姿にやっぱり大拍手だ。大きな身体に小さな芽。何か物悲しそうな表情。その象を長く生き永らえてやろうという江戸の、いや、東京のこだわり職人の心意気かと思うと、新年の良き幕開きというものだ。
ここで余談だが、ちょっと心温まる話を一つ。石橋さんの奧さまは三味線をされるそうだ。演奏会などで使う撥はやっぱり石橋さんの丹精込めて作り上げたものだと言う。会場で音を聞きながら「撥の生命であるしなりなどが目で、耳で、確認出来るので本当にありたいですね』なんて、いいですね。世に言う撥が繋ぐ夫唱婦随ですね。
東京都産業労働局のHPにこんな言葉があった。(引用:https://dento-tokyo.jp/items.html)
東京の伝統工芸品は長い年月を経て東京の風土と歴史の中で育まれ、時代を越えて受け継がれてきた伝統的な技術・技法により作られています。手作りの素朴な味わい、親しみやすさ。優れた機能性などが大量生産される画一的な商品に比べて私たちの生活に豊かさと潤いを与えてくれます。伝統工芸品は地域に根ざした地場産業として地域経済の発展に寄与すると共に、地域の文化を担う大きな役割を果たしてきています

まさにものづくりにこだわる職人たちが守り、今の世に遺し、後々の世代に伝えていく美、技、伝統、そして心は“一生もん”だ。我が住む東京で、その火は消せないという行政施策は本当にありがたい。ある面では高齢の職人しかいないとか、後継者不足、材料不足ということをよく耳にするが、この道一筋に何十年、修行を重ねて技と心と道を極めていこうなんてやっぱり嬉しくなる。丹精を込めて作られた本物の良さは身近において、やはり長く生き永らえていきたいではないか。
さて、今度はどんなこだわり人と出会えるかだ。
文 : 坂口 利彦 氏